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十六章 血塗れ侯爵序曲(1)

 王宮内の仕事開始の定時時刻よりも、だいぶ早いという珍しい時間に宰相ベルアーノから呼び出したがあったと思ったら、まさかの追加で野暮用を出来ないかという頼み事だった。


 そこには、朝一番から用事が立て続けに入っているはずのグイードもいた。問われたレイモンドは、目を剥いた一瞬後に「無理ですッ」と即答していた。



 本日は国王陛下を含めた軍部の定例大会議があり、親交国の貴賓客が招待された式に出席するなどの予定もあって、レイモンドとてグイードに時間がないのは分かっている。宰相ベルアーノに関しても、昨日は胃痛で倒れているところを発見されたくらい仕事で忙殺されていた。


 とはいえ、こちらもスケジュールに空きなんてないのだ。ポンと湧いて出た野暮用を引き受けられるような余裕は、ない。



 レイモンドは、昨日も散々な一日だった。途中ジーンから頼まれて騒動に巻き込まれた事でも時間が押され、内密に進めなければならない件の調査報告や情報を整理する暇すらないまま、疲れ切った身体をひきずって通常の訓練指導に参加した。


 ロイド相手だと精神的なダメージが強いため、逃げるべく走っただけだというのに、まるで待ったなしの剣稽古をした時のように疲労感が凄まじい。


 よくは分からないが、マリアが可哀そうだなと思った。


 とはいえ共に逃走に入ってすぐ、彼女がその道中で、近くにあった壺をロイドに放り投げようとする気配を見せた時は、止めるのに大変苦労したが。


 プツリと切れたというより、怒りが沸点を超えてやけに好戦的になり「こうなったら沈めてくれる」「ついでに記憶も飛べ」という感じだった気もする。その際に浮かべていた少年のような勝気な笑みは、なんだか誰かに似ている気がした。


 もう一つよく分からなかったのは、それを見たロイドが、突然調子でも悪くなったかのように「くッ」と顔を押さえて足を止めた事だろうか。そのおかげで、レイモンドは応戦に入ろうとしたマリアを連れて逃げ切る事が出来た。


「というかなんで俺!? クソ忙しいんだけど!?」


 一瞬回想に耽ってしまったレイモンドは、我に返ると、自分を推薦した張本人であるらしいグイードに言い返した。すると、騎馬隊時代の相棒が「だってさ」と、ぶっ飛ばしたくなるような呑気な面で、頭をコテリと右へ傾けた。


「急とはいえ、ジーンの意見はもっともだし協力してやるべきだろ? ベルアーノも俺も抜けられねぇし、かといって今回の計画の件を知らされているメンバーってのも、かなり数が限られてる。――ほら、お前っていちおう、歴史が長いあの伯爵家んとこの人間じゃん?」

「確かにその招待状は来てたけどッ、時間がないうえ、俺がそんなものに行くわけないだろ!?」


 芸術品なんて愛でて購入するような趣味はないッ、だからすぐに捨てちまったよ、と、レイモンドは歴史ある名門貴族の一人とは思えないサバサバとした普段からの行動を、相棒の胸倉を掴んで揺らしながら一呼吸で言い切った。 


 その時、一つのノック音が聞こえて、一同はピタリと口をつぐんで扉へと目を向けた。ベルアーノとも付き合いの長い馴染みのある声が「失礼する」と聞こえたかと思うと、一人の男が皺一つないマントを背中で揺らせて入室してきた。



「話は聞かせてもらった。私が行こう」



 その男が誰であるのか見て、レイモンドとグイードは目を見開いた。

 また幼馴染のジーンから話を聞かされて、陛下が余計な情報でも流したようだと推測し、ベルアーノは「うッ」と服の上から胃を押さえた。


             ※※※


 昨日マリアは、理由もなくロイドに追い駆け回されたものの、疲労感はいつもの半分で済んでいた。こうなったら沈めてくれると何度目かに振り返った時には、もうそこにはいなかったせいかもしれない。


