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十六章 血塗れ侯爵序曲(5)

 ロイドとグイードが大会議室を出て、二手に別れた頃。


 国立芸術館でハーパー本人を確認する事に成功したマリア達は、これで用は終わったとばかりに帰ろうとしたところで、そこに一人の男が合流した事に気付いて予定を変更していた。


 展示台に隠れるようにして、じっと身を潜めるマリア達の見つめる視線の先には、ハーパーに親しげに声を掛けた男の姿があった。


「異国の闇売買商ジギー・アトゥル、ハーパーとは付き合いの長い、取り引き相手の一人だ。我が師団が担当することになる四つの会場のサブ・オーナーでもある。首から片頬にかけて入っている刺青は、故郷の出身部族のものだ」


 太い黒縁眼鏡を指できゅっと持ち上げたポルペオが、そう声を潜めて説いた。


 ジギーは、男性にしては少し肩幅が狭く華奢だった。肌はやや褐色寄りで浅黒く、顔の彫りはかなり浅い。いい生地が使われたスーツと鮮やかなスカーフの襟元から頬の下側にかけて、年月が経った色合いを感じさせる民族模様の刺青がある。


 低く小さい鼻の下には、カールを描くような形でセットされた髭があった。異国の文化なのか、ジギーの癖の入った剛毛の髪は、頭の高い位置で一くくりで丸くされ、カラフルな紐を何重にも編み込んだような物が飾り留めのように結ばれていた。

 合流して数分もしないうちに、待っていたというような短い言葉を交わしたハーパーとジギーが、移動を始めた。ポルペオの目配せと右手の指示合図を確認し、マリア達は頷き返して、一定以上の距離を開けて彼らの後を追った。



 国立芸術館を出たハーパー達が向かったのは、徒歩二十分の距離にある煌びやかな建築デザインのされた、バニス・ボーロの大劇場だった。大きな噴水を中央に置いた馬車を拾える広場の前に、美しく磨き上げられた黒々とした外観を堂々と構えた建物だ。



 時計塔が中央に設置された広場にある、巨大な噴水の後ろに姿を隠しつつ、マリア達は闇夜や遠視にも慣らされている目を凝らした。入口にある販売窓口で、ハーパー達が金色のチケットを受け取るのが見えた。


「あいつら、ビップルームに行くみたいだな」


 そちらの方を覗きこんでいたジーンが、「どうやら、聞かれたらまずい話でもしたいらしいなぁ」と、一晩かけてはえはじめている無精鬚を撫でる。


 チケットは、設けられている観客席のランクによって色分けされている。その中でも、遠目からでも目立つのがビップルーム用の金色のチケットで、劇場内では一等席に分類されていた。


 ビップルーム席のチケットは、通常席の五倍から十倍の価格だが、多くの貴族や大商人が利用している。観客席の最上段に設けられた、仕切られた個室席となっており、出入り口には重いカーテンが引かれているのだ。


 劇中は舞台側の声や音楽や歌が反響するため、ビップルームの個室席で囁き交わされる声は、他の観客席に届く事がない。密会などでもよく使用されているとは、オブライトであった頃の任務経験からマリアも知っていた。平日の日中は客も少ない。


「今更だとも思うけどさ、俺的には、どんな内容が話されるのか気になるなぁ。――ポルペオの意見は?」

「無論引くわけがない。ビップルームのチケット数枚くらい、今持っている金額でも買える」


 それを後ろで聞いたニールが、「うわぁ、まさに金持ちの発言」と思った感想を口にして、手を繋いでいた隣のヴァンレットを見上げて、こう言い聞かせた。


「ヴァンレットは、あんな大人になっちゃ駄目だぞ。ああいう『いかにも貴族!』みたいに大金は持ち歩くのは危ないし、財布をどっかに失くしたら大変だからな」

「うむ」

「よし」


 阿呆か、お前ら揃っていい歳した大人だろ、何言ってんだ。


 笑顔で頷き合ったニールがヴァンレットの頭を撫でる中、マリアは心の中で冷静に突っ込んだ。ジーンがそれを見下ろして「親友よ、めちゃくちゃ真顔だな」と、ちょっとばかり面白そうに見つめる。


