二十七章 臨時班の始動、混乱の魔王とジーンの不安(2)下
今ここに集まっているのは、次の臨時班の動きについて話し合うのためだ。
時間もそんなにはない。とりあえずは第一回の打ち合わせの用意を整える事にして、マリア達は動き出した。
「うん、ひとまずしまっておこうか」
ジーンが独り言のように言って、二組分の軍服を奥の棚に入れた。
なんだか足元がふらふらしていたのが気になった。問い掛けようとしたら、フッと遠い目を向けられて止められた。
「親友よ、なんでもないんだ」
そう言われて、そのまま着席を促されてしまった。その心労で死んだような表情を見ていたら、理由を尋ねられなくなった。
マリアは、首を捻りつつもヴァンレットと並んでソファに腰かけた。その向かい側にニールがボスンと腰を下ろしたところで、彼の隣にジーンが座る。
「次の任務だが、判明した『例の毒』の保管場所の一つを押さえる事になった」
「え、もう特定出来たの?」
「一ヶ所だけだが、確定済みだ。ただし、少し前まで『旧第三聖堂』と呼ばれていたところで、聖職機関内とあってかなり厄介だ」
早速話し出したジーンは、その件に関しては頭が痛いといった表情を浮かべていた。
今回の案件については初聞きのニールを含め、よく分かっていないヴァンレットの視線に気付いていた事もあって、一同の認識を確認しつつ辛抱強く教えるように説明する。
「旧第三聖堂があるのは、規模位置づけ第四位、大聖堂ベネディクトがあるステラの町だ。基本的に大聖堂がある区とその一帯は、それを任されている大司教が統治権を有していて、第二権限有者が貴族って感じになる」
「つまり領主は、何をするにしても一旦、その大聖堂側へお伺いを立てるって事よね?」
マリアは、思い返しながら言った。一昔前の頃にも、聖職機関側とは何度かもめた覚えはある。一部の聖職者らが民衆と国政に圧力をかけ、とうとう無視出来ないレベルの権力乱用であると判断し、最高司教が動かざるを得なくなった事が二度、三度くらいあった。
ニールとヴァンレットが、そういえば何かあったようなという表情を浮かべる。それをやや疲れたように見やったジーンが、少し遅れて「その通り」とマリアの問いに答えた。
「表上は『聖職・政治は互いに良き隣人として~』とされているが、大聖堂のある区は聖職機関が統治していて、俺ら側からは実質的に不可侵領域になっている」
彼は手ぶりを交えて話しながら、思うような眼差しを流し向ける。
「聖職機関は、王政、軍、元老院の三大権力組織とは全く別の独立した組織だ。トップに最高司教、上級聖職者に司教・司祭・助祭、――色々と中級、下級と、職務やら権限やらが細かく分けられていて、王侯貴族にかかわらない独自の階級制度を設けているのも特徴だな」
神の道に進む者は、その身分に問わず受け入れるという姿勢を取っている。しかし、内部では一部、貴族が優遇されているという実態もあるという。
それは聖職機関というバカデカい組織ゆえの、一人のトップの目が下の隅々まで行きわたらないところにも問題があった。
「必要があれば王が一言で決められるとはいえ、こっちだと通常、間に『慎重さ』が設けられる。たとえば王が提案して国の幹部で話し合われ、それが第三機関で審議され、軍と元老院のそれぞれの上級権力者たちの承認のもと事が進められたりする」
「それに対して、最高司教は全部の権限を持っている、ってやつっすか?」
ニールが、座っていても自分のよりも背丈があるジーンの横顔を見上げる。
部下の視線を受け止めたジーンは、「これ、部隊時代にも話したんだけどなぁ……」と複雑そうに独り言を口にした。それから無精鬚を撫でつつ、こう続ける。
「位置付けとしては、最高司教は神の代弁者だ。その一言が、全て正義にして、神の声とされている」
ジーンはそう言い方をぼかしつつも肯定すると、気を取り直すような声で「そこでだ」と言った。
「旧第三聖堂は、今、ベネディクト分館の指定を受けて大司教邸になっている。祈りを捧げたり儀式を行うための場が設けられた個人所有の教会神殿みたいなものだ。最高司教に続く、国内で二十一人しかいない上級聖職者である『大司教の城』、とも言われている」
