三十章 開幕にして、動き出す任務(5)
一悶着はあったものの、ひとまず消灯して全員が横になった。
マリアとレイモンドの間は、どうにか後一人分は入れるスペースは開けられている。一同はようやく静かになったところで、しばし薄暗い室内で思い思い天井を見上げていた。
「………………さすがに暑苦しいな」
ぼそり、と真面目な顔でレイモンドが言った。
マリアはそれを聞きながら、一つ頷く。
「まぁ、夜は冷えますし、ちょうどいいくらいの温かさと言えば、そうなんですけど」
「ははっ。いやマリアちゃんはさ、小さいから窮屈さがないだけで――いって」
レイモンドの頭上を、すれすれで枕が飛んでいって、グイードに当たった。
「ちょ、マリアやめろよ、俺ビックリしただろうがッ」
「レイモンドさん、黙っていてください」
「え、あ、ごめ――」
「それから、枕返してください」
「自分で投げたのに!?」
薄暗い中で、レイモンドがごそごそと音を立てて、どうにか身体を動かしグイードから枕を受け取る。
「ったく、手癖が悪いなぁ」
ぶつぶつ言いながらも、彼がマリアへ枕を渡す。
と、向こうから「はぁ」と、大きな溜息が吐き出されるのが聞こえてきた。
「距離が遠いぜ……」
「ジーン、そっちでぶつぶつ何言ってんだ?」
グイードが、少し頭を動かしてそう声を投げ掛ける。
「いやぁ。親友の隣が良かっ――ぶふっ」
「またかよマリア!?」
「ちょっ、お嬢ちゃん俺の顔面すれすれだったよ!?」
びゅっと聞こえた枕の飛翔音に気付いて、レイモンドがガバッと上半身を起こす。続いてニールも驚きの声を上げた。
マリアは、ここからだと見えない相棒を思って、忌々しく小さく愚痴った。
「だから、時と場合が選べてないんだよ。王都出発してからずっとそうだぞ」
「あ~、ごんめんね。ほら、ちょっとテンション上がっちゃって」
口の中でこそっと呟かれる親友の声を、地獄耳のごとく拾ったジーンがカラカラと笑いながらそう言った。
またしても枕がマリアの方へ戻された。
しばし場が静かになる。しかし不意に、またしてもがそごそと誰かが身じろぎする音が上がった。
「そういや、ヴァンレットが静かだな?」
グイードが、不思議に思って少し頭を起こしていた。その発言を聞いて、まだしっかり目が開いていたマリア達は「確かに」と思った。
揃って目を向けてみると、超大型の一番下の後輩軍人は、腹の上で手を合わせて穏やかな寝顔を浮かべていた。
やや上体を起こしたレイモンドが、それを目に留めるなり思わずこう言った。
「寝るの早いなオイッ」
「いつもの事だろ~。こいつ、数秒で眠りに落ちるもんよ」
左側の壁際のジーンが、ヴァンレットの頬をつっつきながら「んで?」と言葉を続ける。
「なんか暇潰しの話でもするか?」
「俺が新たに企画しようとしている、王宮の怪談話はどうだ?」
「やめろよグイード! 眠れなくなるだろ、俺は絶対に聞きたくないぞッ」
そう告げるレイモンドの隣で、マリアも「パスです」と即答し、ニールが「ホラーはやめましょうよ~」と意見する。
えー、と残念そうにしたグイードが、唐突に「あ!」と大きな声を上げた。
「じゃあ恋話とかどうだ!?」
「グイードさん、わくわくした顔で私を見ないでください。そういうの有りませんから」
マリアは薄ら笑いで目をそらす。
続いてレイモンドが、ゴクリと息を呑んだ。
「だからって俺を見るなよ……」
「ほら、可愛い奥さんとの日常とかさ」
「お前、自分の方の話しをしたいだけだろ? そうなんだろ!?」
「いやいやいや、俺、聞くのも好きなんだよな~」
「ろくな相談にもならないのに!? お前茶化したいだけだろッ」
グイードに「なんだよ恋の話ちょーいいじゃん」と迫られたレイモンドが、手を取っ組み合って「俺は嫌だ」とギリギリと押し合う。
マリアは、小さく溜息をついた。
「相棒を押し倒すなよ……」
天井を見つつ、騒ぐ声を聞きながら呆れてそう呟いた。
そこでふと、隣が静かなのに気付いた。目を向けてみると、今度はニールの方がぽやぽやした顔で寝入っていた。最年少の部下組が、もう揃って寝てしまっている。
「…………全然顔変わらないなぁ」
マリアは、あの頃のまんまだなぁ、と不思議に思ってポツリと口にする。しばし顔を向けて、その寝顔をじっと眺めていた。
