ストレンジワールドpart5
「う、ううう」
気が付けばそこにいた。
そこはまるで海の中。
ただし漂うのは魚ではなく、得体の知れないナニカ。
命、といえるモノもあれば、もう何の意味もないモノもあって玉石混交、といった雰囲気だ。
(な、んだこれは?)
手足の感覚がないので確認するも、あるはずの手足はそこになく、まさしく得体の知れないナニカ、に姿が変わっているらしい事を理解せざるを得ない。
「…………」
ここに至ったのは初めての事だが実感出来る。間違いない、こここそが目指した場所、つまり向こう側だ。
周囲を見回す。その空間は何処までも広がっており、まるで無限にも、いや或いは実際そうなのかも知れない。
「ぐ、う……ッッ」
ただ実感出来るのは酷い消耗。体力や精神が削られるという感覚とは違う。
周囲のナニカが消えていくのが見える。
分かる、あれは文字通りの意味で消えた。
存在そのものが損なわれたのが分かる。
「う、がぐ、────」
まただ。さっきから何度となくこの感覚に苛まれる。
痛み、というよりは痺れに近いようだ。
どうやら怪我はないものの、何かが薄ぼけていくようだ。
恐らくは、これが周囲のナニカが消えた現象に違いない。
そうか、これは異物を排除する為の防御機能ようなモノだろう。
聖敬君になる前の彼が言っていた。
向こう側に入り込む事は危険極まりない事なのだ、と。それがこの状況なのだろう。
身体に病原体、つまりはウィルスが入り込む。
すると体内にある様々な免疫系はその侵入者を排除しにかかる。それと同様の事。
そしてこの場合は、ウィルス、つまりは不法に入り込むモノというのが西島迅、という事らしい。
「あまり時間をかけられないな」
幸いにも僕が為すべき事はハッキリしている。
この世界にいるはずの晶を見つける。
そして″ストレンジワールド″を実行する。
だがその前に、障害を取り除かなければ。
気は進まないが、事ここに至ってはもはや仕方がない。卑怯者、とどれだけ非難されようとも構わない。
全ては世界を変える為の尊い犠牲。
「だから井藤支部長、あなたの力を──使わせて貰いますよ」
その精神に繋がるはずのドアは分かっている。
ただそこに触れて、開くだけ。
「どうか世界の為に……死んで下さい、彼と共に」
ドアが開かれ、その精神が露わになり、そして干渉する。本来ならばこんな不自然で歪な記憶というのは定着する事は極めて難しい。何故ってそれは間違った出来事でなのだから。そしてその事を自分自身が何よりも誰よりも知っているのだから当然だ。
ただしここからなら話は別だ。
ドアからの干渉はどんな常識良識すら超えるモノ。
その説の証明は先日、他ならぬ晶自身が行った。
原型を失い、自身という境界を失った多くの生徒や職員をあの子はドアから干渉して、全員を元に戻したのだから。
正直言って僕にあんな芸当は不可能だ。
数人程度なら可能かも知れない。だが、妹のようにあれだけの人数を救い出すなんて事をしていたら先に自分自身が潰れてしまうに違いない。
だからこその、皆からの協力だ。
小宮さん達のお陰で多少の余力ならある。
だがそれでも晶には遠く及ばないだろう。
アイツはこの世界の申し子なのだから当然だ。
「さて、行くとしよう」
やり方は見当がつく。あとは結果がどうなるか、だ。
答えはすぐに分かる。
そして、これで聖敬君も終わりだろう。
「さようなら聖敬君。君の事は個人的には好きだったよ」
そう葬送の言葉をかけると、僕は本来の目的の為に晶を探すべく動き出す。
ここで距離、という観念がどれほどのものかは正直分からない。ただ感じる。そう遠くない所を漂っている。
待ってろ、すぐに拾い上げて見せる
◆◆◆
「く、っっっっ」
