十七章 任務前日~参謀の大臣&戦闘使用人~動(4)
主人たちの朝食後の、家族揃っての紅茶休憩が始まってすぐ、マリアは午前中の買い出し作業を行うため、手の空いていたマークとマシューと共に屋敷を出た。
朝が訪れてしばらくが経った町は、朝の支度も済んだ後の長閑な空気で満ちていた。出歩く通行人たちが、侯爵邸の使用人であるマリア達に気付いて、親しげに「おはよう」と声を掛けて挨拶してくるのも、いつもの光景だ。
屋敷のある領地の町の治安についても確認するのが、マリア達の『買い出し』の目的の一つでもあった。問題があれば対応し、必要になればアーバンド侯爵に報告して指示を仰ぎ、そうやってこの土地を守るのも仕事の一つである。
のんびりと足を進めていたマシューが、自身とマークの間を歩くマリアを見下ろして「それにしても」と声を掛けた。
「マリアとこうして歩くのは、久しぶりですね」
「昨日忙しかったみたいだから、休ませてあげたかったんだけど……なんか、ゴメンね?」
マリアは、アルバートと同じくらいに、すらりとした身長を持ったマシューにそう詫びた。
それを隣で聞いたマークが、すかさず「おい、ちょっと待て」と突っ込んだ。
「お前、俺の時と態度違いすぎるんじゃね? 『あんた暇なんでしょ付き合え』って、返答も聞かず馬鹿力で引っ張り出していただろ」
「ガスパーさんが、『よし行け』って言っていたもの。許可はもらったわよ?」
「あの人は、俺の最近の仕事事情を分かってねぇんだよ……」
昨日も仕込み作業めっちゃ手伝わされたんだぜ、とマークが小さく震えながら呟いた。包丁を持つのはとても苦手なのに、カットまで頼まれて泣きたくなった、と続けて片手で顔を押さえて天を仰ぐ。
そんなマークに同情の眼差しを向けつつも、マシューは「一番暇をしているからなのでは」と口にしてしまっていた。屋敷内の仕事の一切は任されていない『庭師』の彼を放っておく方向で、マリアの空色の瞳に視線を戻して、安心させるように穏やかにこう答えた。
「本当に気にしなくていいんですよ。少し暇があったので、僕の方から助っ人を願い出ましたし、その時にアルバート様から許可も頂いていますから」
三人で分けた方が荷物も軽くなる。それに『買い出し仕事』は、ちょっとした散歩みたいなものでもあるので、一時間と少し経った頃には家族揃って外出するアーバンド侯爵も「気兼ねなく行っておいで」と言って見送っていた。
「最近は、ギースとも出歩く時間がないので、本当は誘いたかったんですけどね」
「昨日は午後の早い時間に、マーガレットと出たって言っていたわね」
マリアは、思い出しながらそう言った。
すると、歩くだけでも自身の少ない体力が消費されると言わんばかりに、マークが「はぁ」と盛大な溜息をこぼして、頭の後ろに両手をやった。
「ギースは、旦那様たちの弁当作りを手伝わされているからなぁ。つか、ウチって圧倒的にコックが足りなくね? 俺、最近は味しめたみたいに、料理長によく下ごしらえで呼び出されたりするんだぜ」
「私で良ければいつでも加勢に入るんだけど、そのたび厨房の入室禁止令が出るのよねぇ」
「…………不思議でたまらない感じで言ってるけどさ、お前はウチで一番の『食材殺し』だからじゃねぇかな」
女としてはちょっとアウトなんじゃねぇの、とマークは悩ましげに口の中にこぼす。マリアは「昔よりちょっとは出来るようになった――気がするんだけど」と問うように言い、その視線を向けられたマシューが顔をそらした。
女性陣に手伝わせるのは可哀そうだろう、というのが料理長ガスパーの口癖だ。それなのに時々、本気で性別を忘れているのでは、というくらいに体力有り余るマリアだけは手伝わせる。しかし、ジャガイモが実ごとなくなってしまったりと、調理に関してはそのたび戦力外通告が出されていた。
屋敷を構えている領地内の治安などを確認がてら、大回りするように少し遠くまで足を伸ばすべく、のんびりと歩いた。続く小さな商店市場の賑わいを眺めて、ぽつりぽつりと建物や店が並んだ小さな通りも過ぎる。
森を拝める小川を持った閑散とした広い道に出た時、不意に、マシューがギクリとした様子で足を止めた。その視線の先を辿ったマリアは、マークと共に同じ方向に目を留めたところで、揃って顔面が引き攣った。
