願い
「皆、僕に力を貸してくれないか」
それが開口一番、聖敬が目を覚ますと同時に口にした言葉であった。
「「「え?」」」
のっけからこうなるとは、流石に誰も予想していなかったのか、田島にせよ進士にせよ、凛もが唖然とした表情を浮かべていた。
ガタッ、と席を立った田島は、ツカツカと聖敬へ詰め寄ると話を切り出す。
「おいキヨちゃん、そうじゃない」
「え、僕は何かおかしかったか? 田島?」
「おっかしいわ。ったく、話の脈絡もへったくれもないなお前」
「あ、そか」
「まぁ、そんだけ必死ってこった。俺の返事はこうさ。任せろよ友よ、だぜ」
田島はニカッ、とした笑みを浮かべて協力を承諾した。
ハァ、という嘆息が聞こえ、聖敬が振り向くと、そこには眼鏡をかけた進士が席に座っている。
「一の奴は単純だからそうだろうさ」
「進士、君はどうなんだ?」
「とは言え、乗るしかないさ。選べるような立場じゃないしな」
「……ありがとう」
「気にするな、それに他にやる事もないしな」
進士は眼鏡のズレを調節し、微かに口角を釣り上げる。
そして聖敬は振り向く。
もう一人、晶とは違う意味で大事な家族と話す為。
「あのさ……」
「…………」
凛は、ただ無言で聖敬の机に腰掛けている。
じと、とした視線を前にして聖敬は思わずビクつく。目の前にいる義妹の少女に自分は何を話せばいいのか分からない。
色々な事を隠してきた。
互いにマイノリティ、だが所属するのは敵対している組織。義妹である凛は、そんな関係をこの数ヶ月ずっと目を瞑って、過ごしてきたのだ。
相当の葛藤があったに違いない。
それを思えば、何から話せばいいのか分からなかった。
「あのさ……」
「ああ、そういうのいいから」
「え…………?」
「だから、つまんない謝罪だとか何かはどーでもいいから」
意を決した聖敬は義妹の前に一刀両断に斬り捨てられた。
「いいクソ兄貴。今は緊急時なの分かるよね?」
「ええ、まぁ……」
「だったら今になってこうしてウジウジするのもうやめてくれない。そういう話を聞くよりもずっと大事な事があるのいくらバカでも分かるでしょ?」
「はぁ、……」
「だ~か~らぁ~そういうのをやめてって言ってんのよ」
そこから先、およそ一〇分。
聖敬は義妹である凛からの口撃に耐え忍んだ。
凛の口撃は実に容赦なく、何の躊躇もなく義兄の日頃から気になっていた欠点等を指摘。聖敬の精神を深く深く抉った。
「という訳でクソ兄貴はいつもいつも後片付けがヘタクソなのよ」
「ほうほう、キヨちゃんにそんな欠点があるのか。
ソイツは興味深いぜ」
兄妹の、正確には凛からの一方的な口撃に田島は本当に楽しそうに、興味津々な表情を浮かべながら口を挟む。その横顔を呆れ顔で見る聖敬はこの悪友が、こうした話題に目がないのを今更ながらに実感。思わずハァ、と溜め息を付く。
「このチャラ男、ホントにクソ兄貴の友達なワケ?」
「おいおいお姫様。チャラ男はないだろチャラ男はさ。せめてオシャレイケメンと……」
「ウザい。コイツ、マジでウザい」
凛は標的を茶髪の少年に定め直したらしく、義兄から視線を外す。
その凛の視線を田島はと言えば、自分に対する挑戦とでも受け取ったのだろうか。満面の笑みを返す。
「全く一の奴はバカだな」
「進士、……ああ、そうだな」
「お前が何をしたいのかも、僕達も分かっているさ。これでも何年かの付き合いだからな。
だが、あまり思い詰めるな。程良くリラックスしろ。じゃないと押し潰されるからな。
とは言え、あの一は参考にするな。あれは明らかに悪い見本だからな」
苦笑を浮かべる進士を見た聖敬も、絶賛戦闘中の両者へ視線を戻す。
完全にドン引きしている凛と、そうした相手の態度自体が楽しいのか、さっきよりも一段といい笑顔の田島を見ている内に、「く、あはははっっ」聖敬は何だかどうしようもなく笑ってしまった。
そして、聖敬の笑い声を聞いた三人もまた、それぞれ笑うのであった。
それから、
聖敬は、自分の事を話した。
