三十三章 王宮にて~愛と擦れ違いと騒がしき…~(5)上
翌日、マリアは研究私室の掃除を終わらせ、昼食前にと本を取りに向かったところで困った事になった。
昨日は、第六師団と少し騒ぎを起こしてしまったものの、無事にロイドからは逃げ切れて呼び出しもなかった。今日こそは何もないかも、と思っていた矢先で、顔には心労が込み上げる。
「今度は一体なんだよ……」
ここは公共区のド真ん中である。まるで図書資料館に向かうタイミングや、スケジュールでもバッチリ把握していたように、そこには例の美少年軍団が待ち構えていたのだ。
青年というには線が細すぎるし、かといって美しさがあって女の子風に潤んだ目で一心に見つめられても、顔立ちは少年なので美少女という感想は出てこない。
なんか、言葉では評価や表現が難しい少年たちである。
そもそも先日、ルクシアの研究私室に来られて、ファンクラブを立ち上げただけのと言われてから、マリアはわり彼らが分からなくなっていた。先頭にいるのは、それをまとめている子爵家のカリスマ的美少年、エリオット・ウィーバー、十七歳である。
「…………えっと、私に何かご用でしょうか?」
しばしの見つめ合いの後、マリアはようやくそう尋ねた。
無視して行こうかなとも思ったのだが、バッチリ廊下前を塞がれてしまっていて真っ直ぐ抜けられそうにもない。通行人たちも、少し邪魔そうにして端の方を行き来している状態だ。
するとエリオットが、祈るように胸の前で手の指を組み合わせてこう言ってきた。
「助けてくださいッ、僕らの命よりも大切な本が……!」
半ば悲鳴のように訴えられて、マリアはちょっと後ろへ身を引いた。アーシュよりも少し背丈が低いだけの見目麗しい美少年に、女性っぽい涙目と表情を向けられて戸惑う。
「あの、ちょっと落ち着こう――本って?」
思わず素の言葉になってしまった。
けれど、彼らは全く気付いていないみたいだった。まるで違和感さえ覚えていない様子で、後ろの美少年たちが「頼れるのはあなただけ」と目の潤いを一気に増した。
うッ、とマリアがもう一歩後退する。
そんな中、エリオットがずいっと詰め寄って言葉を続けた。
「せっかく上手く作れた渾身の作品なんです! 本格布教のための、第一回目の配本用にと、心を込めて作った原本なのに……っ!」
布教……?
マリアは聞き慣れない言葉が沢山で、ますます困惑してしまった。こいつら、一体何やってんだろうな……と思いつつも声をかけた。
「よく分かりませんが、ひとまず落ち着いてくださいませ」
「落ち着いていられませんッ。今にも僕らの渾身の作品が、悪魔の手や足でむちゃくちゃにされるかもしれないと思うと……!」
「とりあえず話は聞きますから、だから落ち着きましょう――それで、一体どういう事なんですか?」
その途端、エリオット達が感激でぶわりと目を潤ませた。その様子は女の子みたいで、でも一般的に『中性』と言われるくらいに美少年で、マリアはやっぱり慣れず気圧された。
「話を聞いてくれますか!」
「さすがです!」
「素敵すぎますッ」
「さすが僕らのファンクラブの公認会長!」
おい阿呆、そんなのにはなった覚えはねぇよ。
ついでのように、どさくさに紛れて事実にしようとした美少年たちにゾッとした。マリアは、非公式ファンクラブだとかいう彼らを前に、顔が引き攣ってしまう。
ドン引きをちょっとは分かってくれたのか、途端にエリオット達がこう言ってきた。彼らは涙腺を自分たちで完全に制御出来るのか、パッと涙目を解く。
「あっ、大丈夫です! 中は完全な妄想込みの創作なんで!」
「プライベートは勿論守ってます!」
「ちゃんと『これはフィクションです』と注意書きもしましたッ」
一体、どういう本を作ったんだろうな?
