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六章 女性恐怖症の文官と、毒薬学博士な賢王子(3)

 騎士学校を卒業する前、ロイドは、戦場を駆ける黒い悪魔の噂を聞いた。


 まさかと鼻で笑っていたものの、当時の総隊長であった父に連れられて遠くからその戦いぶりを見て、最強の騎士の実力を思い知った。



 歴代最強にして、最凶の【黒騎士】、オブライト。



 誰もが彼を【黒騎士】と称号で呼んだ。彼の周りには敵兵の屍が積み上げられ、毎回の出陣で自身が先頭を立って剣を振るうにも関わらず、怪我一つ負わない化け物だともいわれていた。


 オブライトは戦場でなかったら、穏やかとも、呑気ともとれる不思議な雰囲気をした男だった。


 誰かを叱り飛ばしたり、激昂するところを見た事がなく、大抵はぎこちない下手くそな愛想笑いを浮かべるか、困ったような微笑を浮かべていた。


 物静かな男なのだろうかと思ったが、意外にも感情が豊かなのだと気付かされたのは、たまに悪戯を閃いたように目を輝かせ、馬鹿みたいな騒ぎに立場を忘れて一緒に笑い、全力で嫌がって逃走する姿を見たせいだ。



 顔立ちは悪くなかったから、彼の悪い噂を信じない女からは、よくモテていた。



 恐ろしいほどに鈍い男だったから、彼に寄ろうとする女が挫折してゆく様が、ロイドには何とも愉快だった。


 型破りな戦い方でも有名な男だったが、特に特徴的だったのが、力任せでなくとも相手を打ち負かせる流れるような剣技だった。その一つ一つの型は、キレイだとさえ思えるぐらいに洗練されている。


 とはいえ、彼の剣技は変則的で予測が付かず、もてあそばれているようで実に腹立たしかった。


 オブライトは、ロイドから言わせれば変な男だった。


 まとう空気がキレイで、どこにいても、嫌でもロイドの目を引いた。


              ※※※


 熊のようにデカいだけで、その実、子供のような性格をしたヴァンレットを「仕方がないな」と手を引くオブライトの姿を、時折見掛けた。


 ヴァンレットが馬鹿だとは知っていたが、男同士で恥ずかしくないのかと腹が立ち、ある日、怒りのままそれを指摘した。すると何を考えたのか、ヴァンレットがオブライトの右手を指して「じゃあ君は右手を握ればいい」と言った。


 俺が迷子になる訳がないだろと主張したが、馬鹿なヴァンレットは理解してくれなかった。


 結局はオブライトが折れる形で、ロイドの手を勝手に握って引き始めた。


 自分よりもやや大きな彼の手は、意外にもひんやりとして滑らかだった。するりと解かれた後も、何故かその感触が消えず、一人で何も考えていない時に限って何度も蘇った。


              ※※※


 ロイドは、幼少から華奢な少年だった。オブライトが自分を子供として見ていると気がついた時、生まれて初めて身長に劣等感を抱いた。


 十八歳になっても、ロイドの背丈は友人どころか、彼の身長にさえ届かなかった。


 男の成長期は二十二歳まであるから、とよく分からない事を口走るオブライトの呑気さには、怒りを通り越して殺意を覚えた。


 いずれ同じ舞台に立ち、共に国王陛下を支えるものだと、あの頃は疑っていなかったのだ。あれが馬鹿なのなら、俺がそれを埋めればいいとも考えてもいたから、子供に見られるのは癪だった。


 だから、彼の友人や仲間達の中にいても見劣りのないよう、いずれ彼の隣に立つ日を思って、身長を伸ばすために好きでもない牛乳を飲んだりした。



 ロイドは、初めてオブライトと対面した時から、気に食わない事が多くあった。


 例えば、彼がハンサムで完璧な騎士である事、最強の名を持っている事、どうしても勝てない事。大人の余裕を持ち、誰にでも優しくて、面倒見も付き合いもよくて、他人を警戒せず、ロイドよりも出来た男である事……