ついぞさっき思い出した事を、己が出自が別の世界の人とは異なるモノである事。
そして何故この世界へ来たのかを。
三人は静かに……ただその聖敬の話に耳を傾けた。
「……僕の話は以上だ。皆、ゴメン」
「おいおいキヨちゃん。謝るなって。言っとくけどお前が別の世界から来たんだろうが何だろうがそんなの俺には関係ないぜ」
「田島……いいのか?」
「いいも悪いもないって。だってよ、確かにお前にゃすげえ力があるのは分かったよ。それにその原因もおおよその事はさ。だからってお前はずっと一〇年マイノリティだった訳じゃないだろ? そのほとんどは何も知らずに単なる人間【星城聖敬】として生きてきたんだし、俺にとっちゃそれが普通だった。
だからさ、別に自分を卑下するなよ。俺はキヨちゃんがマイノリティとして目覚める前からのダチなんだからさ」
「……ありがとう」
田島はいつも通りに笑ってみせる。
「大体の事はそのバカが言ったから僕からは取り立ててお前に言う事は今更ない」
そう話を切り出す眼鏡をかけた少年の言葉に、バカ、と切り捨てられた当事者は「オイ待て」と抗議の声をあげる。しかし進士はその抗議の声を無視しながら、
「そもそも僕達は程度の差こそあれ、皆それぞれに事情を持った連中だ。そんな中でお前はたまたま以前は人間とは違う存在だった、それだけの事だ。
今のお前は紛れもなく人間だよ。そこは僕が保証する」
「進士、そうか。僕は人間なんだ……な」
進士は今更何を迷う? と言わんばかりに肩をすくめて見せた。
「まぁ、クソ兄貴が人間離れしてるからってそれで見限るようなヤツはここにはいないよ」
「凛、でもお前にだけはキチンと言うよ。
ありがとうな、……こんな僕の妹でいてくれて」
「バッカじゃないの。そんなの……当たり前だよ。
だってさ、あんたは私の兄貴なんだから。マイノリティだとかWGだとか、人間じゃかったから、それがどうしたっての。その前にあんたは私のお兄ちゃん、そうでしょ? だからあんたは胸を張ればいいの。あんたをバケモノだなんて思った事なんかこれまでも、これからも──絶対ないから」
凛の″言葉″には相変わらず毒が混じっている。
だが、聖敬にはその言葉自体が有り難かった。
彼らは星城聖敬という存在を、友人であり、人間であり、兄妹だと断じた。
その言葉の全てが自分、という本来ならば抽象的な概念を確たる存在に、人間へと押し留めているのを実感出来た。
「そっか、だからなんだ」
聖敬は今、ここに至って理解した。
自分がここにいるのは、存在出来ているのは、こうして自分をみとめてくれる人々のおかげ、なのだと。
彼らがいなければ何もかも忘れ、人間だったと思いこんでいた時期はともかく、マイノリティとして覚醒してから今まで、自分はこうして存在出来なかったに違いないのだと。
「凛、ありがとな」
そう言いながら聖敬は妹の髪を優しく撫でた。
いつもなら何すんのよ、と罵倒してくるはずの彼女は、今はただ静かにされるがままだった。
「田島、進士。僕は幸せ者だったんだな」
何年もの間、友誼を深めた彼らに聖敬は微笑みかけた。その笑顔には二人への心からの感謝が滲む。
田島は頭を気恥ずかしさをポリポリ、と頭を掻いて誤魔化す。
進士は、と言えば何を今更だ、と呟きながらも笑う。
(僕はここに来て良かった。本当に良かった)
聖敬は自分が如何に幸運だったのかを理解し、同時にそのキッカケを与えてくれた少女の事を思った。
(そうだ、僕は晶に伝えていない。ありがとうって。僕をこの素晴らしい世界に連れてきてくれて本当にありがとう、って)
聖敬は、改めて自分が為すべき事を確信する。
今までも誰よりも近くにいた少女。
そのマイノリティとしても異質なイレギュラーにより色々なモノを抱えていた隣人の、誰よりも大事で、守り抜きたい女性を。
三人には言わなくても、伝わっているし、返事も分かっている。だけど、これだけは口にしなくてはならなかった。
「これから僕は晶を助けに行く。皆、力を貸して欲しい」
何故ならこれは何よりも大切な、自分の″願い″だったのだから。