本能的に身の危険を感じ、聖敬は大きく後ろへ飛び退く。以前から目の前に広がるその″毒″の危険さは把握していたつもりだったが、実際こうして面と向かって対峙してみるとその毒が如何に危険なモノなのか、実感出来る。
「星城聖敬…………」
その目と声に込められているのは憎悪。それも深く途方もない激しい憎しみである。
井藤の全身から発せられる毒はまさに全てを殺す、と呼ばれるに相応しいモノであった。
ドロドロ、とまるで汚泥のようなどす黒いモノがジワジワと担い手の足元から広がっていく。
それは最早一種の″結界″にすら思える。
それ自体が生きとし生けるモノ全てを殺し尽くす毒沼、いや毒の奔流。
(これでは僕の力も通じないか)
″異能拒絶″それが聖敬の、いや彼という観測者が本来持ち得た力である。
それは向こう側に於いて彼が自分達の世界中への不法にして不用意な介入を拒絶する為の力。
だがそれはあくまでも彼、というナニカが向こう側にいるからこそ行使できる能力。
膨大な力を秘めた異界、異次元であるからこそ扱えるモノ。
本来ならば異なる理に寄りて使える能力である為に、現界では如何に以前の力を取り戻しつつあろうとも、その効力は一〇〇%には遠く及ばない。
それどころかこの世界とは異なる理屈で扱う能力である以上。この力は″諸刃の剣″ですらあり、もしも全力で発揮しようものならば担い手をも殺しかねない。
(まだだ、ここで使い切る訳にはいかない)
聖敬には井藤に起きた異変が何であるのか理解出来ていた。彼には何らかの暗示がかけられている。それも人格をも歪ませるレベルで。単なる精神感応能力でこうはならない。
(向こう側からの介入──)
それが聖敬の結論。根拠もある。
さっき、井藤がああなる直前に、僅かながら世界の歪みを感じたからだ。
晶が行ったのなら、歪みは生じない。
つまり誰かが不正に向こう側へ繋がった。
そしてそれは西島迅の仕業に違いない。
向こう側には無数の、数え切れない数の情報が並んでいる。そこにあるのは過去、現在、未来、という全ての情報。
あらゆる可能性を内包した世界であり、それを構築するのはありとあらゆるモノの精神。
つまりはそこにはあらゆる人物の記憶や、精神まで無造作に乱立するかの様に内包されており、向こう側に行く事が出来うる程の者であれば、その場にある誰かの精神に介入する事すら可能である。
(かつて僕はこの世界に来た際に、彼の問いかけに応えた)
一〇年前、まだ名を持たない聖敬が現界に姿を現した際。様々な異常を隠蔽する為に晶と共に己の記憶をすら封じる事にした際。
迅は様々な事を確認した事を覚えている。
迅が行ったのは記憶の誘導ではなく、記憶そのものの構築。それは本来の迅の独力では不可能で、その為に聖敬自身が力を貸す事で成立した例外。
恐らくはその際の情報から西島迅は今回の一件を考えたのだろう。
そしてその計画の実行に際して最大の脅威となる自分を倒す相手として井藤を当ててきたのだ。
あの毒の結界を突破するのは困難である。
義妹の凛であれば、突破口を開けるかも知れないが、今更ながら合流こそ困難であろう。
(それに突破口は開けても、毒にまかれたら確実に死ぬ。そんな危険に凛を巻き込めない)
そう思うからこそ、合流という選択肢は聖敬の中には無い。何とか自力で突破するしかない。そんな事を思いつつ、だが上手く考えが纏まらずに、ジリジリと間合いを保っていた時である。
轟音が響く。
それは弾丸が発せられた音。
カラカラ、と薬莢が落ちていく。
その音は見る間に聖敬へ迫り、通り過ぎると──向こうにいる井藤へと向かっていく。
もっともあの毒は弾丸をすら溶かし、届かない。
「星城君、下がりなさい」
後ろからかけられたら声に聖敬は思わず振り向く。
「家門さん」
そこにいたのは具現化させた愛用のリボルバーを構える、ソニックシューターこと家門恵美だった。