二十八章 マリアと使用人仲間と王宮と(6)
ポルペオと別れて後、しばらくもしないうちに二人がサロンから出てきた。
一緒になって歩き出してからというもの、隣をアルバートがにこにこと付いてきている。実を言うとノープランなので、マリアはどうしたものかと困ってもいた。
ひとまずは使用人が歩くには目立つので、貴族区を抜けるようにして足を進めた。公共区に出たはいいものの、右とも左とも判断がつかないまま中央広場を真っすぐ歩く。
部下兼侍従らしく後ろを歩くマシューの前で、ニールがひょっこり頭を出して、一人悩んでいる彼女を挟んで隣にいるアルバートを見た。
「アルバート君、なんか近くない?」
「僕はいつもこの距離ですよ」
スパッとアルバートが即答する。彼は覗き込むように少し頭を屈めていて、その視線は引き続き隣を歩くマリアへ注がれていた。
「ふふっ、王宮で困っているマリアも可愛い」
ずっと横から見下ろされているマリアは、視線を顔に感じ続けているせいで少し疲れてもいた。
昔から、年下の『家族』に対しては、妹か弟を愛でるかのように接して大切にする人なんだよなぁと思う。ノープランであるのを分かっているにもかかわらず、悪く思わずこうして散歩に付き合ってくれるところも優しい。
そんな事を考えているマリアのすぐ近くで、後ろから様子を眺めていたマシューが「アルバート様……」とこっそり呟いた。周りからチラチラ向けられている視線も、アルバートは全く気にしていない様子で『王宮にいるマリア』を観察している。
きょとんとしたニールが、頭を起こして「まっいいや」と言った。
「俺は、お嬢ちゃんの隣を確保出来ればそれでいいし」
なんでだよ、とマリアは思わず彼を見た。その表情に台詞を見て取ったマシューも、「それは少し同感です」と性格がよく掴めないでいる彼について呟いた。
そのまま公共区から軍区の廊下へと入った。
不意に、次の角から曲がってきた二人組とぶつかりそうになって足を止めた。その途端にニールが「うげっ」という声をもらして、バッタリ正面から顔を合わせた相手も、ピタリと動きを止める。
「…………」
なんでココに、とマリアは表情が引き攣りそうになった。
廊下の向こうから曲がってきたのは、ドSで鬼畜な総隊長ロイドと、ドMの総隊長補佐モルツだった。仕事の用で出歩いていたのか、どちらも正装姿だ。
「おや。これはまた、珍しい美男子をお連れですね」
モルツがそう言って、細い銀縁眼鏡の横を揃えた指先で押し上げた。
おい、その言い方やめろ、とマリア思った。先日、侯爵邸に突撃訪問してきて顔を合わせているというのに、わざとらしい引っ掛かるようなニュアンスにちょっとイラッときた。
と、思ったところで、なんだか青い顔をしているマシューの視線の先に気付いた。
何故かロイドとアルバートが、正面から顔を合わせた状態でピクリとも動かないでいた。初対面ではないはずなのだが、どうしてか真顔と笑顔で、ピリッとした空気になっている。
「お久しぶりです、総隊長様」
先に言葉を切り出したのは、笑顔なアルバートだった。
にこっと笑い掛けられたロイドが、機嫌を低下させた麗しい顔を少し上げて、十九歳の彼を見下ろす。
「そうだな。先日以来か」
「以前、わざわざ屋敷まで、僕の妹を迎えに来てくれましたね」
「殿下の大事なお方だからな。ルートの確認もかねて、俺が直々に伺った」
ロイドは、その場にいる面々を目に留めていくと、最後はマリアへ視線を向けた。
なんだか機嫌が悪そうだ。切れ長の紺色の瞳にじっと見つめられて、マリアはちょっと身を引いてしまった。目の奥に、苛立ちのような何かが宿っているような強さを覚えて気圧される。
「こんなところで何をしている?」
「えっ、あの、実はその――」
なんと説明していいものやらと返答に困っていたら、横からアルバートが『任せて』と肩を抱き寄せるようにして叩き、それから愛想良く口を挟んだ。
「彼女が『僕のために』少し時間をくれるというので、散歩を」
一部の語句を強めて彼がそう言い放った瞬間、ロイドが秀麗な眉をピクリとさせて口をつぐんだ。
直後、空気が急に張り詰めて、一気に重たくなったように感じた。叱られる直前のようなピリピリした空気を肌で感じたマリアは、もしやと思い至って悩ましげに考える。
副隊長のアルバートは休憩中の身だが、自分は暇があったので少し抜けてきたようなものだ。仕事に関してはキチッとしているロイドに、サボリだと取られるのも当然だろう。
