三十一章 大聖堂のある町(5)上
それから、どれくらい待っていただろうか。どこからか知ったお調子者の「多分一番乗りだぜ!」という声が聞こえてきたかと思ったら、続けて騒がしい主張が上がった。
「あッ。ジョナサンがいる――っ!」
毎度、学習能力がないように『優しそうな笑顔』『一歳年下』で警戒心をなくすニールが、向かいながら大きく手を振ってくる。
ジョナサンは、綺麗な作り笑いでその様子を目に留めていた。隣から同じようにして少し手を振ったヴァンレットを見ると、続いては、だんだん近づいてくる彼らが繋いでいる手を見る。
あ。これ、何か思ってる顔だわ。
王宮でもよく見ていた表情である。マリアとジーンが察してその横顔を見ていると、目の前まで来たニールが、改めて挨拶するように元気よくこう言った。
「この前、出張でこの町を通った以来ぶりっ!」
「――ふふっ、ニールさんも相変わらずだね。ヴァンレットさんも、元気そうで何よりだよ」
作り笑い感が半端ない。
それなのにヴァンレットが「うむ」と嬉しそうに頷く。
「俺とは、随分会っていなかった気がする」
「気がするんじゃなくて、それで正しいんだよヴァンレットさん」
同年齢なのに上品に名前を呼ぶのを聞いたニールが、後輩と同じく全く気付いていない様子で、関心したようにこう言った。
「ジョナサンって、みんな『さん付け』で礼儀正しいよね~」
ただ表面上付けているだけだぞ。相手の懐に入りやすいからという理由であって、礼儀とかそういう意図は全くないからな――とマリアとジーンは思った。
と、ニールの目がパッとこちらを見た。
「お嬢ちゃん聞いて聞いてっ!」
「あ?」
いきなり話を振られたマリアは、一瞬、女の子らしさを作るのも忘れて、素の調子で顔まで顰めてしまった。
「一体なんですか? いきなり顔近づけてこないでくださいませ」
「さっき、すんげぇレベル高いシスターさんの集団が歩いていてさ! 胸もすごくて、俺めちゃくちゃ興奮してうっかり下から眺めるのも忘れて――ふげっ」
下から眺めるとか、そういう覗きは絶対にやめろ。
つか、その手の話題を、楽しそうに女の子に言ってくる阿呆がいるか。
唐突な『お話し聞いて攻撃』に対して、マリアは反射的に教育的指導に入ると、ニールの胸倉を掴んでズシャァッと地面に引き倒していた。
一瞬で殺気全開に切り替わり、容赦なくやってのけるまでを見届けたジョナサンが、その目をどこかワクワクと輝かせて、ついでにうっとりともした。
「やっぱり最高のSの気配だ。――あらゆる鬼畜な事をさせたい」
絶対似合うよねぇ見たいなぁ……――そうマジな目で低く言う声を拾ったジーンが、目を向けられないまま小さくガタガタして「親友には黙っておこう」と呟いた。
その時、歩く者たちから一個分飛び出たヴァンレットの頭に気付いて、早目集合を心掛けてやってきたレイモンドとグイードが「あ」と目を向けた。
近付いてきたところで、ようやく噴水の縁に腰掛けているジョナサンに気付いて、レイモンドが身に染みた反射行動のようにしてドン引いた。
「ひぇッ、なんでジョナサンがここにいるんだ!?」
「ふふっ、ひどいなぁレイモンドさん。久々の再会じゃない。今の時間なら少し暇があったから、ついでにこうして、僕が直々に来てあげたんだよ」
「お前さ、この前、弟の方と入れ替わってなかったか?」
俺の気のせいかな、と来るなりグイードが言った。
するとジョナサンが、思案の読めない目を向けて――ああ数ヶ月前の出張で来ていた時、あなたも参加していたの、と口の中で理解したように呟いた。
「まぁね。時々するんだ、僕らの最高の『お遊び』」
でも誰も気付かない。興味がないんだろうね、馬鹿みたいだ……彼は美しい顔でくすりと悪魔的に笑う。
今は随分離れて暮らしているのに、まだ『どっちがどっち』をやっているようだ。シスターに手を出すな、とニールに注意していたマリアは、一部の声が聞こえてジョナサンへと目を向けた。
こうして神の道に進んだという事は、弟が家を継いだのだろう。国内第二の権力と財力、領土を持つブライヴス公爵家は、王族を脅かさないと示すようにして遠い地を治めている。
どうして彼が、その一族の権力からわざわざ外れるようにして、聖職機関入りしたのかは分からない。でも考えがあっての事なのだろうとは思うし、大人になった彼ら自身が決めた道なのなら、横から何も言う事もない。けれど――。
「そんなバレバレな入れ替えをして、あまり困らせないようにしてくださいませ」
反省している元部下を引き上げつつ、マリアは今世の立ち場から、口調を直して柔らかな苦笑交じりでそう声を掛けた。
ジョナサンが、拍子抜けたみたいな変な顔をして目を小さく見開く。そんな彼を、同じく双子司書員を間違えた事がないヴァンレットが、久々に会えてニコニコとして見ている。
その時、グイードが少し意外そうにしつつマリアへ言った。
「いや、バレないから困ってるんだよ」
「俺は、まぁ、なんとなく過激さと鬼畜度合いの冷笑の強さで、兄の方だと分かる……」
「レイモンドの場合は、ある意味本能的な察知能力だよなぁ」
ジーンはそう言うと、労いを込めて彼に「まぁ座れよ」と促した。
