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二十八章 マリアと使用人仲間と王宮と(3)

 登城して数時間、午前の仕事も半分を過ぎた頃。


 薬学研究棟の一階にある研究私室の掃除が一通り終わり、アーシュの提案で話しがてら一休憩に入っていたマリアは、唐突に扉のノック音がして目を丸くした。予定もないし、一体誰だろうと思った直後、向こうから知った青年の声が聞こえてきた。


「マシューです。今、少しいいですか?」

「えっ、マシュー? ああ、鍵はかかっていないから、勝手に開けちゃっていいわよ」


 手が離せなかったマリアは、驚きつつもそう返事をした。


 そうしたら、申し訳なさそうにしてマシューが入室してきた。近衛騎士隊の軍服に身を包んだ彼は、まだ午前も終わっていないというのに、何故か疲れ切った顔をしている。


「マリア、急に来てすみません……」

「えぇと、ルクシア様も続き部屋だし大丈夫なんだけど……。その、マシューが来るとは思わなかったから、ちょっと反応に困ったというか」


 呆気に取られていたマリアは、声を掛けられてようやく戸惑いがちに答えた。すると、知り合いらしいと察したアーシュが、椅子の背に腕を回した状態のまま声を掛けてきた。


「そいつ、誰だ?」

「あ~っと、第三宮廷近衛騎士隊に所属しているマシューよ。私と同じお屋敷に勤めていて、リリーナ様の兄の侍従でもあるの」


 というか、なんで来たんだろう。王宮では接触しないと始めに決めていたはずなのにな、とマリアは思い出しながら、屋敷の使用人仲間を見つめていた。


 扉を後ろ手でそっと閉めたマシューが、「まぁ、その」と言いづらそうに口を開く。


「なんというか、ウチのアルバート様が、ちょっとまずいというか……」


 ぎこちなく用件を切り出そうとした彼が、ふと言葉を切った。改めて『室内の開けた場所にいるマリア』の様子を目に留めたところで、疲労の浮かぶ顔で控え目に眉を寄せる。


「というか、マリアは何をしているんです?」


 マリアは今、床に転がっているニールに絞め技をかけている真っ最中だった。両手両足を回し、ギリギリと音を立てている状態でマシューを見つめ返している。


 騒ぎを止めようとしていたアーシュは、座っている椅子が少しマリア達の方へ向いていた。訪問者を見つめる彼の目には、今更のように遅れてやや困惑の色が浮かぶ。


「普通は、もうちょっと驚くんじゃね……?」


 アーシュがそう呟く中、ニールが手で『ギブ』とするのも構わず、マリアがマシューにこう答えた。


「この人が、ルクシア様のお仕事部屋に突撃しようとしたから止めたの」

「そうですか、それは立派な事です」


 回答を聞き届けて即、マシューが真面目な顔で頷いた。これ見て平然としているとか同じ屋敷に勤めているせい、なのか? とアーシュが疑問の声をもらす。


 その時、首の方の拘束を若干緩ませる事に成功したニールが、「ちょ、従者君なんでお嬢ちゃんに賛成すんの!?」と驚きでしかないという声を上げた。


「止めるって物理的だよ!? 走り出して即、飛び蹴りからの絞め技の流れだよ!?」

「――と、言われましてもね」


 マシューは考えつつ言うと、ニールに目を戻してから尋ねる。


「そもそも何故、『殿下』のお仕事を邪魔されようとするのです?」

「邪魔じゃないよ? ずっと『ひきこもってる』からさ。何してんのかなぁって覗こうとしただけ」


 ニールが述べた途端、マシューが「ひきこも……」と全部言えないまま沈黙した。


 大切な仕事であると何度も説明しているのに、ニールにとってはそんな認識である。本気で諸々を忘れている可能性を思い、マリアは「はぁ」と溜息を吐いてギリギリと腕に力を込めた。


「ニールさんの場合、足を踏み込んだ時点から邪魔になるのです」

「表情と行動が合ってないんだけど!? 台詞もひっどいし、もしかしてかなり怒ってんの? ねぇッ、お嬢ちゃんマジで怒ってる感じなの!?」


 再びぎゃあぎゃあ騒ぎ出す。


 そんなニールの声を聞いて、アーシュがハッとしてこう叫んだ。


「というかッ、マリアはその絞め技すんのやめろよ!? さっきから言ってるけど、女なのに足も結構見えちまってるからっ! それから赤毛! テメェもいい加減にしろ! 女にそんな姿勢させてんじゃねぇッ」


