おにぎり女房の語部さん
雨が降っている街の路地でした。
夜の街の明かりを彩るように。または、すべての穢れを洗い流すかのように。すべてに平等に降り注いでいました。
髪を後ろでまとめ、朱色の羽織と袴を着込み、刀を腰に下げた、戦いに赴くときの恰好で、気が付けば私はそのようなところにいたのです。
「ここは、どこでしょうか……」
しかし、なぜここに私はいるのでしょう。どうしてもあの人に聞きたいことがある、という記憶以外、ここにいる原因をうまく思い出せません。
故に纏っている衣が濡れても、構うことなく私はその場に立ち尽くしていました。
どうにも行く当てがないのです。
その場にあった物どれもが私にとって見知らぬ物ばかりだったのだから。
雨を通さない石の大地。寺のそれよりも大きな鉄の塔。星に負けじと輝く街なみ。
そして人を喰う鬼が現れると知っていてもなお、丑三つ時に外へ出歩く無辜の人々。
その中の誰が知りましょう。
私、語部響がこの時代の人間ではないことを。この世界にとっての異物そのものであると。
誰が知りましょう。
私は語部という鬼祓いを生業とする一族であり、在りし日は幕府の命の下に刀を振るい、鬼どもを葬ってきたことを。
誰が知りましょう。
そうして鬼を祓い続けた結果”斬鬼”、謂れなき鬼の烙印を押され、実の兄の手で殺された存在であると。
しかしおかしなこともあった物です。
死したはずの人間が、その時点以上の何かを望むなどあってはなりません。そうした妄念は自らを悪鬼に変えてしまうからと、小さなころから幾度となく聞かされ続けてきたのに、死んだはずの自身は今もこうして何かを探し続けている。守るべきものを。自分の存在意義を満たせるものを。
このような矛盾を大真面目にも考えあぐねているのですから。
『見つけた……』
しかし、なかなか先に進まないその思考はあえなく遮断されました。穴の奥底から震わせたような低い声が強く耳を打ったのです。
それと同時に背で嫌なものが這いまわるような感覚が走り、私は直感します。これは間違いなく自分に向けられた言葉であると。
いや、そもそも。
『見つけたぞ、語部!』
突き刺すような視線も。上から押しつぶしてくるような殺意も。
何もかもが自分を捉えていたその気配に、気づかないはずはないでしょう。
「禁!」
次の瞬間、私は刀印を構え、頭上に不可視の障壁を築き上げました。
九字による結界の法です。殺意をせき止めるように貼ったのが功を奏し、見事振り下ろされた一撃を受け止めました。
ですが所詮は薄い壁一枚。あと数瞬もあれば砕け散ってしまうでしょう。
「…………」
しかしそれは、稼いだこの数瞬をもって、敵をしっかりと見ることができる、ということでもあります。
もちろん障壁の耐久力を過信しているわけではありません。これから先の行動を決めるために、敵の姿を見ておく必要があるのです。あわよくば、私の予想とは違うものであってほしいとも思ってましたが。
声の方を振り返ればまず目につくのは私の倍ほどはある深緑の肌をした巨体。そして私をつぶさんとするのは丸太と見間違うばかりの怪腕。そのような腕が他に七つ、どれも対になるように生えていました。
やはり間違いありません。八手と呼ばれる鬼です。人の理解では及びもつかない所業を引き起こすものどもの眷属。
そうして敵を視認したらば、やるべきことはただ一つ。小さく息を吐いて、私は腰の刀に手をかけました。
「”居合とは文字のごとくにして、刀を抜くには非ず”――」
『その言の葉を紡ぐ忌まわしき血、ここで食いつぶしてくれる!』
言うが早いか。咆哮とともに八手は障壁を破り、私に向かって振り下ろされます。
ですがもう、
「”敵と居を合はせ、発勝する己が神気なり!”」
そこは私の間合いです。
倒れ込むように迫る右中央の腕を縦に回るようにして左に避け、その勢いを使って抜刀。そのまま地についた腕を両断し、その流れでまた納刀します。言霊や神気をまとった刃は鬼の天敵。ゆえに大木がごとき腕でもたやすく切り伏せられるのです。
腕の一本を切り落とされた八手は大きな悲鳴を上げつつもいまだ戦意は衰えず、残りの腕を総動員し向かってきました。
『ぐおおおおおっ!』
まっすぐ向かう拳。振り下ろされる手刀。腕による薙ぎ払い。
いくつもの打撃が同時に繰り出されるまさしく乱撃ですが、それらが私に当たることはありません。
「”間を置くこと肝要につき、以て後の先を得るなり”」
居て合わすが居合なり。それは居合の極意であると同時に基本です。
寄らば受け、引けば攻め立てる。常に敵の動きを見てその行動に最適な処置をとるのです。
拳や手刀ならば横に避け、薙ぎ払いならば後ろに下がる。そして、
『潰れろ!』
大きく振りかぶり上の腕で地を砕こうとするならば――
「そこです! ”間を詰めること肝要につき、以て後の先を奪うなり!”」
――相手の懐に深く潜り込んでから、全身のばねで飛び上がり右上腕を裂くのです。
『ぐっ!』
二本目の腕を断裂された八手は左後ろに数歩よろめきます。片側にある腕の半分を再起不能にしたものですから、奴自身の均衡が保てなくなりつつあるのです。
ならば、このまま一気に勝負を!
