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三章 お嬢さまのお見合い(5)

 第四王子クリストファーが訪れた当日中に、リリーナの婚約が決定された。


 幼い二人に屋敷の敷地内を散策させた後、予定にはなかった事だが、アーバンド侯爵と宰相は、本人達に婚約の件について直接尋ねたらしい。十歳の二人は、お互いを見て恥ずかしそうに頬を染めながらも、しっかり肯いたという。


 アーバンド侯爵は、宰相のベルアーノと交友を深めたようで、その決定を告げた時、珍しく満足そうな顔で「面白い人がいてね」と話しを交えた。マリアはそれよりも、幼い二人の主役に妄想が飛んでいた。


 その光景、是非見たかった。何故呼んでくれなかったんだ。


 アーバンド侯爵が語る内容だと、後日登城し両家の正式な婚約宣誓をもって、幼い二人は次のステップへ進むための教育が始まる。特にリリーナに関しては、第四王子の婚約者として相応しくも厳しい教育が待っているのだ。


「私、頑張るわ。だって、クリスも努力しているんですもの」


 一日目にして既に愛称呼びだった。


 目出度いこともあるもんだと、この日も早く帰宅出来たアルバートを含めた家族全員が揃った夕食の席で、屋敷の全使用人が集められた中リリーナはそう宣言し、またしてもマリアを身悶えさせた。


 恋をすると、美少女は更に可愛くなるものらしい。頬を薔薇色に染め、潤んだ瞳で回想するリリーナは最高だった。冷静を装うマーガレットとカレンの手元も震えていた。


 アルバートが「もっと殿下との事を聞かせて?」と、リリーナを上手く私室に誘い出している間に、マリア達使用人は一つの部屋に集められ、フォレスから今後についての話を聞かされた。


 正式に婚約がされたら、二人の都合と意見によって互いの家を訪問して、好きに会う事が出来るようになる。


護衛の意味も兼ねるが、婚約者だろうと密室に二人きりにはさせない、王宮では必ず毒味を行う。片時も離れないサリーについては、第四王子の関係者を把握しパイプも作る事……


 フォレスは、細かく指示と注意を説明した。侯爵邸への不法訪問者も増えるだろうが、とりあえず指示がない間は引き続き皆殺しで結構です、とも告げた。


 第四王子との顔合わせを行い、疲れていたリリーナが早々に寝入った後、マリアも本日最後となる自分の仕事を行った。


明日はアーバンド侯爵がリリーナを連れて登城し、国王陛下と婚姻の儀を結ぶ事を考え、これが終わったら明日に備えてすぐに眠ろうとも考えていた。


 そう、確かに考えていたのだが、すぐには眠れそうにもなくなった。


              ◆


 屋敷が静まり返った時間、仕事を終えたマリアは、何故か『遊戯室』で片手に酒の入ったグラスを持ち、身体のサイズに合わない幅の広い椅子の一つに腰かけていた。


そこは書斎室から続く隠し部屋にある防音完備の部屋で、アーバンド侯爵家の当主が【国王陛下の剣】として仕事をする部屋でもある。



 そこは、リリーナには見せられないような、酒と煙草が解禁される部屋だった。



 アーバンド侯爵が親しい仕事仲間を連れての交渉にもよく使用されているらしいが、マリアはその人間達を見た事がない。


 アーバンド侯爵は豪華な椅子に腰かけウイスキーを飲み、向かいの椅子に腰かけたフォレスと談笑していた。煙草を吹かせたアルバートとガスパーが、自分達の酒のグラスを脇に置いて、マシューをからかいながらビリヤードに興じている。


 昔から、ほとんどこのメンバーで集まって談笑する事が多かった。しかし、マリアはいつも疑問を拭えないでいる。



 なぜ、女性厳禁らしい遊戯室に、自分が招待されているのか。



 そもそも、参加は煙草がやれる十八歳からとされているはずなのに、マリアは、十歳を超えた辺りでは既に常連メンバーの一人になっていた。参加初日に、規則に厳しいはずのフォレスから「どうぞ」と笑顔で酒を手渡された時は、言葉も出なかった。


