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十七章 任務前日~参謀の大臣&戦闘使用人~動(1)上

 現在の時刻は、夜明け前である。使用人の朝はとても早い。


 とはいえ、それよりも少し早く起床してしまったマリアは、今、急ぐ事もなく本当に久々に、普段は客人たちが腰かける四人掛けソファの端に座って、穏やかな時間を噛み締めていた。


 客人がない時、一階の広々とした中央フロアにある開かれた応接席は、マリア達が寛げる使用人の休憩所ともなっていた。そこにはマリアの他、日中勤務組の他の使用人仲間たちが三人いて、仕事の開始前の短い自由時間を、ゆったりと過ごしている。


 向かいの四人掛けソファに長い足を組んで、珈琲片手に楽な姿勢で地方のゴシップ紙に目を通しているのは、質素な面持ちをした平凡そうな青年である衛兵のニックだ。彼は二十代半ばで、衛兵組の中では最年少となっている。相棒として組まされている先輩のガーナットよりも、いつも早起きだった。


 一人掛け用の椅子に腰を降ろして新聞を読んでいるのは、朝食の仕込みを一旦終えた料理長のガスパーだ。彼は四十歳になるが、短く刈り上げた目立つ橙色の頭には白髪一つなく、袖をまくったコック服から太い腕を覗かせた屈強な男だ。


 マリアが腰かけるソファには、同じ時間に出勤してきた見習いコックのギースがいた。三歳年上の十九歳だが、その年頃にしては少しばかり華奢であり、やや長めのはねた癖毛の髪をしている。彼はマリアと同じように、ガスパーからもらったホットココアを飲んで一息ついていた。



 最近は、王宮通いが毎日のように続いてた事もあって、朝は仕事の予定が少々立てこんでもいたのだが、本日は、まさかの『王宮行きはお休み』なのだ。



 昨夜、現在『臨時班』で動いている例の件が、明日に決行される事が決まったらしい、とマリアは執事長フォレス伝手で知らされた。そして同時に、前日である今日の登城はなしであると伝えられたのだ。


 アーバンド侯爵家の令嬢であるリリーナが、婚約者である第四王子クリストファーに会いに行く事に同行し、初めて登城したその日、今世で再会したロイドに引き込まれてルクシアを手伝う事になった。彼女達が王宮で共に授業を受ける事になって、自分は元黒騎士部隊の四人で臨時班を組む事になり――。


 と、ここ最近ずっと毎日のように王宮に通っていたから、なんだか唐突にのんびりとした日常が戻って来たような錯覚すら受ける。


 マリアはそれを思って、しみじみとこう呟いた。


「平和だわ……」

「そうか?」


 ギースは、またしても玄関前で胸倉を掴み上げられていたので、それを思い返した複雑そうな胸中という表情で彼女を見た。


 通りがてら挨拶をしていった執事長フォレスに、勤務開始前のカレンがまたしても、理由は分からないが昔から続いている体術戦の勝負を挑んで、侍女長である姉のエレナを固まらせたのは、つい先程の事である。


 つまり、彼らはいつもとなんら変わらないスタートを切っていた。


 しかしギースは、それについて突っ込もうとした直前、見下ろしている彼女がカップを両手で持ってほぅっと吐息をこぼす様子に瞬きを忘れた。夜明け前の起床してすぐのせいか、ちょっと可愛いような気がする……と男心をくすぐられて、なんで色気もない貧乳にと硬直状態で葛藤した。


 すると、ニックがゴシップ誌に目を向けたまま、ソファの飾りクッションをギースの顔面目掛けて放った。


「ぐはっ――何すんだよ、ニック!?」

「ギースの場合は、精神的セクハラに該当するから、マリアをじっと見ないように」

「べッ、べべべべ別にそんな風に見てねぇし!?」


 マリアは、騒がしいなと思ってカップから口を離し、クッションを膝の上に抱えるギースの少し赤くなった鼻頭を目に留めた。こいつらは毎度ながら、こちらが気付かない間に一体何をしているんだろうな、と心底不思議で眉を寄せる。


 世間が面白おかしく書いているだけの雑誌から顔を上げて、ニックは使用人としては後輩ながらも、年齢としては先輩の気持ちであると言わんばかりの生暖かい眼差しを向けて、ギースに続けてこう説いていた。


「うんうん、分かってるって。精神的にまだまだ青いんだなって、みんな弟を見る気持ちでいるから。――ちなみに、サリーと同じ年齢枠扱いかな」

「ぼそって呟かれた最後の言葉のダメージが、すごいんだけど!? 俺の方がサリーより四歳も年上なのにひでぇッ」


 それを聞いていたガスパーが、新聞のページをめくりながら「多分サリー坊やの方が、中身はしっかりしてるんだよなぁ」とぽつりと呟いた。テーブルに置いた珈琲カップを片手で引き寄せて、自分の手には小さいそれを、品なく持ち上げて口に運ぶ。


 その時、外から「うっぎゃああああああああ!」と情けない男の悲鳴が上がって、ちょうど珈琲を喉に流し込んだところだったガスパーは「ごほっ」と咽た。


 ギースがビクリとはねてクッションを抱き締める隣で、マリアはうっかりカップを落としそうになった。聞き覚えのある声だと察してすぐ、普段の光景が思い出されて、中身のココアをこぼす事なくカップをテーブルに戻す。


 知った先輩使用人の声だと理解したニックも、驚かずに「おや」とそちらに顔を向けて、それから腰を上げて悠長に窓へ歩み寄った。一同の視線を背に受けた彼が窓を開けてすぐ、悲鳴の主である庭師マークの声が外から聞こえてきた。