 耳を澄ましても破壊音は聞こえてこなくて、ロイドが追い駆けるのを途中でピタリとやめる、というのも初めてのような気がして少し珍しく思った。


 長い付き合いから奴がどれほど迷惑極まりないドSであるかは知っていたから、いちおう警戒してそこから更に離れるようにレイモンドとしばらく走った。それから彼と別れて、ルクシアとアーシュがいる薬学研究棟に向かったのである。


 記憶が飛んでくれたとはいえ、先日ソファに押し倒された事はまだ許していない。

 そのせいなのか、昨日八つ当たりのように追われていた中で、きっかけになる言動があったわけでもないのにプツリと切れて、近くにあった大壺を持ち上げていた。落ち着き取り戻した後で、前世ではロイドに対して火に油を注ぐ行為は避けて大人として接していたのにな、と遅れて気付かされたのだ。


 再会した際に、真面目な表情で話すロイドを見て、もうあれから十六年が経ったのかと感じた。可愛らしい少年時代の雰囲気は、どこにも残されていない。



 本音をいうと押し倒された一件以来、今のロイドが、あの頃の少年師団長の見た目や雰囲気と重ならならず、落ち着かなくなる時があった。


 あの頃のロイドは、オブライトにとって、いつまでも小さいままの少年だった。青年の面差しへと変化する成長の過程を見られなかったせいなのか、『マリア』として再会した時は、本当にあのロイドなのだろうかと困惑した部分も少なからずある。



 再会時は、姿が違ってもロイドなのだとは認識していた。大人になったんだなと少しだけ感慨深く、それがなんだか慣れないな、と思っていた程度だった。


 けれど正気を失った彼との一件で、自分が知っている少年時代にはない部分を見せつけられてから、慣れないなという思いが濃さを増した。そして昨日の一件で、前世の頃から流れた歳月に関して、自分がロイドの時間の変化だけ上手く受け止められていないらしいと気付かされた。


 思い返せば、もう少し早めに気付いても良かった事なのかもしれない。


 だって、そうでなければ、記憶の奥に押しやったはずの押し倒したこちらを見下ろしてきた、完全に大人になった色気ある彼の表情が、小骨のように引っ掛かる事なんてなかっただろう――とも思うのだ。


 深く考えないのが自分の性分だった。それなのに、たびたびこうして「大人になったんだな」「慣れないな」と考えてしまうのは、今の姿になったロイドと、あまり話してもいないせいなのだろうか?



「…………考えたら、ちっとも成長していないニールの方がおかしいんだ」



 マリアは友人たちを思い返し、その中でも超童顔の一人との再会時の印象を浮かべて、つい、ぽつりと呟いた。


 接していれば、今のロイドも案外『当時のロイド』のままだ。昨日だって詳細不明のストレスを向けられたし、その前の日に、友人たちと一緒になって話をした時の彼も、ドSの鬼畜ゲス野郎は相変わらず健在だった。


 多分、自分が三十代になった今の彼を、あまりにも知らないだけなのだろう。出会った当時は十六歳で、別れた時も十八歳という若さだったから。


「話せば多分、この違和感もなくなってくれるのだろうけど……。とはいえ、昔と違ってほとんど話す事もないだろうなぁ。当時だって、あまりなかったくらいだ」


 マリアは、一緒に馬車で来ていたリリーナとサリーが少し離れたところにいた事もあり、王宮に到着したばかりの今の待機状況を忘れて、朝の青い空を仰いだ。



 今の自分は、メイドのマリアだ。総隊長であり、公爵であるロイドと話せる機会なんてないだろうし、そもそも前世軍人だった当時だって、プライベートで話した経験はそんなに多くない。



 ロイド少年は、喧嘩を吹っ掛けてくる以外は、むっつりと黙っている事が多かった。彼と臨時班を組まされた際、任務終わりにジーン達が打ち上げに誘っても、苛々した様子で「行かん」と言って忙しくしていたものだ。


 全く別人の少女として生まれ変わった今の自分が、あの頃と変わらずジーンと交流し、オブライトであった頃の友人たちと接しているという状況の方がおかしいのであって、こうして客観的に考えてみると、やはり妙な感じではある。