するとモルツが、チラリと目を寄越して言葉を伝えてきた。
(暇があるのなら、事務仕事でも手伝えばよろしいのでは)
(やかましい)
オブライトだった頃、過去にも同じようなやりとりがあったのが思い出された。こいつ、今でも字が壊滅的なのを知ってそう言ってるな、とマリアはイラッとした。
じっと固定されているモルツの視線に何を思ったのか、ニールがそろりと動き出してマリアの後ろに隠れる。マシューが、もう帰りたいなという顔をした。
そんな中、アルバートが一見すると、場の空気を解すようにしてこう言った。
「総隊長様には、いつも『ウチのマリアが』お世話になっています。お手伝いの方では、ルクシア様たちのお役に立てているでしょうか?」
「――役には立ってくれている。ルクシア様からも、大変助かっていると報告があった」
どうにか社交的に接しようとしている様子で、ロイドが口角を少し持ち上げる。しかし、その笑みは若干引き攣り掛けていて、腹の中で何やら色々と思うところがありそうな表情だった。
やっぱりサボりだと怒っているのだろう。後で嫌味交じりに怒られたりしたら嫌だな……とマリアが思っていると、笑顔を崩さないアルバートが続けてこう言った。
「マリアは好奇心が旺盛ですから、急に思い立って『引っ張り回す』事もあるとは『もうご存知』だとは思いますが、それで総隊長様にご迷惑を掛けてはいないでしょうか?」
「………………引っ張り、回す……」
「ああ、なんだ、『された事がない』んですね。彼女、昔からよく腕を取って、早くこっちに来て、と可愛らしく急かしたりするものですから」
にーっこり、と、ここ一番の爽やかな笑みをアルバートが浮かべる。
「僕としては、そういうところも可愛いとは思っているのですが。ぎゅっと腕にしがみついて引っ張るものですからほんとに可愛くて――ああ、すみません。個人的な事を話してしまいましたね」
見守って待機しているマシューが、頼みますからもうやめてください、と青い顔色をしていた。
ニールがマリアを見下ろして、「お嬢ちゃんのそんな女の子ぽいところ、見た事ないけど」と不思議そうに呟く。マリアはロイドがますます黒いオーラをまとうのを見て、仕事の時はしないので、わざわざ幼い頃のことを暴露しなくても……と困った。
ピリピリとした空気の中に立たされていたモルツが、ふぅと息を吐いて眼鏡を押し上げる。
「なかなかクセが強そうな男です」
「アルバート様は、ただただ社交的なんですよ」
こそっとモルツに答えていたら、ゆっくりとロイドがこちらを見た。
瞳孔の開いた目と、パチリと合ったマリアは口をつぐんだ。なんだか今にも殺しに掛かってきそうな目だと身構えてしまっていると、彼が地を這うような声でこう言ってきた。
「腕にしがみついて引っ張る、か――別に、俺にそうやってくれても構わないんだぞ、マリア」
「はぁ? いえ、別にしませんけれど……」
やった後が怖い。
そもそも身分も上の公爵、それでいて総隊長という相手に、うっかりでもするわけがないだろう。
そう思って答えたら、威圧感が二割増しになってマリアは困った。そんなにサボりの状況が許せないんだろうかと考えつつも、ひとまずは「名前呼びしてないでくださいよ」と指摘した。
そうしたら、場を和ませるようにアルバートが笑った。
「まぁ、十六歳のマリアが、三十四歳の総隊長様に、そんなこと気軽に出来るはずもないでしょうから」
「…………」
年齢と肩書きの方を、とくに強調してわざわざピンポイントで指摘されて言われたロイドが、ピシリ、と音を立てて固まる。
ピンポイントで年齢をついてきましたね、とモルツが呟いた。するとアルバートが、最高にキラキラとした美男子の笑みを浮かべて、慣れたようにスマートな別れを切り出した。
「総隊長様は、お忙しい身ですからね。それでは『僕らは』ここで失礼します」
しばし呆気に取られていたマリアは、「行こっか」と頭を撫でられてハタと我に返った。そのまま歩き出してしまった彼と、パタパタと後に続くマシューに気付くと、サッと二人に頭を下げて後を追った。
不思議そうに見ていたニールが、それに続いて「じゃあね魔王」と親しげに言って、ロイドとモルツのそばを通り過ぎる。
先にアルバートに追い付いたマシューが、と吐息交じりに言った。
「全く、アルバート様ときたら……」
「少しの意地悪くらい、いいじゃないマシュー」
アルバートは、ちょっとだけ力を抜いた表情をして――しかし、すぐに落ち着いた笑みに戻してそう言ったのだった。