三十三章 王宮にて~愛と擦れ違いと騒がしき…~(1)
マリア達が王都を出てから、数日。
なんだか静かというか平和だな、やら、早く大臣様帰ってきてくれ仕事ちょっとサボって隠してたの出てきてんだけど……という平和的空気がある中、王宮の軍区の一室では、密かに穏やかではない大変な事になっている男がいた。
マリアが足りない。
そう思って、部下がいたのならば、一発で失神させる殺気を放って睨みつけたのは、銀色騎士団総隊長のロイド・ファウストである。
彼は登城があるたび「さっきあそこでさ~」と聞いていた『リボンのメイド』の話を聞かなくなり、それでいて、本人不在で全く気配のない王宮で、我慢が限界を迎えようとしていた。
まさに禁断症状みたいな状況になっていた。
そのおかげで、日々積み重なっているあてのない苛々はマックスである。
「――もういい、認めてやる。俺はあいつが好きだ」
書斎机で組んだ手に顎をのせたまま、ロイドはギロリと前を睨み付ける。その地を這うような声は、愛を語るというより、知らぬ他者が聞いたら『殺す』を思わせるドスがきいていた。
マリア達が出発して一日、二日、と経っていく中、はじめの頃は気のせいだろうと思っていた。
だが、全く様子が分からない状況に苛々し始めた。自宅にいる時も仕事中も、とにかく何をしていても、気付けば彼女の事を考えている始末である。
それで眠れないとか、どんだけだよ。
かなり寝付きも悪い。ようやく少し眠れたと思ったら、飛び起きてもいるせいもあって、ロイドは寝不足も祟っていた。
とくに不器用過ぎる自分の恋については全く余裕がない。だから彼にしては珍しいくらい切羽詰まっていて、ここにきてプツリと切れて妙な方向に吹っ切れた。
「相手はメイドだ。まずは、告白する」
おかげでロイドは、いつもの女に困らない思考も働かなくて、正式なお見合いよりもまずは紳士として想いを伝える――という恋愛偏差値一の考えを発揮した。
※※※
ステラの町を出て数日後、マリアはアーバンド侯爵領へと戻った。
近くでいいですからと、友人たちが乗車したままの馬車を見送って屋敷へと向かった。こんなに離れるのも久々で、『帰り道』を歩いて行きたかった気持ちもあった。
町の人たちも変わらず元気そうだった。表上は、一旦の帰省、という事にしてあるので「あら戻って来たのね」「長期休暇は楽しめたかい?」と、皆マリアに友好的だった。
「私服で歩くのも、あまりないもんなぁ」
マリアは、こっそり素の柔らかな苦笑を浮かべた。旅行鞄を片手に、西日へと傾き出しているアーバンド侯爵領の、カラッとした青空を見上げる。
「うん、やっぱりいい天気だ」
そろそろリリーナも、早い湯浴みに入っている頃だろう。
なんだか『帰ってきた』という空気を感じている事が、少しくすぐったくて笑ってしまった。自分が仕えている彼女に早く会いたくなって、マリアは「うん」と一つ頷いて大きく歩く。
「――さて、帰ろうか。私の『家』に」
初めて出来た家族、そうして初めての家。
やがて、アーバンド侯爵邸の門扉が見えてきた。到着の予定を見越してか、そこには日中勤務組と夜勤組の衛兵が、交代のタイミングのようにして揃っていた。
嬉しくなって「よっ」と手を上げてみせたら、ガーナットやニック達も応えてきた。しかし、その表情は、なんというか――『頑張れよ』と伝えてくる感じでぎこちない。
不思議に思って、マリアは大きな空色の目で、きょとんと見つめ返した。
すると彼らが、同情交じりの目で揃って親指を立ててきた。
(マリア、幸運を祈ってる)
(僕らは援護出来ないから、とりあえず君は一人で頑張れ)
(何が?)
