二十七章 臨時班の始動、混乱の魔王とジーンの不安(2)上
アーバンド侯爵が『友人』の家を訪れる数時間前――。
祭りに参加した翌日、マリアは登城してすぐ言伝を受け、下車後にリリーナ達と別れて大臣の部屋へと向かった。
昨日は、唐突な誘いだったものの、結局のところ祭りを楽しんでしまっていた。ロイドは一時の体調不良だったのか、あの後、強靭な精神力と肉体で発熱を撃退したようだ。先輩として歩み寄って「風邪?」とストレートに尋ねたニールを、元気良くぶっ飛ばしてもいた。
祭りのゲームで得た手土産の菓子は、使用人仲間に喜ばれた。アヴェインに「俺の義娘に持っていけ」と言われた王都の菓子は、出所を伏せてリリーナに渡した。彼女の「嬉しい!」「美味しい!」という笑顔が見られたのも良かったし、アーバンド侯爵も大変嬉しそうだった。
「それにしても、本当に次の臨時班の任務が来るとはなぁ……」
昨日を振り返っていたマリアは、そう思って口の中でこっそり呟いた。
以前の任務終了の際、ロイド本人から引き続き手伝わせるとは聞いていた。しかし、こうして臨時班としての集まりが掛けられるまで実感はなかった。
そもそも『メイド枠』なのにいいのだろうか、とまたしても今更のように思うところもある。けれどそのたび、以前アーバンド侯爵に「『表』で頑張って欲しい」と言われていた事が思い出されて、こうなる事を見越しての言葉でもあったのかなとも感じて気持ちは後押しされた。
昨日、相変わらず元気なアヴェインを見られたせいもあるだろう。
彼を中心とした友人たちが進めている事について、今しばらく手伝えるんだなぁと思うと、やっぱり嬉しかったりもする。
そろそろ動きが出てくるらしい次の任務とは、一体どんなものなんだろうか?
そう思いつつ、マリアは目的の部屋の前で足を止めた。そこにあるのは、昨日の午前中たっぷり遊んだせいで、今日の仕事のスケジュールがギッチリ詰まっているらしい『大臣』の執務室である。
おかげで朝一の今の時間しか取れなかったのだろう。そう推測しながら、扉をノックしようと手を持ち上げたところで、ふと向こうから応答があった。
「親友よ、そのまま入ってきていいぜ」
なんだか元気のない声だった。
でもマリアとしては、ピンポイントで当てられた事が気になっていた。毎度思うんだが、あいつ、野生の勘にしては正確すぎやしないだろうか?
そう考え込んでしまったところで、この姿で再会した際の事が思い出された。確信しきった様子でジーンが「オブライト!」と言ってきた場面が蘇った途端、よく分からないゾワッとした感覚が足の先から走り抜けて、反射的に思考が止まった。
うん、やっぱり深く考えない方がいい気がするな。そう思って、ひとまずは、入室する事にして扉を開けてみた。
すると、すぐそこの応接席のソファに、ジーンが座っているのが見えた。彼は組んだ手に頭を押し付けて、ずっと何事かに悩まされているような様子で「うーん」と呻っている。
「どうした?」
近くにニールの姿はなくて、ヴァンレットもまだ到着していない。マリアは確認しつつ、後ろ手に扉を閉めてそう尋ねた。
そうしたら、ジーンがこちらを見ないまま「その、なんというか」と、どんよりとした声を出した。
「しばらくは問題ねぇと思うんだけど、…………この俺とした事が、計算違いでまだ予測がつかん。こわ……」
ぶつぶつ呟いた彼が、視線を向こうへとそらして若干ガタガタ震える。
一体こいつが何を言っているのか分からん。
そう思って歩み寄ったマリアは、それでもこちらを見ない相棒がちょっと心配になって、彼の顔をひょいと覗き込んだ。その動きに合わせて頭にある大きなリボンが揺れ、たっぷりのダークブラウンの髪がさらりと音を立てて肩にかかる。
「お前がそんな風になってるのって、珍しいな? 不安事なら話を聞くよ」
声を掛けた直後、彼がゆっくりと視線を返してきた。
まるで幽霊でも見たような顔だった。瞬きもせずじっと見つめられたマリアは、彼が抱えている感情がよく分からなくて、少し後ろに引いてしまった。
「なんだよ……?」
「めちゃくちゃ感激するなぁと思って。またこのやりとりが出来るとか嬉しすぎる。さっきのソレ、もう一回やってくれ」
「…………よく分からんが、表情と言葉が合っていなさすぎて怖いぞ、お前」
マリアは、次こそドン引いて距離を取った。
「そういえば、ニールはどうしたんだ? まだいないのも珍しい気がする」
ふと思い出して、もう一度確認するように室内をぐるりと見渡しながら問い掛けた。
それを聞いたジーンは、大臣衣装の装飾品をシャラリと揺らして姿勢を楽にし、思い返すような表情でこう答える。
「時間の都合もあって、ヴァンレットを迎えに行ってもらった」
「ふうん、そっか――」
そう相槌を打ち掛けたマリアは、彼の方へ視線を戻したところで言葉を切った。ソファのすぐ下に置かれている箱が目に留まって、「ん?」と首を捻る。
「なんだ、これ?」
思わず疑問の声を上げたら、ジーンがパッと表情を明るくした。
わくわくしたような声で「そうだった」と言ったかと思うと、彼がその箱をいそいそと足元に引き寄せる。そして、早速と言わんばかりに中から物を取り出して、テーブルに置き始めた。
「今日の『第二回臨時班の一回目の打ち合わせ』に間に合って良かったぜ、さっき届いたんだ」
「…………」
「ふっふっふ、見た目は『一般』だが、手触りは一級品! 仕上がりもバッチリだぜ~」
テンションの高いジーンの声を聞きながら、マリアは次第になんとも言えない表情になっていた。
テーブルに並べられたのは、以前の臨時班でも使用した一般兵の軍服だった。一見して新品だと分かる袋に包まれていて、見た目的に「これサイズ感ぴったりじゃね?」と思うところも大変気になったのだが、真新しいそれはジャケットだけでなく、ズボンとベルトまで揃っていた。
「親友よ、どうだ!」
ジーンがそう言って、じゃーんっとテーブルの上を示した。
その期待感溢れる声を聞いてようやく、マリアはハッとした。以前、ズボンまで勧められていた事を思い返して「いや、『どうだ』じゃないだろう阿呆!」と言い返す。
「男装しないって言ってんだろッ」
「え~、こっちの方が動きやすいと思うんだけどなぁ。それにさ、グイードもこの前の食堂の一件でスカートを気にしているみたいで、訊いたら『いいんじゃね?』って返答あったぞ?」
あいつ、聞き流したうえで適当に答えただけだろ……。
師団長のグイードが、大臣のジーンといたというシチュエーションには、残念ながら『サボり』しか浮かばない。
そう考えた直後、ふと、先に聞かされたジーンの得意げな説明が蘇ってきた。そもそも、この短い期間に、特注の軍服が用意出来るだろうか。
前世の経験から「普通なら無理」と即判断に至ったマリアは、雰囲気を一変させ絶対零度の威圧感をまとっていた。妻のアネッサにも相談しないまま、使う予定もない物に無駄な私財を投じたんじゃないだろうな?
