二十七章 臨時班の始動、混乱の魔王とジーンの不安(3)下
止める暇もなくベルアーノが去っていった後、マリアは仕方なく届ける事にして、華奢な少女の身には少々大きい茶封筒を脇に抱えた。
薬学研究棟へと向かう道の途中、渋々進路を変更して、軍区の騎士団側のサロンへと向かう。始業している時間帯とあって、そこを行き交う軍人の数は少なかった。
今のうちに空いている部屋の掃除にあたる使用人の何組目かと擦れ違ったところで、オブライト時代によく足を運んだ『通称、騎士団側のメインサロン』に辿り着いた。ちょっと懐かしさを覚えつつ入った時、すぐそこに見知った顔ぶれがいるのに気付いた。
それは、第六師団の例の若い精鋭小隊の男たちだった。思わず「あ」と言って立ち止まったら、彼らの方も気付いたように振り返ってきた。
こちらを見た途端、彼らが一斉に警戒した様子で身構えた。まばらにいた他部隊の軍人たちが、ザッと反応した彼らの動きに気付いて、なんだろうなと遠くから目を向けてくる。
「出たなッ、凶暴メイド!」
ぶちのめすぞお前ら。開口一番、失礼すぎないか?
マリアは、マイナス五度の空気をまとった。しかし直後、懐かしい馴染みのある場所の雰囲気に流されてしまっていると気付いて、目頭を少し揉み解して一旦自分を落ち着けた。
昨日は、午後の少しの間しかルクシアやアーシュを手伝えなかったのだ。さっさと用事を済ましてしまおう。そう思って、目頭から手を離して彼らに目を戻した。
「あなた達こそ、何をなさっているんです? 休憩ですか?」
そう尋ねてみたら、こちらを見つめているうちの一人が、それよりもめちゃくちゃ気になるんだけど、という顔で仲間を代表して指を向けてきた。
「なぁお前、表情に『師団長のくっ付き虫じゃないのか』って言葉が見えるんだけど」
「そんなこと思っておりませんわ」
図星だったマリアは、にっこりと女の子らしい笑みで取り繕った。
今世で鍛えた少し可愛いとも評判がある笑顔を主張すべく、そのままあざとい角度に小首を傾げて、バッチリ女の子らしく決めてみせる。しかし、その途端、何故か彼らが一斉に警戒心マックスで「こわっ」と言って後退した。
直後、ドゴッという音が上がった。
膝丈のメイド衣装のスカートが、ヒビが入った足元でふわりと揺れる。目撃していたサロンの全員が沈黙する中、マリアは踏み付けた右足をそのままに、ニコッと微笑んだ。
「私、これからルクシア様のもとに行かなければならないんです。ですから――とっととお答えくださいまし」
それを聞き届けた第六師団の若い男たちは、揃ってゴクリと息を呑んだ。遠目で見守っているサロン内の軍人たちの誰かが、「それは脅迫なのでは……」と言う声がどこからか聞こえていた。
ややあって、班のリーダーらしい彼が、腕を組んで渋々といった様子で答えた。
「俺らは一時休憩だよ。ポルペオ師団長、急ぎの用で他の師団長たちと会議しているんだ」
「ふうん。ところでコレ、頼まれてくれてもいいですか?」
「この流れでさらっと押し付けるのかよ」
もともと興味などなかったのだ、当然だろう。
そう態度からもありありと伝わってくるマリアから、彼はひとまず律儀にも茶封筒を受け取って、ざっと裏表を確認する。
「で、これって誰宛てなんだ?」
「宰相様から預かったのです。『軍区の二番管理局』と言えば分かる、と言われましたわ」
マリアは、思い出しながらそう述べた。すると彼らが、「は」と目を丸くして、揃って妙な目を向けてきた。
一体なんだと思って顔を顰めて見せると、リーダー風の男が片手で茶封筒を少し掲げてこう言ってきた。
「…………お前、宰相様から気軽におつかいを頼まれるくらい話す仲なのか?」
「一体何者なんだよ、凶暴メイド」
「考えてみりゃあ、助っ人がきっかけとはいえ、あの人嫌いのルクシア様まで懐かせてるっぽいもんな……」
「つか、この前も公共食堂で、あの総隊長様が使用人なのに同じテーブルにつかせていたし……ドMの総隊長補佐様にも拳を求められてたし……」
「もしかしてお前、珍獣使いかなんかなのか?」
おい、王族と上官を珍獣くくりにするんじゃない。
マリアは、そう思って「お前ら――」と言いかけた。しかし、その時、サロンの入り口から突如野太い声が大きく響き渡った。
「おお! ここにいましたかッ『リボンのメイドのマリアさん』!」
バカデカい肺活量を使ったような大声を聞いて、マリア達はビクッとして目を走らせた。すると、そこにはドカドカと大きな足音を立ててこちらに向かってくる、ムッキムキで騎馬隊一大柄なバレッド将軍がいた。
その姿を確認するなり、第六師団の男たちが素早くマリアに目を戻した。
「お前ッ、あの筋肉で物を考える、よく分からない熊将軍まで……!?」
おい、そんな目を向けてくるな。
それは誤解である。バレッド将軍は、ルクシアの『猛烈なファン』なのだ。つか、あのムキムキ将軍もなんでこんな時に出てくるんだよ、と思いながらマリアは「あのですね」と言う。
「ルクシア様に、専属の護衛部隊が出来たのはご存知ですか?」
「それくらい知って――あ、つまり殿下関連って事か?」
とはいえ、とまだ腑に落ちない様子で彼らは首を捻る。
「あの目の輝きを見る限り、なんか尊敬されている感じが伝わってくるんだが……お前、何したんだ?」
「これといって何もしていませんわよ」
「疑問だと言わんばかりの顔だなぁ。嘘じゃないっぽいし、一体なんなんだろうな?」
「まぁ、あの人が部隊ごと殿下の専属になったのも、よく分からないしな」
一人がそう言って、自分たちの共通した疑問を一旦締めた。そこで茶封筒を脇に抱え持った彼が、もっとも考えなければならない疑問点を口にする。
「ところで、そもそも一体なんの用なんだろうな?」
確かに、と賛同して、マリア達は揃って訝った目を戻した。
すると、もうすぐそこまで来ていたバレッド将軍が、マリア達の前に立った。実際に正面に立たれると、その身体の大きさがよく分かって、第六師団の男たちが今更のようにぼそりと思いをこぼしていく。
「騎馬隊なのにめっちゃムキムキ……」
「ゴツさが半端ない」
「これ、馬に熊が乗っているみたいに見えるんじゃ……」
そんな一同の目をなんと思ったのか、バレッド将軍が「わははははッ」と一人だけ愉快な元気たっぷりの笑い声を上げた。マリアを真っ直ぐ見下ろすと、用件を答え出す。
「なかなかいらっしゃらないので、ルクシア様がご心配されてな。なんとッ、このバレッド・グーバーが直々に頼まれたのだ!」
「…………えぇと、あのルクシア様が、わざわざ外にいたあなた様をお呼びになったのですか……?」
「いや? 我が名を呼ぶのが聞こえて参上したら、ゆっくりと指を外に向けられてな、すぐにそのご命令を頂けたのだ!」
バレッド将軍は、誇らしげに「うむ」と告げる。
それ、ようするに、うまく追い払ったというやつじゃないだろうか……。
マリアは、先日のルクシアの様子から、そう察して思わず沈黙した。優秀な第六師団も、同じように口を閉じて心の中だけで思う中、サロンにいた他の軍人たちの誰かが「つまり一時的な厄介払い……」と、ポツリと呟いたのだった。