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十六章 血塗れ侯爵序曲(3)下

 国立芸術館内は、三階建ての建物の屋上以上の高さに天井があり、縦横共に広々とした空間が開けるように造られいた。既に多くの人で溢れ、友人や侍従を連れた貴族だけでなく、売買を仲介し手伝う商人の姿もあった。


 フロアには、この日のために設けられた展示台が数多く置かれていて、作品名と作者名、作成年代と説明書きと相場価格が記された看板がかけられていた。壁には日頃展示されている大型絵画が飾られている他、別の展示場へと続く廊下にも有名な作品がずらりと並んでいる。


「死角だらけっすね」


 館内に入ってすぐ、ニールがそんな感想をこぼした。イベントが行われている現在は、人の数も多く商談や談笑の声も溢れている。臨時に設けられた展示台で見通しは利かなくなっており、尾行や偵察相手からこちらの存在を隠してくれる事に有利に働くだろう。


 ジーンは「それもあって『説明員』が所々に立っていてな」と、つまらなそうに教えた。


「会場内は、貴族も五分五分みてぇな感じになってるだろ? 護衛が腰に下げた武器を隠すためにローブ姿なのも珍しくねぇし、ポルペオみたいに正装の軍服で来ている奴だっている。だから、俺らの姿も紛れてくれるってわけだ」


 子供時代に、何度か父親に連れられて来ていたのだという。


 その話を聞きながら、ヴァンレットも馴染みがなさそうに辺りを見回していた。マリアは横目にチラリと見上げて、子供みたいな目を通路側へ向けた彼の頬の傷跡に目を留め、彼の家はこういったものには参加していなかったらしいと察した。


 視線を館内へ戻したタイミングで、不意にマリアは「あ」と思い出した。すっかり忘れていたが、奴は本当に子供みたいなところを持った男なのだ。じっとしていられず、初めての場所だと何も考えず、ふらりと足を伸ばしたりする。


 しかも極度に道順が覚えられない、迷惑な迷子野郎だった。


 マリアが、もしやと予感して勢いよく振り返った時、「うむ」と頷いたヴァンレットが目的を忘れたかのように歩き始めた。彼の手を握っていたニールが「うおっ!?」と慌てて両足を突っ張るものの、ずるずると床の上を滑ってしまう。


「待て待てヴァンレット、『うむ』じゃねぇから!」

「ニール、あの通路のところはなんだろうか?」

「ただの一本道だし同じように絵が続いてるだけじゃねぇの、ってやっぱ無理助けてジーンさああああああん!」


 ニールは一呼吸分の台詞で説得の言葉を諦め、続く二呼吸目で応援を求めた。「床がつるつるしてるせいで全然踏ん張れないんすけどッ」と引き止める姿勢のままの彼を、ヴァンレットが重さなど感じていない様子で引きずる。


 入館してすぐの場所にいた係りの人間と、少し言葉を交わしていたポルペオが、それに気付いて「貴様らは何をやっている?」と顔を顰めた。


「館内で騒げば目立つと私は何度も言っ――」

「あ~はいはい、分かってるって」


 向かってくるポルペオに対して、ジーンがどうしたものかという表情で、片手を振って説教を遮った。彼がすぐに動けない様子を見て取り、マリアは「任せろ」と小さく声を掛けて、その脇を小走りで駆け抜けて二人の元へと向かった。


「ヴァンレット、ちょっと待った!」


 館内である事を配慮して、マリアは控えめに声を上げて呼び止めた。


 ヴァンレットが「うむ?」と足を止めてこちらを振り返り、ニールが途端に「助かったよお嬢ちゃんッ」と、三十七歳には見えない超童顔で瞳を潤ませる。


「というかさ、なんでお嬢ちゃんの言う事は聞くんだろう……」

「マリア、どうした?」

「いや、どうしたもこうしたも――っと、じゃなくて。一人でどこに行こうとしているの、はぐれちゃうから勝手に行ったら駄目よ」


 つい素の口調で話しかけそうになって、マリアは言葉遣いを直してそう言った。


 館内の入り口にあった案内板では、会場は三つに別れているだけとはいえ、奴が立ち入り禁止の扉を開けて突入しない保証はない。このまま二人で行かせた場合、好奇心が強いニールがそれに便乗して「なら探索してみるか」と当初の目的を忘れて、先輩面でヴァンレットを率いて、嫌な行動力を発揮する光景も目に浮かぶ。