「この刃を欲するは――」
以て水月を鎮める心なり。
そう真言を締め、眼前に迫って刀を抜こうとしたのですが、その間のことです。宙で追撃をかけようとしている私の姿をみて、八手は死を覚悟するどころか顔が醜く歪み、笑みを浮かべていました。
何かある、そう思ったその時でした。
虫をつぶす要領で右下の腕と左上腕が同時に挟みつぶしに来たのです。
最後の一手を決めようと八手の眼前にまで迫った私は、ここにきて見誤ってしまったのです。
『死ねえええっ!』
……なるほど、語部を討つのに腕二本で済むならば安いもの、ということですね。
これは迂闊。得意な間合いに入ることを考えるあまり、相手の間合いにはいっていることを失念しておりました。
こうなれば残すは速さの勝負ただ一つ。勝って反省しようが、死して悔いようが変わることはないでしょう。
さて、両端から迫るは逃れようのない死の壁。目前まで迫るそれに対抗しうるのは、最高潮にて放たれる一撃のみ。
「”死を見ること――」
私は別段気にもしませんが、語部が紡ぐ真言は奇妙だ、とよく言われます。
聞いた人間はたいていこう言うのです。
それは九字にて紡ぐ祈りでもなければ、呪物を動かす呪いでもなく。
記された書物を読み上げる語り手の様であると。
それは死地に赴く際の心構え。自らへ向かう死に対する切り返しの一手。
「――帰するがごとし”」
抜刀の構えを逆手に持ち替え、抜き放つはこれまでよりも数段は速い超至近の一太刀。
凄烈な気とともに叩き付けられた八手の体は、その両手が私の届く間際に爆ぜ散りました――。
八手の最後を看取った私は、そのまま体制を直し、雨に濡れるアスファルトの上に着地しました。
そして、見つけたのです。死の寸前、右も左もわからない世界に打ち捨てられた私に手を差し伸べたあの人、ソウイチロウを。
しかし、彼はこちらに気づくことなく離れていくのです。
「待って!」
気づけば降り注ぐ雨の中、私はあの人を追いかけていました。
「待ってください、ソウイチロウ!」
この機会に、彼にどうしても聞きたいことがあったのです。
きっと、今を逃せば二度とあの人には会えない。そんな根拠のない不安でいっぱいでした。
しかし、何を言っても、叫んでも、彼には届いていないのか、ソウイチロウは見向きもせず、ただただ奥へと進んでいきます。
――響さん、前から思っていたけど、君は自分をもっと大切にするべきだ。だからまずはこれで慣れてみてごらん――
あなたはそう言った後、あれを下さいました。
鬼を斬ることのみが存在意義であった私に、いったい何を思ってこれをお薦めになったのかは分かりませんが、きっと、なにか意味のある物であるのでしょう。
「時計塔の鬼はどのようにしてかわすのですか!?」
……ことは数日前にさかのぼります。
暇になったソウイチロウがいつもやっているげーむ遊びという物が気になった私は、彼にやってみたいと要求したのです。
その際に渡されたのがこの、ハサミで自分たちを殺しに来る鬼から逃げ隠れるげーむでした。――わざわざ鬼から逃げ隠れる意味がよく分かりませんが、ハマるのも納得できる面白さがありました。