「あら、大司教って二十一人しかいないの?」
それは意外だった、とマリアは目を丸くする。
ジーンは、なんでもない事だとでも言うように、ひらひらと手を振って「昔からずっと二十一人だ」とあっさりした口調で教えた。
「聖職機関は、数字にも神秘的な意味合いがあるとして、上にいけばいくほど色々と数も決まっていたりする。下へ下へと枝分かれでいくつもの階級組織があって、目が行き届かない代わりに、二十一人の大司教がそれぞれの聖職者の区をみている――というわけなんだが」
彼は開いた足の上で手を組み合わせると、力強い目で一同を順に見た。
「問題なのは、大聖堂ベネディクトがある区を任されている大司教アンブラだ。十四年前まで旧第三聖堂と呼ばれ、現在は大司教邸になっている『奴の城』に、例の毒が保管されている」
アンブラが大司教に選定されたのは、約二十年前。神のご縁あって多くの寄付金が集まった事により、十八年前に旧第三聖堂が増築・整備し直された――と資料には残されている。保管庫としての役目については、それを境にして既に始まっていたのではないかとも推測されているらしい。
あの毒の現物が、と、マリアは話を聞きながら次第に心臓がドクドクしてきていた。
落ち着いて聞こうと心掛けていたものの、じわじわと実感のような想いが込み上げてくる。いつだったか、第三聖堂、と耳にした気もするのだ。
動こうとして結局は動けなかった当時の自分が、向かう事の出来なかった場所が、そこであった気がす――。
「マリア?」
唐突に、隣から名前を呼ばれて思考が途切れた。
ハッと目を向けてみると、大きな身体を少し屈めるようにして、こちらを見下ろしているヴァンレットがいた。その目は相変わらず子供みたいで、小さく丸いきょとんとした瞳の中に、十六歳には見えない少女の自分が映っているのが見えた。
「大丈夫だ、俺がいる」
「え……?」
「危ないと感じたのなら、決してそばを離れない」
ヴァンレットは、何も心配する事なんてないと言わんばかりの顔で、にこっと笑った。
「マリアの望むようにすればいいと思う。俺はどこへでもついていくよ、そしてマリアが望む結果を手に入れるために尽力する」
――周りの何者だろうが吹き飛ばします。俺は、あなたが望む道を、誰にも邪魔なんてさせません。
その笑顔を見ていて、不意に、遠い記憶の向こうからそんな声が蘇ってきた。
ああ、お前、そんな風に笑うやつだったなぁ、と、何故かそんな想いが脳裏を過ぎっていった。
どうして『マリア』を、そんなに助けるの?
そもそもお前は、どうして『今の私』のそばにいる……?
その時、ニールの「凶暴お嬢ちゃんでも、やっぱ女の子だし毒は怖いよねぇ」としみじみに言う呑気な声が聞こえてきて、マリアはハタと我に返った。
恐らく、ヴァンレットの言葉に意図なんてなかったのだろう。
けれど、よく分からないまま心臓はドクドクしていて、落ち着けようとして自分の鼓動を聞いていたら、こちらを見ていたジーンが「まぁな」と視線をそらしてなんでもないような相槌を打った。
「俺もドロドロした部分を考えるのは好きじゃないんだが、当時の寄付金を寄越した七割の貴族が、ちとグレーゾンというか」
彼はその詳細についてはぼかし、「まぁ保管庫は分けてあると思うぜ」と言って話を戻した。推測される範囲内のことを、ざっくりとこう述べる。
「恐らく、大司教邸もそのうちの一つだろうと思われているわけだが、そこを『とあるプロが調べてくれた』ところの報告によると、推定される香水瓶は――大型馬車の三十台以上だ」
「!?」
その告白には、マリアだけなくニールもヴァンレットも反応していた。黒騎士部隊時代、王宮騎士団と一緒になって色々と違法売買を押さえてきたが、その数は異常である。
「え、ちょ、待ってくださいよ副隊長」
ニールが、思わず上体ごと顔を向けてそう言う。
「レイモンドさんが捜索を進めていた毒って、とんでもない代物なんでしょ? そんな『有り得ない魔法みたいな毒』が、分けて保管されている状況下で、そんなにあるんすか!?」
「驚くべき話ではある。俺らだって受けた『目視による報告』から、推測される数を計算を叩き出した時は、なんの冗談だと思ったくらいだぜ」