 けれどマリアは、ふと、とある事に気付いて思わず目頭を揉み解した。


 もしやコレ、十六年前と全然変わっていないだけなのでは? あの当時、自分は教育の仕方を何か間違えたのだろうか。いや、奴らは二十歳に二十一歳だったから、その会話も別に違和感がなかったし……


「二十歳だったら、ちょっとまずい会話な気もするけどな」

「……ジーン、心を読まないでくれ」

「いや顔に出てたぜ、親友よ。ついでに口にも出てた」

「マジか」


 奴に聞かれていなかっただろうか、とマリアは我に返って慌てて目を向けた。すぐにジーンが、劇場の方をじっと注視するポルポオへ親指を向けて「大丈夫だって、向こうに集中しているから聞こえてない」とあっさり言った。


 いつでもどんな時でも、よく周りを見ている男だと思う。こちらがうっかり状況を忘れても、それをフォローするかのように動いてくれる。入隊時からずっと相棒で、頼れる副隊長だった。


 マリアはそう思い出して、つい苦笑を浮かべた。


「ジーンには、いつも助けられてばかりだな」


 小さな声で言って、少し困ったように笑う。そんな彼女を見て、ジーンがどこか照れ臭そうに「へへっ」と笑って鼻を擦った。



 またこうやってやりとり出来るのが、俺はすごく嬉しいんだぜ。



 ジーンが口の中に落とした呟きは、ハーパーとジギーが劇場館内に入ったところを見届けたポルペオの次の台詞で、マリアの耳には届かなかった。


「とはいえ、問題が一つある」


 そう告げたポルペオが、ハッキリとした黄金色の秀麗な眉を顰め、こちらの様子に気付かないまま頭を撫で続けているニールと、少し背を屈めて楽しそうに芝生頭を撫でられている大男、ヴァンレットに親指を向けた。


「奴らは目立ちすぎる。今は客も少ない、騒がれたら高い確率で奴らにバレるぞ」

「「…………」」


 確かに、とマリアとジーンは、見合わせた互いの目にその言葉を読み取った。彼らほど隠密行動に向かない人間もいないだろうとは、元上司として実感している。


 しばし考えたジーンが、「俺に任せてくれ」とポルペオに了承するように言って、ニールとヴァンレットの前に立った。


「俺らは、ちょっと劇場の中に入って、ハーパー達の様子を見てくる。その間、お前らには別の『大事な任務』を言い渡すぜ」


 大事な任務と聞いて、ニールとヴァンレットが不思議そうな表情ながら、ピンと背筋を伸ばして話に集中する姿勢を取った。


 引きはまずまずといった手応えを覚えたジーンは、調子に乗って次なるキーワードをぶちこむべく、それらしい雰囲気が出るよう腕を組んで仁王立ちした。


「マリアは王宮に戻ったら、そのままルクシア様のところに行くわけだが、なんと殿下から、ハット・カラット限定の飴玉である『宝石飴』を頼まれている」


 凛々しい表情で告げるジーンは、その態度に対して口調はほぼ棒読だった。


 というか、なんだその設定。雑すぎないか?


 マリアは呆気に取られた。ポルペオも呆れた様子で目を坐らせ、とんだ茶番だと言わんばかりに「これくらいで騙される者はいないだろうに」と口にする。露骨すぎる嘘なので、その意見には同感だった。


 オブライトであった頃も、何度か似たような台詞でこの最年少組の部下を少しの間だけ引き離していた事はあったが、今や三十六歳と三十七歳だ。さすがに、もう通用しないのではないだろうか。


 すると、ニールがハッとこちらを見た。素早く口に手をあてたかと思うと、ぶわりと瞳の潤い度が増して労うような眼差しをする。


「まさか、お嬢ちゃんがそんな高難易度の買い物を頼まれていたとは、全然気付かなかったぜッ。午前中では売り切れる超高級飴じゃん!」


 そうなのか? というか、そんな飴玉を売っている店があるんだな……


 マリアはニールの反応を見て、もはや「はぁ」「まぁそうですね」と適当に相槌を打つ事しか出来なかった。あの第三王子、意外と王子っぽい感じでちゃんと我が儘なところがあるんだなぁ、と、彼がくふくふ笑って口にする様子を、ぼんやりと眺める。