 ある部隊の連中が「あいつが昇進したら、うちで引き取ってやってもいいよな」と下劣に話しているのを聞いた時は、腸が煮えくり返って、彼らを半殺しにしていた。


 男所帯の問題から、戦場下であれば、あの白い肌に触れてみたいとほざいた新米騎士達については、理由も分からず怒りのまま過剰に叩きのめした。


              ※※※


「一年前から、オブライトの周りを黒髪の、異国の女がうろついているようです」


 モルツから一人の女の存在を知らされた時、ロイドは、これまでにない強い憤りを感じ、同時に、ある事に唐突に気付かされて言葉を失った。


 これまでにあった「気に食わない」と感じる苛立ちや、完璧だと思っていた自分に対して初めて覚えた劣等感。どうして、ヴァンレットに怒る事が多かったのか、どうして自分以外の部隊に、オブライトを獲られたくないと思ったのか……



 憤りに似たこの感情の名が、嫉妬だと気付いて、愕然とした。



 ロイドは、少年時代から女に困る事はなかったが、恋の経験も感覚も知らなかった。だから、オブライトに覚えるこの嫉妬心が、理想の相棒としての執着なのか、そういったモノなのかどうか分からないでいた。


 国王陛下から、オブライトに付きまとう謎の黒髪の女について調べて欲しいと頼まれ、ロイドは、重い気持ちのまま異国の女を見に行った。



 漆黒の髪を持ったその女は、色気と美貌をあわせ持った魅力的な美女だった。



 どうすれば相手が好意を寄せてくれるのか知り尽くした笑顔や、男に触れ慣れているような大人な仕草が目に付いた。女性にしては身長があり、見目の悪くないオブライトと並んだとしたら、さぞ似合うだろうと思える美女でもあった。


 自然と想像された光景に、ロイドは心が沈むのを感じた。


 あの白く柔かい指先は、彼の髪を撫で、頬に触れた事はあるのだろうか。あの赤い唇は、オブライトの形のいい、薄い唇の柔らかさを知っているのだろうか。



 簡単に甘えられる見目と立場を利用して、彼の首に腕を回し、愛を囁いて、あの低くも高くもない穏やかな声色で愛を囁き返されて、普段見られないような彼の様々な表情も……?



 初心でもない癖に、ロイドは、その想像に熱が上がるのを感じた。信じられない事に、真っ先に脳裏に浮かんだのは女の方ではなく、オブライトの姿だったのだ。


 そんな事ある訳ないだろう! 馬鹿か俺は!


 反動で込み上げさせた怒りを、ロイドは日頃の鬱憤に込めて発散した。約束の確定されていない相棒が獲られそうになると、神経質になる奴もいるらしいと、二人一組体制のある騎馬隊の連中に聞いて、ようやく少し落ちつく事が出来た。


 オブライドは、ロイドが唯一、同格だと認める優秀な人材だ。


 ロイドは将来、軍のトップに座るつもりでいたので、刺客である疑いが高い女に、そうそう駄目にされてたまるかという憤りだと、そう結論付ける事にした。


              ※※※


 女の身辺や、妖しいとする尻尾がなかなか掴めないまま、いつもの通りに日々だけが過ぎていった。


 ある日を境に、オブライトの微笑みに大人びた柔らかさが出るようになって、その心に誰かがいる事に気付いた。馬鹿な癖に聡い彼の心情は、ロイドでさえ深く読み取れず、何故か形容し難い浅い喪失感を覚えた。


 そして、あの日、オブライトに「戻ってきたら叩き潰してやる」と挑発して、彼から「勘弁して下さい」と困ったように笑い返された後――



 国境戦に出陣した、最強にして最凶の【黒騎士】が死んだ。



 知らせを受けて親しい友人達が駆け付けたが、戻ってきた彼の遺体は、馬鹿みたいに穏やかで幸せそうな表情をしていた。一番に発見したらしいヴァンレットは、泣きじゃくり、しばらく使いものにならなかった。