そう視線で言葉を交わし合った直後、門扉前まで来たマリアは、ふわりと背後に空気のゆらぎを感じて――ハッとした。
まさか、と思ってガバリと振り返った瞬間、
「マリアおかえり――――っ!」
「ぐはッ」
暗殺技で移動してきたアーバンド侯爵が、敷地内へ入れるように飛びついて来た。ちょっと気持ちがこもりすぎて力が強く、身体ごと突っ込まれたマリアは、衛兵組の前から一瞬姿が消える。
ガーナット達が、ぎこちなく目で追って『頑張れ』と再び親指を立てる。
飛び付かれた勢いで、マリアは門扉の内側へ吹き飛んでいた。落ちた旅行鞄を執事長フォレスが拾い上げる中、彼女はそのままアーバンド侯爵に抱き上げられてしまっていた。
「可愛い『僕』の娘! ああ、とても元気そうで何よりだね」
「旦那様、もう子供じゃないんですから『高い高い』は勘弁してくださいっ」
しかも口調、『私』から『僕』になっているんだけど。
え、それ多分、素の一人称だよな。何これ、テンション上がり過ぎってことなのか、とマリアは混乱の中で色々と思った。彼は構わず、腕に抱っこしてぐりぐりしてくる。
「ふふっ、こんなにも長く離れるのもなかったねぇ」
「え。まぁ、その、数年前に『おつかい』を先輩方と頼まれた時、くらいですかね……?」
「おかえりマリア。その服も、とても似合ってるよ」
改めて『おかえり』と言われた途端、マリアは、込み上げた思いにぐっと口をつぐんだ。
正直に言うと、嬉しい。本当に自分の家に帰ってきたみたいだ。ああ、もし血の繋がった親か誰かがいたとしたのなら、こうして出迎えてもらえたのかな――。
アーバンド侯爵の澄んだ藍色の目が、温かくこちらを見つめている。
返事を待っているんだ、とようやく気付いて、マリアは「あ」と少しだけ頬が熱くなる。
「た、ただいま、……です。旦那様」
すると彼が、満足した様子でぎゅっと抱きしめてきた。
「うん。おかえりマリア。お疲れ様」
ようやく地面へと降ろしてもらえた。乱れた前髪を指先で整えて、大きなリボンも、アーバンド侯爵は自らきちんと確認していく。
マリアはふと、近くにきた初老の執事長フォレスと目が合った。
「マリアさん、おかえりなさい。土産話は、今夜にでもゆっくり聞きましょうかね」
「ただいまかえりました、執事長。みんな元気ですか?」
「元気ですよ。同じ十代同士、ギースもサリーと夜遅くまで、珍しくカードゲームに耽っておりましたね」
思い返すようにしてフォレスが告げる。
へぇ、とマリアは少し意外に思って見つめていた。考えてみれば数日の『おつかい』をした際にも、ギースは三歳年上のお兄ちゃん面をして、心配したりしていたからだ。
すると眼差しから察したフォレスが、真顔でスッと片手を出してこう言ってきた。
「我々は一切心配しておりませんので、マリアさんは『表』を加勢して、好きに暴れておいでなさい」
「なんか、言い方がすごく気になるのですが……」
普段から暴れているみたいな感じに言わないで欲しい。
そうマリアの表情に出ているのを、後ろの門扉側で見守っている衛兵ニック達が「カレン達といい勝負だぞ」と顔の前で手を振ってまで指摘している。
「信用されているのは嬉しいのですけれど、心配していないというのはどういう事なんですか?」
「そう取るのも、あなたらしいところですね」
信用、とポジティブにとらえているマリアを、フォレスがじっと見つめて答えた。
彼はそのまま、その疑問の回答を提示するように、彼女のみなりを整え直した手を『旦那様』へと向けた。どうしてか、他の衛兵組も同じ仕草で、マリアにソコを見るよう促してくる。
マリアは、一体なんだろうと思って目を向けた。
そうしたら、すごくキラキラとした、いい笑顔を浮かべているアーバンド侯爵がいた。なんだかその笑顔は、息子のアルバートにも似ている気がする。
「なんだい? マリア」
「え? あ、いえ。その、こうして助っ人で外出までしているので、心配をかけさせてしまっていないかなぁ、と気になりまして……?」
「ふふっ、心配はしていないよ。大丈夫」
すぐに返ってきた答えを聞いて、マリアはホッとした。それくらい、この前の視察メンバーを信用してくれているという事なのだろう。
そう思っていたら、彼が優しげな笑顔で、とんでもない事をさらっと続けてきた。
「まだ結婚も早い十六歳のマリアに『傷』を付けるようだったら、僕が殺すから」
「え」
「きちんと手順を踏んでくれないとね。マリアが少しでもトラウマになって、結婚に否定的になってしまうのはいけないし、僕としては幸せな家庭を持ってもらいたいからね」
旦那様、また一人称が『僕』になっているんですけど……。
だから、つまりそれは本気であるらしい、と感じて、マリアは何も言えなくなってしまった。そもそも【国王陛下の剣】が勝手に殺しをするのはまずいのでは……とは思ったりした。