二十五章 メイドの後日、ヅラの災難(3)
マリアは、ルクシアが続き部屋に行くのを見届けた後、一旦図書資料館に向かうべく研究私室を出た。
「うーん、かなり戸惑っている感じでもあったなぁ」
王宮の建物の廊下を歩きながら、彼が珍しく思考停止していた様子を思い返して「大丈夫かなぁ」と少し心配になる。
騎馬隊将軍のバレッド・グーバーは、彼にとって馴染みのない『軍人』である。そのうえ、華奢なルクシアにとって見上げると首が痛くなるほどの大男でもあるし、その怖さもあるのかもしれない。
そういえば、泣き虫の第二王子も『大きすぎるムキムキな軍人』が苦手だった。
ふと、そんな事を思い出した。昔、どこかバレッド将軍に似た感じの筋肉バカがいたのだ。そして、ヴァンレットを初めて連れて行った時も大泣きされた。
その彼が、今や第二師団を率いる軍人王子だ。
そう思い返していたマリアは、風が外側から流れ込んできて、ダークブラウンの髪を押さえながら目を向けた。頭で大きなリボンが揺れ、膝が隠れる程度のスカートがパタパタと揺れる。
「…………十六年、かぁ……。泣き虫もすっかりなくなったんだな」
また、そんな感慨深さを思ってしまった。以前、アーシュが『ジークは厳しいし、ルクシア様の方が断然優しいよ』と笑って言っていた事も思い出された。
けれど、やっぱりまだ想像もつかないでいる。
大丈夫ですよと微笑んで手を差し伸べ、信頼を預けてくれるあの小さな手を取って、よく抱き上げていた記憶が印象的に残っているせいだろうか。
剣は怖いけど、自分が持っているのなら怖くないのだと、涙が残る目で女の子みたいに笑っていた幼い王子だった――。
見守っていきたいと思っていた。けれど、それは叶わなかった。だからヴァンレットがココにいると知った時は、安心した自分もいたのだ。
そのまま外沿いの廊下を進んだ。ふと、進行方向の小さなざわめきに気付いた。どうした事か、通り過ぎていく軍人や貴族の男たちが、外にチラチラと目を向けている。
その表情は、気のせいか先程のルクシアを彷彿とさせた。一体何があるんだろうかと思って足を進めてみると、どこからか聞き覚えのある声がした。
「はっ、もしやそこにいるのか親友よ!?」
「…………」
まさか、また例の感知だとか言うんじゃないだろうな……?
姿は見えないものの、明らかにジーンの声だと分かって足が止まった。そのまま通り過ぎてしまおうかと本気で考えていると、早速「降りてこいよ」と促されてしまった。
そのそのジーンの奴は、こちらの姿も見えていないようなのに、どうしてそう確信を持って話しかけてこられるのだろうか?
マリアは、不思議に思いながら廊下を降りた。茂っている草を越えてみると、木々が通路を作っているその脇にジーンとグイードの姿があった。
彼らは品もなく地べたにしゃがみ込み、いかにも喋っていたというような雰囲気でこちらを見た。パチリと目があった瞬間、ジーンが瞳を輝かせて「はははは」と誇らしげに笑った。
「親友よ、この前ぶりだな! 元気にしてた?」
「お~、本当にマリアちゃんだ。おはよう」
続いてグイードが、軽く片手を上げて挨拶する。
しばしマリアは、町のチンピラのごとくしゃがんでいる二人を見つめた。師団長のマントまで着込んだ軍人の正装姿、そして煌びやかな大臣衣装の自分の元副隊長。
おかしい。既に十何年も経験を積んでいるはずなのに、ジーンが全く大臣に見えん。
「親友よ、口から全部出てるぞ?」
「驚愕の表情が、女の子としてはちょっとアウトな感じになってるな」
そんな不思議そうなグイードの声が聞こえて、マリアはハッと我に返った。
「あの、こんなところで一体何をしているんですか……?」
「ん? 何って、お喋りだよ?」
気を取り直して問い掛けてみたら、グイードが女性に向ける愛想のいい笑顔でそう言ってきた。
いやそうじゃなくて、と思って目を向ける。すると、ジーンが膝の上に楽に腕を伸ばし置いたまま「実はさ」と言って、首を傾げつつ続けた。
「ハーパーの件ようやく終わったし、なんかパーッと気晴らししたいなぁって」
「お前ら仕事しろよ………」
十六年前とちっとも変わってなくて、心配になるぞ。
マリアは、覚えのある光景と当時と似た回答を得て、思わず素の口調で呟いてしまった。
ハーパーの後処理が完全に手を離れたという事は、そろそろ次が動き出すのだろう。それまでの短い空き予定に、ちゃっかりプライベートな遊びを放り込もうとしている『相変わらずな二人』には呆れた。面白い事が好きな彼らは、タッグを組むとロクな事をしない。
「まぁ座れよ親友」
「いやなんでだよ、悪巧みには加わらないぞ――おっほん。私は案を出しませんからね?」
そう言いながら、馴染んだ空気を前に、マリアはスカートを押さえ同じようにしてしゃがんだ。気付いたグイードが、「あのさマリアちゃん」と指を向ける。
「スカートで隠れてるけど、結構がさつな感じになってるぞ?」
「構わないでくださいませ、グイードさん」
「はははは、グイード気にすんな」
向かい合った三人が、それぞれの表情で顔を近づけて話した時、こちらに近づいてくる足音が聞えてきた。
「そこに誰かいるのか……?」
そう尋ねてくる声は、よく知っている男のものだった。気付いたマリアは、ジーン達と揃って目を向けた。
すると、騎馬総帥の軍人衣装の裾を草に引っ掛けつつ、レイモンドが顔を覗かせた。こちらを見るなり、優しげな鳶色の目を見開き、途端にげんなりとした表情を浮かべて溜息を吐いた。
「なんだ、お前らかよ…………」
「冷たい反応だなぁ。相棒だろ」
正面から見つめられて溜息を吐かれたグイードが、気にしていない様子で言う。ジーンが「お疲れだなぁ」とカラカラ笑うそばで、マリアは『信じられないんだが』という表情を浮かべていた。
おいレイモンド、『お前ら』ってなんだ。なんでこの二人と私を同枠に収めた?
