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二章 お嬢さまのお見合い準備(4)

 第四王子の来訪に向けて、リリーナのドレスも新調された。


 たっぷりと生地の使われた桃色のドレスを試着したリリーナを前に、拝見した全員で「天使だ」と感動して打ち震えた。


 妹の愛らしい姿を見たアルバートは、感極まって抱きあげ頬ずりしていた。そばにいたアーバンド侯爵が笑顔で冷静に取り上げて、「そろそろ大人になろうか」と告げた言葉には珍しく温度がなかった。



 翌日に第四王子の訪問を控えた日、リリーナは落ち着かないようだった。



 ドレスなどの支度がすっかり整い、普段よりにわかに活気づいた屋敷内を時折気に掛けながら、リリーナは不安そうに、マリアにべったりくっ付いて離れなかった。


 可愛い、可愛すぎる。こんな妹が欲しい。


 膝の上の小さな主人に、マリアは内心悶絶していた。


 三人掛けのソファに腰掛けたマリアの隣には、リリーナの侍従であるサリーもおり、テーブルには、料理長お手製のクッキーと三人分の紅茶が並んでいた。


「アルお兄様は、おそばにいてはくれないの?」

「お仕事が入っていらっしゃいますから。でも大丈夫です、旦那様がいいようにはからってくださいますからね」


 途中で第四王子と二人きりにする運びとなっているが、まぁ、今は何も言うまい。

 マリアは、得意な笑顔の下でそう考えた。


 国王陛下から信頼を置かれている一部の家臣達は、アーバンド侯爵家の事情を知っているらしく、当日の第四王子の付き人は、通常より少なく設定されているようだ。非公式であるので、治安も良いだろうという表向きの理由でそう処理されていると、昨夜アルバートが使用人達に語っていた。


  改めて考えると、アーバンド侯爵家ほどの安全地帯は他にはないだろう。屋敷内まで侵入者を許した事は一度もなく、客人を狙う刺客も生きて帰った者はない。


 まさに、鉄壁の要塞。


 不思議と特に畏怖らしいものが込み上げないのは、マリアが幼い頃に引き取られて慣れてしまったせいだろう。オブライトの知識から比較させてもらうと、アーバンド侯爵家の戦闘使用人は、一人で一小隊分の働きをみせるぐらいに優秀である。



 必要が生じた場合だけ、侯爵家の人間は、侍従や執事の他に、世話をする使用人を『仕事』に連れていく。



 護衛兼戦力強化なのだが、客観的に考えると、不審も持たれず警戒もされない最強の守り手の構図が出来上がり、マリアとしてはちょっと面白くも思う。


 リリーナが自由に町に出られるのは、領主であるアーバンド侯爵家が領民に愛されているせいだと、それを外の人間は疑わない。連れ立っているか弱い少女のような侍従や、見慣れたメイドが護衛だとは思ってもいないからだ。


 リリーナは純真で無垢で、アーバンド侯爵家の『業』を背負えない、普通の令嬢だった。


 それは珍しい事ではなく、迎えた妻にその適正がない場合も打ち明けられないままになるらしい、とはマリアも聞いていた。実際、リリーナの母親は、アーバンド侯爵家の在り様を知らないまま亡くなっている。



 今後どれだけ年月と経験を経て成長しようとも、リリーナが、一族の真実を知らされる事はないだろう。



「王子様とお友達になれるかしら。サリーは、そばにいてくれるのよね?」

「はい。ぼ、僕はお嬢さまの騎士ですから、おそばにいます」


 頬を赤く染めて、サリーが膝の上で両手をもじもじとさせて答えた。その様子は、どこからどう見ても少女である。


 薄い服で胸元の絶壁はハッキリとしているが、何故女である自分よりも細い腕をしているのだろう、とマリアは不思議でならない。


 サリーは背丈もマリアと大差ないので、メイド仲間のカレンが、面白がってメイド服やドレスを着せる事があった。メイド全員が「マリアより断然飾り甲斐があるわ」と言い、毎度着せ替えは大好評である。



 うん……悔しいが、返す言葉が見つからない。



 マリアとしても、サリーの女装をガン見して癒されている側なので、そこは否定出来なかった。


「マリアはそばにいられないの? どうしても駄目なの?」


 リリーナに袖を引かれ、マリアは彼女を見下ろした。


 こちらを見上げる大きな潤んだ深い藍色の瞳に、理性がぐらりと揺れそうになるのを感じて、マリアは咄嗟に天井を仰いだ。鋼に近いまでに強化されてる精神力を総動員し、脳を貫く「可愛い抱き締めたい頬擦りしたい」を抑え込む。



 くそッ、なんて可愛いんだ、その上目遣いは反則だろう!