何故かそこには、見慣れた緑の芝生頭を持った、騎士服に身を包んだバカデカい男がいた。揃って立ち止まったせいでこちらの姿が目立ったのか、ふと、彼が真っ直ぐ目を向けてきて、マリア達の視線とピタリと重なる。
途端に、その屈強でバカデカい体格に対して、子供みたいに無垢な瞳が「ようやく見付けた」とでも言うようにキラキラとして見開かれた。
それは、王都にある王宮で第四王子、クリストファーの護衛騎士をしているはずのヴァンレットだった。近衛騎士隊長としての普段の仕事着ではあるものの、公的な外出ではないのか、肩には隊長格を示すマントも付けられていない。
いや、そもそも何故、奴がココにいるのか。
マリアは一瞬、自分の目が変になってしまったのかと思って擦った。けれど再度確認してみても、向こうに立つ超大型の元部下の姿は引き続きあって、二回目に視線が合ったヴァンレットが、その頭に幻覚の犬耳と尻尾まで想像されるほど表情を明るくした。
王宮からの使者としてやってきた一回目の訪問と、その後の見合いであった戦闘狂の変態の眼鏡騎士を含めた一件を思い出したのか、マークが遅れて「おっふ」とうめきに近い声をこぼして後ずさった。
「頭がおかしいタイプッ、おじさんは受け付けないから!」
そう言った彼が、逃走すべく踵を返した瞬間、マリアは『逃がすかこの野郎』と研修時代を共に過ごした使用人仲間を掴まえた。ついでに「逃げるなマーク!」と、素の口調で反射的に声も上げて呼び止めていた。
「共に道連れって言葉があるじゃないのッ」
「それ邪道の方!」
馬鹿力で腕を掴まれたマークは、間髪入れず叫び返した。逃げ腰で足を踏ん張ったまま「というかさ」と、自身の逃亡を阻止し続けているマリアを見下ろす。
「なんであのバカデカい騎士さんが、こっちにいるんだよ!?」
「私が知るわけないじゃないッ」
「ほら、あれだって。お前ちょっと理由を訊いてさ、元の場所に戻してこいよ」
「どこの捨て犬だよ阿呆!」
そもそもッ拾ってきた覚えはねぇよ!
マリアは、つい反射的にマークの膝の裏を押して、屈ませて後ろから首を締め上げていた。
ギリギリと絞め技を掛けられながらも、マークが「げほっ、女が『阿呆』なんて言うなよ」と苦しそうに主張するそばで、マシューは同じ近衛騎士部隊の人間であるヴァンレットが、こちらに向かってくる様子に目を留めて戸惑った。
「どうしよう。同じ近衛騎士隊だし、この状態で鉢合わせていいものか――あ。アルバート様の侍従だとは知られているから、まぁ、大丈夫なのか……」
そうしている間にも、目の前に王宮一の巨体をした軍人、ヴァンレット・ウォスカーが来てしまっていた。
マシューは、マリアとマークがぎゃあぎゃあ騒いで気付いていない様子を横目に確認すると、先に挨拶の言葉を述べるように一歩前に踏み出して、彼を見上げて声を掛けた。
「えぇと、第一宮廷近衛騎士隊のウォスカー隊長ですよね? お疲れ様です、第三宮廷近衛騎士隊のマシューと申します」
ずっとマリアだけを見て進んできたヴァンレットが、ようやく気付いたとでもいうように彼を見下ろし、きょとんとした様子でじっと見つめ返した。数秒経っても口も開かず動きもせず、マリアとマークはその奇妙な間が気になって、気付いたら手を止めて互いの攻防を解いていた。
長い間、三人は黙って見つめていた。何を考えているのか分からない、やけに長く感じる無言の時間が落ち着かなくなり、思わずじりじりと身動きしてしまう。
すると、マシューを目に留めているヴァンレットが、ゆっくりと首を右側へ倒した。それから、やはり笑っているみたいに見える、どこか幼くも感じるきょとんとした表情のまま「うむ」と言って、理解したと伝えるようにしっかり頷いた。
これ、絶対によく分かっていない顔だな……。
途中で理解するという思考的な努力を放り投げたのでは、とも疑ってしまい、マリアは真顔でそう思った。マシューもなんだか察したような表情で、とはいえひとまず懸念要素は何もないらしい、と小さく口にして息を吐く。
しばしマークは、滅多にないくらいの大男を見上げていた。改めて見比べ「料理長よりもデカいな……」と呟いたところで、彼がアーバンド侯爵邸に初訪問した一件を思い出して、ハッと我に返って問い掛けた。
「おまッ、まさかマリアにまで嫁欲しい宣言したんじゃねぇだろうな!? さすがに体格差とかありすぎ――」
