二十六章 遊びたい大人達(2)上
祭りで、各地から人が集まっているせいだろう。周囲一帯が人で賑わっている。
商人の地方訛りの言葉、まとう匂いの違う衣装、沢山の料理や菓子の匂い。参加している旅芸団やサーカスといった複数のグループの大きなテントが、ここからでも少し見る事が出来た。
帽子から金髪の先を覗かせて、彼は美しい金緑の目で向こうの会場入り口を眺めている。
はしゃぐ子供達が、大人達の間を走り抜けていく楽しそうな姿に、ふっと笑みがこぼれた。王宮や町の人々の仕事が始まってから、まだ一時間しか経っていない。そんな中――アヴェインは護衛も付けず、のんびりと石段に座っていた。
いちいち辺りを見回す必要はない。
慣れか、経験か。人を見分けるのは容易い。長年、身体に積み重ねた経験というのはなかなか変わらないものだ。一番分かりやすいのは、隠そうとしない時の歩行音だろうか。
アヴェインは、宰相ベルアーノが見たら卒倒しそうな、楽な座り姿勢で頬杖をついた。参加を知らされている友人達を思い浮かべて、辺りのざわめきからこちらに向かってくる者の音がないかと、ぼんやり集中する。
こんなに混雑しているというのに、人混みの中を慣れたように進む足音が一つあった。一定のリズムを刻む足音、ゆったりと振られる手……。
「!?」
当たり前のように、あの頃と変わらず自分の元に来るオブライトの姿が浮かんだ。アヴェインはハッとして、まさか、とらしくなく動揺して立ち上がる。
そのままガバリと目を向けた。
そこには、見覚えのある幼女的なメイドの少女が一人いた。
私服姿だったが、特徴的なバカデカいリボンと『特徴的なぺったんこな胸』で、アーバンド侯爵家の例の戦闘使用人だと分かった。彼女がびっくりしたように足を止めて、大きな空色の目を見開く。
「え、……え。なんで……?」
初見であれば当然の反応だった。困惑を返されたアヴェインは、錯覚しかけた自分に唖然となって――俺はクソ馬鹿か、と悲しげに口角を引き上げた。
※※※
使用人仲間のガーナットに馬車で送られたのは、つい先程の事だ。
十六年ぶりに歩く王都のこの区は、ほとんど変わりがなかった。久々に顔を覗かせてみたら、荷物預かり所の店も相変わらず健在していて、慣れたように金を払って着替え用にと持って来たメイド服の入った荷物を預けた。
待ち合わせ時刻には少し早いからと、のんびりとした足取りで向かった。待ち合わせ場所になっている祭り会場入り口前の石段で、なんだか懐かしい感じもする小奇麗な庶民衣装に帽子という格好に気付いた途端、突然バッと振り返られて驚いた。
マリアとしては、そこに座っていた『彼』は、しばし思考が止まるほど『想定外な参加者』だった。ジーンの奴、やら、さてはグイード、やらと色々と思うところが脳裏を駆け巡って――。
つか、なんで国王陛下―――――――っ!?
え、これどうしたらいいんだ、とらしくなく動揺した。相手も珍しく硬直している様子を見る限り、なんでメイドがこんなところに、と思われている可能性も浮かぶ。
「ッ、陛下――」
「おいコラ。こんなド真ん中でポロリと口から出すな」
言いかけた途端、ひらりと目の前まできたアヴェインに、顎下からガッチリ閉められて口を押さえられてしまった。
「いいか、バレたら騒ぎになるだろーが。俺の事はココではそう呼ぶなよ?」
そう言いながら、こちらを覗き込んでくる美貌に向かって、マリアはただただ必死に頷き返した。そもそも口を塞がれている状態では、それしか回答方法がない。
というか呆れ過ぎて脳が一周回り、『相変わらずそうやって話していると【陛下】らしくないな……』とも思ってしまっていた。一見した容姿は、四十代後半には全然感じない驚異的な若造りである。
「うむ。よろしい」
そう言って、彼がパッと手を離した。
「そういえば、お前はジーンとも友人だと聞いたな。まさか奴が、自分の子ほどの子供のメイドを、本気で友人認定のうえ誘っているとは思わなかった」
「はぁ。まぁ、このたびはジーンに誘われまして……」
マリアは、出会い頭の驚きで力が抜けてしまっていた。つい、呆けた声でそう答える。
相手は国王陛下なので、本来であれば敬った態度を取らなければならない。とはいえ『陛下』とは言うなというし、この状況で身分がバレないよう接しろと言われても困る。
礼儀作法の挨拶も出来ないとなると、言葉使いだけでどうすればいいのか?