ニール達が「俺らはいいっす」と上司に答えているそばで、レイモンド達が動き出して、ジーンの隣側で一旦足を休めるようにして腰を降ろす。
しばしマリアと見つめ合っていたジョナサンが、不意に小さく息をもらして前髪をかき上げた。色素の薄い柔らかな金髪を、ややゆっくりとクシャリとして――。
「――そんなこと言うの、あんたくらいだよ」
どちらとも付かない小さな笑みで、そんな掠れた声をもらした。
やがて鐘が鳴るピッタリ十分前に、ポルペオが到着した。
彼は揃っている面々を見やると、きちんとしているのも少し意外だと言わんばかりに、太い黒縁眼鏡ごしに黄金色の目を顰めた。それから予定にはなかったジョナサンへと目を向けた。
じっ、とジョナサンが彼を見つめ返す。
マリア達が再会を見守っている中、彼は愛想のいい何を考えているのか分からない作り笑いだ。それをひたすら向けられ続けたポルペオが、問うように黄金色の眉を片方上げて見せる。
「なんだ」
「別に? 『久しぶり』の挨拶もないんだなって」
答えるジョナサンの肩が、僅かにぷるぷる震えていた。実のところ腹の中では、久々に見るその『ヅラ』スタイルに大爆笑していて、同時に、眼鏡を叩き割りたいのを堪えているんだろうな……と、マリア達は長い付き合いで察して沈黙していた。
すると、大きな鐘の音が、何重にもなって町中に響き渡り始めた。
まるで懺悔でも呼び起こされるような、重々しい音色だった。自然と誰もが口を閉じて、気付くとステラの町の空の方を眺め、至る方向からの響いてくる音に耳を済ませていた。
「――ハッ。この音色ですら揺れもしない、クソ野郎に地獄の裁きあれ」
その音の中に紛れて、不意にニィッと、不良じみた嗤いをジョナサンが浮かべて吐き捨てる。
そのまま笑みは消え、彼の新緑の目が少しだけ持ち上げられて、町中をじっとりと見据える。その瞳には静かに狩りを待つような、獣の冷酷さが孕んでいた。
マリア達が空を見やっている中、ポルペオが視線を動かして彼を見やった。
鳴り響く鐘の音の不協和音に、鳥たちが一斉に羽ばたいていく。
その少しの刹那。やがて町中の空気を揺らし続けていた、荘厳な祈りの音がやむ。しばらくは祈りの時間が続くのか、通りの通行人の数はかなりまばらだ。
これで全員が揃った。
マリア達は、呼吸ぴったりに彼へと目を向ける。
「前もって話せる事については、先にジーンさんに伝えてあるから、後で聞いてね」
にっこりと笑ったジョナサンが、そう前置きした。
「ここ、ある意味では閉鎖的なんだよ。あるのは警備隊の見周りが少しあるくらい。だけれど彼らは、教会側の許可なしに動く事はほとんど出来ない」
話に関わる内容であるのか、謎かけのようにして、そこで一旦彼の言葉が途切れた。
そこを考えると、これからの話を理解しやすいという事だろう。少しの間、マリア達はそう思ってひとまず頭に入れていた。
「そういや、こっちの警備隊長の事なんだが」
チラリと同所属の人間の姿がないのを確認してから、グイードが小さく問う。
そこについては、直前まで頭になかったようだ。ジョナサンが作り笑いもせず「ん?」と彼の方を見やり、
「――ああ、手紙に書いてあった『オルコット・バーキンス』、だっけ?」
今になってようやく思い出したような口調で言った。
「僕、彼には興味がないから、あまりよくは知らないよ」
その様子からすると、微塵の好奇心もそそられなかったから、労力を割いてまでは調べなかった――という感じもあった。
警備隊に協力を仰げれば、少しは楽になるだろう。しかし彼らについては、一部でも引き込めたらいいよなぁという期待感であって、戦力に加えられない想定で準備を進めている。
でも今回だけでなく、今後を考えると警備隊に味方が欲しいところなのだ。
それぞれが思う表情を浮かべている中、ジーンが顔を押さえ、一同の静止状態を破るようにこう言った。
「………………うん。知ってる事だけでいいから」
「ふうん、その程度でいいのなら、僕個人の回答を述べようか――何度か見掛けた感じだと、『真面目』、『面白味がない』かな」
指折りジョナサンが上げる。
「他のやつらに比べれば、ちゃんと警備隊をやってる感じはするけどね。半分以上が貴族やら聖職者やらに買収されてるから」
そんな事を、さらりとジョナサンがってきた。
マリア達は「は!?」と声を上げてしまった。ヴァンレットも軍に関する事のせいか、それとも理解はしていないのか少しだけ目を丸くしている。
一同から注目を受けたジョナサンが、面白げに唇を引き上げた。
「そもそも、ここに警備隊は必要あるのかって言われる始末だよ。何かあれば聖騎士師団が動くし、ここは聖なる地で騒ぎなんてほとんど起こらない。それにさっき言ったでしょ? 警備隊はここでは勝手な手出しも出来ない。それを知って勤務を希望する者のほとんどが、暇潰しの就職みたいな感じだ――まぁ、一部は真面目に鍛錬も行っているみたいだけどね?」
とある事で『ちょっと』剣を交える機会があって、とジョナサンが詳細は言わずに言葉を切る。バッチリ神父服が似合う微笑みが怖いな、とマリア達は思った。