 そもそも、ヴァンレットが何も考えていない顔で、見知らぬ貴婦人に『嫁にきませんか』と声をかける可能性も考えると、そばに夫がいた場合かなり面倒臭い事になる予感しかしない。十六年前も、パーティー会場で同じ事をしていた。


 ヴァンレットは、自分よりもだいぶ低い位置にあるマリアの顔を見下ろした。自分に向かう直前、ピタリと止まった彼女の手に気付いて視線を移し、そわそわと落ち着かない様子の大きな空色の瞳をじっと見つめる。


 彼は前触れもなく、ニールに掴まれていない方の腕を伸ばした。


「はぐれるのはいけないな」

「え」


 次の瞬間、マリアはヴァンレットの肩にひょいと担がれていた。ガッチリと片腕でそこに拘束されて、高くなった位置からニールと目が合った。


「ええぇぇぇぇぇ。なんでお嬢ちゃん、あっさり確保されちゃってんの」

「………………」


 なんで確保されたのか分からん。


 正直に言うと、そもそも自分が小さい事を忘れていた。


 心の中で答えたマリアは真顔だった。そのまま手を取って連れ戻そうと計画していたのだが、直前に今の自分が十六歳の少女の身である事を思い出した。前世の頃のように力任せに引っ張って行くという作戦は使えないと気付いて、別の方法をと考えて戸惑っていたら、こうして担ぎ上げられていたのである。


「うむ。これで良し」


 良くねぇよ阿呆、はぐれて迷子になるのはお前の方だよ、何勘違いしてんだ。


 マリアはそう思いながら、間違いないという顔で頷く超大型の部下の横顔を目に留めた。ヴァンレットがこうしようと思い立ったのは、彼にとって自分が『小さな子供』枠のせいかもしれないと考えたからだ。十六歳は子供ではないと先日に教えたはずだが、既に忘れている可能性が脳裏を過ぎっていた。


 そうしている間にもヴァンレットが歩き出してしまい、ニールが「ちょっと待てってヴァンレット!」と再び両足を伸ばして踏ん張った。ポルペオに捕まっていたジーンが、逆に確保されている状態のマリアを見て「マジか」と言葉をこぼす。


 マリアは騒ぐニールを目に留め、それから自分の拳に視線を向けた。騒ぐなとは言われているが、この超大型の部下を止めるのなら仕方あるまい。


「一旦沈めるか」

「お嬢ちゃん、ぼそっと冷静な感じで何容赦ないこと言ってんの!? ヴァンレットが可哀そうだからヤめてあげてッ。それからヴァンレットも、まずはお嬢ちゃんを離そうッ。俺がお嬢ちゃんとはぐれちゃうかもしれないじゃん!」


 おい、その言い方おかしくないか?


 マリアは、半ばパニックで言動が妙な事になっている、十六年前と全く同じ容姿をした超童顔の部下を見下ろした。若干涙目になっている気がするニールが、「飴玉あげるから止まってえええええ」と叫ぶ。


 近くにいた人々の目が、チラチラとこちらに向けられていた。移動されて注目度が今より上がる前に、やはり体術技で拘束を解いて、拳骨を一発見舞った方がいいような気がしてきた。


 よし、ヤるか。


 拳を固めたマリアが、ギッと眼差しを強めた時、――不意にポルペオの声が上がった。



「緊急事態でもないのに、相手の許しもなく女性を担ぎ上げるとは何事だ、馬鹿者め」



 襟首を掴まれたと思ったら、ぐいっと引っ張られて身体が浮いた。マリアが「うぉっ!?」と少女らしかぬ驚きの声を上げるそばで、彼女を片腕で難なく持ち上げたポルペオが、流れるような動きでヴァンレットの巨体を床に伏した。


 衝撃音はほとんどなかった。それは本当にあっという間の出来事で、足を掛けられて片腕一つで倒されたのだと遅れて気付いたヴァンレットが、きょとんとした表情でポルペオを見上げる。


