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十六章 血塗れ侯爵序曲(2)下

 一体ポルペオをどう怒らせたのかは不明だが、ニールとヴァンレットの事だから、またしてもいつものように好き勝手な事でも口にしたのだろう。


 マリアとしては、何故ポルペオがこの部屋にいるのか謎である。


「ヅラ師団長。それで、なんの話でしたっけ?」


 正座したまま、ニールがそういえばというような口調で尋ねた。ほんの少し前までの説教の苦労が微塵にも報われていない現状を察して、ポルペオの額に二個目の青筋が立った。


 ここで時間を費やされても困る。ジーンは、マリアの背をそっと押して入室を促すと、諦めたように自分も続いて室内に足を踏み入れ「ニールはちょっと黙っていような~」と、通り過ぎがてら頭をくしゃりとやった。それから、重いローブを脱いで引っ掛け、ソファに腰を降ろす。


 ニールが少し乱れた頭髪に手をやり、「へへっ、褒められちゃったぜ」と言う様子を、ヴァンレットが羨ましそうに見下ろした。まるで捨てられた子犬みたいな顔をしているものの、大男がそんな表情をしてもちっとも可愛くはない。


「私には奴らが理解出来ん」


 ポルペオが途端に遠い目をして、そう呟いた。マリアも同意見だった。


 ひとまずメイドらしく『大臣』のそばにでも控えるか、と歩きだしたマリアは、ヴァンレットがちらりとこちらに顔を向けてきた事に気付いた。ついでに、ニールまでこちらを見てくる。


「…………」


 ヴァンレットの子供みたいな目が、頭を撫でて欲しい、と伝えてくる気がする。


 いや気のせいではない。長い付き合いのせいか、可愛くないのに似合わない子犬の耳が頭についているような想像までされて、マリアは「くッ」と目頭を押さえた。

 ジーンまでこちらを見てきて、いかにも自分が頭を撫でてやらなければならない空気をひしひしと感じた。なんだってヴァンレットは、今の自分(マリア)にこんなにも懐いているのだろうか?


 考えながら丹念に目頭を揉み解していたものの、マリアは仕方ないと諦めて、正座している事によって、胸の高さになっているヴァンレットの芝生のような緑の頭を、ぐしゃぐしゃと撫でてやった。


 これで満足だろう、とばかりに手を離して歩きだそうとしたら、彼がいる方とは違う位置から、スカートのエプロンをくいっと引っ張られた。


 なんだ、と思って目を向けてみると、ニールが好奇心と期待の眼差しでこちらを見ていた。奴の指先は、こちらがスカートの上からしているメイド仕様のエプロンの裾をつまんでいる。


 十六年前にもあったような気がするな、と既視感を覚えて見つめ返していると、彼がこう言った。


「お嬢ちゃん、俺も」

「…………」


 いやなんでだよ、おかしいだろ。


 思わず一歩身を引いたマリアに対して、ジーンは口を押さえてソファの上で腹を抱えて震えていた。笑い転げたい気配を察知したポルペオが、意味が分からん、と言葉もなく目を向ける。


 ニールは珍しく勝手な事も言わず、キラキラとした瞳でマリアが動くのを待っていた。その姿はやはり二十歳くらいにしか見えなくて、彼女はよく分からないまま、ひとまずはぐりぐりと押さえ付けるように撫でてやった。


「お嬢ちゃんって、手ぇ小さいのにすげぇバカ力だ」


 そう口にする彼は、なんだか上機嫌な猫みたいに顔をしていた。この撫で方って誰かに似ている気がするけど、という彼の呟きと、マリアの問い掛けが重なった。


「というか、なんでニールさんまで要求してくるんですか?」

「だって、ヴァンレットもされてたじゃん。お嬢ちゃんに褒められるなんて、滅多にないし!」


 これ、別に褒めて撫でてるわけじゃないんだが……。


 マリアは困惑しつつ手を動かし続けた。その様子へ目を留めたポルペオが、「あれは本当に撫でているだけなのか?」と訝しげに言い、ジーンがぶくくくッと笑いをこらえながら「撫でてるだけさ、『いつもあんな』だぜ」と答えた。


 ニールとヴンレットが正座を解いて、床の上で胡坐をかいて座り直した。ポルペオの手前、大臣であるジーンのソファの後ろに立とうと思って、マリアはそこへ移動しようとした。しかし、その時、ポルペオに「おい」と呼び止められた。


「座るといい」


 そう言って彼が指したのは、大きな笑いの波が収まり涼しげな顔で座り直したジーンのいる、豪華な三人掛けソファだった。


 こちらはメイドなのだが、それでいいのだろうか。


 昔から彼が生粋の貴族として行動しているのを分かっているだけに、マリアはジーンとチラリと目を合わせてしまった。いいのか、と目で問うと彼は、いいんじゃね多分、と視線で答えてくる。