 年齢を無視した大人の楽しみを平気な顔で勧めてくるのは、どうかと思う。


 自分から参加を示して足を運んだ事は無い。毎回、既に酒を飲んでテンションが高くなったアルバートやガスパー、マーク、アーバンド侯爵やフォレスに、奇襲のように突撃されて荷物のように抱えられ、運びこまれるのがいつもの流れだった。


 彼らはいつも、マリアが仕事を終わったタイミングを見計らって、嵐のように攫って行くのだ。


 オブライト時代に楽しんでいた酒を、うっとりと求めるような目を見せた事はなかったはずだが、と不思議でならない。



「なんで私、ここにいるんでしょうね」

「甘いのはやっぱ駄目だったか? じゃあ次はこっちだな」



 ビリヤードで自分の番を終えたガスパーが、ガラス棚から新しいグラスを取り出して、酒を注いだ。


 そういう意味じゃないんだが、……まぁ、美味いからいいか。


 とろりとした透明の酒は、マリアの舌に合っていた。気に入った銘柄などは特にないので、基本的に甘く味付けがされていなければなんだって大歓迎だ。


 ここにいる全員がザルであるので、僅かに頬を赤く染めて上機嫌な他に目立った症状はない。


 外の『害虫』を片付けてきたマークが、遊戯室に戻ってきた。アーバンド侯爵が「お疲れ様」と微笑むと、彼は「どうも」と頬を緩ませて瓶のまま酒を煽った。


「いやぁ、やっぱタダ酒は最高だなぁ」


 マークはそう言い、壁際に置かれた椅子を一脚とって、マリアの近くに置いて腰を降ろした。ガスパーが、煙草を吹かしつつ彼を振り返った。


「お前もやるか、ビリヤード」

「遠慮しますよ、料理長。アルバート坊ちゃまの圧勝じゃないっすか」


 遊びに精通しているのは、アルバートを含むガスパーなどの年長組だけである。ギースなんて、ポーカーもダーツも、全て負かされるぐらいに弱い。


 玉を狙ったアルバートが、酒で色づいた唇を舐めた。


「ふふ、侯爵家の人間たるもの、賭けごとも遊びも強くなければつとまらないよ」


 良いコースで大きな得点を稼いだアルバートが身を起こすと、フォレスが席を立って、彼の口に煙草をくわえさせて丁寧に火をつけた。


 アルバートが煙草をくわえたまま、二口ほど心地よさそうに紫煙を吐き出して流し目を向けた。


「僕の可愛いリリーナのお相手が、第四王子で良かったと思うよ。彼は『裏』には関わらない人種だ。王族にしては珍しいぐらいに、ね」

「育つ過程で歪む可能性はないんすか?」


 マークが胡乱げに唇を尖らせると、マシューが「その可能性はゼロに等しいですね」と思案顔で言った。


「既に第四王子の人格は、ほぼ形成されていると言っていいと思います。実際、陛下は彼を陰謀から遠ざける事を決定し、それを徹底している。隣にお嬢さまという存在がありながら、殿下がみすみす人格を歪ませる事もないでしょうし。……まぁ、そんな事があったら、あなた達が真っ先に暴走しそうで怖いのですが」


 マシューに真っ先に目を向けられたガスパーが、肩をすくめて見せた。


「どうだろうなぁ。俺は料理長として、侯爵夫人様からも直々に頼まれてて、お嬢様の事は、そりゃもう愛してるんだぜ。あの子が泣くような事はしねぇよ?」

「僕らは【国王陛下の剣】だ、王族に危害を加える事はない。それに、歪ませるような気配が微塵でもあったのなら、僕も父上も、みすみす可愛いリリーナを預けないよ」


 心地良い声で、アルバートがうたうように言った。ビリヤード台に腰を預けて微笑んでいるが、一同を見つめる深い藍色の瞳は笑っていない。


 不思議と恐怖を覚えないのは、マリアが彼らに慣れているのか、オブライトの感覚がそう思わせるのか分からなかった。


「第四王子は、僕とはまるで違う人間だから、リリーナを安心して預けられるんだよ。僕らは、これから第四王子も第一の庇護下に置くから、今後は少し動きも変わってくると思うけど、よろしくね?」