 とはいえ今の状況は、毒の件や彼らが追っているガーウィン卿が、自分の過去と無関係ではないと知って、少しだけでも協力させて欲しいと、ただのメイドの立場でお願いして協力期間を伸ばしてもらったに過ぎないのだけれど。


 だからいつかは、レイモンド達と話す機会だって、なくなってしまうのだろう。


「――昔は、考えている事が全然分からないという訳でも、なかったのにな」


 ロイド少年は、むっつりとしていても表情があった。不満だったり、怒っていたり、素直に喜べていないだけだったり、子供らしく拗ねているだけだったり……


 けれど今のロイドは、何を考えているのか全く分からない表情や眼差しをする。


 そこには一体どんな感情があるのか、オブライトであった頃から感情の動きに鈍いせいもあって、マリアには察知出来ないでいた。一体何を考えているのだろう、と、知らない人間に対するような隔たりを覚えて戸惑う。


「…………意外と可愛いところがあるなぁ、と思っていたんだけどな」


 たまに見られた子供らしい部分は、もう見られないんだなと思い返して、マリアは心が静まるのを感じた。ロイドはロイドのままであるはずなのに、出会ったばかりの頃よりも遠くなったような気がするのは、どうしてだろうか。



「どうかされましたか?」



 戻ってきた衛兵の一人に声を掛けられて、マリアは我に返った。


 王宮に馬車が到着してすぐ、出入りをチェックしている衛兵に登城の用件を伝えて、許可と共に自分が案内人を寄越されるのを待っていたのだと思い出した。今日は珍しく、宰相やレイモンドの出迎えがなかったのだ。


 恐らく、彼らは多忙なのだろう。騒動の後で別れる事になった時、レイモンドは「頼まれた案件が溜まっている状況なのに……」「訓練が終わってからの残業か……」と頭を抱えていた。宰相のベルアーノに関しては、部屋の扉が破壊されているうえ、ストレス性の胃痛で倒れているのが発見されたという騒ぎも耳にした。


 後方へチラリと目を向けると、本日は婚約者である第四王子の瞳の色に近い淡い黄緑色のドレスに身を包んだリリーナと、彼女の手を握り、引き続き話し相手になっているサリーの姿があった。


「いえ、なんでもございませんわ」 


 マリアは、尋ねてきた衛兵に視線を戻してそう答えた。


 昨日、どこか愛らしさを持った個性的な軍馬を見に行った件については、しばらく四人の秘密にする事になった。レイモンドは多忙そうなので「こっそり見に行ったんだが」と話すのも微妙なタイミングであり、ニールにも黙っているようにとしっかり釘を刺した。


 それに近いうち、ハーパーと彼のオークション組織を根こそぎ叩く事になっているので、そちらに集中したいという気持ちもあった。規模が大きいとされているザベラの町の屋敷を、元黒騎士部隊の人間で構成されたマリア達の臨時班があたる予定だ。

 昨日は情報収集班が動いて、こちらは待機状態だった。何かしら必要な情報の一部でも入っているとしたなら、今日はジーン達と集まる事はあるのだろうか?


 決行の日までの期間が短い案件だったので、恐らくはそうなるのかもしれない。


 案内の任を受けた若い近衛騎士がやってきたタイミングで、マリアは思案を目の前の事に切り替えた。幼い主人であるリリーナを、サリーとの間に挟む形で彼女の片方の手を握り、第四王子の私室へと向かう。


 すっかり道のりも覚えたリリーナが、緊張した様子もなく歩く姿は可愛らしい。お気に入りの空色のリボンが、柔らかい蜂蜜色の髪と共に揺れていた。


「マリアにも見せてあげたいなぁ。社交マナーの授業の先生が、本当にとても素敵な人なの! 今日も会えるのがとても楽しみなのよ」

「昨夜も旦那様に、楽しそうにお話しされていましたね」


 嬉しそうに語るリリーナの横顔を見下ろし、マリアは笑顔で相槌を打った。先程サリーも同じ話をされたようで、チラリとこちらに目線を寄越しつつ「とてもキレイな人ですよね」控えめな声でそう言った。


 昨日から社交マナーに新たな作法授業が加わり、第四王子クリストファーとリリーナに教える講師が一人増えていた。サリーが昨日報告してくれた話だと、三十代の三児の母で、柔和な雰囲気の美しい人であるらしい。


