三十三章 王宮にて~愛と擦れ違いと騒がしき…~(4)下
慌てながらもしっかりと扉を閉め、どうか奴がそれを吹き飛ばして追って来ませんように、と願いながら少しでも離れるべく全力疾走で走った。
広い廊下ですれ違って行く軍の男たちが、一体なんだと気付いて目を向けて行く。一部いた女性使用人たちが、「あら」「まぁ」と驚いたようにもしていた。
マリアは、その一切にも目がいかないまま、廊下をひたすら走った。次の廊下へ進み、更に角を曲がって、ただ一心に総隊長の執務室から離れるようにして走り続ける。
「あれ? メイドちゃんじゃん」
「走ってどこに行くんだ?」
不意に、なんだか見知った若い男たちの声が聞こえた。
「あ?」
後ろから追っての気配がない。思わず素の様子で声を上げたマリアは、顰め面を向けてようやく、そこに以前の臨時任務にも加わっていた、レイモンドのところの若手の呑気な騎馬小隊のメンバーがいる事に気付いた。
目が合った途端、彼らが歩みをやや落として一斉にぶんぶん手を振ってくる。その手には、帰りがけに部下思いのレイモンドと一緒になって選んで買った、菓子の土産があった。
「メイドちゃん、土産ありがとー」
「これ、めっちゃ美味いけど、どこの町のやつ?」
「俺が食ってるコレもさ、めっちゃバリバリいけんのよ~」
「甘さがちょーいい感じ!」
ははは、と彼らはポヤポヤした雰囲気でそう各々主張してくる。
というか、歩きながら菓子食ってんじゃねーよ……。
あまりにもその光景が呑気で、マリアは全身から緊張が抜けるのを感じた。歩きながら菓子を食っている軍人というのもなかなかなくて、走るのをやめて見つめてしまう。
なんか指導大変そうだな、とか、多分レイモンドも色々頑張ってはいるんだろうなぁ……とか、同情と心配がない交ぜになった気持ちが込み上げた。
「…………えっと、ここは軍区の廊下ですし、怒られないようにお仕事に戻ってくださいね」
それ以上の事が言えなくて、マリアはひとまずそう声を掛けた。
そうしたら、彼らはその台詞を一体なんと取ったのか、揃って呑気な様子で「ははは」と笑い返してきた。
「大丈夫、バッチリバレないから!」
菓子の袋を片腕に抱えた彼らが、全員で親指を立てて合図してきた。
そんな様子を、周りの同じ軍部の男たちが目で追っていた。中には隊長クラスのバッジやマントを着けた者もいて、「またあいつらか……」と顔を押さえて呻いている上官の姿もあった。
一応、軍区は食べ歩きが禁止の場所である。
というか、菓子は余計に駄目だと思う。皆から注目を向けられているんだけど、彼ら本人は気付いてないのだろうか……と、マリアは元軍人の先輩としてより心配が増した。
「んじゃ、メイドちゃんも気を付けて戻れよ~」
「はぁ、ありがとうございます……」
「俺ら仕事中だからさ、見掛けたって言わないでくれると助かるぜ!」
あ、これ完全にアウトなやつだわ。
マリアがそう思った時、同じ騎馬隊の軍服を着ていた上官組の一人が「お前らああああああああ!」と、もう無視出来なくなった様子で怒鳴って走り出した。気付いた呑気な二十代の騎馬隊たちが「げっ」「第十二部隊のッ」「なんでこんなとこいんの」やらと言いながら逃げ出す。
バタバタと慌ただしい逃走と追走が始まった。目の前を通過していった中年男を、マリアはなんとも言えない顔で目で追いかけてしまう。
と、その時、またしても聞き覚えのある、彼らとは真逆な気質をした若い男たちの声がした。
「はははっ、さすがに馬鹿共の集まりだな!」
まさか……と思って目を向けてみれば、第六師団のポルペオのところの優秀な若い精鋭メンバーが、偉そうにして立っていた。前回の臨時任務に加わっていた男たちである。
すると、彼らがハッとしたように視線を返してきた。
マリアと目を合わせ途端、彼らは思い出したように目を見開いて「あ――――っ」と叫んだ。指を突き付けてきたかと思ったら、慌ただしくバタバタと走って向かってくる。
「凶暴メイド! お前聞いたぞっ」
「よくも俺らの師団長のヅラを、友人様方と一緒になって葬ろうとしやがって――」
直後、マリアは煩さにブチリと切れていた。飛び込んできた彼らを迎え討つべく、急発進すると、先頭から順に蹴り飛ばして次々に沈めていく。
構ってる暇は、ねぇ!
