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十六章 血塗れ侯爵序曲(7)

 バニス・ボーロの大型劇場館内は、劇場観客席の正面入り口前のフロアも静まり返っていた。国立の劇場館とは違い、客へのサービスが徹底しているわけではないので、恐らくは案内員も開演の前後の時間しか立っていないのだろう。


 各階の観客席へ向かうため、両脇には階段と通路が設けられている。目指すはハーパー達が向かったビップルーム席なので、まずは最上階の通路を目指せばいい。


「カーテンを一枚ずつめくっていく、って方法は使えないよなぁ」

「馬鹿者、そんな初歩的な手段を取る奴があるか。現役時代にも似たような臨時任務があっただろう、その時の事を思い出せ」


 階段を上がりながら言うポルペオの言葉を聞いて、マリアとジーンは、ついぎこちなく視線をそらしてしまった。


 あの時もかなり騒がしくなったし、一番効果があったのはヴァンレットの高確率で的中する動物的な勘や察知能力だった気がする。現在の状況において一番有効なのは、入っている観客が少ないというのなら、話し声を拾って捜す方が安全だろうか。


 最上階の廊下は、さすがは特別感を出すように赤い絨毯が敷かれていた。おかげで移動する物音が鈍く広がらない仕様になっているので、少し意識して歩くと、足音が消えてくれるのは有り難い限りである。


 耳を済ませて慎重に歩みを進めていると、厚く重いカーテンで仕切られたビップルーム席内から、一組分の鈍い話し声がぼそぼそと聞こえてきた。


「まずは、一番体重の軽い私が確認に行くわ」


 マリアは声を潜めてそう提案すると、後ろにジーンとポルペオを置いて、背を低くして先を進んだ。二人の男達の声が近づいた席の部屋を特定すると、一度その前で足を止めて、後ろの二人に右手で行動予定について指示の合図を出す。


 一瞬、黄金色の眉を僅かに寄せたポルペオが、しばし納得するまでの間を置いてから『私は入口を通過した場所に張る』と軍人が使う仕草で手を動かして伝えた。ジーンが『んじゃ俺はマリアの後ろで待機』と、同じように指の行動指示の合図で応えた。


 マリアは聴覚を研ぎ澄ませ、カーテンが引かれたとあるビップルーム席に意識を向けた。呼吸と脈拍を抑えて気配と足音を完全に断つと、カーテンの隙間に指先をそっと入れて僅かに開ける。


「それにしても、やはり兵器の実演は、人間相手にするのが一番盛り上がるな」


 そんな声が聞こえると同時に、カーテンの僅かな隙間から、ワインを口許に運ぶハーパーの姿が見えた。ゆったりと腰を落ち着けられる丸みを帯びた一人掛けソファが二つあり、隣にはジギーが座っている。


 どうやら国立の劇場とは違い、こちらの個室席は中の音が反響しやすいような観客席の作りをしているらしい。公演中の『首落とし姫』の演目の語りの声も、カーテンを開けるとかなり鮮明に聞こえるくらいまでに響いてくる。


 これならば、ずっとカーテンの隙間を作って覗きこむ必要もなさそうだ。後は、彼らが動く気配にだけ注意すればいい。


 広い廊下だと音も四方に霧散してくれるから、こちらで話す声もハーパー達に聞こえない可能性も高いだろう。マリアは、近くで待機しているジーンとポルペオに合図を送り、その旨を伝えた。彼らが浅く頷いて、会話の件に関しては『同意』の合図を返して忍び足でこちらに歩み寄る。


 三人が揃ったところで、改めてカーテンの向こう側に耳を傾けた。


「ハーパーさん、大丈夫ですよ、都市から外れればまだ浮浪者は多くいます。どうせのたれ死にそうな連中だ、私たちがいくら好きにしたって構わないでしょう?」

「税金も払えん連中だからな」


 ふん、とハーパーが鼻で嗤うような息を吐くのが聞こえた。


「暗器や新作銃の試し撃ちは、やっぱり活きのいい奴がいい。相手方にも大好評だからな。ジギー、孤児なら容易に手に入るだろう?」

「最近は入荷数も少ないですが、数値は確かに引き続き悪くないですね。……ああ、若い女の時は良かったですねぇ。薬で死んだ時の顔も汚くないと、とても好評でした」

「また『釣らせれば』いいだろう。一時の夢みたいな恋を見たい無知な女くらい、捜せばいくらでもいる」


 マリアはその会話を聞きながら、孤児と女の下りで拳を握りしめていた。ジーンとポルペオも、瞳孔を開かせてピリピリとした空気を帯び始める。兵器の実演売買で人間を殺させている、という実態の内容の話だったからだ。


