二十六章 遊びたい大人達(4)下
ヴァンレットが欲しがっているのは、まさかの『ひよこの触れ合いコーナーの無料券』だった。
何故か動物に怖がられて寄って来られないマリアは、この超大型の元部下が、迷子力を発揮しすぎて動物の触れ合い店まで辿り付けない事を思った。
その隣で、何故か動物によく蹴られたり嫌がられたりするニールが、ぶわっと反省と同情の涙目になる。
「ごめんねヴァンレット……っ、俺、可愛いひよこの一匹すら掴まえてこられなくて!」
「ニールさん、それをお土産に持ってきたらジーンが困りますわ。――任せてヴァンレット、どうにか引き当てるから」
「俺も頑張って引き当てるよ!」
マリアは、真剣な表情で視線を戻した。ニールが涙を拭って「可愛い後輩のためだッ」と意気込むと、ヴァンレットが「俺も頑張るぞ」と呑気に言って指先に目を向けた。
その様子を見ていた店主が、疑問たっぷりの顔を商品棚の『ひよこの触れ合いコーナーの無料券』に向け、屋台の料理より安い入場料なんだけどなと呟く。これを欲しがって求める大人というのも珍しい、と、歩く客達もこそこそ話していた。
「くそッ、自分が不器用なのを忘れていた……!」
「お嬢ちゃん、落とし率がすっごいけど、それ女の子としてどうなの――ってああああまた違うの引いた!」
目頭を抑えるマリアの隣で、ニールが片手で頭を抱えた。紙を一枚も引き上げられないでいるヴァンレットだけが、のんびりと楽しそうだった。
「うむ。引き上げられない」
「……あの、大きなお客さん……? 良かったら糸を二本にしてもいいよ」
あまりにも不器用な様を見て、店主がホロリと泣いて優しさを提供する。どこにでもある子供向けのゲームだというのに、いつの間にか大人達が足を止めて応援していた。
他の『当たり』を引いても、とっくに興味がなくなっていたので辞退して挑み続けた。結果は惨敗で、目当てのものを引き当てる事は出来なかった。
ただ、ヴァンレットがようやく紙を引き上げた瞬間、辺りがわっと歓声に包まれてマリアとニールも手を叩いて喜んだ。それが一番の収穫になった。
「ヴァンレット良かったな~!」
「さっすが俺の後輩だぜ!」
二人がかりで、彼の特徴的な芝生頭をぐりぐりと撫でた。引いた『菓子袋』を、ひとまずは持たせてやるかと彼のジャケットの下ポケットに入れる。
とはいえ、ひよこの件については少し残念そうだ。長い付き合いで察したマリアは、さて、どうしたもんかと考えた。同じように考え込んだニールが、思案を全部口から出したのをきっかけに、見物人の中から助言するような案が出され始めた。
「ここから遠くないから、直接行ってみるのも手だと思うんだけどね」
「ウチの息子達も、さっき楽しんでいたよ」
「まだ混んではいなかったな。料金は一律だ」
午後になると、祭りの参加者がぐっと増えて混雑する名物店であるらしい。
その時、チッと舌打ちされて、マリアは「あ」と気付いた。店先にすっかり人が集まってしまったせいか、一部通行しづらい状況にしてしまったようだ。
「どこのガキが騒いでんだよ」
そう愚痴りながら歩く数人の若い男達に、ギロリと睨まれてしまった。歩み寄ってきた彼らの険悪を受けて、集まっていた人々が戸惑いを浮かべて口を閉じる。
「おい小娘、たかがひよこだろ。それくらい自分で探せってんだ」
「すぐそうやって大人を頼ればいいってもんじゃねぇぞ」
どうやら、自分がゲームに白熱していたと思われたらしい。
子供向けのものなので仕方ない。そのまま向かってこられたマリアは、こっそり溜息をこぼし、ひとまず穏便に謝って収めようかと考えた。
その時、近づいてきた男の肩を、一つの手がガシリと掴んで引き留めた。かなりの力が込められているのか、押さえ付けられるようにして彼の脚が止まる。