「おい、いちおう訊いておいてやる」
言いながら、バキリと右手の指を鳴らして元副隊を見下ろす。
「コレ、どうした」
「アトライダー家の財力と権力を駆使しました」
ジーンは真剣に答えた。拳骨を予感して、ひとまず軍服一式を作らせるまでのアレやコレやの業者泣かせの詳細を語るのを避け、真面目な顔ですぐ「ごめんね」と続ける。
その時、外から扉を叩く音がした。
二人が目を向けたタイミングで、片腕に荷物を抱えたニールがヴァンレットと一緒に入室してきた。彼はこちらを見るなり、きょとんとした表情で一旦止まる。
「…………お嬢ちゃん? その右手、なんか今にも拳を作ってジーンさんに落とされそうで、超気になるんだけど」
「気のせいですわ」
「それから説教三秒前って空気を感じてさ、やっぱりめちゃくちゃ気になるというか。ニコリともしていないけど、何かあったの?」
ニールがそわそわとして、外側にはねた赤い髪を揺らして訊いてくる。
部隊時代の先輩がわたわたしている後ろで、ヴァンレットがひとまず扉を閉めた。それから視線を戻してしばし観察し、緑の芝生頭をゆっくりと傾げる。
「マリアは便秘か――むごっ」
素早く飛び出したジーンが、言葉を掛ける余裕もない必死さでヴァンレットの口を塞いだ。まとう空気がマイナス五度になったマリアに気付いて、ニールが「あっ」という顔をした。
「お嬢ちゃん、飴玉食べる?」
思い立った様子で、そう提案する。
「大事に食べてる『宝石飴』、今日もポケットに入れてきたんだよね!」
喋り出したことで、そわそわとした気持ちも忘れたらしい。パッと笑顔になった表情からは、それをちょいちょい口に放り込んで食べているのが幸せなのだ、という思いが見て取れた。
マリアは気遣わせたのだと気付いて、直前までのピリピリとした空気を解いた。吐息まじりに「私は大丈夫ですわ、ご遠慮します」と声を掛けて、肩から力を抜いた。
阿呆。そんな顔されたら、余計もらうわけにはいかんだろう。
反省気味に目をそらしてそう思っていると、ニールが「そう? 食べたくなったら言ってね」と自己完結した。ふと思い出したような顔をして、続いてはジーンに向かって言葉を投げる。
「そういえばジーンさん、また荷物が届いてましたよ。ちょうど持ってきた人とバッタリ会ったんです」
報告した彼は、片腕に抱えている荷物に目を落として首を捻る。
「誰からとかは聞かなかったんですけど、なんか服が入ってるっぽいです」
「ん? 俺、他には衣装とか頼んでねぇけど」
覚えがないと言わんばかりに、ジーンがヴァンレットの口を塞いだまま告げる。
ニールは、不思議そうに「『大臣宛て』『急ぎで』と言われたんすけどねぇ」と荷物を片手でごそごそと探り出した。雑な手付きでその一つが引っ張り出された途端、マリアとジーンは揃ってピタリと停止してしまっていた。
「あ。真っ黒の軍服だ」
ニールが、自分で取り出した物を見てそう言った。
彼が手に取ったのは上着部分で、サイズ的にはかなり小さい。それは今、テーブルの上に置かれている軍服とぴったり一致する大きさだった。
「あははは、なんか魔王のと似てるねぇ」
無関係と思っている彼が、呑気にそんな感想を述べる。
なんで送ってきたのかは知らないけど、それ確実に魔王が出所ではないだろうか。銀色騎士団側の軍服であるし、少し考えれば漆黒色の軍服をまとう事が許されているのがロイド・ファウストだけだと気付きそうなものなのだが……。
そもそも、なんで軍服なんだろうか。
というか何故あいつも、今の私のサイズを知ってるんだ?
そうマリアが困惑している中、野生の勘を発揮したヴァンレッドが、押さえているジーンの手の内側で「ロイドからだ」と確信した声で言った。