 ヴァンレットから咄嗟に手を離していたニールが、「さすがヅラ師団長、だてに隊長とやりあってないよなぁ……」と呟いた。


 相手の体重や体格を利用して、力なく組み伏せる体術である。男性ならではのそれを目の当たりにし、マリアは猫のように持ち上げられた状態で、自分もやっていた事をなんとなく思い出した。そのまま、ゆっくりと降ろされて床に足が付いた。


 始終興味もなさそうな表情でいたポルペオが、こちらも見ないまま動き出し、ヴァンレットに手を差し出した。


「頭は少し冷えたか、ヴァンレット・ウォスカー」

「ポルペオさん、俺、何をしていたところでしたっけ?」

「貴様の記憶力は相変わらずだな……。いいか、まずは少し落ち着くがいい。静かに出来ないのなら、外に放り出すぞ」


 そう冷静な口調で言って、ポルペオがヴァンレットを助け起こす様子を、マリアは呆気に取られて見つめた。そばに寄ってきたジーンが、背を屈めてこっそり訊く。


「親友よ、大丈夫か?」

「まぁ、平気だが……。まさかポルペオが出てくるとは思わなかった」

「俺が助っ人に入ろうとしたらさ、『また騒ぎが大きくなるだろうが』って迷わずズカズカ向かっていったんだよなぁ」


 心外だと言わんばかりの表情で、ジーンがそう口にした。


 ニールがヴァンレットに飴玉をあげるそばで、手短に事を収めてしまったポルペオが、駆け付けた係り員と周りの人々に「連れが失礼した」と淡々と告げた。マントをひるがえしたかと思うと、こちらに向かいながら口を開く。


「貴様ら、行くぞ。先程ハーパーらしき男の向かった先を聞いた」


 つまり入場口で係りの人間と話していたのは、それを訊き出すためであったらしい。そういう面では優秀な男だよなぁ、とマリアとジーンは口の中で呟いた。



 ポルペオを先頭に、マリア達は国立芸術館内を進んだ。

 メイン・フロアから伸びる右通路に進むと、またしても広々とした展示会場に出た。そこは特に人の数が集中しており、大きな展示台がいくつも設置されていて、比較的大きな絵画ばかりが揃っていた。



「ハーパーは光沢の入った目立つ服ばかりを着る男らしいが、今日は他の入場者にはない色の服だった事もあって、係り員もよく覚えていたそうだ」


 ポルペオは歩きながら、前方へ視線を固定したまま何気ないそぶりで言った。ジーンが「でもさ」と疑問を口にする。


「お前も、奴の顔は分からねぇんだろ?」

「考えなしの貴様と一緒にするなよ。目立つ服の色もそうだが、奴には最大の特徴があるらしくてな。この会場内で、似合わないヅラを被っているのがハーパーだ、すぐ分かる」


 聞き間違いだろうか。


 マリア達は思わず、揃ってポルペオのヅラを見てしまった。堂々と歩くポルペオの頭部には、コテコテに固められたヘルメットのようにしか見えない、違和感マックスのヅラがセットされている。


 こいつ、自分で『似合わないヅラ』と言って、違和感を覚えないのだろうか?


 マリアとジーンは、ゴクリと息を呑んだ。ニールが珍しく言葉を失って戸惑いしかないという顔で口に手をあて、ヴァンレットがヅラを注目したまま、呑気そうな笑顔で頭を右へと傾げる。


 完全に沈黙してしまった一同に気付いて、ポルペオが肩越しに目を向けた。


「ん? なんだ、貴様ら。どこを見ている?」

「あ~っと……いや、なんでもねぇわ」


 問い掛けられたジーンは、そう言いながら開いたヴァンレットの口をそれとなく押さえて引き離した。衝撃的な発言のダメージから回復したニールが、思ったままに発言しようとする気配を察して、マリアは彼の足を思い切り踏んで黙らせた。


 少し歩いたところで、ポルペオが手を小さく上げて止まるよう合図を送った。軍人として見慣れた合図を続けて出されたマリア達は、すぐそばにあった展示台に身を隠すように素早く移動すると、彼が指示した場所へ目を向けた。


