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二十七章 臨時班の始動、混乱の魔王とジーンの不安(5)

 バレッド将軍を見送った後、マリアは薬学研究棟へと足を進めた。


 建物の裏手一階にある研究私室に入ってみると、作業テーブルにはルクシアとアーシュがいた。そこには、一緒になって珈琲を飲んでいるライラック博士の姿もあった。


「あら、ライラック博士もいらしていたんですね」


 一同の視線を受け止めたマリアは、にこっと笑ってそう声を掛けた。それから扉を閉めたところで、スカートの前に手を置いて小さく頭を下げた。


「すみません、少し用があって遅れてしまいました。ライラック博士、珈琲をお淹れ出来なくて申し訳ござません」

「いえいえ、そうかしこまらないでください、マリアさん。私のオススメのものがありまして、実は、本日はそれを皆様に飲んで頂こうと思って、持って来ていたのですよ」


 ライラック博士は柔らかな苦笑を返すと、学者にしては厚みのある大きな身体を揺らしてそう言った。


 最近では、もうすっかり顔見知りである。彼の珈琲の好みも分かっていたマリアは、そうでしたか、と ホッとしたように相槌を打つと「次はお出ししますね」と答えた。


 そのまま、ひとまずキッチンの在庫を確認しようと思って歩き出した。そうしたら、ルクシアに座るように手招きされてしまい、不思議に思いつつ自分の椅子に腰を下ろす。


「そちらは大丈夫でしたか?」


 着席してすぐ、唐突にルクシアが、やや覗き込むようにテーブルに寄りかかってそう訊いてきた。


 臨時班の集まりの事を言っているのだろう。こちらの予定については、心配させないようきちんと知らせられるようになっているらしいと推測して、マリアはにっこりと笑いかけた。


「問題ありませんでしたわ」

「道中も異変はありませんでしたか?」

「? はい、行く際にも、これといって問題はありませんでしたけれど」

「そうですか。ならば良いのです」


 ようやく、ホッとしたような彼の様子に気付いて、マリアはきょとんとしてしまった。第三王子であり、この薬学研究棟の所長であるルクシアは、十五歳にしては幼い顔立ちをしている。しっかりとした目元から力が抜けると、庇護欲をそそる――じゃなくて、心配してしまうくらい子供らしさが強くなる。


 心なしか、彼の眼鏡の向こうにある大きな金緑の瞳も、少しばかり精神的な疲れが浮かんでいるような気がした。その視線が思案気にテーブルへと向いているのを気にしていると、隣のアーシュの方から「ほれ」と声を掛けられた。


「これ、お前の珈琲。ちょっと冷めちまったけど、もうそろそろで来るかもって思って、俺が淹れておいた。さすがにライラック博士を、二回目もキッチンに立たせるわけにもいかねぇしな」

「ありがとう」


 有り難く思って珈琲カップを受け取ったら、やや背を屈めていた彼が「おぅ」と近くから答えてきた。眉間に皺がなくても仏頂面っぽい表情だ。今日も文官服の上から白衣を羽織っていて、二十歳の軍人籍にしてはやや華奢で細い。


 マリアは目を合わせたついでに、ルクシアの様子について目で尋ねてみた。するとアーシュが、自分の珈琲カップを持ちつつクイッと顎を動かして『本人が説明する』『そんまま訊いても大丈夫だぜ』と伝えてきた。


「ルクシア様、どうかされましたか?」


 ひとまず大事(おおごと)ではなさそうだと判断して、少し珈琲を口にしてからそう尋ねてみた。すると、ルクシアが考え込んだ様子のまま、ポツリと言ってきた。


「実は、……少し気になる視線を感じる事が、たびたび」

「視線、ですか?」


 悪い男ではないのだけれど、ルクシアが察知して警戒するような視線というと、ここ最近ストーカーしているらしいバレッド将軍の存在が浮かんだ。


「私を手伝っている事は、悟られないようにしているつもりなのですが、最近ライラック博士も視線を覚える事があるようです」

「へ? 博士まで?」


 そうすると、ムキムキ騎馬隊将軍の可能性はないだろう。


 マリアがそう思いながら目を向けると、ライラック博士がほんの少し気苦労の滲む表情で微笑んだ。


「もしかしたら警戒、されているのかなとも思いまして」


 確信はないながらも、少し気掛かりな様子で彼は言う。


「軍が警戒している相手について、私は多くの事を知りません。しかし、長い経験から『警戒しておいた方が良い』と感じるような、不穏な動きのようにも思えるのです」

「なるほど……まさかとは思いますけど、王宮内で、ですか?」


 とくにこの一帯は、現在のところ警備に抜かりはないはずだ。もしそうだとすると問題だぞと緊張していると、ライラック博士がすぐに首を小さく横に振って、「いえ、外です」と答えてきた。