 国王陛下が「他にも遺体がそばにいなかったか」と訊いて、ヴァンレットと共に回収にあたった別の部下が「いいえ、誰もいませんでした」と答える声が、ロイドの耳を素通りしていった。


 オブライトという人間をよく知る者達だけで、ひっそりと葬儀が上げられた。


 ただ一つ、自分だけの家名のみを求めた欲のない男のフルネームが、殉職した騎士碑の中にそっと付け加えられた。



 国王陛下は一年沈黙し、その後、黒騎士部隊がなくなる事が決定した。



 爵位も持たず、姿絵さえ残さなかった彼を、忘れずそばに置くかのように、国王陛下は黒騎士部隊の軍旗を国王の間に飾った。国王陛下がぽつりと「一番の親友だった」とこぼした時、ロイドは、返す言葉を見つけられなかった。


 ロイドにとっても、オブライトの喪失はひどく大きかった。


              ※※※


 黒騎士の名前が出なくなってしばらくすると、それなりに心の整理がついて、面白く時間を過ごせるようになった。


 国王陛下の平和宣言を象徴するかのように、国内はすっかり落ち着き、戦争を起こさないためにロイド達も動いた。


 十六年は、本当に、あっという間に過ぎていった。


 国賊を潰すために思いついた内容であったのだが、ある一件があって、アーバンド侯爵令嬢リリーナと、第四王子クリストファーが実際に見合いをする事になった。


 互いに十歳同士で、【国王陛下の剣】の血を引く末娘と、弱い立場の王族の末っ子だ。家柄と立場を考えても、非常に良い話しだった。



 他の人間の都合が付かず、ひとまずヴァンレットが一人で使者を務めて侯爵家と話をとりまとめる事になった。無理やりにでも人員を割く事は出来たが、宰相ベルアーノが苦悩する様子が愉快だったので、ロイドは手を出さなかった。


 残念ながら、ヴァンレットはベルアーノの胃を気苦労で痛めたものの、なんの失態土産も持たずに帰ってきた。


 しかし、戻って来たヴァンレットの機嫌が良いらしいと噂で聞いた。


 何人かが本人に話を聞いたようだが「オブライトさんっぽい?」と、相変わらず何を言っているのか分からず謎だ、と小耳に挟んで、ロイドは不思議に思った。


 あの日以来、ヴァンレットは彼の名前を呼んでいなかった。手を引いて、頭を撫でて褒めてくれた手がないと実感出来て、あの頃が懐かしくて悲しくなるからだと、本人がそう言っていたはずだった。



 その後、第四王子の見合いが行われたのだが、戻ってきたモルツも、どこかすっきりとした顔で「面白いメイドがいました」と、珍しく個人的な土産話を交えて報告して来た。


 戦闘能力の高いメイドだったと聞いて、ロイドは、アーバンド侯爵家の戦闘メイドだから当然だろうな、と心の中で呟きつつ報告の先を聞いた。


「不思議ですが、どことなくオブライトを思わせるような少女でしたね。仕草と言いますか、罵倒のタイミングや――ああ、でも彼は、どちらかといえばあまり感情的でく、極端に乱暴でもなかったように思います」


 あれは感情豊かだが、抑える事を知っていただけだと指摘しようとして――やめた。しかし、小さな好奇心を覚えたのは確かだった。



 二人の口から久々にオブライトの名を出させたそのメイドは、男みたいに屈強なメイドなのか、似たような性格をした中性寄りなメイドなのか興味があった。


 アーバンド侯爵の次期後継者とは、それなりにパイプがあったので、機会があれば理由をつけて侯爵邸まで向かってみようと考えたものの、忙しくしていた事もあり、ロイドはその事をしばらく忘れた。



 そして、宰相室で、例の騒ぎが起こったのだった。

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