三十一章 大聖堂のある町(2)上
朝の太陽の日差しに照らし出されたステラの町は、夜と違ってスッキリとした清楚な印象が漂っていた。
建物と同じく歩道も可愛らしい色取りで、道端にゴミの一つも見られない。
一般は、三階以上の建物はないようだ。やや小振りの建物が詰められた町中は、建物の間にかかるアーチや小階段もお洒落で、小さなプランターなどでも彩られている。
ざっと見ても、教会や関連する建物が多いイメージだった。それらしいデザインをした尖塔持ちも多く、教会なのか別の施設なのかパッと見ると、見分けがつかない。
町の雰囲気がそうさせているのか、行き交う人たちも穏やかな印象だった。外から出入りしている者や観光も多いようで、カラカラとゆっくり進んでいく小さな馬車もあった。
「今回の件、この町に着任している中で、結構上のクラスの協力者がいる。階級分けでいうと上級聖職者だ。俺らは、そいつからまず直接話を聞く」
「へぇ。上のクラスで協力的な者も珍しいな」
彼らは中立であるからと、とくに軍の要請に関しては断っている。
町並みの風景に気を取られていたマリアは、そこで隣を歩く長身のジーンの横顔を見上げた。気のせいか、有り難い状況なのに、なんだか彼は物言いたげな表情だった。
「どうした?」
彼女は、頭にある大きなリボンを揺らして、その顔を覗き込む。
するとジーンが、視線を返さないまま思案顔で無精鬚を撫でた。
「うーん……、なんつーか、こう、嫌な予感がしないでもないっつーか」
「嫌な予感?」
「前もって教えたら、お前の方にボロが出るかもなぁと思って黙っているんだけど……あいつ、そもそも規格内に収まるタイプの人間じゃなかったな~、とか、今更になって思うところもあって」
ほんと今更なんだけど不安、という呟きが彼の口の中に落ちる。
「考えたらこっち来るまで浮かれてて、直前までちょっと思っていたのを忘れてたんだよな」
そんな声を聞きながら、マリアはしばし首を捻っていた。こうして素の口調で話せて、他には知り合いのいない町にすっかり気が抜けていたから、ようやく少し考えて思い至る。
「その協力者の人、知り合いなのか?」
「うん。グイードもレイモンドも知ってる。少し前からこっちに赴任しているとは、ニール達も分かってる」
引き続き思案顔でジーンが答える。
マリアはやっぱり少し意外で、ふうんと空色の瞳を上に向けた。
「聖職者の知り合いねぇ」
深く考えないままそう呟く。そこにある澄んだ青空は目に優しくて、穏やかな色合いがとても心地良いなぁ、と思考がつられた。
そんな非戦闘モードの親友を前に、ジーンはちょっと心配げだった。
「あの、親友よ。実はな――」
彼が戸惑い気味に決意してそう声を出した時、目的の場所へ辿りついてしまっていた。あ、と声を上げて立ち止まったジーンに気付き、マリアも足を止めてそちらを見やる。
そこにあったのは、町中に溶け込むように存在している一つの教会だった。
並ぶ建物と揃えるようにして、白がメインの中でデザインの装飾部分にも色合いが盛り込まれている。特徴的な尖塔と正面口、彫刻などは聖なる場所であると主張しているかのようだった。
ここに来るまでに、いくつかそれらしい建物はチラチラ目に留まっていたが、それに比べると立派さが目を引く。他にも巨大な教会の棟部分は見えていたから、それも踏まえて比べ考えてみると、大きさは『中』くらいだろうか?
