二十八章 マリアと使用人仲間と王宮と(5)
アルバートとマシューがサロンへと入っていった後、マリアはニールと共に廊下で待った。入り口横の壁にもたれて、廊下を行き交う貴族や軍人の様子を眺める。
ふと、向こうに見覚えのある男の姿が目に入った。
かなり目立つせいでパッと目に飛び込んで来たのは、本日もヘルメット級のヅラをのせているポルペオ・ポルーだった。真っ直ぐ前を見て、マントを揺らしながら堂々と歩いている。
相変わらずヅラが似合わない……と考えていたところで、マリアは唐突に思い付いた。彼女の視線の先に気付いて「あ、ヅラ師団長だ」と目を向けるニールに、真顔で声を掛けた。
「ニールさん。私、今ちょっとチャンスな気がしてきましたわ」
「何が?」
突然そんな事を言われたニールが、きょとんとして自分よりも低いマリアを見下ろす。
「お嬢ちゃんって、ヅラ師団長に懐いてたっけ?」
「違います、あのブサ可愛い馬ですわ。私達、なかなかレイモンドさんとじっくり話す機会がないじゃないですか。ここは先に、ポルペオ様にお話しするのも有りかと」
先日、ルクシアやアーシュと見に行った『個性的な立派な軍馬』だ。きっと彼なら、めちゃくちゃいい馬だと分かってくれるだろうし、相棒馬として良いと思うのだ。
マリアがそう考えながら話すと、ニールが指を調子よくパチーンっと鳴らして「大賛成!」と言った。
「それイイねッ! 俺もね、あの馬、ヅラ師団長にぴったりだと思うんだよね! むしろ乗ってるの超見たいっていうか、そんで大爆笑したいっていうか!」
よし、そうとなれば行動あるのみだ。
興奮したような口調で述べたニールを連れて、マリアは早速と言わんばかりに力強く歩き出した。アルバート達が出てくるまで少しの時間はあるだろうと、迷わず足を進める。
ポルペオが、向かってくる二人に気付いて立ち止まった。真っすぐ目の前まで来たマリアの真剣な表情を見るなり、嫌な予感を覚えたかのように身構える。
「そっちから来るのも珍しいな。一体何用だ?」
「ポルペオ様、バレッド将軍のブサ可愛い立派な馬をご存知ですか」
「は……? なんだ、いきなり」
言いながら、ポルペオは凛々しい眉を顰めた。自分よりも背丈の低いニールの呑気な面を見やり、それから随分低い位置にあるマリアの顔を再び目に留める。
太い黒縁眼鏡の向こうにある黄金色の切れ長の目を、疑い深く細めて彼は言い返した。
「バレッド将軍は知っている。だが、プライベートの付き合いはない。彼が個人的な事情で拾ってきた馬なぞ、私が知るわけがなかろう」
「すごく個性的なんですけど、とにかくすごく立派なんです。惚れ惚れする立派な体格で、顔と声も個性的でずっと見ていても飽きないっていうか」
マリアは、目を爛々とさせて真面目に言った。昔から口頭報告だとか説明が下手である自覚があったものの、口べたながら手振りを交えてそう力説する。
ずいっと身を寄せられたポルペオが、困惑気味に一歩後退した。
「褒めているのか貶しているのか分からんな……お前、少し落ち着いたどうだ?」
そう言った彼が、訝ってやや首を傾げる。
しばし、言葉もなく見下ろされていた。彼にしては長い沈黙が不思議になって、マリアは首を捻って尋ねた。
「どうかされたんですか、ポルペオ様?」
「いや。昔、そういう空気をまとってよく突撃してきた奴がいたような、いなかったような……」
思案顔で顎に手をあてたポルペオが、ふと、ハッとした様子でこう続けた。
「私はこれからジークフリート様と話があるのだ。暇な身ではない」
なるほど、場所のセッティングやら、用意やらで頭はいっぱいであると、と。
