表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/399

三章 お嬢さまのお見合い(1)

 出会った時、国王陛下アヴェインは二十三歳、オブライトは十九歳だった。


 陛下、と呼ばれる彼には、名前を呼んでくれる人間は少なかった。だから名前を呼べと言われた時は、よく分からなかったが、オブライトはそれを了承した。


 その時代は、アヴェインの婚約者である公爵令嬢カトリーナが十六歳となり、結婚準備のため後宮に上がった頃だ。


 こっそりと会いに行った時、タイミングが会えば、三人での茶会となるのも珍しくなかったから、オブライトにとって、カトリーナは初めて出来た異性の友人のようなものだった。王妃となり、二児の母となっても、それは変わらなかった。


「お前は馬鹿のくせに聡いからな」

「はぁ。褒められているのか貶されているのか、よく分からないお言葉ですね」


 アヴェインとそんな会話をしたのは、オブライトが二十五歳の時だった。


 もはや気紛れに呼び出される茶会は、二人だけの秘密ではなくなっており、この頃には、見られた人間に罵倒され追い返される事も少なくて、オブライトの顔を見ると、丁寧に案内する者もいた。


 王妃となったカトリーナは、公務の他に四歳と二歳の息子の育児で忙しくしていた。アヴェインが主催する男だけの茶会は、他愛のない話から、政治や軍に関わる情報交換の場と幅も広かった。



 この時も、オブライトとアヴェインの二人しかいなかった。彼はオブライトが到着して早々、紅茶を一口飲んでそう言ったのだ。



「良くも悪くも、権力を持つほど敵も増える。本当はお前が欲しいところだが、馬鹿なお前には陰謀も策略も無理だと分かり切っているからな」

「確かに考え事は苦手ですけど、馬鹿ではないと思われますが」


 馬鹿と聞いて脳裏に浮かんだのは、十八歳のヴァンレットの顔だった。オブライトの補佐として一年そばにいながら、未だに王宮の道も覚えられない正真正銘の馬鹿である。


 すると、アヴェインが目を細めて薄く笑んだ。


「お前はいつも真っ直ぐだ、私はそこを好いている。お前は、お前のまま表舞台で暴れ続けるといい」

「いつも通りじゃないですか? 俺は前線の部隊ですし」

「そういうところが阿呆なのだ。この鈍チンめ」


 何故か忌々しげに睨まれた。


 ひどい言われようだ。出来る男だと評価されているはずなのに、なぜかオブライトは、友人知人に意味もなくこけおろされる事がたびたびあって、それが解せなかった。


「お前が貴族でない事が、これほど悔やまれるとは思わなかったぞ。考えが浅いのだ。チェックしておけとわざわざリストも渡してあったのに、なぜその翌日にマクベス卿とセププライ公に接触されているのだッ」

「はぁ。すみません、顔と名前を覚えるのは苦手で? でも良い方達でしたよ、マナーを知らない俺にわざわざ丁寧に教えてくれました」

「そのぼんやりとした危機感のなさには心底腹が立つな。……無理やりにでも爵位を授与した方が良かったか?」


 それは勘弁願いたい。窮屈で堅苦しい貴族の世界は性に合わない。


 オブライトが困ったように見つめ返すと、アヴェインが、疲れたように息を吐いて椅子に背をもたれた。「まぁ、その為にあれらがいるから良しとするか」と呟き、思い出したように目を上げた。


「そう言えば、最近お前の周りをうろちょろしてる女がいるだろう。あれには気を付けた方がいい」

「女、ですか?」


 はて、誰かいただろうか。


 オブライトにとって、女性の友人はカトリーナぐらいだった。知人は増えたが、個人的に侍らせている女というのであれば、心当たりはない。


「馬鹿かお前は。いいか、この武人馬鹿。あれだ、珍しい黒髪の異国の女がいただろう。色気という色気を詰め込んだ、娼婦のような美女だ」

「美女? ――ああ、テレーサですか。言われてみれば彼女は美しい部類に入りますね。レイモンド将軍もそう騒いでいたような気がします。というか二回も馬鹿って、ひどくないですか?」


 オブライトは尋ねたが、アヴェインは難しい顔で考え込んで聞いていなかった。


「……こいつの繁殖本能は鋼なのか、それとも脳全部が筋肉にすり変わっているのか? はッ、もしや発展途上の可愛らしいのが趣味――いや、考えるまい。うむ、うちの息子達を見て天使だとかほざいていたのは、決して犯罪臭漂うものだとは絶対に考えないぞ」