不意に、強烈な殺気が周りの温度を下げた。周りで見守っていた人達が息を呑み、仲間の男達も、いつの間にかすぐ隣に移動していた『見事な赤毛頭』を見て停止する。
「チンピラ風情が――お嬢ちゃんに触るなよ。殺すよ?」
ゆらりと頭を持ち上げたニールが、自分よりも背丈のある男を睨み据える。ギリッと肩を握られた男が、怯えを隠すように唾を呑み込んで睨み返した。
「テメェやんのかコラ。痛い目みたくなかったら大人しく引っ込んでろ、チビ」
「俺に指示すんじゃねぇよ」
低い声で言いながら、ニールが怒った表情で一気に殺気立つ。
「態度がデケー、何様だ。テメェの言い分で、なんで俺が大人しくしなくちゃなんねぇんだよ。テメェこそ態度をわきまえろよ、この場で這い蹲らせんぞコラ」
何故か、ブチ切れ状態だった。
その威圧感は二十代のものではない。気圧された男達が怯む中、――マリアは彼の頭をポコンっと叩いた。それを見た全員が「え」という顔する中、ニールに声を掛ける。
「なんで切れているのか分かりませんけど。うん、とりあえず落ち着け?」
不思議に思って、後半が素の口調になってしまう。
そのまま首を傾げたら、ニールが拗ねた子供みたいに唇を尖らせてこちらを見た。男から手を離して、軽く叩かれた頭を撫でさする。
「だってさ、お嬢ちゃん――」
「大人しくするって約束したでしょ? この人達も、ちょっと注意してくれただけよ」
マリアはにこやかに言うと、あちらの道に指を向けた。
「せっかく近くに『ひよこコーナー』があるって教えてもらったんだから、そっちを楽しんだ方がいい」
口調も半ば作るのも忘れて、二人が楽しめるだろう事を考えてにこっと笑う。
どこか大人びた爽やかな笑顔だった。周りの大人達が不思議そうにする中、ニールがしばしぼんやりと見つめて……それからハタと気付いたように目を落として、あせあせと反省の様子を漂わせた。
「うん、ごめんね」
そう言いながら、仕切り直すようにヴァンレットの手を握る。男達ににっこりとした笑顔を向けていた彼も、取られた手の温もりにようやく威圧感を解いた。
気付いていたマリアは、ヴァンレットの方を振り返って見上げた。こいつも昔からスイッチが入るタイミングが分からんな、と思う。
「ヴァンレットも、暴れたら駄目よ」
「『駄目』ならしない。次はどこに行くんだ?」
「まずはニールさんと『ひよこ』の方を遂行してもらおうかと」
言いながら思い出して、マリアは言葉を切ると男達に向き直った。
ビクリとした彼らに、困ったように笑い掛けた。頭を下げて「迷惑を掛けてすみませんでした」と謝ると、店主や周囲で立ち止まってしまっていた人達にも小さく詫びてから、後ろ手に二人の手を引いてそこを抜け出した。
「実を言うと、さっきのゲームで小腹が空いたのよね」
「いきなり真面目な顔で何を言うかと思ったら、もうそれくらい消費したの!?」
人混みを歩きながら、ニールが後ろから「嘘でしょ? ねぇ嘘でしょ!?」と叫ぶ。
次の祭り通りに出たところで、マリアは手を離して二人を見やった。くるりと振り返った際、長いダークブラウンの髪と、大きなリボン、それから膝を隠しているスカートが揺れていた。
「うん。だから二人がひよこと触れ合っている間に、今の気分に合うような物をつまみ食いしようかと思って」
「それはだいぶ消費効率の悪い身体だね! なんかジーンさんっぽい。というかさ、ほんとなんでそれでいて身長とか、とくに胸に栄養がいかないのか超不思議でならな――いてっ」
こいつ、一旦ここでぶちのめそうかな。
反射的にニールの頭を叩いたマリアは、本気でそう考えてしまった。しかし、せっかくの祭りだと気を取り直してヴァンレットを見上げる。
「ヴァンレットはお腹空いてる?」
「ううん。大丈夫だ」
