二十八章 マリアと使用人仲間と王宮と(7)上
それから少し、普段歩いているルートを紹介するように、軍区から公共区までを回って目的もなく歩いた。
さすがは女性に人気があるだけあって、どこへ行ってもアルバートはチラチラと視線を向けられていた。本人が全く気にしないでいるのも、なんだかすごいなとマリアは思った。
「僕も、今日は定時で帰れるように調整しようかな」
いつもルクシアと通っている公共食堂からの戻る道を歩いていると、ふっとアルバートが思案顔で言った。大人しくしていると約束していたニールと、マシューが目を向ける。
そうだとすれば、リリーナが風呂に入っている頃には帰宅出来ているだろう。
マリアは、湯あみ後に兄がいたら、彼女も喜ぶだろうなと考えた。しかし、「あ」と思い出して、ニールの存在を意識して言葉を選びつつ確認した。
「今日、旦那様の件もあって、予定が増えていると聞きましたけど……、可能なんですか?」
「うん。この分のスケジュールであれば」
考えるように口にした彼が、「ああ、でも」と言って首を少し傾げる。
「そうすると、マシューとは一足違いになるかな」
「構いませんよ。あなた様が、少しでもリラックス出来るのであれば歓迎です。僕は少し『残業』して、一人で帰れますから」
主人想いのマシューは、肩をちょっと竦めるようにして述べた。
その様子を見ていたニールが、「そっかぁ」と今更のように言いながら、頭の後ろに両手を回した。
「考えたら、お嬢ちゃんも従者君も、帰る場所がおんなじなんだっけ。アルバート君と揃って一緒の屋敷に住んでいるのも、なんか不思議だなぁ」
「建物は別れていますけどね。僕らは、住み込みでお仕事をさせて頂いているので」
柔らかな灰色の髪を揺らして、マシューがにこっと愛想笑いを返す。
その時、ニールがピクッと反応した。自分にとっての害意を察知したかのように止まったかと思ったら、神経を研ぎ澄まして瞳孔を開かせていた目が――ハッとして後ろを見る。
まるで警戒心マックスの動物の仕草みたいだった。
マリアは不思議に思って、アルバートとマシューと共にそちらへと目を向けた。そうしたら軍区側の方から、こちらに向かって一直線に駆けてくるモルツの姿があった。
「え。ちょっと待て、なんであいつが――」
「なんでここに来て変態がくんのおおおおおおおおおお!?」
勢いよく距離を縮めてくるのが、美貌のドMであると気付いたニールが、余裕もぶっ飛んだ様子でマリアの呟きを遮って叫ぶ。
すると向かってくるモルツが、仕事ではない指示なのでよく分からない、というようにこう言ってきた。
「さぁ? 会議が終わった途端、少しそばを離れていろ、と言われましたので」
その視線は、真っすぐニールに向いている。
どうやら、ロックオンされているのは自分一人だけであるらしい。そう察したニールが、「ひぇええ来るな寄るな変態め」とぶわりと鳥肌を立てる。
「おまっ、馬鹿じゃないの!? それで、なんで俺目指してくるわけ!?」
「『ひとまずニールを追い駆けてこい』、と主人に言われました」
「ひとまずでそんな指示出すとか、魔王ひどくない!? コレただの八つ当たりというかストレス発散というか、へたすると単に一人になりたかっただけで、なんとなくそう言ったとかだったら、マジで俺泣く――」
思った事を口から全部出したニールが、迫ってくる変態を前に、たまらず言葉を途中で切って「うっぎゃああああああああ!」と逃げ出した。追うモルツが、「残念です」と声を掛けて脇を通過していく。
何も残念じゃない、私はお前を殴るつもりはないぞ。
マリアは呆気に取られつつも、遠くなっていく背にそう思った。昔からあの二人の逃走と追走を見ているのだが、微塵にも距離感が縮まらないな、とか考えてしまう。
しばし呆然としていたマシューが、ようやく声を出した。
「…………今の、なんだったんですかね?」
「…………さぁ。私も、あの人達の事はよく分かりません」
ニール、お前、ロイドに何やったんだ?