 それに目敏く気付いたらしいサリーが、残念そうな眼差しをどうにか弱々しい愛想笑いで隠して「……マリアは、別の仕事があるから」と戸惑いがちに呟いた。


 その間に自分を静めたマリアは、改めてリリーナと向き合った。


「申し訳ございません、リリーナ様。相手は王族の方ですので、メイドは控えるのが礼儀なのですわ」

「そうなの?」


 ……うん、多分、そうだったと思う。


 自信は全くなかったが、マリアは笑顔で誤魔化した。礼儀作法については教えてもらっていたが、苦手なので記憶から抜け落ちてしまうのだ。


 未婚の女性が異性と二人きりになる状況はよろしくないので、専属のメイドが付くのは普通にあるようだが、今回の一件に関しては、アーバンド侯爵から直接「リリーナと殿下を二人きりにさせるから、サリーがそばに付いていなさい」と指示されていた。


 マリアが少女然としてニッコリ笑い返すと、リリーナが確認するようにサリーへ目を向けた。



  サリーは、美少女顔に儚げな微笑を浮かべた。彼の長い蜂蜜色の睫毛がゆっくりと上下して、考えるように少し視線がそれ、それから、ごく自然にリリーナへと戻された。



「当日は料理長が、お嬢様が絶賛しているアップルパイをご用意する、とおっしゃっていました」

「まぁ、本当に!?」

「はい。その、殿下は内気な方らしくて、緊張が少しでもほぐれるよう、食べていただいてはどうかと……」

「王子様も、緊張なされるの?」


 リリーナが、不思議そうに小首を傾げる。


 ナイスフォローだと内心サリーを褒め、マリアは「そりゃあ緊張しますよ、王子様も子供ですからね」と相槌を打った。


「王子様も、リリーナ様と同じ十歳です。色々と不安はあると思いますよ。旦那様がリリーナ様にしてくれたように、陛下も内気な王子様に、お友達が出来ればいいなと望んでいるのだと思います」

「子供同士ですから、ひとまずは身分について深くは考えないでいいかと。僕も、お嬢様に友達が出来るのは嬉しいですから」


 リリーナには、王子本人を素直に見てもらいたいという両家の配慮から、婚約者候補になっているという件は伏せられていた。


 普段は王宮に同年代の令嬢を招き、引き合わされている第四王子は、今回が実質初めての王城外での見合いという事になるので、それなりに緊張はしているだろう。付き人の数を減らすというのも、幼い彼への配慮もあるとは聞いていた。


「そうですね、もし王子様が緊張されていたら、気晴らしにどこかご案内されてみては如何でしょうか。ほら、歩けば緊張感もほぐれますし」

「マリア、すごいわッ。それでいきましょう」

 

              ※※※


 王子が緊張したら可哀想だと、リリーナは、マリアとサリーをお供に、屋敷の外の散策を始めた。


 第四王子の気分が少しでも楽になるような場所はないかと、一生懸命に考える姿は愛くるしい。侍従であるサリーがさりげなく手を取って、考えながら歩くリリーナが転ばないようエスコートしていた。


 二人が並び歩く姿と、予定されている時間内でどこを案内しようかと悩むリリーナの表情は猛烈に目の保養で、マリアは、口許が緩むのを堪え切れなかった。



 リリーナとサリーをニヨニヨと見守っていると、ちょうどハーブ園で、夕食分に必要な調味草を摘んでいたギースに、露骨に不審者を見るような目を向けられた。



 マリアが「何か?」と彼に目で伝えると、ギースは口と手の動きで「変態っぽいので自制しろ」と返してきた。


 失礼な奴だな。あとでシメよう。


 覚えてろよという意味を込めて、マリアは、凄みを利かせてニッコリ笑い返した。しかし、何故かギースが若干頬を染めて固まってしまった。彼は口許を押さえて顔をそらし、「あれ、どうしよう。イイかもしんない……でも俺にそういう趣味は」と口の中でもごもごと呟く。


