三十章 開幕にして、動き出す任務(4)
いくつかの町を経由し、マリア達は馬車で数日かけて、もっとも早いルートで夜にステラの町へ到着した。
大聖堂の一つを構えたステラの町は、中立地としていかなる政治的・権力的争いにも入らないとする聖職機関の管轄だ。土地は静かで、娯楽施設も見当たらない。
朝にも祈りの習慣がある町の傾向か、就寝も早いようで町はとうに寝静まっていた。人目がほとんどないのは幸いと、馬車はカラカラと車輪の音をゆっくり立てて進んだ。
滞在場所にと用意されていたのは、町の一角にあるやや小さな宿泊施設だった。全体的に煉瓦造りが目立つ周りの建物と溶け込んでいて、店もアパートメントも全部が観光地のような外観を作っている。
「一種の観光地みたいなものですから、そう感じてもおかしくはありません。この町は寄付によっても成り立っておりまして、外からの出入りも日頃から多くあるのです」
今回、部屋の提供で協力に当たってくれる信頼出来る店主が、目尻の柔らかな皺を微笑ませてそう教えてくれた。
もらった鍵の階へ向かってみると、簡易宿泊場のようなこざっぱりとした部屋があった。入ってすぐのところに洗面所、小さなキッチン、人数分の椅子が溢れている小振りな食卓。
その奥に、ベッドや棚がなどが全部どかされた仮眠部屋が用意されていた。積み上げられていた布団を床いっぱいに広げてみたところ、どうにか大人六人と子供一人なら横になれそうだ。
「後で来るポルペオを考えると、寝返りをうつ余裕はなさそうだなー」
「あいつ、めちゃくちゃ嫌がりそうだけどな」
グイードの感想に対して、隣からジーンが面白がってそう言った。
それぞれコートを外して引っ掛けた後、一緒になって整えた『仮眠部屋』を眺めていた。二人の間にいるマリアは、腕を組んで「ふうん」と呟いて切り出す。
「待機所にしては、まぁまぁ立派じゃないか? 全員並んで横になれる――おっほんッ」
「親友よ、相変わらず下手な咳払――ぐえっ」
マリアは、すかさずジーンの腹に肘を入れた。それなのに「ふふふ」と王都を出発してからずっと上機嫌で笑顔な彼が、正直気持ち悪い。
親友と寝泊まりしながらずっと一緒とか最高、とかなんとか言われたけれど、やっぱりよく分からんなと思っている。
「問題は、ヴァンレットが入るところだな」
二人の会話の後半、そう口にしたレイモンドが、聞こえなかった様子で部屋を見た。それからヴァンレットの横顔を、チラリと横目に見上げる。
「高確率で寝転がるし、そうするとひとまずマリアの隣には置けない。俺も押し潰されるのだけはごめんだ」
「相棒よ。俺は壁際で」
「はぁ? グイード、おまっ、またそうやって勝手に主張す――」
「俺、マリアの隣がいい」
ヴァンレットが、笑っているみたいにも見える子供みたいな無垢な目で言った。話に割って入られたレイモンドが、えぇ……と困った顔で見る。
するとニールが、ここぞとばかりに「はい!」と大きな声で主張して挙手した。ぐいっと押されたレイモンドが「うおっ」とよろける。
「ちょ、馬鹿、ニール。入口の狭いところでいきなり動くなよ――」
「はいはい! 俺がお嬢ちゃんの隣になって、ヴァンレットの間に入れば問題無いと思います!」
「――ああ、なるほどな。んで俺が入って、その隣の壁側にグイードを置けばいけるか。その方が俺も比較的安全だしな」
ふと名案と思ったかのように、レイモンドが顎に手をあてて述べた。
「それに俺、ジーンの隣だけはなりたくない」
「えぇ、ひっでぇなぁ……俺だって親ゆ――ぐはっ。マリアの隣がいいんだけど」
「さっきから何やってんだ?」
ようやくグイードが気付いて、瞬時に凛々しい目に戻して主張したジーンを見た。マリアはその間で、ふんっと腕を組み直している。
そうしたらレイモンドが、顰め面をして「考えてもみろよ」とジーンに反論した。
「お前、寝相ほんとひどいんだぞ。いや、お前ら三人寝相悪いけどさ、近くにいるやつ一緒くたに抱き枕にするとか、性質悪過ぎるだろ」
「言っておくけどな、俺は寝ている時の寒さが駄目なんだよ」
そんなジーンのキリッとした返答を聞きながら、マリアはフッと笑って「――ほんと、意外な弱点だよな」とぼそりと呟く。
「ん? それならジーンをヴァンレットの隣にすればいいんじゃないですか?」
ふと思い出して、マリアは一同に向けてそう提案を出した。ヴァンレットは体温も高いから、ジーンも隣なら少しは大人しくしていた。……寝苦しくなると寝相ひっどいけど。
いつもキレイに眠るレイモンドと、寝るとあまり動かないグイードが揃ってマリアを見た。
「それ名案だな。マリアちゃんとレイモンドの間を、ポルペオ用に開けておけば、あいつも怒って説教したりしないだろ」
「到着は深夜になるかもって言ってたもんな――よし、ジーンは一番左の壁側だ」
レイモンドが、決定と言わんばかりに話を締めた。