「マリアは友人だぞ?」
間髪入れず迷いもなく答えられ、言葉を遮られたマークが、そのままゆっくりとこちらを見た。戸惑いと困惑と複雑な胸中が覗く表情を目に留めたマリアは、物言いたげな彼に「放っとけよ」と、つい素の口調で返してしまっていた。
つまり女としては見ていないと……いや、いいんだけどな、別に。
そもそもヴァンレットが『嫁にこないか宣言』をするのは、全て二十代から上である。そう前世の経験を振り返っていたマリアは、マークの「つかさ」という疑問の声を聞いて、回想を止めて思考を戻した。
「お前、いつの間に『友人認定』されたんだ?」
「彼は第四王子の護衛騎士ですし、マリアとは『例の貸出の件』で一緒に活動されているので、その縁ではないかと」
自身の推測から、マシューがそう簡単に述べた。マークは察したように「なるほど」と口にしたものの、このクセが強いように思うこの大男は、いつどこでどのタイミングで友人認識したのだろうか、と彼と揃ってチラリと目を向けてしまう。
侯爵邸を訪問した際に、エレナ侍女長とマーガレットと、執事長のフォレスを固まらせた異例の男である。未知の思考については理解出来ないので、ひとまずは放り投げる事にしたように使用人仲間が緊張を解くのを見て、マリアはヴァンレットに向き直った。
「それで、どうしてヴァンレットがここにいるの?」
尋ねてみると、ヴァンレットがゆっくりと首を傾げた。その様子を見ていたマークが、ゴクリと唾を飲み込んで「おぉ、呼び捨てのうえタメ口とは……マジで友達っぽい」と呟いた。
特に表情も変わらないまま、またしても大男の奇妙な沈黙が続いた。心情の読めないタイプの中でも、これまで出会った事のない行動予測の掴めない超大型騎士を前に、マシューは困惑を浮かべて身じろぎする。
すると、ようやくヴァンレットがこう言った。
「この方向に進めば、マリアに会える気がした」
もしかして動物的直感だけで、王都から真っ直ぐ進んできたのか?
いやいやまさか、と、マリアは一瞬脳裏を過ぎった己の推測を頭から追い出した。未知の思考を持ったこの筋肉バカも、さすがに王宮での仕事を放ったらかしにして『唐突に思い至ったから外出した』なんて言う、黒騎士部隊の頃のような事はしないだろう。
この阿呆には、一つ一つ思い出させるのが一番いい方法である。マリアは、前世で面倒を見ていた頃の長い付き合いからそう考えて、自分のペースを無理やり取り戻すように咳払いを一つしてから「ヴァンレット」と呼んで、こう続けた。
「この格好からすると、プライベートという訳でもないのよね? 朝は殿下のところにいたんでしょう? それから、どうしたの?」
「うむ。アローと会った」
そりゃ一緒に護衛についているんだから、そうだろうな。
一つ目の回答を聞いただけで、マリアは先が思いやられて目頭を押さえてしまっていた。辛抱強くこの応答を続ける事にして手を離した彼女の後ろで、マシューとマークが不思議そうに互いの顔を見合わせる。
「……それで、ヴァンレットはその後どうしたの?」
再び記憶を辿るように促してみると、ヴァンレットが「うむ」と、是とも否とも分からない相槌を打って、思い返すように子供みたいな目を宙に向けた。
「それで、モルツと会った」
「………………」
ちょっと待て、そもそも何処で会ったんだ?
マリアとマークとマシューは、回答が短すぎるというか説明になっていないな、と揃って同じ突っ込みを心の中に落として黙り込んだ。マークが一歩後ずさったが、気配を察知したマリアとマシューが、素早く手を動かして左右から腕を掴む。
その様子にも気付かない状態で宙を眺めていたヴァンレットが、数秒の間を置いて再び口を開いた。
「モルツは、これから会議だと言っていた。別れて歩き出したら、今度はルクシア殿下に付いている文官が白衣姿の友人達と、馬の風邪薬がどうとか話していた。一緒にいた眼鏡の白衣から『マリア』という単語が聞こえて、そういえば、どうしているだろうかと思った」
白衣、と聞いてマリアの頭に浮かんだのは、アーシュと長い付き合いの友人があるという救護班の青年たちだった。確か、リーダーらしき青年がキッシュと呼ばれていて、眼鏡の青年は、物凄い味の気付け薬を作っているラジェットだったと思い出す。
それにしても、馬の風邪薬とは一体なんだろうか?
