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六章 女性恐怖症の文官と、毒薬学博士な賢王子(1)

 朝の目覚めは良好だった。


 昨夜アルバートから手渡されたリボンは、リリーナの瞳の色に合わせた、深い藍色にささやかな程度に花の刺繍がされた物だったので、妙にテンションも上がった。


 落ち込んだギースに「おはよう」と声をかけると、なぜか唐突に「これは貧乳のガキなのにッ」と言われて思わず胸倉を掴まえてしまったが、たっぷりと朝食が出たうえ、アップルパイというデザートまでついてきた。


 王宮に向かうため、朝一番に準備を整えたリリーナに「おはよう!」と飛びつかれたのは、最高に幸せだった。思わずぎゅっと抱きしめて、「可愛い可愛い」とやった。サリーが恥ずかしそうにこちらを見ていたので、堪らず二人一緒にもう一度抱き寄せた。


 そこまでは「素晴らしい一日になるぞ」と、何でも出来そうな気分だった。



 なのに、だ。



「……なぜレイモンド様がいらっしゃるのですか?」


 王宮からの迎えの馬車が到着したと言われて出向いてみれば、騎馬隊の総帥の正装を身にまとったレイモンドがいた。


 彼は常識人な友人だったので精神的なショックは軽かったが、オブライト時代に一番つるんでいた飲み友達でもあったので、マリアとして接するには心の整理が必要だった。


 アーバンド侯爵に礼儀正しく挨拶したレイモンドは、マリアに会うと、複雑そうな戸惑いを浮かべた。


「……いや、俺も分からないのだが、陛下に頼まれたんだ」


 暇ならついでに息子の婚約者を迎えに行って侯爵に挨拶でもして来いよ――と、友人兼部下の戸惑う顔見たさに、爽やかな笑顔で無茶ぶりをしたアヴェインが容易に想像できて、マリアはそれ以上何も言えなかった。



 リリーナは、馬車の中で早々にレイモンドに懐いた。レイモンドには、十七歳になる娘と十六歳の息子がいるので子供の接し方も上手かった。長女は既に結婚しており、息子は騎馬隊の見習い騎士としてスタートを切ったばかりらしい。


 意外だったのは、レイモンドが恥ずかしがり屋のサリーとも、うまく言葉のやりとりが出来た事だった。性格はまるで違うが、身近に口べたで内向的な子供がいたのだと、レイモンドははぐらかすように答えていた。


 王宮に着くと、今回はレイモンドがいる事もあって、スムーズに登城出来た。この件を見越して出迎えを寄越したのではないかと勘繰ってしまったほどだ。



 ヴァンレットは、クリストファーの私室にいた。そこには三十代前の見知らぬ騎士も一人いて、第一王子の護衛騎士の経験もある、近衛騎士隊のサフランだと簡単に紹介された。今日はクリストファーの移動がいくつかあるので、二人一組で護衛にあたるらしい。



 早速クリストファーに例のリボンを手渡すと、彼の天使な微笑みが炸裂した。


 悶絶するマリアをサリーが支える中、彼のメイドが丈のあるジャケットの腰紐と手早く取り替えて、腰に大きなリボンを作った。


 とはいえ、後ろから見ると、かなりリボンが目立っていた。


 まるで男装した女児のようで大変似合っていたが、誰も「女の子のよう」とは口にしなかった。口を開きかけたヴァンレットを、レイモンドが素早く羽交い締めにして廊下に引っ張り出していった。


              ※※※


「それで、私はどうすればいいのでしょうか」


 リリーナとクリストファーが授業に行ってしまった後、マリアはレイモンドについていきながら早速尋ねた。


 レイモンドが一つ肯いて、歩きながら声を潜めて話した。


「先に探りに入ってもらっている第二王子の幼馴染、アーシュ・ファイマーに引き合わせる。彼は騎士団の文官だが剣の腕はある。ただ、少し問題があるんだが……」


 嫌な予感がして顔を向けると、レイモンドの横顔は強張っていた。


「なんというか、その、極度に女性が苦手な青年というか……」

「……それ、私という時点で人選ミスじゃないでしょうか?」



 だからロイドは喜々としてマリアを巻き込んだのだと、清々しいぐらいに理解した瞬間だった。



 マリアはレイモンドに案内され、西側にある政務区のサロンに入った。朝一番で人が出払っていたそこには、王宮騎士団の薄い藍色の文官服を身にまとった青年が一人いた。


 二十歳のアーシュ・ファイマー。


 騎士団の文官であるので、騎士隊にもいそうな引き締まった細い身体をしていた。陽に焼けた肌は健康的で、猫のようにつり上がった懐かない眼が生意気さを物語っている。


 髪と目は国民に多いブラウンだが、喧嘩早そうな雰囲気は、文官らしさがあまりなかった。腰に提げた剣が様になっているぐらいだ。


 こちらに気付いて顔を向けたアーシュが、マリアを目にとめた瞬間、驚愕の表情を浮かべた。ガタリと席を立ち、彼は距離を取るように後退すると、裏切られたような目をレイモンドへ向けた。