まぁ多分、駄目ならアヴェインが指摘するかなと考えていると、彼が腰に片手をあてた。こちらを見下ろして、指先で数回トントンと叩く。
「で? ジーンは、わざわざアーバンド侯爵に知らせを出したのか?」
「えぇと昨夜、旦那様にお伺いの手紙が届いておりました」
「メイドよ、バレないように俺の事は『アヴェイン』と呼ぶといい」
「それ高確率でもろバレするのでは。それに私の事を『メイド』と呼ぶのもアウトなのではないでしょうか」
マリアは胸の前で小さく手を上げ、嘘だろという表情で間髪入れず口にした。昔もこのやりとりをしただろう進歩ないのかよ、この国でアヴェインって名前お前だけだろと思う。
出来るだけ笑顔で取り繕うつもりだったのに、全くその暇がない。対する彼は、少し首を傾げていて「ほんとに肝の据わったメイドだ」と言ってきた。
「どうやら隠し事がクソ下手みたいでもあるな、失礼なくらい全部顔に出てるぞ。そもそもな? みんな俺の事は『陛下』と呼んでいるんだ。その名がアヴェインだと認識している者は少ない」
いや実際に『ニュアンスがなんだか似ているね~』って声かけられていただろう。よく言われます、とお前が平気で笑って言い返していたのを見て、こっちはレイモンドと揃って胃がギリギリしたんだぞ。
だがそんな事を言い返せるはずもなく、マリアは苦手な中で必死に対応策を考えた。ゴクリと息を呑むと、少女としてはややアウトな深刻そうな表情で小さく頷く。
「…………それなら出来るだけ呼ばない方向で努力したいと思います」
「呼べないのなら、呼ばないという事か。馬鹿正直というかクソ正直というか。それを本人に打ち明けると、プライベートな顔合わせで即絶交を言い渡された感じになるぞ」
「え、あ、そういうつもりではなかったのですが」
「まぁいい。へたに緊張されて恭しくされるよりはマシだ。気に入った。なら俺はココでは『マリア』と呼ぶ事にしよう」
その時、アヴェインがピクリと反応して向こうへ目を向けた。ちょっとお先、と言う聞き慣れた声につられて振り返ったマリアは、人混みの中から『庶民服装』をした友人達の姿がチラホラ覗いているのに気付いた。
先に人混みを抜けたジーンと、パチリと目が合った。目立たない一般の服に身を包んだ彼の目が輝き、右手が大きく振られて口が開くのが見えた。
「おーい! しんゆ――ぐはっ」
マリアは『親友発言』を阻止すべく、急発進すると彼の顎下から膝蹴りを放っていた。即物理的手段で黙らせてから、地面に崩れ落ちたジーンの胸倉を掴んで引き起こす。
「おい、ジーン。このタイミングでポロリと口にすんなよ阿呆」
そうひっそり告げるマリアの真顔には、青筋が立っていた。
「勘づかれたらどうする、相手は『あのアヴェイン』だぞ」
「うん、ごめんね。なんというか、こうやって外で会えるのが新鮮で、うっかり設定を忘れていたっていうか」
だってどこからどう見ても『まんまお前』なんだもんよ、と言って彼がカラカラと笑う。
反省もすぐ忘れたようだった。マリアは、意味が分からんなと少し顔を顰めると、彼の上からどいて手をかして引き上げた。
「んで? 今度は一体何事なんだ。どうせ、ついでに用事の『仕事』でもしようって魂胆なんだろう」
「おっ、よく分かってるな~」
立ち上がったジーンが、服についた汚れを簡単に払いながら答える。その笑顔を見つめ返して、彼女は疑問だと言わんばかりに片眉を上げてこう言った。
「ナメんな、何年お前の相棒をやってると思ってんだ」
「!? めっちゃ感動する……っ」
直後ジーンが、感激した様子で口許を手で押さえた。
言葉が続かないらしい。妙な奴だなと思っていたマリアは、アヴェインが歩み寄ってくるのに気付いて口を閉じた。そのタイミングで「二番乗り!」とニールが飛び出してきて、こちらを見るなりぐるぐる回って観察された。