マリアは察して、第二王子大好きだもんな、と真面目な顔で考えた。口に出していないというのに、何故かポルペオが苛立った様子で「おいコラ」と不機嫌そうな声を出してきた。
「なんだかイラッとするな。言いたい事があるならハッキリ言わんか」
「? こういう時って、考えている事を口にするもんなんですか?」
正直分からなくて、マリアは巣の真顔で首を傾げつつ問い返す。口にしたらしたで、いつも怒っていなかったっけ、と、オブライト時代を思い返していた。
ポルペオが、誰かを彷彿とさせるようだ、と呟いて口角を引き攣らせた。
「正直になるタイミングが下手だな。そもそもな、なんでそう堂々と尋ね――」
「とにかく一度見てくださいよ、ヅラ師団長!」
喋る彼の台詞を遮って、ニールが興奮気味に手を上げてそう主張した。何やら楽しい想像でもしたかのように、上げた手を振って勢いのまま言葉を続ける。
「ヅラ師団長も一度見たら、絶対面白いって分かるから!」
「誰が『ヅラ』だ馬鹿者っ!」
ピキリ、と青筋を立ててポルペオが怒鳴る。
普段なら、このまま彼の説教が始まってもおかしくはない。でも、マリアとしてもニールの主張には賛成で、言い返した彼に間髪入れずこう続けて説得していた。
「ポルペオ様、見に行く価値めちゃくちゃあります。見れば見るほど愛嬌を覚えるブサ可愛い馬なんです。最近は風邪も直ったようなので、個性的なくしゃみは聞けないと思いますが、ほんと体格だけでなく筋肉の付き方も素晴らしい一流の馬で――」
「ああもう煩いぞっ、今日は一体なんなのだ!? 私は暇ではないと言っただろう!」
「一回だけでもいいので、バレッド将軍が連れ帰ってきた馬を是非とも見てください。あんなに素晴らしい馬が、調教もされず軍馬外として残されているの勿体なさすぎます。それに、見たらポルペオ様も絶対に気に入ると思うんですよ。しかも顔も個性的でブサ可愛い」
真剣すぎて真顔でぐいぐい迫り、マリアは気持ち溢れるまま説明していた。
声は大きくもないのに、なんだか圧を感じる。そのうえ、とうとうマントを掴まれてしまったポルペオが、後ずさりつつこう言った。
「おまっ、私が誰だか分かっているのか? そうやって推してくるのも珍しい気がするが」
「分かっていますわ、ヅラ――ポルペオ・ポルー様でしょう」
「真剣な面でヅラと言い掛けたな!?」
いや、つい、とマリアは思った。うっかり巣の口調になってしまいそうになったのは回避出来たものの、キーワードがぽろっと口からこぼれてしまったのだ。
「とりあえず是非とも、ポルペオ様にあの馬を見に行ってもらいたくて」
「馬鹿者ッ、『とりあえず』でヅラ発言をなかった事にするでない! ――ああもうっ、私はこれから特注の菓子も取りに行かねばならんのだ、ここで失礼する!」
バッとマントをひるがえされてしまい、手が離れたマリアは「あっ」と思った。呼び止める暇もなく、ポルペオは肩を怒らせて足早に歩き去ってしまう。
「行っちゃったねぇ」
遠くなっていく背中を眺めつつ、ニールが言った。
「というかさ、お嬢ちゃんがヅラ師団長にぐいぐい行くとは思わなかったなぁ。なんかさ、皆、超偉い人みたいな感じで、ヅラ師団長に接しているところもあってさ」
いや実際めちゃくちゃ偉いお方なんだよ、と周りの者達が視線を向けていた。
マリアは気付かないまま、サロン側へと戻るべくくるりと振り返った。ふわりと少しだけ広がった膝丈のスカートとエプロンの下で、華奢な足が廊下を進み始める。
「だって、今は説教される要素もないですし。怒られるものがない時は、頼れるところもある方ですわ」
「まぁ、そう言われてみればそうかも」