ですがいかんせん難易度が高く、なかなか先へ進めません……しかしこんなこと、知り合いがいる場所では絶対に聞けません。だから今こうして追っているのです。
「答えて……ください!」
しかし、早鐘を打つ心とは反対に、先ほどまであれほど軽快に動いていた足は、ただただその場を踏み、水を跳ねさせるばかり。いくら前へ動かしても先へ進まず、まるでどこかにあるという、回転する床の上にでも乗せられたかのようです。
そうしている間にも彼は霧の中を進んでいき、
「ああっ……」
ついにはあの少しやつれたような背中はおろか、影すらも見えなくなってしまいました。
そうするとあたりは一変。立ち込めていた霧は消え失せ、青紫――というかブルーベリーのような色をした何かが周囲を覆い尽くします。そして、
「どこに行く?」
そんな声とともに後ろから、強引に右腕をつかまれました。その感触は冷たく、ぬるりとしていておおよそ人間の物とは思えませんでした。
「離してください。今追わねばならない人がいるのです」
しかし振りほどこうにも、今度は腕に力が入りません。込めるために踏みしめた足も空に浮いているようでなんだかおぼつかず、今一歩踏み出せば崩れて奈落の底へと落ちてしまいそうな感覚でした。
「お前にはやらなければならないことがある」
何者かは私に淡々と告げると、パキンと音を鳴らしました。
それが合図か、地鳴りが耳朶を打ち、地面からいくつか物がせりあがってきます。
「えっ……?」
一つはてれび。ご丁寧に大きくて見やすい大画面です。
「ええっ?」
さらにそこから座布団、ちゃぶ台、そして最後に私がいつも使っている古いげーむ機が現れた後に、地鳴りはようやっと収まりました。
それらを一望した何者かは、くつくつと笑いながら私を座布団の方へ放り込み、こう告げるのでした。
「さあげーむの始まりだ、クリアするまでお前はここから出られんぞ? 覚悟したまえ―――あーはっはっははは!」
「えええええええええええええええっ!?」
*
「…………」
およそ考え得る限り最悪の目覚めです。
椅子に座っていた私の眼前には小さなてれびと、その中で岩に大きく刻まれる何かの文字、もはや聞きなれた不協和音とべったりとした血から、私の操るきゃらくたーがまた死んでしまったのだろう、ということが分かります。そして、私はそこまでの流れをうっすらとしか覚えていない。もう何度目の失敗かわからなくなっていたくらいしか。
……なるほど。これならば悪夢を見るのも納得です。これがソウイチロウの言っていた、寝落ち。
「高い難易度で疲弊させ、あまつさえ夢にまでその影響を与えるとは……」
まさしく鬼です。
人の理解では及びもつかない所業を引き起こすものどもの象徴。
いかなる脱出も許さず、怪現象の数々できゃらくたーに理不尽な死を与えるこのげーむの難易度はまさしくそれに該当します。あえて名づけるなら難易度の鬼、といったところでしょうか。
「ふふふ、いいでしょう……この語部 響、一族の誇りをかけて貴方を乗り越えて見せましょうとも!」
この高揚感はいつ以来でしょう。大江の山に潜む鬼どもと切り結んだあの時以来でしょうか。
しかし、相手が鬼ならば負けるわけにはいきません!
