二十八章 マリアと使用人仲間と王宮と(4)
家庭事情をよく知らないため、アーシュは半ば困惑中だった。聞かされた話のヤバさのまま「頑張れ……?」と見送られたマリアは、マシューに連れられてニールと共に研究私室を後にした。
小さな森のような道を抜けて、王宮の建物へと上がる。
午前の落ち着いた時間帯、廊下を行き交う人達は、ゆったりと歩みを進めていた。朝一番の作業を一旦終えた使用人達が、替えのシーツや掃除道具をガラガラと推している姿もある。
「この時間、アルバート様は休憩前の話し合いをされているはずです」
スケジュールを把握しているマシューが、マリアの歩みに合わせて廊下を進みながらそう言った。頭の後ろに手をやったニールが、のんびりと二人の後ろに付いている。
少し前、アルバートは席を外した隊長に代わって、書類の仕分けを行っていたらしい。その後、午後の演習の件で他部隊と打ち合わせが入っていたのだとか。
辿り着いた先は、近衛騎士隊がよく使っている休憩用のサロンの一つだった。一部、上流階級の貴族で固められた部隊は、軍区ではなく貴族区に部屋が用意されていて華やかだ。
扉のない大きな入口の陰に隠れるようにして、マリアとマシューは息ぴったりのタイミングでしゃがみ込んだ。二人の行動を見て、ニールもそれに続きつつ言う。
「お嬢ちゃん、なんか尾行の仕事をしている気分」
「アルバート様は鋭い方なので、気配も出来るだけ断った方がいいですわ」
マリアが「しっ」と唇に人差し指を立て、真面目に忠告する。
その後ろを、数人の近衛騎士が「何してんのこの三人」とチラチラ目を向けて通り過ぎていった。周りの視線なぞ無視と言わんばかりに、三人はそのままサロン内を、そぉっと覗く。
広々としたサロンには、ゆとりをもった間隔で、豪華なソファ席がいくつも置かれてあった。そのうちの一つに、リラックスした様子で腰掛けているアルバートの姿が見えた。彼の隣には、一緒になって談笑しているブロンドの男がいる。
「あれ、誰?」
見覚えがなくて、マリアは小首を傾げた。
その男は、三十代前半といった美しい軍人だった。やや長めのブロンドの髪を紳士風にセットしているせいもあって、隊長格のマントはまるで衣装のように映えている。
「ウチのケイシー隊長ですよ」
マシューがこっそり教える。第三宮廷近衛騎士隊は、生粋の貴族で構成されていてケイシー隊長もそうだった。仕草や笑顔やまとっている雰囲気も、いかにも貴族といった容姿の男だ。
それを一通り改めて見たマリアは、「なるほど」と巣の口調で納得の声をもらした。
「キラキラしてるなぁ」
「マリア、感想が雑すぎますよ……」
結婚歴十年にして、現在もモテ続けている人なんだけどな……とマシューが少々複雑そうな心境で呟く。
それを聞いたニールが、しゃがみ込んだまま彼へと目を向けてこう言った。
「お嬢ちゃんに女の子的感想求めてもアレだよ。だってさ、俺が中性美少年の集まっているところに連れて行ったら、胸倉掴まれてピンチになったもん」
「君、ウチのマリアに何やってんですか」
マシューが、ガバリとニールを見た。
「やめてください。へたするとアルバート様が、お嬢様と別件で暴れますから」
頼みますから今後絶対にしないように、と続けて念を押されたニールが首を傾げる。
その時、ふわりと漂った上品な香りと共に、一つの美声が上がった。
「ふふっ、しゃがみ込んで可愛いね、マリア――新しいかくれんぼかな?」
ふっと耳元に吐息を吹きかけられて、マリアは「うわっ」と色気のない声を上げた。
ビクッとして振り返ってみると、すぐそばで同じようにしゃがみ込んで微笑んでいるアルバートがいた。かなりの至近距離に彼の顔があって、マリアは大きな空色の瞳を見開いてしまう。
直前まで気配に気付かなかったニールも、「うおっ!?」と肩をはねさせた。戦場でも滅多にない経験だ。「え」「あれ?」「いつの間に?」と、向こうと彼を忙しなく交互に見る。
サロン内に残されたケイシー隊長が、同じようにして「あれ?」と辺りを見渡していた。それを見て取ったマシューが溜息をこぼす中、アルバートが素直にびっくりしているマリアを目に留めて、優しげに微笑む。