 リリーナが思案しながら歩く隣で、サリーが、虫けらを見るような目をギースに向けていた。


 よくは分からないが、自分の思いが正確に伝わらなかったらしいとマリアは察して、後できちんと言葉と拳で伝えようと心に決めた。



 一生懸命考えて、リリーナが第四王子に紹介する候補に選んだのは、青い薔薇園だった。



 そこには、大きなスコップに身体をもたれかけさせたマークがいて、これから交代で勤務に入る衛兵のニックと立ち話をしていた。


 ニックは優しい顔立ちをした二十代中盤の青年で、こちらに気付くと、帽子を軽くつまんでリリーナに礼をとった。


「お嬢さま、お久しぶりです。なかなかお会いする機会がありませんので、今日は役得です」

「私も会えて嬉しいわ、ニック。ねぇ、二人で何を話していたの?」

「マークから雑用の仕事を押し付けられまして」

 

 ニックが帽子の位置を整えながら口にすると、マークが「聞いて下さいよ、お嬢さま」と、言い訳するように二人の間に割り込んだ。


「明日は薔薇の紅茶をお出しする事になったんで、ついでにニックにその役を任せようかと思いましてね。ご存知の通り、俺は早起きが苦手ですし、だからこれは決してサボリで押し付けようという魂胆ではないわけです」

「まぁ、それでニックと話していたのね」

「お嬢様、マークは甘え過ぎなのです。いっつも僕を顎でこき使う酷い先輩なんですよ。この前だって――」

「いーじゃん、『ついで』なんだからよぉ」

「『ついで』で夜勤明けの僕に肥料運ばせるとか、あなたは鬼ですか」


 リリーナは、マークが早起きが苦手だといつも聞かされているので、口許に手をあてて可笑しそうにしていた。


 マークは実際、早起きが苦手なのではなく、番犬として夜間に敷地内の見回りを行っているので、早朝まで起きているのである。早朝から数時間の睡眠を取るのが、彼の普段の生活だった。



 マリアとサリーは、ニックの靴の土汚れをそれとなくチェックしていたから、また『鼠』が出たので処理をしていたのだろうと察していた。



 薔薇園の中の土は、今日も柔らかい。


 アーバンド侯爵邸にある、国内でも数少ない青い薔薇園の土は特別で、掘り返した先の土は特殊な土砂となっており、魔法のように栄養を分解して薔薇を美しく咲かせてくれる。


 簡単に言ってしまえば、侯爵邸にいくつもある『処理場』の一つだった。


「じゃ、僕はこの辺で失礼しますね、お嬢さま。少しでも遅れたら、ガーナット先輩に怒られてしまいますから」


 ニックは茶化すように肩をすくめると、リリーナに礼儀正しく腰を折って頭を下げた。それから、顔を上げるとマリア達に「また後ほど」と後ろ手を振って去っていった。


 リリーナが、辺りに立ち込める薔薇の濃厚な芳香を吸いこんで、うっとりとした。


「とてもいい香りね。他の薔薇は強くて酔いそうになるけど、この薔薇の香りは好きよ」

「ははは、そりゃあ庭師としては嬉しい最高の褒め言葉ですね。うちの青い薔薇は特別なんで、どの屋敷の青薔薇よりも上品な香りに仕上がっているんですよ。一本差し上げますから、マリアにでも言って寝室に飾ってもらって下さい。よく眠れると思いますよ」

「わぁ、いいの!? ありがとう、マーク!」


 リリーナが飛び付き、マークは、照れながら幼い彼女を抱きとめた。


 青い薔薇は育てるのが難しく価格も高いのだ。一本だけでも贅沢だと理解して、無知だった頃のようにねだらず我慢するようになったリリーナは、聡明な令嬢だった。



 青い薔薇は、今夜は寝室に飾られ、明日は第四王子と会う場所のテーブルに移動する事となった。


 

 屋敷の主達が静まり返った頃、フォレスが使用人一同を集めて、明日の見合いの予定について改めて役割や立ち位置などを確認した。


 第四王子と共に来訪する人間と会う事がない役回りに、マリアは内心ほっとして、その日はぐっすりと眠る事が出来たのだった。

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