マリアはよく分からなくて、追及を考えるのはやめる事にした。ひとまず大切に作ったというし、だからここまで困っていんだろうと思って尋ねた。
「その手作りの本が、どうにかなってしまったという事ですか?」
「とある恐ろしいグループに奪われてしまったんです!」
オリエットが、ぶわりと涙して悲痛な声で叫んだ。
近くを通り過ぎる軍人や男性使用人たちが、女の子みたいな美しい彼らをチラチラと気に掛けて見やっていく。その中の何人かが「美しい……」とドキドキもしていた。
美少年たちは、その反応は当然と言わんばかりに気にしていなかった。本気の泣きにギョッとするマリアに詰め寄って、無駄に美しい少年声で口々に訴え始める。
「恐ろしい事に、奴らは平気で僕らの花園を蹴散らすが如く、踏み入ってきます!」
「もうずっと強敵なんですうううううッ」
「本当に恐ろしい相手です、僕ら、怖くて全然太刀打ち出来ません!」
「パーティー会場でも、いつも僕らのこと、けちょんけちょんに貶すんですっ」
「しかも宰相様のところの娘がリーダーなので、僕らにはとても敵わなくって」
へぇ、ベルアーノさんのところの娘か。少女としたら、彼の年齢でいうと末子とかかな――。
そう思ったところで、マリアは違和感を覚えて「ん?」と首を捻った。
「待って。その相手のグループって、一体なんなの?」
思わず尋ねたら、彼らがピタリと口をつぐんで、一斉に涙目でこちらを見てきた。
なんだかマリアは、男なのに女にしか感じない空気感に圧されてしまった。するとエリオットが、なけなしの勇気でも振り絞るかのように、こう訴えてきた。
「そのグループは、僕ら令息を、ヒールで平気で踏み付けて高笑いまでかますような、最強令嬢集団なんです!」
彼の情けない悲鳴が、廊下に響き渡った。
最強令嬢集団、と、マリアは頭の中で繰り返した。けれどすぐには呑み込めなくて、しばし理解するための時間が必要だった。
「は……?」
ようやく少しの間を置いて、そう呆気に取られた声が出た。
※※※
案内されて連れて来られたのは、令嬢が集まるサロンの一つだった。そこにはオブライト時代にも見た事があった、見目麗しい十代の令嬢たちの煌めく華やかさに溢れていた。
サロン内にいる令嬢たちは、指先まで洗練されているかのようにして上品で美しい。ただ座って紅茶を飲んでいるだけの姿勢一つさえ、うかつに話しかけられない品で満ちていた。
そのキラキラとした感じは、美少年集団を軽く凌駕している。
「――あら、一体どこの誰かと思えば、エリオット様ではございませんか」
ふと、一人の高貴なる令嬢が、エリオットに気付いてツンっと顔を上げて見てきた。彼女が席を立ったかと思うと、周りの令嬢たちも着飾ったドレス姿で姿勢正しくやってくる。
こういった十代の生粋貴族集団というのも、あまりない事である。
マリアはオブライト時代、まだ婚約者同士だったアヴェイン達や、腹黒令嬢の一見でも見た光景を思い出して「うわぁ……」と口角が引き攣って声がこぼれてしまった。
エリオットが、気圧されてかけてすぐに胸を張り直す。
「ヴァレンティーナ嬢、僕らは――」
「わたくし、あなたに名前を呼んでいいなんて許しておりませんけれど?」
「僕のは時々呼び捨てにもするのに!?」
ショックを受けているエリオットを、令嬢集団の先頭に立った彼女は「そういう反応が子供なんですのよ」と言って、肩にかかった長い銀髪を後ろへと払う。
とても美しい令嬢だった。雪のように白い肌、透き通った水色の目。
恐らくは、彼女が宰相の娘なのだろう。ほとんど白髪のベルアーノからはイメージになかったが、キラキラとしている銀髪が美貌を引き立てている。
それでいて、めちゃくちゃ気が強そう。
これ、そもそも騎士どころか、一介のメイドがしていい相手ではない。
そう思っていると、美少年たちが「頼みますぅ」と泣きそうな声で囁きながら背を押してきた。マリアは押し出される形で、エリオットの横に立たされてしまった。
その途端、使用人なぞ眼中にないと言わんばかりに、直前まで気付いてさえいなかったヴァレンティーナ達の目が、一斉にマリアへと向いた。
※「エリオット・ウィーバー」に変更しております。