三十一章 大聖堂のある町(4)
これから落ち合うのなら、残る話は全員でする方がいいだろう。そう話がまとまって、一旦三人で教会を出る事になった。
「僕はそれくらいなら時間を取れるよ。大貴族って事で優遇されてる」
待ち合わせ場所に一緒に移動する事になったジョナサンが、外を歩き出したところでそう言った。
間にマリアを挟んだ隣で、ジーンが「はぁ」と大きな溜息をこぼした。
「そんな事なら、他に別件の調べ物の時間を取って、お前との話しは短目の時間でスケジュール組めば良かったな……」
「ジーンさんも、少しはのんびりした方がいいよ。いつも色々考え過ぎなんだから」
それにね、とジョナサンの新緑の目がやや下へと向く。
「僕としては、その偶然のお導きに感謝さ。おかげで、オブライトさんとゆっくり話せたもの」
目が合ったマリアは、そこで「あ」と今更のように気付いた。
どうしよう。そういえば、こいつにすっかり正体をバレてしまったんだった。さっきからずっと『オブライトさん』と呼ばれていたのに、違和感を覚えるのも遅れてしまっていた。
「あの、すまないんだがジョナサン、ジーン以外には秘密で――」
「うん。だろうとは思っていたよ」
ジョナサンが楽しげな笑みで、マリアの続く言葉を遮った。
「安心してよ。僕はどこかの誰かさんみたいに、うっかりいつもの呼び方をポロッと口にしたりはしないから」
「――確かに」
マリアは、その返答ですぐ納得させられてしまった。比べられている相手は、一番付き合いの長い自分の副隊長なのだが、それはそれでどうなのだろうかと思いつつも頷き返す。
その隣で、当のジーンが、自分は全く関係ないと言わんばかりの呑気な顔で「誰のことだ? 親友よ」と言った。
「ねぇオブライトさん。ところで、今のあなたの状況を教えてくれるかな?」
ジョナサンが、なんだかとってもイイ笑顔でにっこりとした。
マリアは、待ち合わせ場所へと向かいながら、改めて自分の名前を教えてアーバンド侯爵家のメイドである事を伝えた。ジョナサンは一族の秘密も知っているようで、「うわー、その巡り合わせの縁もかなり面白い」と、なんだか関心するように言って笑っていた。
待ち合わせ場所は、小ぶりな建物がぐるりと囲むような開けた合流地点だった。
中央にあるのは、目印になる大きな噴水と時計台だ。近くを行き交う人の波は落ち着いていて、たまに町の小さな荷馬車がゆっくり通っていく。
「水は神聖なるものだからね。水路ついでに水場も結構あるよ。この町には、教会のシンボルを描くように六個の大きな噴水が存在している。その中央にあるのが大聖堂」
残り五ヶ所は教会施設に近く、ここが唯一周囲を一般の建物で囲まれている場所であるのだ、とジョナサンは説明してくれた。だからココを待ち合わせ場所にしたのだと、ジーンも横から補足した。
まだ次の鐘が鳴るには早い時間だ。
友人たちの合流を待つべく、マリア達は一旦噴水の大きな縁部分に腰を下ろした。磨かれた加工石はひんやりとしていて、布越しにその心地良い涼しさが染みてくる。
少し座っていたところで、すぐ近くにある店にジーンが気付いた。暇を潰すかと、まずは腹ごしらえ案を出して彼が買いに行き、並んで座ってサンドイッチを食べた。
「暇だからって食べるところ、相変わらずだよねー」
「ははは、普通はつまむだろ?」
ジーンが、無精鬚のある顔に、笑みを浮かべて視線を投げる。
自分の上越しにされたマリアは、もぐもぐしながらそんな彼の笑顔を目で追いかけた。続いて隣の上に目を移動してみると、妙な間を置いて笑顔を張り付かせているジョナサンがいた。
「――当然みたい顔で笑わないでくれる? ちょっと反射的に潰したくなっちゃうから。ジーンさん達みたいな大食らいと一緒にしないでよ」
ジョナサンは天使の笑顔のまま、途中、低くボソリと恐ろしい呟きを自然と交えた。相変わらずだなぁ……とマリアとジーンは思ったりした。
サンドイッチは食感も楽しい新鮮な甘野菜と、ふわふわの甘い卵焼きがたっぷりと入っていてとても美味しかった。大きな白いパンも、もちっとしていて少し甘味がある。
