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十六章 血塗れ侯爵序曲(6)上

 なんの紋章も描かれていない黒塗りの馬車が停まったのは、人の姿が途絶えたバーニス通り580だった。貴族区の住宅街一角とはいえ、朝の早い時間もとうに過ぎたというのに、あまりにも静かすぎる中で二頭の黒馬が足を止める。


 御者席には、制服帽を深々と被った、すらりとした一人の男が腰かけていた。特徴のない質素な顔立ちをしており、落ち着いた双眼は冷静で、ざっと見たところの年頃は三十代あたりだろうか。


「ありがとう、ガーナット」

「いえ。旦那様、足元にお気を付けて」


 扉を自分で開けて、ハットを押さえて降り立った漆黒に身を包んだ中年紳士――アーバンド侯爵の微笑にチラリと目線だけを向けて、普段は侯爵邸の門扉に立っているはずの衛兵、ガーナットはそう答えた。


 アーバンド侯爵に静々と続く二人のメイドに目を留めて、長いスカートから覗く随分と細く尖ったヒールの踵を見やる。それからガーナットは、彼女たちにも同じように声を掛けた後、制服帽を深くかぶり直した。やはり、その表情はとても落ち着いている。


「俺は命令通り、ここでお待ちしております」


 建て物の中から外に逃げ出せる人もいないでしょうねぇ、と、通りへ目を戻して口の中で囁いた彼の瞳孔は、ひどく血に飢えた獣のように開いていた。『衛兵役』である彼が、こうして『御者役』を任されるのも少ない。


 人の気配が絶えた通りの中、アーバンド侯爵が二階建ての男爵別邸の呼び鈴を押した。秋にしては生暖かい風が吹き抜けて、丈の長い黒のトレンチコートの裾が揺れる。

 普段のエプロンが取られているせいで、ほとんど黒に溶ける膨らみのある二人のメイドのスカートが、風で柔らかく揺れていた。彼女たちが黒い手袋を取り出して、どこか妖艶な色気を感じさせる形の良いふっくらとした赤い唇に挟んで、慣れたように引っ張って両手に付けた。



 屋敷の一階に集まっていた男たちが、警戒を覚えて武器を取り出したのは、ちょうどその頃である。普段から刺客を送られないという訳ではないので、いつでも意識して警戒体勢を取っていた。


 全員が銃や剣といった使い慣れた武器の用意を整えたところで、覗き穴から外を確認した一人が、見慣れた黒いハットとトレンチコートの中年紳士の姿を目に留めて、ふっと警戒を解いてすぐに扉を開けた。


 普段の挨拶の言葉もなく、アーバンド侯爵が玄関から入室した。今日は珍しく杖をついておらず、しかも二人のメイドも連れていて、彼が黙々と目の前を通過するのを見た男が声を掛けた。



「アーバンド侯爵? 来訪の予定はなかったはずですが、一体このたびは何用で――」


 瞬間、アーバンド侯爵が視線をそのままに両手をコートの中に入れ、銃を取り出したコンマ二秒後には、左右にいる男の顔面に照準を合わせていた。


 ガチャリ、と安全装置が外れる音がする。


 銃口に気付いて「え」と彼らが声をもらした時には、細い発砲音と共にその眉間に銃弾が貫通していた。後頭部から一瞬赤く細かい飛沫を上げて、二人の男が目を開いたまま絶命し、力なく床に崩れ落ちる。


 一体何が起こったのか、それを見ていた男たちはすぐに理解出来ず、動けないでいた。開いたままの玄関に新たな人影が現われ、ハッと目を向けると、御者らしい制服に身を包んだ男が、特に驚きもない様子で外から静かに扉を閉めた。


 鍵は内側からかけるはずの物なのに、何故か、施錠が落ちる音がした。


 直後に訪れた、しん、とした静けさは数秒ほどだったが、銃を持った両手を左右に伸ばしたまま佇むアーバンド侯爵と、その後ろに控える黒が目立つメイド服姿の二人の女性の光景に異常な緊張感が高まり、三人の男が弾かれたように発砲した。


 発砲音は三つあった。しかし、それに重なるように細い銃声も上がり、銃を持ったその三人が崩れ落ちるのも構わず、アーバンド侯爵が歩き出した。彼は目も向けないまま、攻撃のため動こうとする気配を見せた近くの男たちに、次々に銃弾を撃ち込んでいった。


「一体なん人いるのだったろうか。――おや、弾切れだ」


 別邸の一階フロアにいたのは、リーダーであるオリバー男爵、ジョン・オリバーがガネットに指示されて集めていた、全メンバーのうちの四十人だった。


 騒ぎを聞きつけて、二階から「何事だッ」と複数の足音が近づき始める。目の前で、仲間が二つの眼球にキレイに銃弾を撃ち込まれるのを見た若い男が、そう呟いたアーバンド侯爵の涼しげな横顔に震え上がった。人間を殺したという認識を、そこから全く感じなかったからだ。


「あ、あああああああよくもドッグを殺しやがッ――」


 剣を振り上げた彼の叫びは、アーバンド侯爵に一歩を踏み出したところで不自然に途切れた。


 ドッと鼓膜を叩いた音は、一気に吹き出した潜血のものなのか、そこから頭部がなくなったために起こったものなのか、速すぎて見ていた男たちには理解出来なかった。

 宙を舞った首が、ゴトリと床に落ちた。数秒遅れて、剣を構えたままの首無し死体が膝をつき、続いてその胴が床に伏す。


 アーバンド侯爵が、目の前に転がった新しい死体に目を留めてようやく、無関心一色という温度のない薄い藍色の瞳を、赤く色づいた自分の右手に向けた。


「私とした事が、うっかり加減を忘れて汚くしてしまったな」


 老いの窺える厚みのある彼の大きな手の、血に染まる指先の爪は鋭利に尖っていた。コートの袖から覗く手首から手全体にかけて、筋肉の筋がビキリと立って脈打っている。

 二階からそれを見ていた男たちも、一階にいるメンバーと共に完全に身動きを止めていた。この中年紳士が、殺し向かう者をほぼ反射的、いや自動的に殺していると気付いたからである。