「僕を見にきてくれたの? 嬉しいな」
にこっと笑って声を掛けてきた彼に、そのまま手を差し出された。
マリアは「はぁ、まぁ」と曖昧に答えつつ、いつものようにしてその手に指先を置いた。彼が握り込んで、優しくエスコートして立ち上がらせてくれた。
「昔を思い出すね。僕がよく、こうして見付けていたっけ」
「ああ、訓練の『かくれんぼ』ですか?」
まだ幼かった頃、戦闘訓練の一環として、アルバートや使用人一同でやっていた。途中から先輩衛兵と後輩衛兵の個人的な事情の追いかけっこが始まったり、隠れる役のはずのカレンが全力で執事長を追いかけたりと、マジな逃走になっていたのを思い出す。
思い返しているマリアのリボンを、アルバートがにこにこしながら整え直した。マシューが「やれやれ」と立ち上がるそばで、彼は続いて身を起こしたニールへと目を向ける。
「お久しぶりですね、ニールさん。この前のビリヤードは『なかなかない事で』面白かったよ」
「へへっ、俺も面白かったんだぜ、アルバート君!」
久しぶりー、とニールが外側にはねた赤毛を揺らして、元気いっぱいの仕草を交えて答える。
それを聞いたマシューが、顔を引き攣らせた。アルバート様を『君呼び』でタメ口……と呟くのが聞こえてきて、マリアはごめんなと思いながら視線をそらした。
アルバートが改めてニールを目に留め、マシューを見て、それからマリアへと目を向けて尋ねた。
「僕が今から休憩に入るのを、マシューから聞いたのかな?」
「あ、はい。その……、なんというかアルバート様が、もしかしたらリリーナ様のファンクラブの方にお邪魔するかもしれない、とかなんとか、マシューに聞きまして……?」
まさかだとは思うのですけれど、とマリアは冗談風に確認してみた。そうしたら彼が、愛想たっぷりに当たり前のようにして、こう言ってきた。
「その通りだよ」
「え」
「愛らしい彼女の話をすれば、ここで会えないでいる僕の気持ちも少しは落ち着くのかと思って。さっき噂していた別の男達も、『よく分かっていなくて』ね。そもそも他の令嬢とリリーナを比べるのが、お角違いだと思わないかい?」
にっこりと笑い掛けられて、マリアは「別の男達……」と嫌な予感がした。
言い方からすると、比べる次元が違う存在だと言っている気がする。ド級に重い妹愛をよく分かっていないニールが、きょとんとして見守る中、マシューも嘘だろという顔だった。
マリアは、使用人仲間の思いを察して問い掛ける。
「…………あの、アルバート様、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「マリアなら、僕にいくつだって質問してもいいんだよ」
「えぇと、ですね? その……さっき会ったという方々が、どうなったのか聞いても……?」
「僕も少し冷静でいられなかったから、つい『剣を放って』呼び止めてしまったけど、怪我はさせてないよ」
「え」
「彼らが上げていた令嬢の名前を、全部確認したうえで、リリーナがどれほど愛らしいかを『教えて』あげたんだ」
壁に追い込んで言い聞かせた、とアルバートの笑顔からは見て取れた。
あ、これヤバイ、とマリアは思った。自分が目を離した隙にまたしてもか、と項垂れているマシューが先程言っていた通り、最近の多忙さもあって彼も色々溜まっているのだろう。
王宮内では、あまり目立たないように過ごしてきている人だ。アルバートがこの休憩で、ファンクラブへ突撃してしまわないようにしなければならない。
「あの、私も時間があるんですけど、もしアルバート様がよろしければ、少し一緒にその辺を歩きません?」
マリアは、気晴らしとストレス軽減もかねて提案してみた。
アーバンド侯爵家では、こうした散歩も珍しい事ではなかった。目配せして確認してみると、ニールとマシューも「いいよ」「付き合います」というように表情と仕草で応えてくる。
「マリアから誘ってくれるなんて、嬉しいな」
アルバートが笑顔をほころばせて、そう言った。
「休憩後のスケジュールについて、ケイシー隊長とまだ話が残っていてね。少しだけ待っていてもらえるかな?」
彼はそう言うと、一旦マシューを連れてサロンに戻って行った。