そうして荷物も片付いた後、長い馬車旅の疲れもあって、早目に休むべく順番で汗を流していく事になった。店主が気を利かせて、途中で朝食分にも十分な食材を届けに来てくれてもいた。
「うへぇ、野菜がいっぱいだ……」
楽な半ズボンになったニールが、キッチンに置かれた袋の一つを覗き込んで「うへぇ」と言った。
すると、風呂も終わって頭のセットもすっかり解けたレイモンドが、自分よりも少し低い位置にあるその頭を拳で軽くポコンとついた。
「こら、野菜はしっかり食わないと駄目だからな。朝にサラダは作る」
「レイモンドさん、こういうところちょっと厳しい……」
「何言ってんだ。だから大きくならないんだぞ? ったく」
「え。――レイモンドさん。レイモンドさん、ねぇちょっと待って、俺もう三十七歳だよ?」
え、という顔でニールが言ったが、レイモンドは食材をチェックしていて聞いていない。
男性陣の中で、最後に汗を流したグイードが、髪をタオルで拭いながら「ははは」と後ろで笑った。
「ほんと、相棒もちょっと抜けてるからなー」
その様子を眺めながら、ヴィンレットが食卓の椅子に窮屈そうに座ってパンをつまんでいる。そのそばでジーンも、デカいパンをもごもごと食べながらキッチン側を見ていた。
ふと、グイードが、その静かな大食らい二人組に気付いて振り返る。
「…………お前ら、ここに到着する前もあんだけ食ってたのに、足りなかったのか?」
「俺、マリアに馬車内で肉、食われたから」
「ジーンさんがくれるっていうから」
そう答えるヴァンレットは、とても素直な目をしていた。
それを向けられたグイードが、やや困ったように眉を下げる。
「ヴァンレット、すすめられたからって受動的に食うなよ……」
俺、ちょっとこの後輩の胃袋事情と空腹感知能力が心配、と彼はぽつりと呟いた。
それからしばらくもしないうちに、マリアが風呂から上がった。足首までかかるだぼっとした長い就寝衣装、洗われた髪はリボンも解かれて、たっぷりの多い髪が顔の左右にもかかっている。
「ったく、髪が長いとちょっと時間かかるな」
やれやれと独り言を言いつつ出てきたマリアは、食卓のある部屋に足を踏み入れたところで「ん?」と言葉を切った。
さて寝るかと移動しようとでもしていたのか、仮眠部屋へと向かおうとしていた男たちが揃って足を留め、じーっとこちら見ている。
「なんですか?」
マリアは顰め面をすると、歩き向かいながら一番近くのグイードに尋ねた。
すると、他の友人たちと同じく、一体どういう感情であるのか分からない顔でいたグイードが、指を向けてこう言ってきた。
「マリアちゃん、髪降ろすと余計幼く見える――いてっ」
マリアは、ピキリと青筋を浮かべてグイードの足を踏んだ。たっぷりのダークブラウンの髪が揺れて、パサリと衣服に触れる音を立てていた。
リボンがないと、なんだか少しだけ大人しい感じもする。
この時、男たちは『女の子』であるとか全く頭に浮かばないまま、やや印象が変わっているのを、なんでだろうな、と本気で不思議に思って首を捻っていた。
いつも頭で主張しているリボンがないせいか、余計に小さくも見える。
マリアは、友人たちのじーっと見下ろしてくる視線に、そんな感想を察知して拳を固めて震えていた。
「…………あのさ、お嬢ちゃん。さすがに年齢詐欺なんじゃないの? これ、どう見ても十三歳くらい――いったぁ!」
ブチリと切れたマリアが、問答無用でニールを敷布団の上へ放り投げた。同じことを口にし掛けたレイモンドが慌てて口を閉じたのを、ジーンとグイードが横目に見ていた。
マリアは日々、使用人仲間たちにも似た反応をされていた。
リリーナと並べて一緒に寝かしてもいいんじゃない、と少し前までサリーと揃って三人で寝させられたりもしていた。
だが、身長が低くて小さいというのは気にしている部分だ。
それでいて『小さい』という言葉については、別の事を指しているように聞こえて、マリアの怒りのゲージは反射的に上がったりする。
「ニールさん、私は十六歳ですわ」
マリアは拳を片手に、敷布団の上に転がっているニールを見下ろした。
「ひぇぇ、その目に殺気しかないッ」
「ついでみたいに『あ、そこも小さい』みたいに見てこないでくれます?」
「いや俺別に、よりペッタンコなの目立つなぁとかそういう事はまだ言ってないよ。ほら、あまりにも自然にペッタンコ過ぎて、言う気もすぐ起こらなかったというか――」
直後、思った事を全部口か出すニールが、マリアに寝技を食らって悲鳴を上げた。
レイモンドが、降りた前髪ごと額を押さえて「はぁ」と溜息をこぼした。ゆるくウェーブを描いている柔らかな髪が、くしゃりと音を立てている。
「馬鹿か……」
「あれ、マリアちゃんってこの手の話題が地雷だっけ――もがっ」
その時、ジーンが真顔でグイードの口を塞いだ。
「グイードやめとけ、俺ら全員もれなく気絶するハメになるから」
「マジかよ。そりゃやべーな」
たった一人、ずっとにこにこしているヴァンレットが、寝るべく自分の位置へ移動しようとマリア達のもとへと向かった。