 リリーナやその周りの状況については、常にサリーからアーバンド侯爵、そして執事長フォレスと料理長ガスパーに伝えられていた。講師の中に不審な者が紛れていないかをチェックするのも、彼の仕事である。


 急に増えたようにも思える今回の女性講師については、これまでの講師陣たちの時とは違い、侯爵達は不思議と警戒した様子を見せず『追って調べるように』という指示は出していなかった。それについて小さな疑問を覚えた時――


「あんな素敵な女性になれたらいいなぁ」


 大きな瞳を潤ませて少し恥ずかしそうに、どこかうっとりと呟くリリーナの横顔を見て、マリアは笑顔のまま思考ごと硬直した。


 十歳の幼い主人の成長は、専属メイドとして心から喜ばしい事だ。けれど、それを見届ける楽しみと同時に、とある口にしてはいけないだろう本音の方もあって、すぐに適切な言葉を掛けてやる事が出来ないでいた。


 リリーナは、侯爵家に飾られている亡き母親の面影がある。アーバンド侯爵一族に、これまで小柄な女性はいなかったらしいから、恐らくは儚げに微笑する美麗な母親以上に、将来美しい女性になるだろうとは推測されていた。


 マリアだって、彼女の成長が楽しみである。自分より胸が大きくなってしまっても、いつまでも「マリア大好き」という笑顔を向けられたいなと思う。そして、成長して子供でなくなってしまうギリギリの年頃までは、その抱きつき癖も豊かな表情も健在であって欲しいとも思うのだ。


 むしろ出来るだけ長く、そのままの幼い愛らしい主人でいて欲しい。


 というか、このまま抱き上げて甘やかしてしまいたい。


 まさに天使であるリリーナの恥ずかしがる表情に、自分の理性がくらくら揺れるのを感じて、マリアは当初考えていた事がなんであったのかも忘れた。


 許されるのなら、天使だ、と直接口にして抱き上げ、可愛いかわいいと本人に告げながらめちゃくちゃ甘やかしたくてたまらないんだが――


 と、心で本音を呟きながら、あと数年の姿であるかもしれない愛らしくて小さな主人を見つめていたマリアは、ふと、今の自分の身では片腕で抱き上げて、手で頭を撫でながら甘やかす事が出来ないのだと思い出した。


 それが行えていたのも、身長差がだいぶあった数年前までの話だ。オブライトであった頃のように持ち上げるには、十六歳の平均身長に届かないくらいに華奢である少女(じぶん)の体格では無理がある。そう改めて悟り、マリアは心の中でチクショーと思った。


「くッ、己の小ささが憎い……!」


 込み上げる悔しさに、思わず片手で顔を押さえて呻いた。


 すると、「いつかクリスの素敵なお嫁さんになるの」と、憧れの女性像に想いを馳せていたリリーナが、呟きの内容を聞き取れず不思議そう見上げて、きょとんとした様子で小首を傾げた。


 それを目に留めたマリアは、しばし真顔で沈黙し、それからそっと王宮の廊下の天井へ視線を逃がした。


「…………その仕草と表情も可愛い」


 マリアは顔に手をやり、愛らし過ぎるリリーナへの想いと格闘した。

 多分、自分は疲れているのだと思う。すごく抱き締めてしまいたくてたまらない衝動を、前世でも鍛えた鋼の精神力で抑え込む。


「ねぇ、サリー。どうしてマリアは震えているの?」

「えぇと、その……きっと、くしゃみを我慢しているのだと思います」


 片手で顔を覆い、天井を見上げたまま静かに震えているマリアを見て、サリーは小さな声でリリーナにそう言った。



 先頭に立って案内していた若い近衛騎士は、すぐ後ろにいる三人の様子を肩越しにチラリと盗み見た。昨日、第四王子の私室であった『デカいリボンの鼻血事件』の現場を目撃してもいた一人である。


 今のマリアの呟きをバッチリ拾い上げていた彼は、「もしかして抱き上げたかったのか? いやまさかな……」と、口の中に思案の声を落として視線を戻した。

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