マリアの隣に並んだニールが、「まっいいか」とのんびり言って口笛を吹いた。
※※※
廊下の途中でマリアとニールに遭遇した後、ポルペオは特注で取り寄せていた菓子を預かっているところへと向かった。太い黒縁眼鏡を、指できゅっと挟んで掛け直す。
「ふんっ、馬がなんだというのだ」
数分の足止めをくらってしまった事に対して、ぐちぐち言いながら移動していた。これまでも立派な軍馬を相棒として連れ立ってきた、今更惚れ込むような馬と出会うはずがない。
『レイモンドはすごいな。俺なら、まずは力づくで倒してどちらが上か教えてから始める』
『マイナス関係からのスタートなのか!? 馬とは、信頼関係が大切なんだぞ!?』
そういえば、と、過去にあったそんなやりとりの風景を思い出す。
昔、馬に関してはピタリと意見が一致する男がいた。ポルー伯爵家に立派な馬が二頭寄越されて、そのうちの一頭を『奴』に譲った事もあったのだった、とどうしてか今になって思い出した。
迷いはしない、振り返りはしない。
ポルペオは、自身の強靭な精神力で、カチリと思考を切り替えた。
深く考えないまま、彼の足は予定していた廊下を通り過ぎていた。別にあの戦闘メイドの言葉が頭に残っているわけではない、ただの気紛れだ。遠回りがてら騎馬隊の方の廊下を通る。
その時、視界の端にチラリと映り込んだ『色』があった。
揺れた優雅な尾に気付いて、顰め面を向けたところだポルペオは目を見開いた。屈強な四肢、日差しに映える純白の毛艶。その馬は、ふんっと顔を上げて黄金の鬣をサラリとさせ――。
バッチリと決めたその軍馬は、ひどく個性的でブサイクな面をしていた。
目に留めた瞬間、ポルポオは凝視して動けなくなってしまった。軍服が若干ボロボロになった騎馬隊の男達が、弱音を言いながら、珍しく数人掛かりで馬を散歩して歩いて行く。
「第三騎馬隊、護衛任務が入っているのは分かるけどさ……」
「せめて自分達でやって欲しいよな。俺ら、いつか死ぬぞ、コレ」
「この馬、気分屋すぎるというか、誰の言うことも聞かないもんなぁ……」
「バレッド将軍達くらいの筋肉があったら、まぁ、どうにかってレベルだろ」
はぁ、と彼らが揃って重々しい溜息をこぼした。
そのまま廊下の外側を、彼らが通り過ぎようとする。気付いたポルペオは、ハッとして駆け寄ってすぐに声を掛けた。
「その『素晴らしい馬』は、一体誰が連れてきたものだ?」
「え」
普通の軍馬よりも一回りデカい問題馬を、数人掛かりで引っ張っていた彼らが引き攣った声を上げた。まさかコレ欲しいの、まさかだよね、と見つめ返す彼らの目は語っている。
そんな中、やる気を感じさせない個性的な顔をしたその馬は、ずっとポルペオを目に留めていた。ふと、口許をもごもご動かして――「ぺっぷち」と甲高いくしゃみを一つした。
※※※
執務室に戻ってきたばかりのレイモンドは、一休憩で椅子に深々と座り込んでいた。唐突にバタンッと扉が開いて、予定外の訪問にビックリして身を起こした。
「なんだ!? ――って、ポルペオか」
入室してきた相手を見るなり、緊張も解けた吐息交じりの声を上げる。しかし、困惑顔で首を傾げると「つか、なんでポルペオ?」と、もっともな疑問も口にした。
すると、ポルホペオが真剣な話題を切り出すように、書斎机に手を置いてこう言ってきた。
「レイモンド。バレッド将軍が連れ帰った『あの素晴らしい軍馬』を、調教して欲しい」
「は……?」
「先程、本人からも許可を取った。是非とも、アレを私の相棒馬としたい」
そう力強く頼まれてしまった。断れない性格をしたレイモンドは、「一体どこで何がどうなって」と呟いて、ふらりとした。