 その様子を見ていたニールが、実に不思議だと言わんばかりに、きょとんとした表情で首を傾げた。


「座らねぇの? お嬢ちゃんってスカートだし、俺らが床に座るからそっちに座りなよ。せっかくソファに座れるスペースがあるんだし」


 そう声を掛ける彼を見やったポルペオが、視線をそらしながら眼鏡を掛け直して「お前も『臨時班』のメンバーなのだろう」、だから何もおかしくはないと伝えるような呟きを口にした。


 ならばいいか、とマリアは簡単に考えて、ジーンの隣に腰を降ろした。


 ようやく話しの場が整った事を視認したところで、ジーンは向かいのソファに腰かけるポルペオに改めて目を留めて、「それにしてもなぁ」と切り出した。


「まさかポルペオが来るとは……。てっきりレイモンド辺りがくるかと思っていたんだが、その俺の予想を斜め方向にぶっちぎるとは、驚き」

「言っておくが、ハーパー自身は私の標的なのだぞ」

「まぁ、そりゃ知ってるけどさ」


 自分から名乗り出て動くような男でもないのだ。だからジーンとマリアは、これまでの付き合いを思い返して首を捻ってしまう。


 ポルペオは相変わらず愛想もない仏頂面で、無駄な時間を出来るだけ省くよう手短に、そして簡潔に説明を始めた。



 本日ハーパーが参加するのは、国立芸術館で行われる絵画品展である。購入可能である貴族限定でチケットが同封された招待状が配られており、彼は中流貴族ながら常連客として当然招待されていた。


 その招待状については、ジーンの家にも届いている。しかし、昔から王族と親身な付き合いがあるとして知られている『アトライダー侯爵家』が行けば注目を浴びるので、こっそり行動を起こすには『ジェラン・アトライダー』の招待状は使えない。

 ハーパーは午前十時に到着するよう、前日に馬車を手配していた。当日に会場で誰かと待ち合わせてもいるようだ、という情報も入っているという。



 ついでにその人物が何者かについても、直接自分の目で確認したいというのがジーンの考えだった。だから無茶難題だと分かっていても、宰相ベルアーノを通して招待状を持った人間をこっちに回すように手配してくれ、と頼んでいたのだ。


 とはいえ、ポルペオ・ポルーがくるとは、さすがのジーンも予想外である。


 マリア達は、説明をするポルペオをしばらく見つめていたものの、すぐに集中力がなくなって注意がそれた。彼のヅラと黒縁眼鏡を全体的に眺め、やはり全然似合わないヘルメット頭に目を留める。


 ふと、彼が他国の協力要請を受けた際に、何度かヅラを葬ったり隠した事が思い出された。


 そういえば、あの『首落とし姫』の一件の時にも、国境沿いにいた自分達は国外に出るポルペオの部隊進行を偶然見掛けて、ヅラに対して何かやったような――とヅラ無しの彫刻の件について四人が思い出しかけた時、



「貴様ら、話を聞いてるのか?」



 きっちりと話しをまとめて説明し終えたポルペオが、彫りの深い眉間に皺を寄せた。すかさずジーンが、薄ら笑いを作って片手を振り「聞いてる聞いてる」と適当に相槌を打った。


「我がポルー伯爵家にも招待状が届いていた」

「つってもさ、だからって、わざわざお前が来なくてもよくね?」


 ジーンがあっさりそう言った。彼には悪気も悪意も全くないのだが、元々期待してもいなかったんだけどなんで来たわけ、という疑問の言葉を察したポルペオの額に、ピキリと青筋が立った。


 こうしてテーブルを挟んで向かい合うのも、ニールやヴァンレットが入隊するよりも前からあった光景である。軍人時代と変わらぬ馴染みある空気に緊張感も薄れ、マリアも小首を傾げてこう尋ねてしまった。


「師団長様は、本当にそれでよろしいのですか?」


 こう言ってはなんだが、ポルペオは師団長の中でもっとも忙しい男とされていた人物だった。きっちりと詰まったスケジュールを日々こなす彼に、急な仕事を振れたのは、十六年前の当時もアヴェインくらいなものだったと覚えている。


 そもそも、今や自分の部隊を率いている第二王子ジークフリートを第一優先としている男だ。細かく組んでいる予定を崩されるのも嫌っていたので、それを考えると、今回の協力の申し出はどうなのだろうかと思ってしまう。