「へぇ! お嬢ちゃんが仕事着じゃないのも珍しい気がする!」
「…………そりゃ、まぁ目立ちますからね。戻る時にはメイド服に着替えますわ」
どうにかそう返してやったら、「勝手に手を離すんじゃありません」と言って、ヴァンレットを連れてモルツが現われた。
彼は近くで立ち止まると、揃えた指先で眼鏡の横を押し上げて見下ろす。
「そしてお前、空白の間に言葉が見えましたが」
「モルツさん、黙っていてくださいませんかね」
マリアは、薄ら笑いで顔をそっとそらした。けれど、唐突に大きなヴァンレットが頭を下げてきて、顔を覗きこまれてびっくりした。
「マリア、おはよう」
「あ、うん、おはようヴァンレット……すごくにこにこしてるわね」
「夜からずっと楽しみだった。マリアはなんか少し雰囲気が違うけど、腹の調子が――」
マリアは「違うからな」と低い声で言うと、目の前にあった彼の顔にビタンっと手を置いて口を塞いだ。そもそも服の違いを、どうこう感じて言う奴でもなかったと思い出す。
今日の変装もバッチリであると、幼馴染同士でもあるアヴェインとジーンが話し出す。ニールが、モルツを警戒しながら「俺の後輩とお嬢ちゃんに近づくな」しっしっとやる中、同じく薄着の楽な格好をしたグイードが前に立った。
「よっ、マリアちゃん。可愛いスカートだな、よく似合うぜ」
相変わらず女性には優しい男である。まさか、奴にこんな事を言われる日がこようとは……と心境的にはめちゃくちゃ複雑ながら、マリアはそちらへ目を向けた。
「ああ、まぁどうも……」
「膝の裾部分はシンプルなんだなぁ。その刺繍、王都では見た事がない形だ」
「旦那様がデザインされておりますので、オリジナルかと」
その時、「そりゃ珍しい」と聞き慣れた声が割り込んできた。
そう口にしたレイモンドが、グイードとマリアの間にひょっこり顔を覗かせた。控え目に薄地のジャケットを着ており、格好はやや品のある形に仕上がっている。
「随分優しい雇い主なんだな。噂通りの、質素な暮らしを好む侯爵なのか」
見つめてくる彼の優しい鳶色の目は、とても親しげだ。
それにしてもすごい人混みだと続けながら、レイモンドは少し乱れた襟元を整える。けれど、そっちより髪の方がぐしゃっとなっていて、グイードがじっと見ていた。
いや指摘してやれよ。マリアはそう思い、我慢出来ず「あの」と声を掛けた。
「…………すみません。レイモンドさん、その……頭、どうされたんですか?」
「へ? ああ、人混みを抜けようとしたら鳥にとまられて」
「ははは、なるほどな相棒。相変わらず動物からの好かれっぷりが半端ないな~」
「何言ってんだ? ただ偶然とまっただけだろ」
こんな人混みの中で、偶然にもお前の頭目掛けてか。
マリアは、フッと乾いた笑みを浮かべた。自分と正反対で、かなり動物に好かれる男だった事を思い出す。その度合いは、ちょっと同情する時もあったけれど、やっぱり一部羨ましいと思ってもいる。
「マリアから、なんか物凄く何か言いたそうな視線を感じる」
「気のせいですわ、レイモンドさん。ついでに一つ訊いておきたいのですけれど、――バレッド将軍が連れてきたという個性的な立派な馬、調教しません?」
「なんでここでそんな頼み事を出すんだ!?」
普段ならあたり触らずかわす騎馬総帥レイモンドが、付き合いの長い友人と同じくマリアに言い返す。全力で嫌がる表情と態度で、「無理っ」と顔の前で手まで振っていた。
「俺は忙しいんだから、嫌に決まってるだろッ」
「そういや、バレッド将軍からも『風邪が治ったから~』って何度か頼まれてたよな」
グイードが、思い出したように宙を見やった。
そこでジーンとアヴェインに呼ばれて、話し合うようにそちへと一旦集まった。
そのタイミングで、残り二名の参加者が人混みから向かってくるのが見えて、マリアの集中力は一気に欠けた。