 とうとうアーシュも切れて、紙大事、という口台詞も忘れたかのように分厚い本を放った。それが見事に額に直撃したニールが、「ぐはっ」と声を上げて沈んだ。


「なんだか、すごく疲れているみたいね」


 ひとまず場が落ち着いたとろで、室内に案内しようと前に立ったマリアは、ちょっと気になってそう尋ねた。そうしたらマシューが、疲労が蘇ってきたような表情でぎこちなく視線をそらしていった。


「……いや、ちょっと……その、苦手なタイプがいると気付いたというか……なんか言葉が通じなくて、引き離すのも大変だったというか……」


 変装解くのを見られるわけにもいかず、とぼそぼそと独り言のように言う。


 彼の方は、侍従仕事の他にも何やら動いている事もあるようだし、恐らくは疲れもたたっているのだろう。マリアは気遣って、ひとまず使用人仲間に隣の椅子を勧めて珈琲を出した。


「…………――ここが、『殿下』の研究私室ですか」


 椅子に座り直していると、ふっとそんな声が聞こえた。


 目を向けてみると、珈琲カップを手に持ったマシューが室内を見渡していた。復活したニールが、いそいそと椅子を移動してマリアのすぐ後ろに座るのを、アーシュが「だから、なんでマリアの近くに居座ろうとすんだよ」「わけ分かんねぇ」と言いながら目で追っている。


「少し冷静ではなかったとはいえ、アルバート様に悪いですね……」


 ぽつりと呟いた彼が、続いてアーシュに目を向けられたと気付いて表情を作る。


「マリアから話は聞いています。あなたが、文官のアーシュさんですよね。突然訪問してしまって、本当にすみませんでした」

「えっ、あ、まぁルクシア様も続き部屋に入って気付いていないだろうし、俺は別に構わないんだけどさ……マシューさんは、なんでこっちに来たんですか?」


 近衛騎士隊の年上の騎士であるとして、アーシュが言葉使いを改めてそう尋ねる。


 するとマシューが「実は」と言って、珈琲カップの中に目を落とした。


「ウチのアルバート様は、妹であるリリーナ様を大切にしておられるのです。最近、婚約披露がされる舞踏会に向けて準備が進められているのですが、衣装が仕上がったり髪型を試したりと、そんな姿をご自分が見られないという事もあって、……もう色々とアレというか」


 そこで小さく息を吐いた彼が、少し珈琲で喉を潤わせ、それからこれまでにあったいくつかの事を話し出した。


 壁に剣を突き刺して呼び止め、他部署の新人軍人を『笑顔の殺気』で失神させた。ピンポイントでリリーナの可愛いところを口にした部下の胸倉を、『作り笑い』で持ち上げたり……最近は『愛でる会』と付いたファンクラブも無視出来なくなっているのだとか。


「これから午前の休憩が一度入るのですが、とうとうファンクラブの集まりに突撃して、自らお嬢様の愛らしさを演説してくるおつもりらしいのです」


 マシューは溜息交じりにそう言って、話を締めた。


 え、あの人そんな事しようとしてんの、とマリアは数々のアルバート騒動に絶句してそう思った。ニールが「へぇ、意外」と感想する中、同じくアーシュも少しドン引いている。


「…………あの、さ……マシューさん?」


 珈琲を飲みながらも、すっかり諦めモードで溜息をこぼすばかりのマシューを見て、アーシュがそう言葉を切り出した。


「よければ、マリアを少し連れて行ってもいいですよ。えっと、ルクシア様の昼食時間に間に合えばいいですし、なんというか――ファンクラブに突撃させるのはやめた方がいいかと」

「そうね。それだけは止めた方がいいと思う」


 アーシュの深刻そうな声を聞いて、すぐにマリアもそう言った。


「アルバート様がそんな事しちゃったら大変だわ。私もどうにか協力するから」

「……マリア、本当にすみません」


 申し訳なさで視線をそらし、マシューがぷるぷる震えながら小さく言う。そうしたら、そばからニールが空気も読まず「はいっ」と元気良く挙手した。


「お嬢ちゃんが行くなら、俺も付いてくから!」


 相談内容を理解していなさそうな彼が、キリッとした笑顔でそう主張した。

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