体温がとても温かい。次第に心地良い安心感に包まれるのを感じた。
またしても、一旦室内が静かになる。
不意に、どごっと音が鳴り、ジーンの方から「ぐえっ」と声が上がった。寝返りの音と共に、ぶんっと振られた足が落ちた先にいたレイモンドが「いてっ」と声を出した。
「ヴァンレット、手と足を同時に振ってくるとか自由すぎだろ……おじさん、さすがにちょっとキた」
「ちょ、ニールぶっ飛ばすぞ足引っ込めろ」
切れ顔でレイモンドが低い声をこぼす。
ヴァンレットとニールの寝像の悪さが始まった。二人が手や足を大きく動かし、ジーンとレイモンドが眠れないだろと騒ぐ中、右の壁際にいるグイードが「安全だわぁ」と呟いた。
その時、ニールの足を再び向こうへ退かしたレイモンドが、ハッと気付いて、自分と彼の隙間に収まっているマリアを見た。
彼女は、穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「う、そだろ……!? この状況で寝る!?」
薄暗い室内に、驚愕するレイモンドの声が上がる。
グイードが、なんだなんだと顔を向けて「あらま」と目をパチリとした。
「すげぇな。マリアちゃんってどこでも眠れる感じ?」
「ははっ、そういやそうだったわ~」
そう口にしたジーンは、直後、ヴァンレットが寝返りを打って潰れた。
※※※
それから数時間後。深夜遅くに、ポルペオがステラの町に到着した。
「………………信じられん」
彼は部屋に入るなり、コートのままであるのも忘れてそう呟いた。
そこには、仲良く皆で並んで横になっている光景があった。それぞれの寝相で寝ている男たちの間で、同じく呑気な寝顔で、マリアがキレイな姿勢ですやすやと寝入っている。
「十六歳の淑女だろう」
ポルペオは、あれやこれやと説教が浮かんで頭痛を覚えた。
しかし気のせいか、もし自分が指摘した場合『スカートも長いし全然見えないし問題ないじゃないですか』――と、イラッとするぽやぽや顔で回答するマリアの顔が浮かんだ。
いや、だが起こさねばなるまい。
とりあえず言い聞かせて、この状況をどうにかしよう。
「馬鹿者め。こいつらも、なんで淑女と平気で一緒に寝とるんだ? 信じがたい」
とはいえ、寝ている空気を読んで愚痴る声は囁き程度である。
ポルペオは、いかにも自分用みたいに開けられている隙間にもイラッとした。けれど文句をぐっと押し留めて、そっと敷布団の上を踏んで歩み寄っていった。
「おいコラ、起きんかメイド」
そう声を掛けて、肌には触れないよう配慮し肩を少しだけ揺する。
すると、マリアが不意に袖を掴んできた。は、という疑問の声も間に合わないまま、ポルペオはぐいっと引っ張られ「ぐはっ」と布団の上に突っ伏していた。
ギリギリと引っ張られ続けて起き上がれない。
ポルペオは顔を上げると、忌々しいと言わんばかりの表情で奥歯をギリィッとする。
「くっ。なんだ、この馬鹿力は」
怒った声で低く呟いた。
ほんと、いつでも予想の斜め上をいく娘である。
このままコートを脱いでしまおうか、とも浮かんだ。そうすれば、袖を掴んでいるマリアからは解放されるだろう。
だが、そう考えると疲労感が増した。そのうえ、突っ込んだ衝撃で眼鏡が外れてしまっているのにも気付いて、ポルペオは更に忌々しくも思った。
頭の締め付けにも疲労感が込み上げて、自由の利く片手で外して上の方に置いた。ぱさりとウェーブの掛かった艶やかな黄金色の髪が落ちて、端整なポルペオの顔にかかる。
ぶすっとした顔で、彼は少し辺りを見回した。
周りの友人たちも、後輩も、当たり前みたいにすやすやと眠っていた。女性への気遣いを忘れないあのグイードでさえ、平気そうに寝ている。
「本当に信じられん」
けれど――と、ポルペオは敷布団に頬を押し付けると、マリアの寝顔を目に留めて力を抜いた。その眉間からも、ふっと皺が消える。
ポルペオも、ここまで一人、馬を飛ばしてきて疲れていた。
だからだろう。とても眠くて、とにかくもう休んでしまいたいせいか。
マリアの呑気な寝顔を見ていると『ああ、なんだ、帰ってきたのか』『そこにいるじゃないか』と、不思議な想いが掠めてもきて、十六年ぶりに、どうしてかとても気が抜けて――。
彼は、他の友人たちと同じように、どこか安心したような顔で深く眠りに落ちていったのだった。