 独り言をしたかと思えば、アヴェインは、咳払いを一つしてオブライトに向き直った。


「お前があれほどの上玉と知りあうなんて滅多にないだろう。どこで出会った?」

「上から降ってきましたので、受け止めました」

「は……?」


 珍しくアヴェインが、間の抜けた顔を晒した。


 自分の言葉が足りなかった事に気付いて、オブライトは説明を継ぎ足した。


「天井が抜けまして、そこから落ちてきたんですよ」

「…………その時点で何か思うところは?」

「怪我人がなくて何よりでした。店の主人も慌てていましたが、俺は金を使う機会がないですし、店も老朽化しているようでしたから多めに賠償しておきましたよ」


 アヴェインはその後、疲れ切ったように「出来るだけ関わらない方が良い」とだけ告げた。考える事があるからと言われ、オブライトは彼の部屋を後にした。



 人のない道を選んでしばらく歩いていると、騎馬隊の将軍レイモンドと、ヴァンレッドがいた。少し歳上のレイモンドは、アヴェインの幼馴染であり、伯爵家の人間とは思えないほど貴族思想に捉われない、オブライトの友人だった。



 オブライトに気付いたレイモンドが、まさに天の助け、とばかりに声を上げた。


「オブライトッ、いいところに来た! どうかこの男を連れていってくれ、頭がおかしくなりそうだ!」

「はぁ。何があったのか聞きたくないような気がするな――ヴァンレット、どうしてここにいる?」


 オブライトが吐息交じりに尋ねると、無駄に身体だけがデカい十八歳のヴァンレットが、きょとんとした顔で、芝生頭をゆっくり右に傾けた。



「レイモンド将軍がお困りのようでしたから、話を聞いていたのだと思います」



 既に言い方がおかしい。聞いていたと思う、と口にした時点で、お前はろくに話も聞いていなかっただろうと指摘してしまえる。


 オブライトがそう逡巡していると、堪え性のないレイモンドが切れた。


「んなわけあるかぁ! もう少しで師団長の執務室に入りそうだったお前を、俺が助けたんだ! あそこには今、悪意の化身である大魔王の息子みたいなあの少年師団長もいらっしゃってるんだぞ!?」

「大魔王の息子? ああ、新しく入った公爵家の子でしょう? 拷問本ばかり集めているから魔王なんてあだ名がついたみたいですけど、彼、騎士学校で俺の後輩なんです。会うたびに関節技をかけてくるぐらい仲良しなんです、俺達。オブライトさんとも仲がいいじゃないですか?」

「どこが仲良し!? お前の思考回路ってどうなってんだ、打たれ強さが半端ないな! あいつは、お前がちょっかいを出した一件でオブライトに目をつけているんだからな!?」


 十六歳にして、国王陛下直属の第一銀色騎士団の師団長に就任し、その矢先、同盟国に求められて戦力として参戦し、大勝利を収めてしまった異例の新人。


 頭脳、剣術共に将来の総隊長の席にもっとも近いと噂されており、自らの隊服を特注で漆黒に作りかえた変わり者だとも有名だった。


 未青年とは思えないほど度胸もある彼は、まさに独裁者に相応しい器の持ち主だった。早々に権力を固めた手腕には、いい歳をした軍の幹部達も舌を巻いていたほどだ。


 国王陛下アヴェインは、彼の事を面白い人材だと評価していたが、とんでもない。



 あれはまさしく魔王である。年頃の少年らしい遊び心は遊戯で済まされない規模のもので、彼が師団長となって四ヶ月、王宮の人間は心休まる暇がなかった。



 最近でいうと、吹き飛ばされた第三宮廷近衛騎士隊の執務室で、何が魔王の逆鱗に触れたのか気になるところだ。


 しかし、第三宮廷近衛騎士隊の人間に話を訊こうにも、先日まで「この使い捨ての傭兵が」「城が汚れる」と絡んできていた男達は、何故か、オブライトが顔を見せると途端に逃げてしまうので話を聞けないでいた。


 全くもって意味が分からない。なんで逃げるんだ?