日頃の彼の行いから、マリアは心の中で呟いてしまった。しかし、そう推測付けて思考がちょっと落ち着いたところで、この場にいるはずの一人が静かな事に気付いた。
「あれ? アルバート様?」
マリアは口にして、そういえばと気付いたマシューと共に振り返った。作り笑いを浮かべたアルバートが、ニール達から興味もなくして別の方向を真っすぐ見ている。
一体何を見ているんだろうと思って、視線の先を追ってみた。
そこには二人の若い近衛騎士がいて、何やら雑談しながら歩いていた。よくよく聞いてみると、先日にリリーナと第四王子クリストファーを見る事が出来たという内容だった。絵を描いたもらっていた二人を、警備の仕事関係で目に留める事が出来たのだとか。
婚約者同士の姿を描いてもらっていた二人は、舞踏会当日に着用する衣装で臨んでいた。彼らが「新作のドレス姿」と話す声を聞きながら、それを思い出したマリアは――。
これ、まずくない?
自分とサリーは見られたけど、その姿を、実の兄であるアルバートはまだ見ていない。そう気付いて「あ、まずいかも」と先手を打って動こうとした時、すぐそこにいたはずの彼の姿が消えた。
直後、ドカンッと向こうから音が上がっていた。
マリアとマシューは、遅れて不穏な生暖かい風が、肌を撫でて行くのを感じた。ゆっくりとそちらに顔を向けてみると、アルバートが素手で壁を『突き抜いた』手で、二人の若い近衛騎士を囲っていた。
「僕の妹のリリーナが可愛いのは、当たり前だよ。遠くから見ても可愛い、近くから見たらたまらないくらい可愛い、抱き上げるともう離したくないくらいに可愛い」
静まり返った廊下に、つらつらとこぼれる美声が怖い。
おかげで、相手の騎士達はガタガタ震えていた。吐きそうなくらいの強烈な殺気と『凶気』に当てられて、すっかり泣きそうな顔にまでなってしまっている。
「羨ましいな。僕は当日の衣装の試着さえ見られていないのだけど――ねぇ?」
「ひぇっ!?」
「どんな風だったのか、君達の口からも聞いてみたいな。僕のリリーナの愛らしさを少しでも表現出来ていない部分があったら、このまま殺しちゃうかも知れないけれど」
アルバートが、美麗・妖艶に微笑み掛ける。孔開いた藍色の目にロツクオンされた男達は、たまらず互いを抱き締め合って「ひぇぇぇ」とか細い悲鳴をこぼした。
その一瞬後、マリアとマシューは、彼のいるところまでコンマ二秒で駆け抜けていた。
「アルバート様、ストーップ!」
攻撃をすると『反射的に素手で暗殺される』と知っていた。だから身体を張って二人掛かりで止めるべく、横からアルバートに飛び付いて、一緒に向こうの床まで飛んで崩れ落ちる。
マリアは、マシューと共に、アルバートの上に乗り上げて倒れ込んだ。
その時、「一体なんの騒ぎだ!?」と聞き慣れた煩い声が上がった。もしやと思って目を向けてみると、そこには黄金の眉をつり上げたポルペオの姿があった。
「馬鹿者! また騒ぎを起こしているのかッ!」
それ、最近ジーンによく言ってる台詞じゃないか……?
マリアは、どっと疲労感を覚えて一気に力が抜けた。そもそも、なんでまたポルペオなんだろうなと思ったところで、近くで第二王子との話が終わったのかと推測に至る。
「いつも騒ぎを起こしている感じで言わないでくださいよ……」
そのまま、落ち着いてくれたアルバートの背中に、ぼふっと顔を押し付けた。男性だった頃にはそう感じることなかったけれど、自分よりも体温が高くてあったかい。
チラリと目を向けたら、同じようにしているマシューと目が合った。
「ふっ――マリアお疲れ様です。これで一安心ですね」
「ははっ、そうね」
うっかり巣の口調で苦笑してしまった後、マリアは女の子口調に戻してそう答えた。下にいたアルバートが、前髪をかき上げて「二人とも、僕の上で楽しそうだね」と吐息交じりに言う。
「こらっ、お前はスカートであるのを忘れているのか?」
すると、ズカズカ歩み寄ってきたポルペオが、上からそう煩く注意してきた。