「レ、レレレレイモンド様ッ、な、な、なんで女が……!」



 マリアは既に足を止めていたのだが、これは重症だなと思った。


 二人の距離は馬一つ分以上は開いているが、アーシュはマリアに目を向けるたび、じりじりと後退を続けた。


「アーシュ、こちらは総隊長が君の助手にあてた、アーバンド侯爵令嬢付きのメイド、マリアだ。マリア、彼がアーシュ・ファイマーだ」

「う、嘘でしょうッ、レイモンド様!? ムリムリムリ、いくら総隊長様のご命令でも、女といたら過呼吸と蕁麻疹で大変な事に……!」


 マリアが「やれやれ」と僅かに首を傾けると、アーシュがビクリとして青い顔で言葉を詰まらせた。声にならないとは、さまにこの事を言うのだろうなと、マリアは場違いな事を考えた。


 ロイドの嫌がらせだと分かっているレイモンドが、同情的な眼差しをどうにか和らげながら、アーシュに「落ち着きなさい」と言った。


「触らなければ大丈夫じゃないか」


 そう続けて、レイモンドが、チラリとマリアの方へ目配せした。


 マリアは、触りません、と答えるように両手を小さく上げて肯き返したのだが、アーシュはひどい顔色で唇を震わせてしまった。



 外見が幼いとはいえ、少女らしさが全面的に押し出されているのもいけないのだろうか?



 マリアは、自分がある程度は少女らしい可愛さがあると自負していた。前もって知っていたとしても、これが仕事のスタイルであるから変えるつもりもないが。


 今のアーシュの状態では、礼儀的な自己紹介も無理だろう。


 相手の方が身分が上だが仕方ないと考えて、マリアは、とりあえず自分から言葉を掛ける事にした。


「初めまして、アーシュ様。マリアと申しますわ。ある程度の護身術は嗜んでおりまして、このたびは協力を頼まれました。まずは何をすればよろしいのでしょうか?」


 害は全くありません、噛みついたりしませんよ、とアピールすべく、マリアはあざとい角度で小首を傾げて微笑んで見せたのだが、アーシュが途端に、「ひぃッ」と小さな悲鳴を上げた。


 地味にショックだ。自信があったのにな……


 ほとんどの人間がこの仕草に騙されると言うのに、アーシュの女性に対する恐怖心はかなり深いものらしい。


「……というか、これだと普段の生活とかも出来ないんじゃ……?」

「触らなければ大丈夫なんだよ!」


 アーシュが、涙目で怒ったようにそう主張した。


 叫び返すぐらいなので大丈夫だろう、とマリアは前向きに考える事にした。ここまで女性がダメになってしまった経緯について、彼に何があったのか元同性としてはひどく気になるところだ。


「あ、もしかして女性に押し倒されでもしたんですか?」

「お、押し……!?」

「失礼。口が滑りました」


 アーシュが絶句し、レイモンドがギョッとしたようにこちらを振り返ったので、マリアは指先を意識して口にあて、誤魔化すようにニッコリと作り笑いを浮かべた。


「大丈夫ですわよ、アーシュ様。私あなたには全く興味がありませんから、ご安心下さいませ」

「お、お前みたいな貧乳のガキ俺も興味なッ――」

「あ゛?」


 朝の既視感が脳裏をよぎり、目の前の彼がギースと重なった。



 別に気にしている訳ではない。ちょっとしたコンプレックスになっている自覚はあるが、マリアは成長過程なのである。そう、貧乳というコンプレックなど持ってはいない。



 マリアがそう考えている間にも、サロンに、アーシュの悲鳴が響き渡っていた。


「む、む、胸倉を掴み上げるんじゃねぇよ暴力女! 俺の方が年上なんだぞ!? つか、た、たた頼むから今すぐ離せすぐさま離してぇぇえええええええ!」

「おほほほ、体系の悩みについては私、別にちっとも気にしておりませんわ。ええ、成長過程ですもの。あらあら、男がこれぐらいの事で泣くなんて、みっともないですわよ?」

「目が笑ってねぇよ! つか、その嘘臭ぇ笑顔と言葉使いをやめろ!」


 なんて失礼なガキだろうか。


 そう呆れたマリアは、次のアーシュの言葉に思考が止まった。


「お、俺は剣士にはなれなかったけど、血を見るのも駄目な臆病者だけどッ、あいつが心配してるっていうから少しでも出来る事してんだッ。女のお前の助けなんて要らねぇよ!」


 あいつ、とは第二王子の事だろう。泣き虫で、誰よりも兄を慕い、父に憧れてオブライトにそれを語ってくれた努力家の小さな王子だった。



 マリアも同じだ。剣しか取り柄のない自分が役に立つならと、親友のアヴェインの助けになる事を誓った。だから中途半端で、覚悟もないアーシュの戯言には、頭の中が真っ赤に染まるのを感じた。