 つい先日まで嫌われていたと思っていた第三宮廷近衛騎士隊に、まるでお化けでも見たように「近づきませんからぁ!」と逃げ出されて、オブライトは複雑な心境を覚えていた。彼らを叩きのめしたのは少年魔王であって、俺は何もしていないんだが……


 とりあえず、あの少年師団長が関わると碌な目に遭わないのは確かだ。彼の就任早々から目を付けられているオブライトも、出来るだけ彼の行動範囲内にいないよう日頃から心掛けていた。



「よし。行くぞ、ヴァンレット。今すぐ支部に戻ろう」



 悪いが惨事には巻き込まれたくない。師団長の執務室はここから遠くないのだ。オブライトは早々に撤退すべく、レンモンドに帰る事を告げた。


「また後で会おう、レイモンド」

「ああ、今日はカフィーの酒屋で集合だから、忘れるなよ。陛下の変装は、いつも通りルーノにさせるから問題ないだろ。それまでは、俺もせいぜい一番遠い鍛錬場に逃げておくよ」


 お互いの健闘を祈って踵を返したところで、背筋に寒気が走り、オブライトとレイモンドの身体が同時に硬直した。


 覚えのある気配に、まさか、と思いながら肩越しにそちらを見やると、成長過程の真っ最中といった、中性的な美貌に爽やかな笑みを浮かべた少年が一人立っていた。


 漆黒の隊服に劣らず、黒に近い髪と、深い紺色の瞳が一際目を引く。


 軍服を着るにしては幼過ぎる体躯をした、美貌の少年の姿を目に止めた途端、レイモンドが「おっふ」と声をこぼした。ヴァンレットがきょとんとした表情で口を開きかけたのを見て、オブライトは、素早くヴァンレットの口を塞いだ。



「今日も賑やかだな、傭兵出身の一般階級隊長オブライト殿? いや、ここは【黒騎士】の称号の方で呼ぶべきか。まさかこんな所で暇をするぐらい仕事が緩いとは思っていなかったが、この通り俺は経験も浅い新人。手っ取り早く殺し合――剣の稽古をつけてくれないか?」



 何人か既に殺してきたような目を細めて、少年が冷たく微笑んだ。【瞬斬の殺戮騎士】である彼に、剣の師匠が必要ない事ぐらい周知の事実である。


 彼はどうやら、就任初日に暴れた際、オブライトに剣を止められた事も根に持っているらしい。子供なのだから、敵を作らないためにも目上の者に対しての不遜な物言いは、臨機応変で使い分けた方がいいと助言したのも、……ちょっとまずかったかなとは、オブライトも思っている。



 というか、隠しきれていない殺気を放ちながら完全に「殺し合い」と口にした時点で、即お断りさせて頂きたい。



 この少年師団長が、私用で持っている刃を潰した剣でさえ、十六歳の少年の力とは思えないほど重い斬撃を放つのだ。あれで大理石をあっさりと割るのだから、もう、凄いとしか言いようがない。


 思考に意識が向いてしまったオブライトの手が、ヴァンレットの口から離れた。


 途端にヴァンレットが「やぁ」と、空気を読まず少年魔王に声をかけた。


「いつも引き分けだから、今日もオブライトさんに剣の稽古を受けたいのか? そういえば、一番の最強の騎士は誰なんだろうか。俺はオブライトさんだとは思うのだけれど、王宮の騎士は凄くレベルが高いって、オブライトさんもそう言っていたから、その人に剣を教えてもらった方が効率もいいと思うぞ?」


 瞬間的に、場の空気が凍りついた。


 ヴァンレットには全く悪気はなくて、彼は純粋に、ロイド少年が最強を目指すために剣の師を求めていると誤認して、心から助言してあげているつもりなのだ、とはオブライト達も理解していた。


 しかし、だからこそ性質が悪い。置かれている状況と台詞のタイミングは最悪で、軽い冗談も受け付けない完璧主義の少年魔王にとって、馬鹿な先輩騎士であるヴァンレットは逆鱗の一つなのだ。


 オブライトとレイモンドが、ああ、この馬鹿、と思った時にはもう遅かった。



 最強は俺だ、と地面を這うような低い呟きが聞こえたような気がした瞬間、少年師団長が驚異的な瞬発力で踏み込んでいた。抜刀から間合いを詰められるまでは、ほんの一瞬も掛からなかった。



 オブライトは、少年師団長の暴力的な威力の剣先を、咄嗟に引き抜いた剣の鞘で受け止めながら、また面倒な事になったなぁと、最近の王宮事情に天を仰ぎたくなった。


 自分より随分華奢な少年の、黒に近い淀んだ藍色の殺気立った目が、ギラギラと笑んで――……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