 とはいえ、と、ジギーがハーパーの言葉の後にこう続けた。


「昔ほど国内の貧困格差がなく、荒れていないのはやりにくいですがね」

「放っておけばいいものを、大きな町だと、わざわざ孤児の住民票も発行しているらしい」

「下働きにもさせず文字の読み書きを受けさせるなんて、まったく税金の無駄遣いですな」


 耳が腐りそうだ。これ以上聞いて堪えられそうにない。


 マリアが顔をしかめるそばで、ジーンも同じ表情で拳を固めていた。


「親友よ、めちゃくちゃ腹が立つんだが」

「同感だ」


 今すぐにぶっ飛ばしてやりたい。

 遮られたカーテンの向こうにいる、ハーパーとジギーの姿を想像して睨みつけた。次のオークション開催までに潰すという意見については大賛成だ。唐突な案件で急がれているというところについても、マリアとジーンは異議無しだった。


 ポルペオも同じ方を睨みつけ、侮蔑の眼差しをそちらに向けたまま黒縁眼鏡の下にある鼻頭に皺を刻んだ。


「貴様ら、ここで動いてくれるなよ。奴らは我が第六師団の獲物だ」


 このまま聞いても胸糞悪くなるだけだろう。そろそろ引き上げてもいいかもしれないと集中を解いた時、マリア達は背後で、瓶が奏でる小さな音が上がった事に気付いた。


 振り返ると、そこには買い物袋を提げたニールと、手を繋いでいるヴァンレットの姿があった。野生の勘で真っ直ぐこちらまで辿り着いたのか、しばらくハーパー達の会話をバッチリ聞いていたらしいと察せる、彼らにしては珍しく温厚ではない怒気を滲ませている。


 ニールが青年にしか見えない童顔を、あまりの怒りで真顔にして、カーテンを見つめたまま殺気立って瞳孔を開かせた。


「孤児がなんだって? あ? ――ぶっ殺す」


 そうニールが口にした直後、隣にいたヴァンレットが空いている方の手をゴキリと鳴らして、やけに爽やかな大人びた表情でにっこり笑い「ジーンさん、今すぐ彼らを潰します」と、さらりと物騒な事を口にした。


 ジーンが「よし」と頷いて、親指を首の前で横に引っ張り、下に向けた。


「俺は止めねぇ、行ってこい」

「おいコラ馬鹿者ッ」


 ポルペオがジーンの胸倉を掴み「計画を台無しにする気か、全力で止めろッ」と、声を抑えながらも叱りつけた。


 その声を聞いて、マリアはハッと我に返った。カーテンの向こうへ行こうとするニールのローブを慌てて掴み、「ちょっと待てッ」と呼び止める。


「ポルペオの言うとおりだ、今動いたら奴らを一網打尽できなくなるッ」


 そうしたら、また次のハーパーみたいな奴が出てくるだけだ。それをさせないように、国王陛下(アヴェイン)は考えて指示したに違いないから。


 全身の血が一瞬で引くような、そんな魂からの想いで咄嗟に呼び止めたから、自分で感じている以上に冷静さがなかったらしい。普段みたいに部下を止めようとしたのに、びっくりするくらい女の子みたいなか細い声になって、これでは殺気立って我を忘れているニールの耳に入らないだろうと分かった。


 どうして自分は今、少女の身なのだろうか。


 大切な友の足を、引っ張りたくはないのに――


 その時、マリアの声にピクリと反応したヴァンレットが、条件反射のように殺気を解いた。素早く手を伸ばし、先輩であるニールを後ろから抱き締めるようにして、ひょいと持ち上げる。


 そんな突然の行動に驚いた一同の視線を集めたヴァンレットが、真っ直ぐ一人だけに目を向けて、こう言った。



「マリア、『待った』ぞ。どうしたい?」



 一瞬遅れて、マリアは「よくやった!」と声を抑えて言うと、手で素早く退避の合図を出した。足音を殺しながらも、ヴァンレットが機敏に行動に移ったのを確認すると、目を丸くして呆けているジーンの頭を叩き「行くぞッ」と声をかける。


 すぐに踵を返したマリアの後ろ姿を見て、ジーンが「あ」と口を開けた。しかし、続いてポルペオにガツンと頭を殴られて謝罪の言葉が途切れ、彼と共に足音に気を付けながら彼女を追って走り出した。


 ヴァンレットに担がれているニールが、階段の段差を飛び越える振動を受けて驚きの声を上げかけて、ハッとした様子で飴玉入りの瓶が二つ入った袋をしっかりと腕に抱えた。びっくりした衝撃で怒りを忘れたのか、彼は抵抗という手段には出ず、大事な任務であると良い聞かされていたそれを優先したのだ。