いや、そういえば個性的な軍馬のところから引き返した際、ルクシアが調合やら渡す方法をどうしようか、と何かしら独り言を口にしていたような――
その時、ヴァンレットが遅れて気付いたかのような、実に不思議そうな目をしてこちらを見下ろしてきた。ようやく点と点が繋がって理解したとでも言うような反応を見て、マリアはなんだか強く嫌な予感がして、直前の疑問を忘れた。
すると、目を合わせてすぐ、超大型の最年少組の元部下が、こちらを見つめたままこう言った。
「どうして俺は、ここにいるのだろうか?」
くそッ、今すぐ説教してやりたくてたまらないんだが!
マリアは目頭を押さえて、丹念に揉み解しにかかって「ぐぅ」と呻いた。そもそも奴は、近衛騎士隊長なのだ。しかも第四王子の専任の護衛騎士としても任命されているのに、どうしてこんなところにいるのだろうか。
「…………ヴァンレット、ちなみに、この後の予定は覚えてる?」
「マリア、便秘か?」
おいコラ阿呆、全然違うわぶっ飛ばすぞ。
思わず素の口調で言葉が出そうになって、マリアはぐっとこらえてから、溜息交じりに「いいから、よくよく思い出して」と言った。暇がある状況とは考えられなかったし、こいつは今すぐ王宮に戻るべきであると思った。
長い付き合いから呑み込んだ言葉を表情で察し、マシューとマークはそれぞれ言葉をもらした。
「今『ぶっ飛ばすぞ』って意思を感じたわ……つか、このタイミングで普通、腹事情を尋ねるか?」
「マリアをここまで困らせる人も、初めて見ましたね……」
そんな三人の視線を一心に集める中、ヴァンレットはきょとんとした様子で、自分よりもだいぶ低い位置にあるマリアの頭を見下ろしていた。
ふわりと風が吹き抜けた際、揺れる藍色の大きなリボンを見る。それから、ふわふわと近くを飛んでいった蝶に目を奪われ、上空から鳥の囀りを聞いて顔を向けて、のんびりと目で追い駆けて見届けたところで、思い出したように彼女へ視線を戻した。
「うむ。他にも何かあった気がするが、『午後の予定を忘れるなよ』とロイドが言っていたのは覚えているぞ」
それは覚えなくていい台詞である、むしろ内容の方を記憶しろ。
子供みたいな無垢な表情で、自信たっぷりにそう言った超大型の部下を前に、マリアは「ぐぅ」と目頭を押さえて呻いてしまった。マークが「ちょっと待てよ騎士さん」と、もはや我慢出来ず突っ込んだ。
「お前、今の一連の流れで一体何を思い出した? 絶対ぇ何も考えていない顔だったろッ」
「マリアは腹の調子でも悪いのだろうか?」
「マジかよ。目の前で堂々と俺の発言をなかった事にするとか、こいつ結構ひでぇわ……」
無垢そうな瞳でやってのけるとか、結構ダメージがでかいんだけど、とマークは心折れそうな表情でこぼした。
マシューは悩ましげに「そもそも」と口にして、独り言のようにこう続けた。
「女性にそれを尋ねること自体アウトですよ……」
マリアは目頭を押さえたまま、鈍い頭痛を覚える中で彼らの話を聞いていた。ツッコミ所満載だし、むしろ説教したくてたまらない。
これ、多分、ロイドが切れるやつだろうな……。
何せ、ロイドが自ら「忘れるな」と言うくらいだから、高確率で彼が関わるような用件であるような気がするのだ。それが会議であるのか、呼び出しの用事なのかは不明だが、すっぽかせば大地雷であるのは明らかだった。
急いでここから真っ直ぐ王宮に戻るのであれば、正午休みを終える頃までには到着出来るだろう。しかし、果たしてこの極度の迷子体質の迷惑野郎であるヴァンレットが、真っ直ぐ辿り着けるのかについては、元上司として大変自信がない。
ひとまず馬車を呼んで、こいつを王都の中心で降ろしてもらおう。
マリアはそう決めて、考えを伝えるべくマークとマシューを呼んだ。




