二十五章 メイドの後日、ヅラの災難(4)
マリア達が別れて少し経った頃。
先日まで『亡霊騒動』が起こっていたとも知らない若い軍人たちの間で、ひっそりと、とある噂話が持ちきりになっていた。
それは、あの美貌のド変態の総隊長補佐が、自分が使うために『女性カツラを購入した』というものである。
当初、あまりにも驚いた店の若い店員が、思わずそれを友人に話した。すると、その会話を見回り中だった軍人が偶然にも拾ってしまい、騒然となって瞬く間に広がったのだ。
つまりマリア達の知らぬところで、モルツの変態度が勝手に上がっていた。
マリアやジーン以外、その黒いヅラによって何が起こったのか知らなかったせいでもある。若い軍人たちは、カツラが購入されたという事実を恐怖で語る。
「あの変態の総隊長補佐が、刺激を新規開拓しようとヅラまで加えたって本当か……?」
「一体なんのために女性用のヅラなんだ……はッ、まさかそういうプレイ!?」
軍区のサロンで、初めて『その話』を聞いた男たちが、嘘だろ信じられん、という表情で廊下を歩き出す。そのうちの一人がその口にした憶測を聞いて、全員が震え上がった。
「あの人、そこまでしてSな感じを向けられたい境地なのか!?」
「そりゃあぶねぇな。なんだ、その手の店にでも突撃した、とか……?」
「いやいやいや、さすがに自分の欲望のために女装までして、店でサービス受けるような人じゃない、と思う、いや思いたいんだが……」
彼らは、揃って深刻そうに黙り込んだ。この前『拳で殴ってください』と要求して、幼いメイドを追い駆け回していたという噂を思い出していた。
総隊長補佐、モルツ・モントレーは確かに美しい。しかし、想像してみるものの女装なんて絶対に無理があった。カツラをかぶったとしても、完全に男である。
でも、あのド変態なら真顔でやってしまいそうなところもあった。いつだって己の欲望には忠実で、『堂々としているから』である。
「…………やっぱりヅラプレイか。とうとう、そこまで……」
のろのろと歩く若い男たちの中で、一人がガタガタ震えながら言った。
「そこに一体どれほど変態的な世界が広がっているのか、全く想像出来ねぇ」
「そもそもなんだよヅラプレイって。ただでさえ理解不能な変態の領域に達している人なのに、これ以上変態度が進化するのかよ」
「ヅラプレイ……。つまりは魔の境地か」
彼らは、今にも死にそうな顔で、未知のキーワードを口にする。
「――おい。その『ヅラプレイ』という言い方はやめろ」
その時、近くを通り過ぎようとしていたポルペオ・ポルーが、思わず無視出来ずにそう声を掛けていた。昔から、もっとも嫌としている『ヅラ』という言葉を、ここ数日やけに耳にしている気がして足を止める。
すると若い彼らが、ハッとこちらを振り返って頭を凝視してきた。
そういえばこの人もヅラだった。まるで、そう言わんばかりの目である。それを察したポルペオは、ますます凛々しい眉を顰めた。
「なんだ貴様ら。一体何を見ている?」
その時、廊下がざわついた。
廊下にいた全ての軍人たちが目を向け、気付いたポルペオもそちらを見やった。歩いてくるモルツが、ふっと目を上げて美麗な顔を向けてくる。
パチリと目が合った途端、どうしてか周りのざわめきが一層強くなった。
それを感じ取った直後、ポルペオはズカズカと歩み寄ると、前置きもせずにモルツの胸倉を掴み上げていた。怒気一色の黄金色の目を、太い眼鏡越しに向ける。
「誤解です、ポルペオ師団長」
モルツが真面目な表情で、両手を小さく上げて正当性を口にした。少しずれた細い銀縁眼鏡から、鮮やかな碧眼で見つめ返して淡々と説明する。
「私はあなたのいきつけのカツラ店を突き止めただけで、それ以上の事は何もしていません」
「おい待て、何故それを調べた? つまり原因は貴様ではないか!」
ありえん、と今度は意外過ぎて、ポルペオはモルツを凝視する。
いつもは、あの『黒騎士』関係で迷惑を被らせるくらいだった。それだというのに、この後輩が独断で自分に迷惑を掛けるような何かを起こしたというのも想像が付かない。
「私は、この前からずっと妙な視線を向けられているんだぞ。今度は一体何をやらかしたんだッ」
説教すべく問いただした途端、モルツが一際凛々しい表情をしたかと思ったら、素早く手を振りほどいて逃走に出ていた。
「あっ、コラ待たんか!」
そう呼び止めるものの、驚異的な速さでぐんぐんこちらから離れていく。
