三十章 開幕にして、動き出す任務(1)上
ルクシアの公務参加から数日後。
今回のステラの町での臨時任務について、第一回目の視察日程が確定し、臨時班に助っ人メンバーにと決まった者たちが大臣の部屋に集まる事になった。
「すみません、少し遅れまし――あ」
少し遅れて入室したマリアは、すぐそこのソファに座っている軍服の二人に目が留まった途端に「あ」と声がもれてしまった。
すると、息ぴったりにパチリと目が合った元騎馬隊将軍の名コンビが、ほぼ同じタイミングで「よっ」と言ってきた。それは銀色騎士団第一師団長のグイードと、騎馬総帥のレイモンドである。
「マリアちゃん、おはよう。ははっ、アヴェインに声掛けられて、ロイドにスケジュール確認された時はなんだろうと思ったわ」
「俺らも参加する事になったから、よろしくな」
テーブルに足を乗っけて楽な姿勢をした相棒をさりげなく叩きつつ、レイモンドが愛想良く言った。
なんだかその口調は、オブライトだった頃と同じで親しげだ。マリアは彼の優しい鳶色の目を見つめ返しつつ、またしても少し不思議に思ってしまう。
「ん? 俺の顔、何か付いてるか?」
「いえ。レイモンドさんって、もっとこう、年下にはきちんとしていたイメージがあったものですから」
マリアは、自分の知っている長き友人レイモンド、それからマリアとして再会した後に、初めてアーシュと引き合わされた際の彼の様子を思い返す。
問われたレイモンド本人が、何も考えていない顔できょとんとしている。
「俺、いつもきちんとしてるぞ?」
「相棒、お前結構鈍いとこあるからなー。俺もちょっとそこは意外だった」
そう言ったグイードが、この部屋でようやく一息付けたという様子でコーヒーカップに口を付ける。
と、その時、その向かいのソファでぶるぶるしている男にマリアは気付いた。なんだと目を向けた途端、がばっと大臣衣装のジーンが『無精鬚の泣きそうな顔』を上げた。
「親友よおおおおおおおおお!」
「ぐはっ」
直後、ジーンがマリアの腹に突っ込んだ。グイードが「げほっ」とコーヒーを噴き出し、レイモンドが「!?」と騒ぎへ目を向ける。
「なんで俺が一番じゃなくてグイードとレイモンドと真っ先話してんのッ。昨日も一昨日も俺は会えなくてマジであの文官羨まし過ぎてなんで相棒なのにそばにいなんだろうとかもう本気で異動要請を考え――ぐえっ」
ぎりぎりと腹に抱きつかれているマリアは、一気に色々とまくしたてたジーンの頭に反射的に肘を落としていた。
なんだこいつ一体何が言いたいんだ、と彼女の表情は固い。
「とりあえずよく分からんしやめろ!」
しかし、馬鹿力でもあるジーンは胴体にしがみついて離れなかった。そのままマリアは、ほろりとした涙目でじっと見つめ返されてしまった。真顔が怖い。
口許を拭ったグイードが、呆気に取られてこう呟いた。
「…………あいつ、何やってんの? 一見すると幼女的メイドにすがるおっさんの図だぞ」
「お前も、そのマリアにこの前『あそぼ―』って突撃してんだからな?」
そういえそうだったわ、と今更のように客観的視点から思って、レイモンドが戸惑いがちに隣の相棒へと意見を投げる。
そんな二人が見つめている中、マリアもいよいよ分からなくなって口許が引き攣りそうになっていた。ちょっと後ろへ引きつつも、ジーンが言いたいことがあるのを感じて尋ねた。
「……で、何?」
「親友が足りない」
「だから怖い」
真顔で述べられたマリアは、今度こそドン引いた。
そこでふと、視線を察知して向こうを見たところで「あ」と気付いた。よっしゃいいところに、と思うなり、彼女は口調を戻してこう呼んでいた。
「ヴァンレット! ひとまずジーンをソファに戻してあげて」
「え? ここでヴァンレット呼ぶとかひどくね?」