「ウィーーッス! おっきろー語部さーん!」
そう心に決めた矢先の出来事でした。
けたたましい声とともに扉があけ放たれ、先が丸まった金色の短い髪をした娘、マユがなんでか部屋に押し入って来たのです。
「マユ! どうしてここに?」
「えへへ、総一郎さんにお仕事があるから起こしてって頼まれたのだよ、ねぼすけさんめ!」
お仕事。
おしごと。
お し ご と。
「しまった!」
空腹で回らない頭をこれでもかと回して時計を見れば、そこには針が8時をばっちりと示しているではないですか。
いけない。今日は開店の準備をソウイチロウとともに行なわなければならなかったのに。
ああ、何ということでしょう。
疲弊させた上に寝落ちさせ、さらには二次災害まで起こすとは。
難易度の鬼は想像以上に強敵です。
「そうだよそうだよー? 私も語部さん待ちなんだから!」
「すみませんマユ、すぐに支度を致しますので」
「いいっていいって! 誰でもたまにはこーゆーことあるからさー!」
「……申し訳ない、この失態は必ず返しますので」
無様に敗北した私に、マユはにこやかに語り掛けました。
誰にでも人懐こく接する、その純粋さが彼女の持ち味です。
しかし飛び出した優しい言葉は毒そのもの。今そのような顔を向けられるからこそ、私の心はひどく痛むのです。
恩を与えられるほど私はよい人間ではないと。
そんな私の心境を察したのか、マユはにひひっと小さく笑い、
「マジで!? じゃあさじゃあさ、今日はとびきりお腹空きそうだから、ちょーっとばかし多めにしてくれるとうれしーなー!」
「マユ!?」
「ま、もし申し訳なく思ってるなら、だけどね! というわけで、じゃねー!」
マユはそう言って大仰に手を振りながら階段を下りていきました。
「はあ……」
最初から狙っていたのですね、マユ。
寝坊した私を起こすことで貸しを作っておけば、私の性格上すぐさま返そうとすることを。
まるで彼女は動物です。
日々を気ままに過ごす傍ら、わずかな動きを機敏に読み、好機と見るやかすめ取ろうとする強かさを持っている。
そんなことに気づけなかった私もまだまだ未熟です。勢いに押されて、断る暇もありませんでした。
仕方ありません、彼女の為にも早く準備して、後を追いましょう。
まずは戦の準備です。
寝間着をゆにふぉーむという服に着替えます。そして小豆色の前掛けをつけ、さらに薄い布をたたんで帽子を作り、これをかぶるのです。こうすることで料理に髪の毛が入ることを防ぐのだとか。
全体を包むわけではないので蒸れる心配もなく、非常に重宝します。少々小さいのが気にかかりますが、薄い布の有用性は健在なのですね。
さて、これで準備は万端。あとは一階に降りて、扉を開ければ朝の戦場――
「響さん!」
少しやつれている印象の柔和な青年、私の恩人であるソウイチロウの待つ弁当屋、ぬっくぬく弁のロビーです。
「お待たせしましたソウイチロウ。遅刻して早々に申し訳ありませんが、戦況はどうでしょうか?」
「こらこら、戦況じゃなくてお客様の様子だよ」
「……申し訳ない、お客様の様子は」
「そうだね、結構人がきてるから、おにぎりはいつもより多めでいってみようか」
「承知!」
「いい返事だ」
ここは大きな鉄の街の端にある二階建ての一軒家。
文字通りの別世界に流れ着き、あてもなくさまよい死を受け入れようとしていたその時、ここの家主であるソウイチロウに拾われたのです。
もし、運命という物があるのならばあの時に大きくねじ曲がったのでしょう。あの時死んでいたはずの私がここに住み込み、この世界の常識に戸惑いつつも日々を送っているなど、そうとしか思えません。
「ねーねー! 語部さーん、まだー!?」
「早めにね!」
おっと、いけません。
マユの声で現実に引き戻された私は、ソウイチロウを見送った後に、厨房へ向かいます。
「―――さて」
そしてすぐに台に置いてある炊飯器の中を確認しました。
中には炊き立てのお米がぎっしりと詰まっていて、空腹な私を誘惑します。
今すぐにでも食べてしまいたいのですがこれ以上ソウイチロウに迷惑をかけるわけにはまいりません。ずるりとよだれを戻しつつ、おいしそうに炊いてくださった彼へ感謝してから、本日最初の作業を始めたのでした。
とはいえおむすびをにぎるという、非常に簡素なものですが。
それでも良いのです。
鬼を斬ることのみが存在意義である私にここまでしてくださった。必要としてくださった。ならば私はその期待に応えるまで。
鬼のように甘い、お人好しな彼へ。