 問われたポルペオは、長身のジーンの隣にちょこんと腰かけるマリアへ視線を移すと、彼女の澄んだ空色の瞳を数秒ほどじっと見つめた。


「――急に出た案件だったからな。私もハーパー本人を、自分の目で確かめたいと思っていたところだ」


 彼は落ち着いた口調でそう言って、視線をそらした。


 その様子をきょとんと見つめていたジーンは、膝を叩くと「じゃあ俺も支度すっかな」と言って立ち上がった。歩きながら上着のボタンを外し始め、書斎机の上に用意されていた一般兵の軍服のうち、小さなサイズのジャケットを手に取ると「親友よ、サイズは前と同じで良かったよな?」と言いながらマリアの方に投げる。


 慣れたように受け取ったマリアが「サイズは大丈夫だった」と答える様子を見やったポルペオは、続いてその場で着替え始めたジーンに気付いて顔を顰めた。


「貴様、女児の前で堂々と着替えるとは、馬鹿ではないのか?」


 女児じゃねぇよ、阿呆。


 マリアは、二回目にもかかわらず、臨時班での仕事着として慣れた様子で軍服のジャケットに袖を通すと、たっぷりの長い髪を背中に流したところで、にっこりと少女らしい笑みを浮かべた。しかし、その目は笑ってなかった。


「師団長様。以前にも申し上げましたが、私は十六歳であって『女児』ではございませんわ」


 この私が女性の年齢を間違えるとは、とポルペオが訝しげに顎に手をあてる。


 彼から見ればそれくらいに幼い容姿をしているのだ、という推測に至らないまま、マリアはこめかみに小さな青筋を立てた。ジーンが手を動かしながら、ポルペオも見ずに「ちょっと着替えるだけじゃん」とまたしても適当な相槌を打った。


 立ち上がった後輩に続いて腰を上げたニールは、「お嬢ちゃん、副隊長のパンツも平気で見てたもんなぁ」と思い出すように口にして首を右へと倒した。それを真似て、ヴァンレットが首を傾げる。


 暇になったニールは、着替えるジーンを見て、それからソファから立ったマリアがスカートの裾を整える様子に目を留めた。続いて襟元に手をやりながら腰を上げたポルペオに視線を向けたところで、彼が同行するらしい事を遅れて考え、ふと、ピンときた様子で指をパチンと鳴らした。


「つまり、ヅラ師団長って今日暇だったんすか?」


 思い付いたままに問われ、ポルペオがまたしてもピキリと青筋を立てた。機嫌を急降下させた様子を見て、ヴァンレットがコテリと首を傾げる。


「ポルペオさん、いつもの腹下しですか?」


 相変わらず自由な部下と怒気に震えるポルペオの光景は、軍人だった当時の苦労をマリアに思い出させた。この面々で、はたして何事もなくハーパーの顔を拝んで戻れるのだろうか、とチラリと心配になってしまう。


 ポルペオ以外のメンバーに、以前と同じ旅用のローブが配られた。


 そして、第二回目となる元黒騎士部隊の四人で構成された臨時班は、自称オブライトのライバルであるポルペオ・ポルーを同行して、外出が決行されたのだった。


             ※※※ 


 マリア達の臨時班が、隠し通路を使って最短ルートで王宮を出た頃。


 夜明け前にアーバンド侯爵邸を出て、いくつかの予定地と仕事を終わらせたマシューは、またしても移動のため何度目かも分からない乗合馬車に揺られていた。数人の乗客と共に荷台に座りこんでいる彼は、疲れ切った遠い目をしている。


「なんだかなぁ……」


 もう何度目か分からない台詞が、口の中にこぼれ落ちた。


 マシューは質素で厚みのある、風や砂避けにも最適とされている大きめのローブに身を包んでいた。灰色の髪を少し覗かせて、耳あての付いた帽子を深くかぶっている。その肌は、日差しを知らないように白い。


「お兄さん、なんだかデカいものを背負ってるね。商品かい?」


 隣の中年男に声を掛けられて、マシューはぎこちなく笑い「そんなところです」と答えた。



 座る時に邪魔になるので、乗車する前に背負った。


 何故なら彼の大剣は、やけに幅の太い刃が真っ直ぐ続いているタイプのもので、何より厚みもあってずっしりと重いからだ。



 この国では、大昔に使われていたような古い型の大剣だった。装飾品もなく全体的に質素だから、骨董物かと勘違いされることも多々ある。そんなに刃幅があれば重くて使い物にならないので、ただの置き物用だろうと勝手に誤解してくれた。


 乗合馬車の進む先は、砂丘からの砂風が吹くため、外での作業には圧倒的に向いていないとある商業生産地だ。出入りする人間は、砂避けにローブを着込むのも珍しくなく、たとえ腰に武器をさげていたとしても上手く隠してしまえるだろう。


 続いてマシューが向かうのは、砂丘の隣に位置している商業の町、ザベラだった。

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