「お店側は、外からのお客さんでも賑わっているからね。聖なる町ならと、外の大手のお店も材料を気前よく搬入してくれるから、ワインで楽しめる人なら食事も贅沢なものさ」
だから売られている商品も料理も、全て価格が王都より安い。
ジョナサンは足を楽に伸ばして食べながら、暇を潰すようにそう説明した。ジーンからサンドイッチの料金を聞いたマリアは、こんなに大きくて、しかもパンも白くて美味しいのに、と少し意外に思ってしまった。
町の条例で、ワインの他に酒類は置いておらず、酒屋などはない。数少ない夜まで営業している店は、予約制のディナーが一般的だという。
腹は減っていないと言っていたのに、結局のところ、昔と同じくジョナサンは大きなサンドイッチもぺろりと食べた。ジーンと同じくらいに彼が食べ終わった後、マリアも小さな口で最後の一欠片を頬張って完食した。
教会施設や、観光名所地ではない場所のせいなのだろうか。人の数も動きも穏やかで、ポカポカとした日差しもあって、とても平和的な空気が流れているのを感じた。
暖かいなぁ、このままじっとしていたら眠れそうだ。
マリアはスカート部分を押さえ、両足を楽に伸ばして、しばしぼんやりと青く澄んだ空を見上げていた。鳥が飛んでいく光景も長閑だった。
隣にいるジーンが、眠そうに欠伸をこぼすのが聞こえた。長身の彼は、長い片足を楽に上げ、薄地コートの裾を風に揺らしていた。
「寝そうだわ。なんつー平和な空気なんだ……」
この空気感、是非とも職場に欲しいとジーンが呟く。
あったらあったで、お前仕事しないんじゃね? とマリアは思ったりした。そもそも飛び出したりサボったりしなければ、死ぬ思いで作業を急がされるのもない気がするのだが。
「親友よ、このまま寝ていい?」
「フッ――そのまま、後ろの水場にひっくり返っても知らないからな」
何度かやらかしている彼に向って、マリアは視線を向けないまま、学習しろよという意味を込めてそう言い返した。
「んじゃ肩貸してくれ」
「今の体格差だと無理じゃないか? 後ろが壁ならまだしも」
「じゃあ俺の肩貸してやるから、そっちが眠っていいぜ」
仕方ないなぁという風な口調で言われたマリアは、疑問しかない顔を向けて、しばし彼を見つめる。
「何言ってんだ阿呆。お前が寝るって話しから、たった二応答で論点がズレたぞ」
それだと、なんの解決策にもならない。
その時、ふと、隣から独り言のような小さな囁きが聞こえた気がした。
聞き取れなくて目を向けてみると、何かを思い返すようにぼんやりと空を見ているジョナサンがいた。なんだか、警戒心ゼロでぼけーっとしているのも珍しい。
「どうかしたか?」
たまにしか見ない姿を目に留めたマリアは、珍しく思って声を掛けた。
するとジョナサンが、ふっと我に返ったように小さく反応して、それからゆっくりとこちらを見た。清らかな印象がある新緑色の目が、ややあって小さく笑う。
「そのやりとりも、まんま変わらないなぁと思って――うん、それだけ。思ってちょっと呟いただけで、オブライトさんが気にする事は、何もないんだ」
自分に言い聞かせるみたいに、ジョナサンが穏やかに述べる。そうしていると、衣装も相まって、なんだかとても神父らしい感じがした。
マリアは、ジーンと一緒になって不思議そうに見つめている。
その様子を目に留めたジョナサンが、口許に指をあてて「ふふっ」と上品に笑った。
「いいんだ。だってこうして、オブライトさんが帰ってきてくれたんだもの」
にっこりと笑った彼が、「さて」と思案気に言って視線を前に戻す。聖職者っぽくない優雅さで楽に足を組むと、ついたばかりの手の一つを離して目を向けた。
「――これも神の導き、ってやつなのかね」
ジョナサンが噴水の縁に付いていたらしい何かを指でつまんで、落とす仕草をしながら含む口調でそう呟いた。ちっとも信じていない、非神父っぽい美しい企み笑顔だった。
信心どころか、悪魔なちょっかいばかり考えてそうだなー……。
マリアとジーンは、改めて見た大人になった彼を心配に思った。