 その時、マリアは、アーバンド侯爵の視線を感じて顔を上げた。真っ直ぐ向けられた微笑みに、彼が何かしら質問を待っているのだと気付いて、手の中のグラスを両手で抱えたまま少し考える。


 一同が「次はマリアの番」と言わんばかりに静まり返り、視線を向けていた。


 リリーナもそろそろ十歳だ。この辺が節目だろうと以前から感じていた疑問があった事を思い出し、マリアは、彼の視線を真っ直ぐ見つめ返した。


「リリーナ様には、『こちらの事』は教えないまま、という事でいいんでしょうか?」

「よくやく訊いてくれたね、マリア。そうだよ、あの子は闇の中では生きられない人間だ。だから侯爵家の業は背負わせない」


 なんとなく察していたから訊かなかっただけなのだが、素のアーバンド侯爵は話し好きなので仕方ないかと納得する。


 アルバートが楽しげに肩をすくめ、「イザベラ伯母様とは大違いだからね」と口を挟んだ。

 

 隣国の悪魔大公に嫁いだ戦姫だと聞いているが、名前が出るたびガスパーがげんなりとした顔をするので、人柄については気になる。しかし、マリアは詳細を教えてもらった事はない。


「そういえば、本日も、あの妙な騎士が来ていましたね。嫁にもらいたい宣言をしていた方ですが、覚えていらっしゃいますか?」


 フォレスがアーバンド侯爵のグラスに酒を注ぎながら、それとなく話しをそらした。


 途端に、ガスパーが思い出したように酒を噴き出し、腹を抱えて笑い始めた。


「聞いたぜ、言われた本人たちからな。エレナ嬢ちゃんに苦い顔をさせるとか、最高すぎるだろッ」

「汚ッ、つか笑いすぎっすよ、料理長。そいつが連れてた奴の方も随分個性的でしたけど、王宮の騎士があれとか、大丈夫なんすかね」


 言いながら、マークがチラリとアルバートを盗み見た。


「……何かな、マーク?」

「いえ、別になんでも? どうお考えなのかなぁとか、思ったり思わなかったり?」

「僕はダメだと思った人間は徹底して排除しているし、勿論今回の件だって手を回して厳選した。それは君も分かっているだろう?」


 アルバートは、ニッコリと微笑んだ。マークも、へりくだったような笑みを浮かべて「うちは皆過保護っすもんね」と表情を緩めた。


 ビリヤード台と若主人の間に佇んでいたマシューが、浅い溜息をこぼした。「それで、どうなんです?」と好奇心を浮かべてマリアに振った。


 どうと言われても、オブライト時代の知識を混ぜる訳にはいかないので、客観的に問われると難しいものがある。


「王宮の騎士は、癖はあるけど仕事はちゃんと出来る、とは感じたわ」

「確かに『出来る』騎士のようですね。眼鏡の騎士は、こちらよりも速く動ける人みたいだったので焦りましたよ。マリアが素手でいなしていた時は、さすがだと感心しました」

「焦らせたのは悪かったけどさ、危なかったら、さすがに俺が本気で止めてたからな? 別に俺の技量が及ばなかった訳じゃねぇから」

「そんな事は知ってますし、当然でしょう」


 冷やかに見つめ返したマシューに、マークが「俺の方が先輩なのになぁ」と納得いかないようにぼやいた。


「今時の騎士ってのは、面白い奴がいるもんなんだな。ドSの面してドMとか、間近で見てみたかったぜ」

「ガスパーさん、会った瞬間に拳か蹴りを求められると思うけど、それでもいいの?」

「は? 見境なしってタイプなのか? 女だけアレなんじゃねぇの?」

「――……えぇと、その、多分、どっちでもって感じかなとは、思ったというか……うん、あれだ、純粋に武人馬鹿? みたいな」


 マリアは言葉を濁して、酒で喉を潤した。アーバンド侯爵が飲んでいるウイスキーが欲しくなり、フォレスにもらってもいいか尋ねると「どうぞ」と空になったグラスに注ぎ足してもらえた。