「この町だと、小さくもなく大きすぎもない町の教会、てところなんだろうか」
ぽつりと思案を口にしたら、ジーンが扉に目を留めたまま「正解」と答えてきた。
「階級によって教会もクラス分けされている。ここはセカンド教会。つまり中級クラスってわけだ」
「ふうん。この中に協力者がいるのか」
「まぁな、待ち合わせ場所はここ――あ」
ジーンが先程の話を続ける暇もなく、一応メイドだし自分が開けるか、とマリアは気を利かせて扉を押し開いていた。
ゆっくりと開いた扉の向こうには、朝の日差しが差し込む教会内の光景が広がっていた。奥まで続く一本の道の左右に、ずらりと並んでいるベンチ。まだ人のいない祈りの場は、神聖なる静けさに満ちている。
なんだか自分には場違いな気がして、踏み込む足も遠慮がちになった。
「あの、誰かいませんか……?」
おずおずと声を出したマリアは、ふと、奥の大きなステンドグラスの窓の下にある、立派な祭壇が目に留まって言葉を切った。
そこには、祈りを捧げている神父の後ろ姿があった。
上の階級であると分かる、立派な聖職者の衣装に身を包んでいた。神父服は、少し靴先が見える程度でとても長い。上からは、ゆったりとした金糸入りの布まで掛けられている。
なんか、祈っている最中に声を掛けるのも申し訳ないな……。
マリアは口をつぐんで、邪魔をしないようそっと足も止めた。神職や教会マナーといった事はよく分からない。ただ、彼らが朝に祈りの時間を持っているらしい事は、オブライトだった頃から少なからず見掛けて知ってはいた。
すると、その後ろから少し遅れてジーンが入ってきた。彼は祈りの光景を見た途端、口を引き攣らせて、入口のすぐそこで足を止める。
「実際に見てみると、ちょっと引くわぁ……」
一体何を祈ってんだ、と彼が思わずといった様子で、口に手をやってあわあわと呟く。
ちょうどその時、マリアは神父が少し下げていた頭を上げるのが見えた。まだ胸の前で手は合わせているようだが、どうやら祈りは終わったらしい。今なら大丈夫そうだ。
「あの、すみませ――」
そう声を掛けようとした直後、ぞわりと肌に覚えた殺気に言葉が途切れた。
教会内の空気が、一気に変わったのをマリアは肌にも感じていた。後ろの入口側にいるジーンが、予感はしていたけどまさか、という顔で諦め気味に口許を引き攣らせている。
その時、こちらに後ろ姿を向けている神父が、ゆっくりと腕を広げて祈りの締めの言葉を言った。
「ああ、神よ。お導きに感謝致します――」
そう出された粛々とした声が、不意に、くすりと笑う。
「――なぁんてね」
直後、美しい声が軽い口調になったかと思ったら、神父が衣装の裾を揺らして振り返ってきた。
マリアは、その顔を見てもう少しで声を出してしまうところだった。ロイドが入隊した後には、青年らしい成長を見せていたので、その面影を見間違うはずがない。
それはオブライトだった頃、王宮にいた元少年司書員の双子の兄の方だった。
王族とは親身な関係にあるブライヴス公爵家の、ジョナサン・ブライヴス。
色素の薄いくすんだ金髪をしており、端整な顔立ちは優しげだ。一見すると柔和な印象の新緑色の瞳が、ぱちりと目が合った拍子に、穏やかに細められる。
それを見たマリアは、この姿では初対面であるはずなのに、ゾワッとするモノが背中を走り抜けるのを感じた。
あれから十六年、ヴァンレットと同年齢だから三十六歳になっただろう。その美しさのせいなのか、それとも柔らかな雰囲気の優しげな美貌のせいか。若々しい青年のような線の細さはないのに、一見すると年齢不詳の男に思える。
オブライトだった頃、二十歳になるまでの彼に王宮で散々困らされてきた。そもそも天使な微笑みなのに、温度がない悪寒しか覚えない相手を間違えられるはずもない。
あれは元少年司書員だった、ジョナサン本人だ。
え、でも、なんで神父?
見つめ合ってほんの数秒。まだ一呼吸しか置いていなかったマリアは、とりあえず何か初対面らしい台詞を、と考えて、引き攣りそうになる顔をぎこちなく微笑ませた。
「えっと、はじめまし――」
そう切り出した途端、彼が台詞を遮るようにカツン、と靴で床を踏んで真っ直ぐ身体を向けてきた。
ふんわりと微笑んできた目が、美しく穏やかにマリアを見据える。
「なんだ、そんなところにいたの、オブライトさん」
唐突に、当たり前みたいに前世の名を呼ばれて、マリアは心臓が飛び出そうになった。