さすがにかなり予想を上回る数字で、アヴェインもすぐには言葉が出ないみたいだったな、とジーンは思い返しつつ語る。
「そこが、ほぼメインに使われている保管庫と取ってもいいのかもしれない。だから急ぎで進めようとしているわけだが、まぁ、香水用の小瓶っていう仕様上、中身に入れられる量が少ないせいもあって場所を取っているんだろうとも思うけどさ」
おかげで一つの課題が終わったというのに、レイモンドは引き続き頭痛に悩まされているという。
だから保管場所の一つが特定されても忙しそう――というか、ちっとも浮かばれない顔で仕事にあたっているのかぁ、とマリア達は揃って表情に浮かべた。同じように思い返していたジーンが、しみじみとした様子でこう呟く。
「うん、見に行った時、笑えないくらい重々しい空気で突っ伏していたっけな」
「…………ジーン、また見に行ったの? というか、仕事を抜けたんじゃないだろうな――」
「まぁそこでだ」
何してんだよお前、とマリアが目を向けてすぐ、ジーンが話の矛先をサッと戻した。
「一箱に二ダース、計二十四本。その木箱が、地下の貯蔵庫ぎっしりに詰まっているというわけだ」
そう改めて聞かされ、ニールが途端に「うへぇ、とんでもない数だなぁ」と感想した。
「つか、その調べ物のプロさん? すごいっすね。そのめっちゃ難しい大司教邸とかいうところに実際に侵入して、その保管されている状況を『目で見て』確かめたわけでしょ?」
「そうですね。言われてみれば、現物の確保が一番重要な案件だとすると、勘付かれるだけでもアウトですし、ほんとすごいと思いますわ」
マリアが、そう言ってニールに同意するのを、ジーンが複雑そうにゆっくりと見やった。侯爵が直接動いてそっちの家の誰かが動いたらしいんだけど、これ言っちゃダメなやつなんかな……と口の中でこっそりこぼしてしまう。
三人の様子を、ヴァンレットがきょとんとして見守っている。その隣でマリアは、続いて「あ」と言って唐突に顔を上げた。
「でもジーン、相手は最高司教のすぐ次の偉い人なんでしょう? 大丈夫なの?」
「ああ、実を言うと、陛下と最高司教は個人的に交友があるんだ」
尋ねられたジーンは、なんだそんな事かと愛想良く答えた。
「本来はやりとりさえ禁止されているんだけどな。アヴェインに付いている『とある強力な助っ人』の存在もあって、やりとりが叶っている。向こうからは、全て任せると返答も頂いているらしい。神に仕え人々を導く身であるのにと、とても悲しんでいたそうだ」
アヴェインとずっと親交があるくらいだから、いい男なのだろう。マリアは文面のやりとりを手伝っているのは旦那様かな、と推測しつつそう思った。前世で何度か遠くからチラリと見た白髪の老人は、とても優しい表情でいたのは覚えている。
「さて、今回の任務については、ちょっとばかし長期戦になるだろう。相手が大司教となると、こっちが突入してその身柄を確保し、国側で裁くにも色々とややこしい問題が多々ある」
一通り話し終えたとばかりに手を打って、ジーンは一回目の打ち合わせを締めるようにそう言った。
「そのうえ、結構早い馬を飛ばしても数日はかかる距離だ。調査拠点を置くといった下準備も含め、段取りに関しては急ぎ調整中ってとこだな。今回は俺ら臨時班をメインとして、そこに戦力部隊員を参加させていく形になると思う」
「ジーンさん、つまり『通常の臨時班』になる感じですか?」
ヴァンレットが小さく挙手して尋ねると、彼は「うん、そう」と軽い口調で答えた。
「この臨時班に、必要な分の『臨時の助っ人メンバー』が加わる。そのメンバーやサポート戦力部隊班についても、現在の段階では議論中でまだ決まっていない。段取りが進み次第、決定していく感じになるだろうと思う――確実に下準備したうえで大司教邸を押さえるつもりだ。実際に動き出す事になったら、恐らくは下見と調査で一回、必要ならもう二、三回を挟むだろうと思う」
いつ決まるのか、いつ事が進み出すのか正確なところはまだ分からない。けれど、ざっくり全体の事を聞かされただけで、もう心の準備はもう済んでいた。
自分たちは、自分たちが出来る事をするだけだ。
そこで一旦、第二回臨時班活動の一回目の話し合いは、終了となった。