 フォレスを除く男性一同が、それぞれ「武人馬鹿ねぇ」と思案するようにぼやいた。彼らは、脳裏に過ぎった侯爵邸一の胃袋を持つ武人馬鹿へ、チラリと視線を戻した。真っ先にアーバンド侯爵の肩が揺れはじめ、とうとう堪え切れないといった様子で顔をそむけて、彼が小さく笑い出した。


「マリアも、どちらかと言えばそうだね。暗躍するよりも、先陣を切って暴れているイメージがある」

「旦那様、先陣を切って暴れるとか、私のイメージがうら若き少女を逸脱しているような気がします。こう見えて仕事はスマートにこなしていますし、少しは有能だと自負しているんですが」

「ふふふ、自分でそれを言うところが面白いな。確かに、マリアは有能で優秀だよ。勿体ないぐらいに勇敢で、真っ直ぐだ」


 褒められているのに、同時にそれを面白がられていると感じるのは気のせいだろうか。


 アーバンド侯爵は何がツボにはまったのか、顔を伏せて肩を震わせながら、引き続き笑いを噛み殺していた。フォレスが彼の手からグラスを取り、気付けの煙草を用意し始めた。


 一体、何がそんなに可笑しいのか分からない


 マリアは、納得できないと口をへの字に結んだ。アルバートが「父上、楽しそうですね」と愉快そうにグラスを呷り、ガスパーとマークも薄らと笑って酒に口を付けた。マシューも苦笑するだけで何も言わず、水で割った酒をチビリと舐める。


 なんだか釈然としないが、楽しそうなので放っておく事に決め、マリアも酒を飲んだ。彼らが意味も分からず楽しそうなのは、きっと酒のせいだろう。多分、今は何でも愉快でたまらないに違いない。


 酒瓶の中を空にしたマークが、「それにしてもさ」と言いながら、不貞腐れるマリアを覗き込むように肘掛けに頬杖をついた。


「マリアの前だと、旦那様もただの酒飲み友達みたいになるんだから、すげぇよな、お前」

「何が?」

「怖い物知らずというか何というか。お前にとっては、元暗殺者だろうが軍人だろうが、処刑執行人も殺人狂も名前でしかない、みたいな?」


 仲間たちが元所属していたカテゴリーを上げたマークが、「偉大だよな、俺には真似出来ねぇぜ」としみじみといった様子で呟いた。 


 意味が分からん。それ、何か関係があるのか?


 マリアが訝しげに首を傾げると、アルバートが「ふふっ」と笑うような吐息をもらした。


「マリア、『意味が分からん』って顔に出てるよ」

「え、全部出てるんですか、アルバート様」


 嘘だろ、マジか。いや、彼らは酔っているのだから、きっと冗談のはずで……?


 マリアは数秒ほど真剣に考え、それから、自分を見つめる男達を順に見た。彼らの表情は、微塵の疑いもないほどの清々しさで、アルバートの意見を肯定していた。アーバンド侯爵も笑いを止めて、「そうだよ?」と目で語っている。


 マリアは思わず、マークへ顔を向けた。


「……待って。そんなに顔に出てんの? マジで?」

「おいコラ、女の子が『マジ』なんて使うなよ」


 マークがニヤリとして、澄ました顔でわざとらしく注意した。


 アーバンド侯爵が膝の上を叩き、一同の注意をひきつけたところで「小さな友人に乾杯ッ」と上機嫌に告げた。

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