 そこには一枚の大きな絵画の前で、係り員に話しを聞かされている背丈の低い、やけに丸みを帯びた中年紳士が一人いた。光沢の入ったスーツは、コレどこで売ってんの、と思うくらいに派手で紫とピンクの襟元も目立っている。


 体格に似合わず大きな頭をしているハーパーの頭部には、ちょっと小さすぎるようにも思える焦げ茶色のヅラが乗っていた。飴玉のようにどこもかしこも丸さを主張しているその顔は、不自然な高い位置にある前髪から覗く額まで、油でも塗ったかのように全部てかてかと光を反射していた。


「恐らく、あれがハーパーだ」

「…………」


 そう告げたポルペオが、オークションをやっている男である旨を改めて話す説明は、全然耳に入ってこなかった。


 ヅラだけでなく服のサイズも小さくて、ハーパーの丸い身体で衣装はピチピチになってしまっていた。しかも、どこかの掃除道具で見掛けたような『作りの荒いヅラ』の組み合わせも、視界を強烈に貫いてこちらの語彙力を奪うほどだ。


 確かに、あれはあれで『似合わないヅラ』である。というか、服にそれだけ金を掛けているのなら、もっと髪質に近い状態のヅラを作ってもらった方がいい。


 あれで街中を歩くのだろうか。ならば、そうとう精神力が強い男に違いない。


 大柄なヴァンレットが一番後ろから覗きこむ中、マリア達は予想していなかった強烈なハーパー本人に目を凝らして、「おぉ……」となんとも言えない低い声をこぼした。奴を押さえるのが自分達の任務じゃなくて良かったな、と思った。


「――貴様ら、露骨に珍獣を見るような目を向けるんじゃない」


 ポルペオはそう注意したが、ハーパーの方を向いたままの彼もまた、無心である事を伝えるように真顔だった。


 しばし無言でいたニールが、たまらずといった様子でジーンのローブを引っ張った。


「副隊長、あれってヅラの内側もテカテカのハゲなんじゃ――」

「ニール言うな、推測が現実味を帯びて想像されちゃうから」


 あいつ俺より一回りも年下なんだぜ、とジーンは最近見た資料を思い返して呟いた。軍人として鍛えている自分達が、揃いも揃って若作りである事を都合良く忘れていた。


 すると、ポルペオがハーパーを見つめたままこう言った。


「潔く剃った可能性は考えないのか」

「お前そっち考えちゃうの? しかも横顔の表情が『そうだったら尊敬に値する』って伝えてきて説得力が半端ねぇんだけど」

「そうだとしたら、実に男らしい気がするわね」


 マリアは相槌を打つと、顎に手をやって真剣な表情でハーパーを目に留めた。そう考えてみると、感性と趣味が疑わしいあの男をちょっと見直せる気がして、あのヅラにはそんな理由があったのか、と一方的な解釈を信じた。


 ポルペオが口にした件を想像して「ならば問題なし」と、一人頷いて納得してしまった彼女を見て、ジーンは弱ったように眉尻を下げた。


「親友よ……、ちょっと言いにくいんだが、もう少し深刻に考えるべき問題だと俺は思うんだ」


 そういえば、たびたび親友とポルペオが珍しく意見や感想を一致させる事があったと思い出して、ジーンは「なんだかなぁ」と悩ましげに首を捻った。


 ハーパーを見つめていたヴァンレットが、数秒遅れて、その人物をようやく認識したかのように瞬きをした。マリア達に目を向けて、ニールの赤毛頭に目を留め、もう一度ハーパーに視線を戻したところで「うむ」と頷いてこう言った。


「飴玉みたいだな」

「いい笑顔でなんてこと言ってんのヴァンレット!? 俺のポッケに入ってる飴玉の美味しさが地に沈む勢いで不味そうに思えるし、食えなくなっちゃうだろ!?」


 確かに、それは同感だ。


 マリアとジーンは、心の中で揃って言葉を落とした。チラリと目線を交えると、互いの意見を交換する。


「…………あれは飴玉というより、丸々太った鳥肉料理を思い出す」

「…………分かるぜ、親友よ。中にハーブもたっぷり詰まった丸焼きの方だよな」

「貴様ら、聞こえているぞ。いい加減にやめんか」


 というか全部食べ物関係なんだな、とポルペオは遠い眼差しをして呟いた。

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