三十三章 王宮にて~愛と擦れ違いと騒がしき…~(6)
その翌日も、マリアはリリーナとサリーと一緒になって登城した。
本日も、守備に回っている近衛騎士の一人に案内されて、王宮内を第四王子クリストファーの私室に向かって歩いていた。その彼女の腕を、十歳の侯爵家令嬢リリーナがしっかり握りしめている。
旅行で離れていた間は大丈夫だったようだが、帰宅後の数日、不在で寂しい想いをしたらしい。少し前のもっと幼かった頃に戻ったみたいに「マリア」「ねぇマリア」と名前を連呼しては、一緒にいられる時間はべったりしているのだ。
めちゃくちゃ幸せである。
マリアとしては、そこまで慕われている事に感激だった。
おかげで王都に戻ってきて今日に至るまで、王宮でなんやかんやと忙しかったり騒ぎに巻き込まれたり、同時進行で臨時班の話し合いがあったりしても頑張っていられた。
とはいえ、まぁ、そのせいでリリーナの兄であるアルバートには、昨日も屋敷で「僕の膝の上があいているのに……」と、ぼそりと羨ましがられた。数日続けて断れていた彼の声色には、正直背筋がひやりとしたものの、サリーがフォローしてくれてどうにかなっていた。
そう思い返していたら、リリーナが「あっ」と上げる声が聞こえた。
華奢で柔らかな手に力が入るのを、マリアは握られている腕に感じて目を向けた。間を挟んで隣を歩いている、美少女系少年である十五歳の専属侍従サリーも彼女を見た。
床へ濃い藍色の目を落として、リリーナの歩みが遅くなる。
案内している近衛騎士が、心配気にチラリと肩越しに目を向けてくる。マリアは若い彼の視線を感じながら、専属メイドとして一番に尋ねた。
「どうかされましたか?」
すると、リリーナが迷ったような表情をした。また少し俯き加減になってしまった彼女の頭で、大きなリボンが揺れて、長い蜂蜜色の髪がドレスにぱさりとあたっている。
迷惑がられないかしらと表情に出ているのを見て、遠慮する立場でもないのにな、とマリアは彼女らしい優しさにほっこりとした。
「よろしいんですよ、リリーナ様。何か私たちに出来る事があれば、いつだってご相談されていいんです」
そう促したら、彼女がチラリと視線を返してきてくれた。大きなくりくりとした藍色の目がマリアを映して、それから、ふわふわとした蜂蜜色の髪をしたサリーへと向く。
「僕も、お嬢様に頼られたのなら、嬉しいです」
サリーが、少し恥ずかしげに、にっこりと微笑みかける。
三人をほんわかとした温かな空気が包んだ。案内中の近衛騎士が、パッと口許を押さえて視線を戻し「この子供たち、皆めっちゃいい子」と涙目で感動を噛み締めていた。よく貴族を知っている近くの騎士たちも、「さすがはクリストファー殿下の婚約者様だ」と視線を送る。
そんな中、リリーナが「実はね」と遠慮がちに声を出した。
「歴史を教えてくださっている先生がいらっしゃるのだけれど……前に話した、とても素敵なご老人の」
「覚えておりますよ、以前は学院でお教えされていた方だとか」
「そう! そのお方なのだけれど」
パッと嬉しそうに手を合わせたリリーナが、何やら思い出した様子で、またしてもしゅんっとなる。
「座ってじっとしていても、ずっと腰を少し痛そうにしていたの。クリスと一緒に心配になって…………実は、その、いけない事だとは分かっていたけど、動かずにはいられなくて、休憩時間に二人でこっそり抜け出して」
そこも反省しているようで、リリーナはますます肩を落としてしまう。
多分、それ、みんな知ってると思いますよ。
マリアは笑顔の下でそう思った。護衛が彼女たちのそばを離れる事はない。恐らくはヴァンレットとアロー、もしくは彼らの部下たちの方が後ろに付いていた事だろう。
「それで。リリーナ様と殿下は、一体何をされに出たのですか?」
全然怒られるような事じゃありませんよ、と安心させるような声で尋ねる。
背を屈めるようにして覗き込んでくるマリアを、リリーナは少し安堵を滲ませてチラリと上目を向けた。
「あのね、王宮医長様に相談してみたの。もともとお薬を飲んでいる方だから、痛みを緩和させる手助けに、薬草茶がいいかもしれないと教えてくれて」
王宮医長は、専門の者に作らせて用意しておきましょう、と二人に言ってくれたらしい。次に彼が来る時に、彼女たちは預けられている場所へ、こっそり取りに行く予定だったという。
けれど今日のスケジュールを思い返したら、そのご老人が来るまでに二人で抜け出せる時間がなさそうだ――と、今になって気付いたようである。
普通であれば、誰かに指示を出して『持ってくるように』と一言頼めばいい。でも、そういうところも二人らしいかな、と思えて、マリアはやっぱり微笑ましくなってしまった。
「分かりました! 今、私がパッと取ってきましょう」
どーんと任せてください、と胸に拳を当ててそう告げた。
元気いっぱいのマリアを見て、サリーが小さく笑って「その方がいいね」と言った。その同意の声を聞きながら、リリーナが目を丸くして彼女を見上げる。
「いいの? ここからは少し距離があるのに……」
「全然平気ですよ。それに、他の誰かが行くより、私の方が適任かもしれません。ほら、私はリリーナ様と同じリボンをしていますし、すぐに専属メイドだと分かってくれると思います」
マリアは、彼女が指示を出しやすいようにと言葉を続けて、自分の頭のリボンも指した。そもそも信頼している者の方が、リリーナ自身も安心するだろうとマリアもサリーも分かっていた。
「ですから、今、私の方でサクッと取ってきますよ」
「本当に大丈夫? 私、マリアに無理を言っていない?」
おろおろとリリーナが確認する。
前を歩く近衛騎士が、とうとう顔に腕を押し付けて震えていた。周りの大人たちも癒されているのを、気付いたサリーが、これはこれでどうなんだろ……と頼りなさそうに見やる。
自分の小さな主に頼られて、嬉しくない『騎士』はいない。
マリアは、またしても胸を叩くと、素の様子で笑ってこう言った。
「ははは、全然オッケーですよ! リリーナ様のためにも、このりマリア全速力でひとっ走りしてきます! すぐに追い付きますので先に行っていてください!」
後半の言葉を言い終わる前に走り出し、マリアは手を振って一旦別れた。