 止めに入ろうとしたレイモンドが、マリアの怒気に気付いて口を噤んだ。


 マリアは、普段被っている猫を殴り捨てて、片手で胸倉を掴み上げているアーシュを素で睨みつけていた。アーシュも、気圧されたようにピタリと涙を止めていた。


「友人がどんな想いでお前に頼み事をしたのか、その気持ちを考えながら、そんな甘ったれた事を言っているのなら叩き潰すぞ、文官アーシュ。その友人は、お前を信頼して出来ると信じて頼んだ、違うか?」


 アーシュの喉仏が上下して、小さな怯えに瞳が揺らいだ。


「そ、そうだと思う……幼馴染で、親友なんだ」

「どんなに小さな事だろうが、期待を裏切らないために努力して使える物は使う。剣だろうが、ペンだろうが、手段の違いであって根本は変わらないものだろう。臆病に甘んじているだけじゃ支えてやれない」


 王妃カトリーナは、心で国王陛下アヴェインを支えた。彼女の父は、博識な知識で遠くからも彼を助け、オブライトは、動けない彼の代わりに剣を振るった。


 多くの友人達が、そうやって自分で出来る事を考えて、国王陛下を支えていた。


 オブライトは、いつでも守るために剣を握って来た。親無しだと嗤われ、人殺しだと十九年罵られたが、強い男だったからその信念が揺らぐ事はなかった。



 だから十九歳の時、初めて出会ったアヴェインに「守るための手だ」と認められた時は驚いた。理解してくれる人がいるという心強さを初めて知って、それならば、彼のための剣でありたいと思って【黒騎士】であり続けた。



 第二王子は、現在第一位の王位継承権の持ち主である。何事もなければ、彼がゆくゆくは王になるだろう。


 王は孤独なのだ。その覚悟で親友を支えてやれと言ってやりたい。


 マリアは慣れない説教に疲労を覚え、一息吐いた。後輩の教育は昔から苦手だった。拳骨を落とし、縄で縛って引きずり、関節技を決めて大人しくさせる事も多々あったが、上手く説教をしていたのはいつも副隊長だ。



「どんなにちっぽけな役割だろうと、意味がないものはないと君も自信を持つべきだ。早く片付けてやれば、それだけ相手も早く安心させてやれるだろう」



 そこで、マリアは我に返った。


 ハッとして手を離すと、すっかり身体から力が抜けていたらしいアーシュが、支えを失い「ぅわッ」と短い悲鳴を上げて床に尻をついた。


 唖然とする二つの突き刺さる視線に、マリアは「あははは……」と乾いた笑みを浮かべた。

 

 あ、しまった。

 おほほほ、だった。


「ま、まぁアレですわよ、一般常識です、アーシュ様! 落ち込まないで下さいまし、どんまい!」

「お前のキャラ設定って、いい加減で雑すぎねぇ……?」

「うふふ、それ以上失礼を言うと、本気でぶん殴りますわよ」


 拳を固めて笑顔で凄むと、アーシュが「女のくせに凶暴すぎるッ」と半ば逃げるように立ち上がり、身構えた。

 

 貴族らしい切り返しも来なかったので、どうやら彼は上下関係は厳しく求めていないようだ、とマリアは小さく息を吐いた。彼は誤魔化せたとして、問題はレイモンドの方か。


 マリアは、レイモンドをちらりと窺った。


 彼も使用人を持っているだろうから、このような蛮行は見慣れない事だろう。しかし、我に返ったらしいレイモンドは「驚いたな」と呆けた声を上げたが、すぐにアーシュへと視線を向けた。


「アーシュ、お前、掴まれていたが過呼吸も蕁麻疹も大丈夫みたいだな……?」

「あれ? 本当だ」


 その事実に先程の動揺も忘れたのか、レイモンドが「ショック療法というやつか?」と首を捻った。



 まぁ元は同じ男性であるので、女性では醸し出せない威圧のせいで、アーシュが自分に女らしさを覚えなくなった可能性もある。



 マリアは内心考えながら、アーシュに訊いた。


「アーシュ様は、全ての女性が駄目ですの?」

「その『様』付け、止めてくれねぇか。なんか変な感じがするっつうか……。まぁ、全部じゃねぇよ。少ないけど、女の文官もいるしな」

「ふうん」


 マリアは、そこでふと、当初の疑問を思い出した。


「それで、なんで女嫌いになったの、アーシュ?」

「一気に慣れ慣れしくなったな!? 絶対に言わねぇ!」


 アーシュは警戒するように怒鳴り散らしたが、近い距離から話ても、先ほどのような女性恐怖症の気配は見られなかった。


 これで一件落着とマリアが肯くと、レンモンドが「まぁいいか」と思考を放棄し、疲れ切ったような声でこう告げた。



「それじゃあ、よろしく頼むよ。アーシュ、マリア」



 そして、額に手をやりながら足取り覚束ないまま来た先を戻り始めた。


 その後ろ姿は昔と変わらなくて、マリアは名前呼びを少し嬉しく思いながら、こっそり笑った。昔のように「またな」と言いたくなる気持ちを押さえて、彼の背中に声を掛ける。



「ありがとうございます、レイモンド様」



 レイモンドは、あの頃と同じようにこちらを振り向かないまま、肩越しに軽く手を振って、ゆっくりと歩き去っていった。

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