三十二章 公正な警備隊長&異端な神父(3)上
話しを終えたオルコットが、あっさりと去っていくのをマリア達は見送った。なんだか初の接触も、あっという間に感じるほどスムーズで、色々とあって呆気に取られていた。
警備隊の隊長である彼の姿が、向こうへと見えなくなっていく。
「………………なんか、すんげぇいい奴だったなぁ」
グイードが、そう呆けた声を上げた。完全にオルコットの姿が見えなくなったところで、少しばかりは引き締めていたらしい気を解いて立ち姿勢も楽にする。
「調査書にさ、『真面目の型にはまりすぎてあやしい』っていう一文があったのも、分からなくもないっつーか。とっ捕まった奴も、大変だったろうな~」
「多分、上の方には既に報告が行ってると思うぜ。隠し事は厳禁、だからな」
首の後ろを撫でつつジーンが言った。
「俺が『今回、警備隊の隊長に直接話しを聞くつもりでいる』って言った時、そこにいた連中は誰も反対しなかったもんよ」
「上層部も沈黙肯定だったとすると、まぁ、報告は受けていたんだろうな」
その上で一回目の接触を否定しなかったという事は、ほぼほぼジーン達の判断では加勢の許可も下りるというわけだろう。
マリアは、レイモンドの相槌の声を聞きながらそんな事を思った。
ヴァンレットとニールは、とうに数歳年下のオルコット・バーキンスには親しみを覚えてもいるらしい。よそに注意がされる様子もなく、明るい調子の声で言葉を交わしていた。
「ちょっと面白そうな感じの真面目君だったねぇ」
「うむ。ニールより大きかった」
「あ。ヴァンレットだめだぜ、俺へのダメージがくる感想はやめよう……」
勝手にニールがショックを受けて、目立つ赤毛頭を揺らして後輩に言い聞かせる。
内部情報を知るポルペオが「馬鹿者め」と吐息交じりに呟き、時刻を素早く確認してから、この臨時任務の現場指令権を持っているジーンへ声を投げた。
「早速だが、次の行動に移りたい。日没までには荷物もまとめなければならないからな」
「予定よりも時間が余って何より、ってやつだな――さて。んじゃ、次に移るか」
ジーンが彼に答え、それから一同を見やってそう告げた。
「昨日ジョナサンから聞いた話、そんでもって今回のオルコット・バーキンス隊長からも聞けた町の現状が、どんなもんか自分らの目で見るのも必要だ」
自分達は、陛下の代わりの目でもある。それでいて司令の場から離れられない総隊長や、他の上層部たちの目としてもあった。
「今朝話した通りだが、これから残りの課題を各自でこなしていく。俺らのリミットは夕刻までだ、日没には町を出る。それまでに、ここで聞いた町の件についても、各自で出来るだけ現状を確認しよう」
そこで一旦、ヴァンレットとニール組の他は、単独行動を取る事になった。
※※※
終わり次第部屋に戻り、自分の荷物をまとめる。
そうスケジュールを再確認したのち、マリアは友人たちと分かれて別行動へと移った。メイドの自分に振り分けられた課題については、軍人時代を思えば『おつかい』程度のものだ。
「……まぁ、今の軍の、内部事情を知っているわけではないしな」
少しだけ申し訳なさを覚えつつも、ジーン達に任せるしかない。アーバンド侯爵家の戦闘使用人であったとしても、深くは入り込めない部分である事も自覚していた。
大司教邸から伸びる本道を、軍が突入する際のルートとなる場合を考えながら歩いて確認する。それから、派遣される師団の潜伏場として協力を承諾した各建物――。
やがて太陽は真上へと昇っていった。
一度、店で軽く腹ごしらえをしつつ、町人の会話を耳に挟んだ。歩きながら、途中でサンドイッチを買ってつまみつつ町を歩いて頼まれていた件を確認していく。
その時、またしても町の鐘が一斉に鳴り響いた。
午後の一回目の祈りの時間だ。通行人たちのうち、信心深い者らが足を止めて、自分たちが通う教会の方向へと祈りを捧げていた。
マリアは、町中に響き渡る鐘の音に足を止めた。
目を向けてみると、建物の上から一斉に羽ばたいていく鳥たちの姿があった。その羽ばたきを空色の目に映していた彼女は、王都でも見た光景を思い出す。