こちとら、下手するとロイドに暴れられるかもしれない瀬戸際なのだ。後にしろよ、という格下には容赦がない勢いで、マリアは第六師団の優秀な若手を叩きのめしていった。
「うわああああ凶暴メイドがきた――――っ!」
「足蹴にするとかひでぇ! ぐぇっ」
「話を聞く前に一撃で沈めて行くとか、どんなドSだよ!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ声が廊下に響き渡る。
居合わせた人々がドン引く中、一人の青年が白衣の裾を揺らして立ち止まった。
「………………あいつ、今度は何してんだ?」
それは、文官服の上から白衣を羽織ったアーシュだった。
しばらくは戻って来られないだろうからと、ついでに備品の調達に出た彼は、しばし困惑顔でマリアと若い軍人たちの騒ぎようを見つめていた。
「確かマリアは、総隊長様に報告に行ってたんじゃかったっけ……?」
もしかしたら報告はすぐに終わったのだろう。だって彼女は軍人枠ではないし、他の者たちがきちんとした報告はしているだろうから、確認事項だけだったのかもしれない。
アーシュは、頭をぽりぽりとかいて「まぁ、いっか」と疲れたように言った。
「戻ってきて早々だってのに、やっぱり落ち着かない奴だなぁ……」
目撃者となった彼は、ひとまずマリアを回収すべく、そちらへと向かったのだった。
※※※
その後、リリーナやサリーと共にマリアが帰った頃。
大会議室から出たロイドは、とある方向に目を留めた途端に立ち止まっていた。そこには、ふんふんふ~ん、と鼻歌交じりに歩いているニールの姿があった。
直後、彼は数時間前の事を思い出して、即刻でニールの首を掴まえていた。
「存在で俺の邪魔をするなよ、なあ?」
「なんのこと!?」
全開の殺気を向けられたニールが、一体なんの事か分からずに叫ぶ。
いきなりの事で、目撃者となった周りの者たちも同じ心境だった。一歩遅れて進み出てきたモルツが、少し考え、ふと推測に至った様子で口にする。
「――ああ、なくなっていた分の菓子セットの件ですかね」
元々あなたくらいなものでしょうと思っておりましたが、と彼は推測するようにして呟く。
すると、それを耳にしたニールが「あ、納得」とスッキリしたような声を上げた。
「あ~なんだ、つまみ食いがバレたのかぁ」
一セット分がなくなってしまっているのに、つまみ食いというレベルではない。大会議室からぞろぞろと出始めていた他の軍人たちが、上司の異常な殺気に気付いてギョッとし、続いて『あの総隊長から盗ったのか!?』と信じられない様子でガバリと目を向ける。
野生の猫か犬みたいにとっ捕まえられているニールは、目の前のロイドに向かって、思った事をとりとめもなく口にし続けていた。
「美味しそうなお菓子が沢山あったし、もらっていいやつなのかなって。だって魔王、あんなに食べないし、それならお嬢ちゃんとルクシア様とアーシュ君にも、分けてあげようかなって。それにほら、一応お嬢ちゃんって女の子だから、甘いもの『好き』かなぁとか」
思った事を全部口から出すニールの話を聞いて、モルツが「一応ではなく、彼女は女性ですが」と冷静に指摘する。
不意に、ロイドが「好き」という言葉にぴくりと反応した。妙な間を置いたかと思うと、彼は無言のままニールに絞め技の体勢へと入る。
「あれ? ねぇ後輩君、これって結構ヤバめの絞め技じゃ――」
「加減はしておいてやる」
「え。それ、なんの加減?」
直後、脱臼ギリギリの加減にて、ニールの悲鳴が響き渡った。
その様子を見て、十六年前当時からの関係を知っている一部の軍部上層部の男たちが、相変わらず仲いいな、と複雑な心境が滲む顔で呟いていたのだった。