そもそも説教を素直に聞くような後輩でもなかった。そう思い出して、ポルペオは舌打ちした。思い返せば、アレは王宮に来た時から主人と崇めているロイドか、あのオブライトの前くらいでしかじっとしていなくて――。
その時、彼は走り出そうとした姿勢で「む?」と動きを止めた。強い視線を感じて目を向けてみると、そこには純白のカーテンを被ったニールの姿があった。
「……あの、俺、お嬢ちゃんをびっくりさせて、元気付けてやろうと思って」
そう怖々と口にした彼は、家では平気そうなのに城だと元気がなくなるみたいなんだ、とよく分からない事を言ってきた。それを偶然『ポルペオの執務室』前で思い出し、元気付ける方法を思い立って即、カーテンを『借りてきてしまった』のだという。
ポルペオは、しばし言葉を失っていた。業者に依頼して先日にも直させたばかりなのだがな、と思いながら華奢なニールを見下ろす。
「…………お前、また性懲りもなく私の執務室の鍵を開けたのか」
「だって、ちょちょいってやったら開くんだもん」
「普通は開かんわ。軍区の鍵をなんだと思っとるんだ? そもそもな、貴様らはなんでそう暴走と破壊に繋げるんだ。その才能をもっと別方向に活かせんのか?」
そう説教をぺらぺらと続けたところで、ふと口を閉じた。
思案げな表情を浮かべたポルペオは、ニールが「もう説教終わり? マジで? 帰っていい?」という声を聞きながら考える。
「そういえばお前らは、よく『隊長関係』で私を巻き込んでくれていたな。あのモルツもそうだった」
ポルペオは、そう口にしたところで言葉を切った。ざわつく廊下を、平気な顔で歩いてくるジーンの姿が視界に入って、昔も今もニールの上司である彼に声を投げ掛ける。
「お前、そんなところを歩くスケジュールではなかったのでないか? 何をしていたんだ」
「あーっと、まぁ、ちょっとした気晴らしで?」
遊ぶネタを考えてグイード達と話してました、とも答えられず、ジーンが話を変えるように「ポルペオこそ、何してんだ?」と問い返す。
「こんなところで足を止めてるのも珍しいよな?」
「ふんっ、部下の教育と管理くらいしておけ」
ポルペオはそう答えながら、理由はコレだと言わんばかりにニールを指した。
「あれ? ニール、なんでまたカーテンなんだ? 今日は雨も降ってないだろ」
「私のカーテンを、毎度雨具がわりに使われたらたまらないんだが?」
叱る気もないらしい呑気な声を聞いて、ポルペオは切れそうになった。
ジーンは、それを聞き流してニールを見下ろしていた。そう言った直後、ふと察した様子で「ああ、なんだそうか」と言いながら無精鬚を撫でた。
「ニール。マリアは確かに最近手伝いに加えられたばっかだけど、『王宮の環境に疲れた訳ではない』から心配するな。もう元気がなくなる事はねぇよ」
「あ、そうなんスか? 俺、てっきり新しい職場に慣れた頃の疲れかな、と思ったんすけど」
なぁんだと口にしたニールが、ごそごそとカーテンを脱いで、手で雑にぐるぐると巻いて小さくしていく。その様子を、通り過ぎる人々が気になるように目を向けていた。
「だってさ、お嬢ちゃんってここの勤め人じゃないんでしょ? 元気がなくなるからって、優しい旦那様に引き留められてこっちに来なくなっちゃったら、ヤだなと思って――……俺、お嬢ちゃんの顔が見られなくなるのは、嫌だなぁ」
思った事をそのまま口にする彼が、どこかぼんやりとした様子でそう言いながら、小さくしたカーテンをぎゅっぎゅっと押し固める。
それは私のカーテンなんだがな、と思いながらも、ポルペオはもっとも素直な後輩軍人の様子を見つめていた。いつまで経っても子供みたいで少し心配なんだ、と十六年前に困ったように笑って口にしていた『黒騎士』を思い出して――。
「お前が、そうやって誰かに気を配るのも珍しいな」
感じたまま、ぽつりと口にした。
すると、ニールが「何がっすか?」と言って振り返る。毛先が全て外側にはねるという個性的なルビー色の髪が、ひょこんっと揺れていた。
ポルペオは顰め面で「なんでもない」と答えて、ニールの手にある『小さくされたカーテン』を取り上げた。それから、自分よりも少し年上のジーンを叱るように睨み付ける。
「こんな調子で大丈夫なのか? また臨時任務で動くのだろう、もう少し気を引き締めた方がいい」
「へぇ。『向こう』から、もう返事が来たんだ?」
んで、状況はどんな感じ、とジーンが愛想良く首を傾げつつ問う。
「少々厄介な事になっているらしいぞ。大聖堂の一つだ、一筋縄ではいかん」
そう答えて、ポルペオは脇にカーテンを抱えたまま踵を返した。