「今なら混んでいないらしいし、ならニールさんとサクッと行ってきた方が早いと思うの。小さなもふもふ、触りたいんでしょ?」
確認してみたら、彼が目をキラキラとさせて「うむ」と言った。
こうなったら料金がどうとか言っている場合ではない。先輩として世話焼きの使命感を動かされたのか、ニールが「俺が奢ってやるぜ!」と拳を掲げて宣言した。
「こうなったら現場に突入してくる!」
そう言ったかと思うと、ヴァンレットの手を引っ張ってバタバタと走り出した。待ち合わせの場所も決めていなかったマリアは、遅れて「あ」と気付いたものの、二人の姿はあっという間に人混みに紛れて見えなくなってしまった。
まぁ、そんなに距離はないから大丈夫だろう。 ひとまず何か試食してみたいところだと、辺りに満ちる美味い匂いに意識を向けてのんびりと歩き出した。
そう思って屋台を眺め歩いていると、沢山ある貼り紙の中の一枚に目が吸い寄せられた。それをパッと読んだマリアは、空色の目を見開いて駆け寄った。
――トーナメント、条件二人から。武器無しの素手のみ。
――優勝者には、主催者のファンレー店のチキン二十本の贈呈。
――及び、有効期限一ヶ月間の、王都協力店で都度一食分がタダになるサービス券。
じっくりと読み返して、その文言に釘付けになった。
つまり勝てば、今すぐチキン二十本が無料で食べられる。それもかなり嬉しいのだが、マリアとしてはサービス券が欲しかった。ぽんっと頭に浮かんでいたのは、食生活が心配なニールの存在である。
「単身参加じゃ駄目なのか。こうなったらポルペオ辺りに……、いや、ロイドがいるから面倒そうだしな」
誰かいないかと、通りを足早に進みながら考えた。闘剣試合に参加させられているレイモンドの方は、ちょっと空いたりしないだろうか?
それか、そのままトーナメント会場の方へ足を運んでみようか。だいたいあの手のイベントだと、自分も参加しようかなと思うような輩が集まっているのもよくある事だ。その見知らぬ者同士で一旦組むのも、傭兵時代に経験があった。
その時、混雑の中だというのに、ピシリと背を伸ばしてスタスタと歩いている男の後ろ姿に気付いた。長い付き合いで誰であるか察したマリアは、よっしゃと言わんばかりの勢いで走り出した。
「モル――――――――――――ツ!」
そう叫びながら向かったら、相手の男が「はい?」と疑問の声を上げて振り返った。それは冷やかな印象の強い絶世の美貌をした、モルツ・モントレーだ。
「やっぱりお前だったかナイスタイミング!」
その直後、マリアは躊躇なく飛び蹴りを決めていた。
少年のような強気な笑みで、呼び留める相手を両足で打った少女を見て周りが騒然とする。人々が咄嗟に避ける中、少し吹き飛んで背中から倒れ込んだモルツを心配もせず、マリアは跨るようにして彼の胸倉を掴み上げる。
「行くぞ」
そのままニヤリとして声を掛けた。
頑丈な身体をしたモルツが、少年みたいに笑う少女を無表情でじっと見つめ返した。
「昔から思っていましたが、お前、誘い方に容赦がありませんよね」
言いながら、ゆっくりと手を動かして銀縁眼鏡の位置を直す。
「一体どんな用件なのかは知りませんが、人に物を頼む態度としては間違っているかと。それに手伝ったとして、私に利はあるのですか?」
「だから、こうして先に殴った」
マリアは間髪入れず言ってのけた。なんだ、足りなかったのか、と瞳孔開いた目で見下ろし淡々と問う。
当然のようにそう返されたモルツは、胸倉を掴まれたまま「そうですか」と冷静に呟いて、吐息をこぼした。
「ふぅ、本当に容赦のない方だ。――どこまでも付いていきます」
キリリとした様子で立ち上がると、服に付いた汚れを手で払い落しながら、少しなら自由に出来る時間があると口にした。
それを見ていた周りの人達は、ドン引きしていた。