違和感のある組み合わせだろう阿呆じゃないのか、そう思ってしまう。
こちら視線にも気付かないまま、レイモンドが言いたい事が山ほどありそうな様子で前髪をくしゃりと後ろへかき上げた。息を吐きながら、尋ねるのも面倒そうに「で?」と訊く。
「こんなところで何をしているんだ?」
「ハーパーの件が落ち着いたし、なんかしようかってジーンと話してた」
「またいつもの悪巧みかよ……。お前さ、もういい歳した大人なんだから、傍迷惑な騒動を起こすのだけはやめろよな」
そう言いながら、レイモンドも慣れた雰囲気につられてしゃがみ込む。
「んで、今度は何をするつもりなんだよ? 最近はそういうのはしてなかった気がするけど」
「ん? そうだっけ?」
グイードがそう言って、ジーンと顔を見合わせて首を捻る。今も変わらないようが気がして、マリアは突っ込む気にもなれないでいた。
レイモンドが、またしても「はぁ」と深すぎる溜息をこぼした。がっくりと項垂れて、ぼそりと言葉をこぼす。
「お前らはどうか知らんが、俺はめちゃくちゃ忙しいんだよ……」
「ははは、肩の力を抜いて行こうぜ相棒。そう詰め過ぎると、かえって仕事の効率も落ちるってもんだ」
「お前がッ、いつも肩の力を抜き過ぎなんだよ!」
ブチリと切れたレイモンドが、堪え性もなくグイードを締め上げた。彼らが地べたに尻もちをつく様子を、マリアは呆れたように眺めやった。
「レイモンドさんもグイードさんも、何をやっているんですか……」
どちらも、あの頃と違って軍服もすっかり上等になっているというのに、絞め技をかけ・かけられている姿は何も変わっていない。レイモンド並みではないにしろ、頑丈な身体をしているグイードは「ははは」と笑って茶化し続けている。
「まっ、すぐに決まりそうにないし、何をするか考えとくか」
ジーンがそう切り出して、膝を叩いて立ち上がった。マリア達は話し合いの終了を察し、同じように立ち上がった。
王宮の建物の廊下に上がっても、レイモンドはぶつぶつと愚痴っていた。ハーパーの件だけでなく、元々『例の毒』で何かしら忙しそうにもしているので、恐らくは疲労がたたっているのだろう。
「んでレイモンド、なんか案はねぇか?」
三人で足並みを揃えているグイードが、先頭を進む彼の後ろ姿に声を掛けた。
空気を読んでいない発言である。マリアが「あ」と目を向けて、ジーンも見やる中、レイモンドが同じく肩越しに見つめ返して「そもそもなッ」とグイードを叱り付けた。
「いっつも騒ぎを起こすのはお前らの方で、俺は違うからな!」
そう全力否定したかと思うと、付き合ってらんねぇと言わんばかりに走り出す。マリア達は、その向かう先に柱を見て揃って叫んだ。
「レイモンド前……!」
しかし、その直後、派手な音を立ててぶつかってしまっていた。近くを歩いていた若い軍人が、ビクリとして立ち止まり「あの……、大丈夫ですか騎馬総帥?」と声を掛ける。
思わず足を止めたグイードが、「おぉ……」とぼやいてゴクリと息を呑んだ。
「…………レイモンドって、昔からどっか抜けてるところがあるよなぁ」
その隣で同じ表情を浮かべていたマリアは、同感だと思った。
「レイモンドさん、めちゃくちゃいい音でぶつかってましたね……」
「あのデカい柱が見えないとか、ある意味すげぇよな」
少し遅れて相棒を助けに向かったグイードを見送りつつ、ジーンが無精鬚を撫でながら相槌を打った。それから、随分低い位置にあるマリアのリボン頭へ目を向ける。
「それしても、ちょっとお疲れっぽいな、親友よ?」
そう指摘されて、マリアはふぅっと肩から力を抜いた。相棒には隠せないかと察して、素の表情をレイモンド達の方に向けたまま首の後ろを撫でる。
「休みの日に、モルツ達が来た」
「マジかよ。俺抜きであいつらだけで行ったのか?」
くそぉ、アトライダー侯爵家として訪問したらまずそうだし、多分アーバンド侯爵に殺されそうな気がする。うーん、一体どうしたもんか……とジーンは悔しそうに呟いたのだった。
 