王都にも立派な教会が一つあって、テレーサと歩いていた時にタイミング良く鳴った事があった。誰かの結婚式だったようで、盛大に打ち鳴らされて、沢山の祝福の声も聞こえていた。
そういえば、あの時、彼女はどうして赤くなっていたのだろう。
別れ際だったのは覚えている。それじゃあ、またバッタリ会えるといいね、と告げて踵を返した自分の軍服を、テレーサがそっと指先でつまんで引き留めたのだ。
『ん? どうした? 俺もう行くけど、他にも何か用が?』
『えっ、あ、その、これは違うのよ』
何が違うのか分からなかった。彼女はわたわたしながらも、軍服から指先を離す様子はなくて、何か他にも言いたい事でもあるみたいだった。
オブライトは不思議に思って、自分よりも低い位置にある彼女の顔を覗き込んだ。よく見えないなと、かかっている髪を指先でそっとどけたら、可愛いくらい真っ赤になっているテレーサの顔があった。
その当時は、彼女のそんな弱った女の子みたいな顔を見るのも珍しかった。どうしてか心地良い気持ちがして、熱くなっている頬を、ほんの少しなぞってフッと笑った。
『ますます赤くなってるけど、――いてっ』
『べ、べべべ別にッ、もうちょっといて欲しいだなんて思ってないんだから!』
あの後、綺麗なスカート姿なのに、猛ダッシュで逃げ出されてしまった。なんだか放っておけなくて、ごめんごめん、と言いながら自分は追いかけたのだ。
『俺の方が、もう少しそばにいたいんだ。一緒に向こうまで歩かないか?』
そう言って笑いかけたら、テレーサはきちんと化粧をした唇を尖らせた。
『…………あなた、ほんとずるいわ。……とても優しいんだもの……』
オブライトは、困ったように笑って何も答えなかった。
行こう、と手を差し出したら、彼女は眩しいものを見るみたいな目をしてゆっくり握り返してきた。長い黒髪が彼女の背で揺れて、綺麗な服にあたってパサリと音を立てていた。
そんな温かな日が脳裏を過ぎっていった。
鐘が鳴りやんで、ふっとマリアは我に返った。
まだ温もりさえ思い出せる手を握り、膝丈のスカートを揺らして一歩を踏み出す。たっぷりのダークブラウンの髪と頭の大きなリボンが、堂々とした歩みに合わせて揺れた。
引き続き、ステラの町のメイン通りを中心に見て回る。
ふと、つい先程の、空気を震わせるほどの大きな鐘の音の後のせいか。マリアの耳にそれとは不似合いな音が入った。
なんだ……?
気のせいかと思ったものの、聞き慣れた『人が崩れる音』のようにも感じた。今のところ町に問題点はなさそうなのだが、少し考えると、ルートを変更しそちらへと足を進めてみた。
もしかしたら何かあるのかもしれないな。
これまでずっと表の通りを歩いていて、チラリと目に留まったのは、あまりにも見周り意識がなさそうな警備隊の巡回班を、一回見たくらいだろうか。
音のした方角へ真っ直ぐ向かってみると、入り組んだ建物の隙間に出来た細い道のりがあった。日差しを遮られているそこへ入ってすぐ、マリアは――ピタリと足を止めた。
彼女の空色の目が、そこを目に留めて小さく見開かれる。
そこにあったのは、四人の男の死体だった。裏商売をしていそうな彼らの前には、鉄製の殴り器を拳にセットし、ナイフを持ち、返り血を浴びた男たちの姿がある。
同業の別グループ同士によるリンチだ、と気付いた。
恐らくは、鐘の音に便乗して『報復』を行ったのだろう。死体には刺し傷も見られたが、致命傷にはならない程度であまりにも慈悲のない殴り殺しだ。
五人の男たちが、ハッと気付いたようにマリアを目に留める。
だが、その顔からすぐに警戒も消えた。
「なんだ旅行者かよ。驚かせるんじゃねぇよ」
パチン、と先頭の男が折り畳み式のナイフを開く。
その反応に、マリアは奇妙な違和感を覚えた。
「……旅行者であれば、なんだと言うんですか?」
じりじりと警戒しながら問い掛ける。
すると彼らが、品のない笑い方をした。普通ならば脅し文句でも怒鳴って当たり前のはずなのに、男たちは引き続き大きな声は立てないでいた。