「またかよテメェらはッ」


 怒ったようなその一声だけで、ガスパーは全てを理解して「……またか」と疲れた様子でぼやいた。目の上に手をあてて外を覗きこむニックが、「またみたいですね」と答える。


 マリアは、双子の先輩メイドである姉のナタリーと妹のミリーが、本日は普段より出勤時間が遅く設定されていた事を思い返した。だから侍女長エレナに続いて、先程若いメイド達の一部が早々に二階に上がっていったのだ。


「俺は何度も言っているがッ、下着みたいな格好で出歩くな!」

「マークったら、いつもビックリしすぎよね~。同じ年代の大人同士じゃないの」

「それに、わたくし達、ちょっと散歩していただけよ?」

「コレで散歩とか、より性質(たち)が悪いわ!」


 男の人は喜びそうじゃない? というよく似た二人の声の後、この時期は早朝と夜は肌寒いのだからといった事も含めて叱りつける、マークの説教が続いた。本気で怒っているその声の話を要約すると、女なんだから身体は大事にしろという訳である。


 窓の向こうを覗きこんでいたニックが、「なるほど、なるほど」と頷いて、実況中継のようにこう言った。


「マークが夜勤用の上着を、ナタリーさんとミリーさんの腰に巻きつける事にしたようです」

「対応としては合格点だな。女性は足を冷やすもんじゃねぇ」


 ガスパーは、これで問題ないと言わんばかりに新聞を広げ直した。ギースが「そっちよりも、あの過激な格好をどうにかさせるのが先じゃ……?」と小さく意見し、さすがに俺は直視する勇気がないですと呟く。


「でもあの二人、衣服が窮屈で嫌いみたいだから、どうかしらね」


 マリアとしても、ガスパーの意見には同感である。太陽が隠れている時間帯については、そろそろ秋らしく肌寒くなりつつもあるので、彼女たちが風邪を引いてしまわないか心配だった。


「そういえば、あの姉さん方は、反応が楽しいから『からかい甲斐がある』って言ってたなぁ」


 ニックが窓から半ば身を乗り出したまま、そう相槌を打った。まさかマリアが男性目線でそれを考えているとは思っておらず、同性だからこその意見なのだろうと解釈していた。


 不意に、外から聞こえていたマークの説教が、ピタリと止んだ。


 もう終わったのだろうかと耳を傾けたマリア達は、その後に続いた彼の台詞で、出勤してきた日中勤務組みの新たな人物が、そこに加わった事を知った。


「ちょ、待て待て待て。ちょっと待てマーガレット、なんでお前が切れて――うぉおおおおおい!? 至近距離から発砲すんな!」


 しかもサイレンサー付きとか性質(たち)悪すぎるだろ、というマークの悲鳴が響きわたった。ニックが、先輩を労う気が全くない呑気な表情で「あははは、親切心で腰に服まいてあげただけなのに、災難だなぁ」と笑う。


 ギースは「至近距離から銃弾かぁ……」と呟いて、窓に向かって合掌した。クッションを肘当て側に置いたところで、メイン・フロアの階段から降りてくる人物の気配を察知し、誰よりも素早く反応して振り返った。



「朝から賑やかだねぇ」



 歩み寄ってそう声をかけてきたのは、アーバンド侯爵だった。慈愛溢れる薄い藍色の瞳が、自由に寛いでいる使用人たちを順に見て、その微笑をより暖かに深まった。本日も白髪が多い少し癖の入った濃い蜂蜜色の髪を、清潔感溢れる様子できちんと整えている。


 まるで子供か孫を見るように微笑みかけられて、ギースは瞳を輝かせた。ここにいる誰よりも早く、主人である彼に応えるべく挙手してこう言った。


「おはようございます、旦那様! もう起床されたんですね」

「おはよう、ギース。今日も元気だねぇ」


 そう言って、アーバンド侯爵はほっこりした様子で、自分の息子と同じ年齢でありながら少し幼い印象があるギースの頭を撫でた。


 昨日もアーバンド侯爵は、とても上機嫌で楽しそうだった。珍しく彼の専属メイドである双子のメイド、姉のナタリーと妹のミリー、そして普段は衛兵として門扉に立っているガーナットを連れて外出したようで、土産だと言っていくつかの町の名産菓子を買ってきていたのだ。


 マリアは、それを思い出しながら朝の挨拶をした。ガスパーとニックも楽な姿勢のまま、それぞれいる場所から「おはようございます、旦那様」と声を掛ける。


 一同の視線を受け止めたアーバンド侯爵は、ギースの頭を撫でたまま親しげな様子で同じように挨拶を返した後、その隣に座るマリアの頭も褒めるように撫でた。



 マリアは、撫でる大きな手の温もりに頭を包まれた瞬間、いつものようにしばし動けないでいた。


 前世では、オブライトとして二十七歳まで生きた。前世の幼少時代は独りきりだったし、今世でも家族がいなかった。そのせいか、こうされるとくすぐったい気持ちと、よく分からない恥ずかしさが込み上げるのだ。


 

 だから、拾われてからずっと続けられているのに、やはりまだ慣れなくて――


 マリアは数秒遅れで、ギースと一緒になって照れてしまっていた。その様子を見ていたガスパーが「こういう時だけは大人しくなる二人だよな」と、小さな苦笑を浮かべた事も気付かなかった。


「まったく、旦那様は、ウチの最年少組に甘すぎますぜ」


 恋愛結婚を経てからは、特に子供には優しい。


 そう口にして珈琲の用意のために立ち上がった彼を、窓辺から見ていたニックは、テーブルに置かれた二つのホットココアに目を留め、「料理長も『子供』には甘いですよねぇ」とのんびり呟いた。

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