「王宮を出てしばらくの道中、何度か見られているような……。でも少し見られているような気配を感じる程度という話ですので、もしかしたら、ただの私の勘違いかもしれません」


 そう言うと、彼は不安を隠すような柔らかな苦笑を浮かべて見せてきた。十代のこちらを気遣って、安心させようとする優しい配慮が見て取れた。


 マリアは、ほんの少し情報を頭の中で整理しつつ「そうですか……」と相槌を打った。本当に大丈夫なんかお前、と隣から観察し続けているアーシュに気付いて、目を向けてこう答える。


「本当に私は思い当たる節はないわよ。アーシュこそ、今のところそういう事はないの?」

「いや? 俺はとくにないんだよなぁ」


 アーシュは、言いながら宙を見やって首を傾げた。


「いちおう警戒はしてるけど、文官業だけだった時と変わらず、周りは平和っていうか。むしろ、お前といる時の方が高確率で騒ぎに巻き込まれる――ん?」


 そこで、彼が懐かない犬みたいな目を顰めた。


 そのまま視線を返されたマリアが「何?」と小首を傾げると、アーシュは見つめたまま珈琲カップをテーブルへ戻しつつ続ける。


「そういやあの騒がしい赤毛男、今日はどうなるんだ?」

「ああ、そういえば聞いてなかったなぁ……忙しいんなら来ないんじゃないかしら?」


 素の口調で呟いたマリアは、後半を女の子口調に戻してそう答えた。するとアーシュが、気になったように引き続き言葉をかけてきた。


「ライラック博士の事は、あいつにまだ教えてねぇんだろ?」

「あ。そっか、そういえば知らないままね」


 思い返せば、彼がルクシアを手伝うようになってから、ここで二人が鉢合わせた事はない。部屋の主であるルクシアも、今になって気付いた様子で「そうでしたね」と口を挟んできた。


「来続けたかと思ったら、またパタリと来なくなったりとよく分からない男です。この件を知っているのは宰相と、彼が打ち明けた者達だけでしょう――マリア、彼はかなり口が軽いというかお調子者の印象があるのですが、教えても大丈夫なものでしょうか?」

「言い聞かせれば問題ないですよ、本当に大切な『秘密』は守る人ですから」


 オブライトだった頃を思い出す限り、ニールが部隊や任務の情報をもらしてしまう事は一度もなかった。彼は思った事を全部口にするところがあるのに、不思議と自分の中で仕事と、それ以外をキッチリ線引き出来ていた部分はある。


 だから、それもあって【騙し打ちのニール】とも呼ばれていた。


 普段は嘘も付けないのに、知っている任務情報に関して「へぇそうなの? 俺、知らなかったよ!」と『普通に笑っていた』。彼を知っている相手は、「じゃあニールは知らないな」と判断していたの覚えている。


 仕事は出来る男なのだ。今やジーンが、彼一人で調査に行かせるくらい信頼もある。そう思ってキッパリ答えたら、ルクシアが少し意外そうな目をした。


 すると、その隣でライラック博士が、思い至った様子で「ああ」と言った。


「もしかして、この前ぶつかってしまった真っ赤な髪の『青年』ですか? 確か、『ニールさん』というお名前だったと記憶しています」

「え。……ああ、まぁ、その、青年期はかなり過ぎているんですけど、そうですわ。彼がニールさんです」


 もう三十七歳なんだけどなぁと思いながら、マリアは出会って少し話した際の印象が良好だったらしい彼に答えた。同じくなんとも言えない表情を浮かべたアーシュが、「三十代なのが信じられねぇんだよなぁ……」とぼやいている。


 その時、ノックもなしに、扉がバターンッと大きな音を立てて開いた。


 ルクシアが小さく飛び上がり、ライラック博士が「うわっ」と短い悲鳴を上げる中、わくわくしきった青年みたいな声が室内に飛び込んできた。


「やっほーお嬢ちゃんッ! 俺のこと待ってた? もしかして来ないかもとか思ってた? 安心してッ、今日は昼まで全く予定なくて超暇だから! あのねぇヴァンレットはちゃんと送ってきたよ! 俺、めっちゃ偉くない?」


 勝手に中に入ってきたニールが、ぺらぺらと思い付くままに喋った。歩み寄ってきたところで、ふと、「あれ?」とライラック博士に目を留める。


「この前の白衣のおっちゃん? ルクシア様とは『仲直り』出来た感じなの? 良かったね!」


 彼は言いながら自己完結し、テンションが高いまま明るい調子で告げた。


 呆気に取られていたアーシュが、ルクシアやライラック博士と同じく何も言えないでいる中、マリアはにこりとも応えないまま珈琲カップをテーブルに戻した。


 そして、アーシュが止める暇もなく、彼女はニールが防御に入るよりも早く床に沈め、首に腕を回して絞め技をかけていた。

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