 その時、沈黙が広がった現場に、くすくすと笑う場違いな声が上がった。


「うふふふ。旦那様ったら、今日は積極的ね」

「コートが濡れてしまうわよ、見ているだけで興奮しちゃう」


 上品に微笑むメイド達の囁きだった。しかし、口許に添えられた黒い手袋の手の下で、その真っ赤な唇が大きく魅惑的な弧を描くのを、男たちは見ていた。


 連弾式の改造銃を持っていた中年男が、ようやく思い至った様子で「戦闘メイド……ッ」と呻いて、奥歯をギシリと軋ませた。彼は銃口を下に向けて動かさないまま、「侯爵!」と戸惑いと恐れの混じった怒号を上げた。


「どういう事だッ、なぜ突然こんな……! これが、【国王陛下の剣】にこんな事が許されるのか! お前たちは王族のための絶対の守護者で――」

「何を言っているのかな。私たちは、正義の人間ではないよ」


 落ち着いた口調で言って、アーバンド侯爵は彼を見つめ返した。少し上げられた右手が、血でべっとりと濡れていなければ、学者か教師が子供に向かって説いているようにも見えるほど冷静だった。


 けれど普段見掛ける時と違い、その色素の薄い藍色の瞳には、凍えるような鋭い殺気が滲んでいた。目が合った途端、尋ねた男はぐっと呼吸が詰り、その拍子に額に浮かんでいた汗を滴らせた。


「我らは国王陛下のための毒剣、全ての業を背負う『裏』の黒い影。正義では出来ない事を、我々が行う」


 アーバンド侯爵は物静かな口調でそう言うと、ハットの(ツバ)を指でつまんで深くかぶり直した。一つの感情も見えないその薄い藍色の瞳は、ハットの影の下で光っているようにも見えた。


「ナタリー、ミリー、まずは挨拶を」


 そう声を掛けられてすぐ、二人のメイドが「かしこまりました、旦那様」とよく似た声を揃えて、礼儀正しく頭を下げた。


 その直後、彼女たちが腰元に手を伸ばしてスカートを床に落としたかと思うと、きっちりとした上の衣装も勢い良くはぎ取った。男たちはギョッとしたが、露わになった白い素肌よりも、衣装の下に隠されていたそこに、細い鎖が巻きついているという異様な様子に息を呑んでいた。


 白く華奢な肩を晒す、頼りない肩紐から伸びる細い腕。補正下着もされておらず揺れる、大きな胸の下のきゅっとくびれた細い腰のライン。下着が隠れる程度にしかない丈の下から伸びる、女性特有の線を描く足にも、まるで肌の上を装飾するかのように細い鎖が巻かれていた。足元の黒いヒールは、やけに踵の部分が高い。


 アーバンド侯爵と向き合っていた男は、ほとんど下着姿ではないかと思われる二人のメイドが、きっちりと結われていた髪を手一つで解く様子を見つめていた。降ろされた錆色の髪は、強い癖毛でまとまりなく広がり、形のいい小さな尻をバサリと叩く。


「――なんだ、それは」


 彼は、どうにかその言葉を切り出した。メイド衣装を解いた二人の女性は、こうして見ると、ほとんど瓜二つの顔と体系をしていた。


「その鎖は、一体なんだ」

「うふふ、大人の楽しみですのよ。とぉっても痛いんですの」


 くすくすと笑う彼女たちが、そう言いながら見せつけるようにしゃがんだ。その妖艶な肢体と、魅力的な身体付きに男たちが目を奪われる中、床に落ちた広がる仕様のスカートの中に、するりと手を差し入れる。


 そこから取り出されたのは、禍々しい曲線を描く大鎌だった。立ち上がる際、薄く面積も少ないその下着のような頼りない服から、今にもこぼれ落ちそうに胸が上下に柔らかく揺れる。


「初めましてー。侯爵様付きの双子のメイド、姉のナタリーと」

「妹のミリーでーす。わたくし達、使用人一の不良娘ですわ。どーぞよろしく?」


 そう言って、顔のよく似た二人のメイド――ナタリーとミリーが、淑女の面影もなく歪んだ笑みを浮かべた。


「旦那様はこれから『大事な話し合い』がありますし」

「わたくし達がお相手致しますわ。楽しく()り合いましょ?」


 アーバンド侯爵が「私はオリバー男爵と二人で話してくるよ」と、挨拶も済んだとばかりに歩きだした。ひどく冷静で穏やかな足取りにもかかわらず、その脇をゆっくり通過される間も、先程よりも強くなった殺気に気圧されて男たちは動けないでいた。


 ナタリーとミリーは、ふっくらとした形のいい赤い唇を舐めた。大鎌を同時に振って構え直して一歩を踏み締めた際、高いヒールの尖った踵が床に亀裂を入れた。



「「さぁ、殿方の皆様。わたくし達と、遊んでくださいな?」」



 そう歌うように彼女たちが声をかけた、その直後、――ひゅんっと風を切る音が上がり、真っ赤な潜血が床と天井を染め上げた。

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