 これ、当人と鉢合わせしたら、ジーンの設定が嘘だとバレるのではないだろうか。そうは思ったものの、ニールの記憶力もまた最低レベルのものだったと思い出して、すぐに考えるのをやめた。自分が余計な事を言わなければ、多分、彼は思い出さない気もした。


 ハット・カラットは、宝石のような飴玉を売っている事で有名な店である。お洒落なガラス瓶に詰められた『宝石飴』は、まさに宝石のような美しい輝きと存在感を持っており、その味わいもまた滑らかであるという。


 通常、飴玉は口の中で溶ける段階で、ゴツゴツとした表面に変わり、舌を痛めてしまう事がある。しかし、ハット・カラットの飴玉は、それを起こさないよう丁寧に作られているらしい。


 ニールは短い時間を使って、マリアに教えるように、多くの情報を早口で饒舌に語った。口を挟む隙もない店員並みの力説の間に、ジーンが一回大きな欠伸をこぼした。ポルペオは噴水の台座に両手をついて、「無駄な時間すぎる……ッ」と震えながらも堪えて耐えていた。


 マリアは、この時間は一体なんなのだろうな、と遠い目をしながら話を聞いていた。今世でニールと再会した際、大人になってから糖分の大切さや飴玉の魅力に気付いたとか、なんとか言っていた内容をぼんやりと思い返す。


 単にニールが飴玉にハマって、肉よりも好物に転じたというだけの気がするな、と考えたりした。ほとんど聞き流していたその話が、ようやく終わった時、マリアは結論してこう口にした。


「――分かりましたわ。つまりニールさんは、それが大好きなんですね」

「飴玉界のトップに君臨してるんだぜ!」

「はぁ、なるほど」


 マリアは真顔で相槌を打った。「親友よ、悟ったような目をしてるぜ」と呟いたジーンの言葉については、聞き流した。こんなに良い笑顔を浮かべていきいきと話している部下に向かって、飴玉は飴玉である、という本音は言えそうにない。


 話が落ち着いたところで、ジーンの口から改めてハット・カラットの飴玉を一瓶買ってくるという新たな仕事内容が告げられた。ニールが「任せてくださいッ」と前向きに答える隣で、ヴァンレットがマリアを見下ろした。


「買ってきたら、褒めてくれるか?」


 そう問い掛けられ、マリアはふっと遠い目をした。


 もはや乾いた笑みしか浮かばず、そんなに頭を撫でられたいのか……と思いながら三十七歳の大男である彼を見上げた。ジーンに脇をつつかれて、遅れて「まぁ、そうね」と答える。


「えぇと、ルクシア様に頼まれていて、買えるかどうか悩んでいたところだったから、ゲットして頂けると助かるというか、なんというか…………」

「マジかッ。よっしゃ! なら、ここでまたお嬢ちゃんの中の俺の株を上げてやるぜ!」


 はたして、彼の株が上がった事などあっただろうか。


 マリアは、ニールが口にした『また』という言葉に含まれているであろう一件が、すぐには思い出せなかった。数秒ほど考えて、つい最近あった四人で初めて活動した際の報告書の件だろうか、と推測する。


 ガッツポーズしたニールを見て、ジーンが爽やかな笑顔を浮かべて「ニール」といい声で呼んで手招きした。それを後ろから見ていたポルペオが、「嘘臭い笑みだ」と一歩引いた。