えぇ、と途端にジーンが残念そうにした。彼はようやく落ち着いてきたのか、マリアを困らせないよう小声で続ける。
(今は体格差あるから外せないと余裕ぶっこいてたんだけどな~。ヴァンレット呼ばれちまったら親友との交流がここで終了……はぁ)
(阿呆か。今の体格差を逆手に取っていると分かったから、ヴァンレットを呼んだんだよ)
向こうから犬みたいな目を向けて待っていたヴァンレットが、名を呼ばれた途端にパッと表情を明るくした。
「うむ。マリアが言うのなら――ジーンさん失礼します」
向かった王宮一の超大型騎士が、ジーンの両脇に手を入れて運び出す。あーあ、と残念そうに引きずられている彼の様子を、グイードとレイモンドが目で追いかける。
すっかり手品もやめていたニールが、真っ赤なはねた髪先を揺らして首を捻った。二十歳かと思うほどの童顔で、やっぱり青年くらいにしか見えない目をパチパチとさせる。
「お嬢ちゃん、部屋に顔出すだけで部屋内が騒がしくなるとか、もしや一種の才能なんじゃないかなって思う」
「それ一体なんです? 私は覚えがありませんわよ……」
そんなのあるわけないだろ。
マリアは、イラッとした思いと呆れがないまぜになった声で言った。しかし、まぁニールも大人しいし、これで一旦は落ち着いただろうとメイド服を手で軽く整え直す。
ジーンがソファに座らされた。グイードとレイモンドの目が、マリアへ行き、そしてジーン達を通り過ぎてニールへ向く。
「あ。向こうにあったソファを移動したんですね」
ひとまず座るかと見回したマリアは、この前来た時より椅子も増えているのに気付いた。その用意もあって、ヴァンレットが早めにニールに迎えられてこちらへ入っていたのだろう。
その時、頭の中で喋りたい事をこらえて小刻みに震えていたニールが、プチン、と何か切れたような音を上げた。
「グイードさんに我慢しろって言われてたけどやっぱ無理!」
そう言ったかと思うと、彼は機敏な動きで素早くマリアの前に滑り込んだ。ぎょっとする彼女の前で立ち上がると、少し背を屈めるようにしてその顔を見下ろす。
「ねぇねぇお嬢ちゃんッ、ジーンさんだけじゃなくて俺の話も聞いて! あのさ、さっきヴァンレットにも話してたんだけど新作の手品があって、そのリボンの色ちょっとお嬢ちゃんのやつに似てるな~なんて思うところがあったんだけど、まぁそのリボン見たのは手品師のところで。しかもそこでそいつの手品見てた時にさ、あのドMの変態野郎とばったり会ったんだよ! 貴族なのになんで仕事帰りにこんなとこ歩いてんの馬鹿じゃないのって、俺めっちゃ逃げて――いったぁ!」
怒涛の勢いで喋られたマリアは、頭の処理能力が追い付かなくなって咄嗟にニールを床に叩き付けていた。
というか、お前も一気に色々話題をぶっこんでくるな。一台詞の間に右に左に話題が飛ぶし何喋ってるのか分からんわ。
その時、ひとまず隣にヴァンレットを座らせたジーンが、そちらを見て「……あれ」と首を捻った。
「何やってんだよニール」
「お前さ、俺らに喋るだけで終わりにしとけって言ったのに……」
困った後輩だなぁ、とグイードが呆れた口調で相槌を打つ。
マリアは床に組み伏せたニールの両足を持ち、ギリギリとやっている。彼らと一緒になってそれを見ていたレイモンドが、少し遅れて「いやいやいや」と相棒に言い返した。
「そういうことじゃないだろ。まずは女の子のマリアの、あの姿勢をどうにかする方が先じゃないか……?」
「グイードどころか、レイモンドも少し気付くの遅れたろー」
ジーンが、ニヤリとして何やら知っている口調で言った。まんま親友だもんなぁという彼の口の中の呟きは、ニールの「ギブギブッ」という騒がしい声と、ヴァンレットの「仲いいなぁ」のぽやぽやとした感想の声にかき消えていた。