 ニールは、ようやく階段が終わってフロアに出た瞬間、自分を持ち上げているヴァンレットに目を向けた。



「ちょッ、なんで止めたヴァンレット!?」


 一番に劇場の正面入り口から外に飛び出したところで、ヴァンレットがようやく足を止めて、華奢な先輩であるニールをそっと降ろした。


 マリア達が続いて外に到着した時、彼は子供みたいな目でニールを見下ろして、こう答えていた。


「マリアが『駄目だ』と言ったから」


 絶対の事なのだから当然だろうと告げるような、いつも通り愛想の良い、どこか笑っているみたいにも見えるきょとんとした顔だった。ニールが疑問尽きない顔でヴァンレットを見上げて、腕に瓶の入った袋を抱えたまま、彼と共に当の彼女に視線を向ける。


 助かったのは事実だが、懐かれているというよりは、やけに信頼をおかれているような気がしないでもない。それがどうしてなのか分からなくて、マリアはつい眉を寄せてしまう。


 すると、しばしこちらを見ていたニールが、表情そのままに口を開いた。


「お嬢ちゃんを困らせちゃって、ごめんね」

「いやなんでそうなるんだよ」


 何故こいつに謝られているのだろうか。


 マリアは、つい素の口調で言葉をこぼした。しかし、ニールはその直後に「あっ」と瞳を輝かせて、その言葉遣いに対する違和感を忘れて、持っていた袋を掲げて見せ、元気づけるみたいに笑顔を浮かべていた。


「飴玉は無事にゲットしたんだぜ!」

「…………うん、その、ありがとうございます、ニールさん」


 そういう設定のおつかいをさせていたな、とマリアは数秒遅れて思い出した。その脇からヴァンレットが「うむ」と言って腰を屈めて頭を差し出してきたので、なんだかなぁと思いながらも、活躍した彼の芝生頭をぐりぐりと撫で、ひとまずは二人に「お疲れ様」「ありがとう」と告げておいた。


 ジーンは、少し反省した様子で頭をガリガリとかいた。「あんな顔させるつもりじゃなかったのになぁ」と小さく呟いて、すっかり落ち着いた部下二人とマリアの様子を窺い、どうしたもんかと思案する。


「よし。時間あるし、皆でなんか食ってくか」


 それを聞いたポルペオが、すかさず「おい、ジーン」と窘めるように言った。


「私は付き合わんぞ。仕事に戻る」

「へぇ、そんな事言っていいのか、ポルペオ? 『マリア』は育ち盛りの女の子なんだぜ、腹を空かせた状態で王宮に戻して、そんですぐルクシア様のところで働かせるって事か? そりゃあんまりだぜ」


 不意にニヤリとしたジーンが、わざとらしい演技かかった口調でそう述べた。


 いや別にそこまで腹も空いていないんだが。そう教えようとしたマリアは、ジーンに目配せされて、昨日は仕事を頑張ったと言っていた事を思い出し、好きに任せておく事にした。少し気晴らしがてら、皆で食事をしたいのかもしれないと思ったからだ。


 ポルペオが、愛想の一欠片もない目でジーンを訝しげに見つめ、それからマリアを見下ろした。ニールが「奢りだったら是非」と期待感に満ちた表情で、ヴァンレットと共に待つ。


 数秒の間を置いた後、ポルペオが「ならば仕方あるまい」とマントを翻した。


「行くぞ、腹ごしらえをしたら王宮に戻る」

「ヅラ師団長、奢りっすか? 俺は肉が食いたいっす!」

「ニール、私は『ヅラ師団長』ではない。ポルペオ・ポルーだ」


 普段のように怒りもせず指摘して、ポルペオは横顔だけでそう答えた。奢りなのか違うのか気になりつつ、ニールが振り返って「お嬢ちゃん行こうぜ」と言う。


 マリアは、自分を待って一歩も進まないヴァンレットに気付いて、「そうですわね」と答えて歩きだした。ニールがしっかりヴァンレットの面倒をみるように手を握る後ろ姿と、そのすぐ前を歩くポルペオに目を留める。


 それにしても、と思って、つい隣を歩くジーンにこっそり話しかけた。


「驚いたな。まさか、ポルペオが付き合うとは思わなかった」

「ああ見えて、騎士の鑑みてぇな奴だからな」


 ジーンは、マリアの歩調に合わせてゆっくり歩くポルペオを見つめながら、ニヤリとして「料金の半分はあいつに出させよう」と無精鬚を撫でた。


             ※


 その後、薬学研究棟の研究私室にて、ガラス瓶に入ったハット・カラット限定の『宝石飴』を手渡されたルクシアは、そもそも菓子を口にするという習慣もなかったから大変困惑した。

 アーシュも「これ、どうしたんだ?」と、プレゼント包装用のリボンまでされたそれを見て、めちゃくちゃ不思議がった。


 ジーンがニールと一緒にヴァンレットを引っ張っていってくれたおかげで、一人でここに来る事が出来たマリアは、そんな二人に向かって、お土産である事だけしか言えなかった。

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