「この封筒にお金が入ってるから、自分の分も買っていいぞ」

「いいんすか!? ジーンさんめちゃくちゃ太っ腹!」


 ルクシアと自分用に一番大きな瓶のやつを二つ買うと宣言して、ニールはヴァンレットの手を引いて走っていった。


 その後ろ姿を見送ったところで、ポルペオが「ようやくか」と仏頂面で言った。マントを手で払い、太い黒縁眼鏡の中央とツルの部分を、武骨な指で押さえて持ち上げる。


「すっかり時間を取られた。行くぞ、貴様ら」


 それに答えようとしたジーンとマリアは、不意に、ニール達が走っていった方向と逆側から上がった、甲高い女性の悲鳴と騒ぎに気付いた。


 なんだろうと思ってそちらを見てみると、向こうの人通りの中で一人の若い女性が持つバッグを、別の男二人が掴んで何やら揉めていた。どうやら白昼堂々のひったくりのようで、相手は男二人とはいえ武器を構えているせいか、通行人が唐突に始まった犯行に驚いて動きを止めている様子が目に留まった。


 マリアとジーンは、その光景を見た瞬間、考えるまでもなく表情そのままに走り出していた。ポルペオが一拍遅れて「おいっ、待たんか!」と後を追う。


 言葉を交わしたわけでもなく、長年の付き合いから女性と対峙している右側の男をマリアが、そのそばで周りの人間を刃物で牽制している男にジーンが、一直線に狙いを定めた。


「「女相手に何やってんだ」」


 二人は飛び上がると、声を揃えた次の瞬間には、両足でその男達の横面を踏みつけていた。


 ポルペオが「は」と間の抜けた声を上げた時には、少女のマリアと、細身長身の中年男のジーンの見事な飛び蹴りが、ひったくり犯の顔面のド真ん中に決まっていた。現場に居合わせた人々も、呆けた様子であんぐりと口を開けて佇む。


 一瞬ばかり、人の流れが多いはずの通りが静まり返った。


 崩れ落ちた男達の前に着地すると、マリアは背中にたっぷり流れるダークブラウンの髪を後ろに払い、ジーンがローブの裾を慣れたように片手で払って整えた。それぞれ淡々とした眼差しを流し向けて、既に意識のない二人の犯行者を見下ろす。


「阿呆。女に刃物を向けるな」

「まったく、けしからん連中だぜ」


 鞄を必死に掴んでいた事で、女性の手は少し赤くなってしまっていた。ジーンが「大丈夫か?」と彼女の状態を確認する中、マリアは近くにいた数人に「警備隊を呼んでくれ。そのついでと言っちゃなんだが、代わりに引き渡してもらえると助かる」と素の口調であると気付かないまま声を掛けた。


 ようやく事態とその収拾を理解した通行人たちが、わっと歓声を上げた。すぐ呼んでくる、と足に自信があるらしい若者数人が走り出し、仕事着の男達が地面に転がる二人の男たちを縛り上げた。


 これでもう大丈夫だろう。マリアとジーンは、後を彼らに任せて戻る事にした。少し進んだところで、そこにいたポルペオを見て「あれ?」と首を傾げて足を止めた。


「貴様ら……」


 何故かポルペオは、怒り心頭の様子で顔を伏せて、ぶるぶると震えていたのだ。気のせいか、小さな声で「貴様らは部下共々、どうしてじっとしていられんのだ」と聞こえたような気もした。


 マリアとジーンは、黒騎士部隊が落ち着きのない荒くれ部隊と呼ばれていた原因の一つに、自分たち上司組も含めて、行く先々で何かしら事を起こしているせいであった事を、都合良く忘れていた。


 一体なんでこいつは憤慨しそうになっているんだろうか、と不思議に思って二人は首を捻る。その気配を察したポルペオが、途端に顔を上げてカッと目を見開き、すぐそこの地面へ指をつきさした。


「馬鹿者! このポルペオ・ポルーが説教してくれるわ!」


 腹の底からの怒声が響き渡り、周囲にいた人々が「ひぇ!?」と飛び上がる中、マリアとジーンは条件反射のように揃って耳を蓋いでいた。

 


 その後、マリアはジーンと共に正座させられたうえ、何故かポルペオから雷が落ちる勢いで説教された。時間はかけなかったし、一体何が悪かったのか二人は分からず、いつも通り説教についてはほとんど聞いていなかった。


 

 比較的手短に説教を終えたポルペオが、ジーンとマリアの分も含めて、三枚の金色のチケットを購入した。


 今の時間、劇場で公演されているのは『首落とし姫』だった。

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