三十章 開幕にして、動き出す任務(序)
数日前、ステラの町。
そこはフレイヤ王国の中でも、指折りの大都市に数えられる敷地を有する町である。完全な中立区としての象徴のような立派な大聖堂、取り囲むようにしてある各中位教会、見事な大司教邸。
あるのは警備隊くらい。軍の行き交いはなく穏やかだ。
そんなこの町には、教会が数多く存在している。それぞれの階級によって「ファースト」「セカンド」「サード」……と分けられているのだが、知見しているのは聖職関係者くらいなものだろうか。
その日も、ステラの町は美しい朝を迎えた。
向こうの地平線から登る太陽の日差しは、秋先の乾燥した静けさに包まれた町並みを、神聖さ漂わせて照らし始めている。
そんな町の一角にある、セカンド階級の教会にて。
全く外に声はもれていないのだけれど、一人の男の悲鳴が上がっていた。
「ひぃ!? ちょ、待て待て落ち着けッ」
町から町へと商売の旅をしているその中年男は――酔って教会に入り込み、祈りの場で寝入ってしまった哀れな子羊である。
左右に並ぶベンチの間の床の上で、彼は尻を付いて後ずさっていた。その目の前に立ち塞がるのは、ゆったりとした白が目立つ神父衣装を揺らした一人の男だ。
「ふふっ、どうして逃げるの?」
そう告げる穏やかで美しい神父の手には、――何故か真っ赤な鞭が一つ。
毎日に面白味がなくなって、だから最近はこうして飲んじまうんだ……、と、男は反省して日々の悩みを、神父様にポロリと相談しただけだった。
なのに、何故かこんな事になっている。
男は「ひぇぇえ」とガタガタ震えていた。天からの使いみたいな優しい目は、それなのにめちゃくちゃ鞭が似合っている。というかそもそもなんでそんな物を持ってんだよ、とか色々思うくらい、その神職者の微笑む目には凍えるモノしか感じない。
「あんた、神父だよな!?」
「そうだよー。僕は貴族様にして神父様さ」
にこっと年齢不詳の美麗な男が言う。その声は、朗読すればさぞ聞き惚れる者が続出するだろう、というくらいに穏やかで美しい。
さて、と神父が実に楽しそうに笑った。
鞭を手でパシリとするのを見て、男はビクッと身体を震わせる。
「人生に面白味が欠け始めている。それなら、君もまずはSを体験してみるべきだよ」
「いやなんでそうなる!? つか、なんのSううううう!?」
「きっと楽しいよ。君は相手に、たった一言『跪け』と述べて背中を踏み付ける、そうしてコレを使う――ほら、まずは『その辺の誰かを掴まえて』やってみようか?」
天使の皮を被った悪魔の笑みで、ぐいぐいと鞭をプレゼントされそうになった男が、青褪め度をマックスにして気絶しそうな顔になり――直後、「勘弁してぇぇええ」と逃げ出す絶叫が響き渡った。