3 だが断る! 魅了チート? それよりも力だ!
■前回までのあらすじ
下級貴族の次男坊シンは、剣の道に惹かれながらもくすぶる毎日。家には継母と理解のない二人の義姉。
そこに魔女を名乗る変な格好のかわいい女の子が現れ敬虔な救世主教徒のシンを誘惑する。
「あなたはとっても惨めなので〜、女の子にモテモテになる魅了チートを授けに来ちゃいました〜」
「だが断る!」
俺は道徳の刃を言葉に変えて振り抜いた。
「まだ掃除の途中だしな!」
俺の身と心が清浄だと知らしめるための掃除。さっきまでやらされ感でモップをもてあそんでいた俺とは何もかもが違う!
俺はナル嬢の誘惑をキッパリと撥ね除けた。俺の頭の中で鳩が紙テープを咥えて飛び立ち、羽ばたきの音と共に教会の鐘が鳴った。想像の中の教会には頭上から白い光が差し、庭の刈り込まれた芝生の柔らかな緑が気品ある慎みを湛えている。
ふと、俺の心にナル嬢の困った顔が見たいという欲望が疼いた。知らず知らずのうちに唇の端が上がりそうになるのを必死で抑え、ナル嬢を見る。俺は誘惑に打ち勝った。もう彼女の胸や脚は見ないぞ。どんなにふるいつきたく見えても忌むべき誘惑の道具なのだから。
でも……あれは、何て罪深く柔らかそうな太ももなんだ。さっきからなんか暗いかな、やっぱり蝋燭を長いのに交換するか。別に明るいところでじっくりと見たいって訳では……。……あの太もも、もし触ったら多分白い肉がふわっと指にめり込んで……ちょっと聖句でも唱えようか。
「えい」
ナル嬢は、手にしていたほうきを上向きに持ち上げ、さっと手首を振って宙を撫でた。
ほうきから忽ち屋敷中に光の粒が走り、屋敷を磨き抜かれたようにピカピカにする。光の粒は屋敷中をくまなく拭うと、どこへともなく消えた。
「これで問題は解決したと思いますが〜〜」
ナル嬢はにっこりと微笑みを深くする。
「……あ、そうっスね……。うん……」
マジですかこれ。すごい力っすね……。
「魅了チートの魔法は〜、真夜中の12時で解けちゃいますが〜、どんなご婦人も一目で虜〜。ハーレムの形成には充分です〜。今日の舞踏会に出席する貴婦人方は、皆さんイケメンエリートの王子様がお目当てですよね〜。
イケメンは男の敵だと思いませんか〜? かっさらっちゃったら、とても気持ちが良いですよ〜〜」
「た、確かにイケメンは男の敵だ。だが」
王子の目の前で美しい貴婦人達を大勢侍らせるという妄想は俺のちっぽけなプライドを擽るものがある。あの赤いドレスの婦人も、金髪の婦人も、恥じらいを秘めた微笑みでコルセットを緩めてくれとねだる。コルセット……って、具体的にはどうなっているんだ? 広告、……そう、広告で版画を見たことくらいはあるが、緩めたらどうなるって思い描けな……。
待て待てと俺は救世主教の古代神聖語を繰り返し思い浮かべて、心を静めた。
一旦状況を整理しよう。
ナル嬢の魅了チート魔法でハーレムを形成。冷静に考えれば、これは愚策だ。
前提として、ナル嬢の魔法は本物。効果は真夜中の12時まで。
まず第一に、力のない色男というのはあの手この手で潰しにこられるリスクがある。力を持たないイケメンがどれほどほかの男達に煙たがられ、隙あらばと虐げられるものか。俺は残念ながらイケメンといえるほどの容姿ではないが、今回の場合イケメンと同義に考えても良いだろう。
ご婦人達とてそうだ。男に力がなければ、すぐ離れようとする。「俺が一番だ」と確信してもらう必要があるわけだ。その上で、ハーレムの婦人達を奪おうとする男どもの気概を徹底的に叩きつぶしてやらなければならない。
第二に、ハーレムが自力ではなくナル嬢の魅了チート魔法でできあがると言うこと。
今のところ、ハーレムに当然期待することさえ期待できるなら、ご婦人方には愛されないよりは愛された方が良いかなあ……くらいの気持ちではあるが、いずれ俺が本気で入れ込んでしまう婦人が出てこないとは言い切れない。婦人がどれだけ「俺が一番だ」「俺だけが必要だ」と言ってきたとしても、俺はナル嬢の魔法によるものだと知ってしまっていることになってしまう。これは、何というか複雑だ。
第三に、魅了チート魔法でできあがるハーレムってなんかかっこ悪い。俺は強い! そこに群がるご婦人達! この図式こそロマンだ! よし、まとまった!
「ちょ、ちょっとここで待っててくれ!」
俺はナル嬢に声を掛けると螺旋階段を駆け上った。二階から梯子で屋根裏部屋に上ると、燭台に火をつけ、壁にかざす。
蝋燭のオレンジ色の光に、壁一面の刀剣が照らされれた。
「あった!」
刃渡り一メートル余り。金属鎧と戦うための突く剣ではなく、迫り来る敵を叩き切るための剣。母上の読んでくれた騎士物語に出てくるような剣。装飾はなく無銘だが熱した鋼を繰り返し叩いて鍛えた剣だ。継母が嫁いでくる前の最後の誕生日、親父にねだって鍛冶屋にあつらえてもらった。当時は背伸びで作った憧れの品だったが、今ならば長さと重さが手に馴染む。俺は剣を初めて目にした時の喜びを思い起こし、自然と笑顔になった。
剣を背負い、息を吹きかけて燭台の炎を消す。
もしも力いっぱい剣を振るえば、太刀風で一瞬の煩悩くらいは消せそうな気がした。
背中に幾分の意識を払いながらも急いでナル嬢の前に駆け戻り、息を整えながら俺は言った。
「魅了チートは要らない。くれるなら力をくれ!」