星城聖敬
「あ、…………」
目を覚ますとそこは見知った天井。
いつも見慣れたその場所。
学園の、日常を過ごした教室だ。
「お、気付いたか」
その声は見知った知人のもの。
見知った顔、世界の基準で鑑みれば親しくしていた、と判断出来る友人。
名前は、田島一だった、か。
「うん、目覚めたな星城」
もう一人、そこにいるのは眼鏡をかけた知人。
一見すると生真面目、を図にしたような堅物だけど実はアイドルオタクで、ウェブ上にある学園の公開掲示板には人気女子ランキングなるものを設立していたりもする油断ならない男、そう、進士将だった。
そんな風景を、
僕は天井から見下ろしていた。
この二人との友誼はかれこれ三年。
中等部に入ってからだったはず。
毎年クラス替えがある九頭龍学園に於いて三年連続で三人は同じクラスだった。
田島が「これってアレだよなきっと神様ってのが俺らを親友になるべく差配してるに違いないよな」と、嬉々とした声音で話していた。
進士も「確かに考えてみればなかなかの確率だな」と珍しく茶色の髪をした男の意見に同調していたな。
僕自身もその言葉に喜びながら、これから一年を楽しく過ごそう、と思っていた。
だが、思えばこれは何の偶然でもない。
差配は存在した。だがそれは神様なんてものではなく、学園側の、ひいてはWG九頭龍支部の意向によるものだった。
今の今まで騙されていた。
てっきり″彼女″の為にWGは、田島や進士は同じクラスにいたのだと勝手に思っていた。
西島晶、星城聖敬、つまりはこの身体に付けられた個人の隣人にして最愛、だと思っていた少女。
彼女がマイノリティ、だと知ったのはついぞ先日。
でもそれもまた、虚実だった。
だって星城聖敬、なんて存在はこの世のモノじゃ無いのだから。
別の、何処か違う世界にいたナニカ。
それが星城聖敬、というモノの本性。
そうだ。
星城聖敬なんて存在は嘘っぱち。
皆と同じように生きているように見えるけども、違う。
そもそも生きている、という表現自体も怪しい。
僕、という存在はここではない世界の理に帰属するのだから。
そうして僕は思い返す。
彼女との出会いを。
◆◆◆
ソコには何もなかった。
それもそのはず。
ソコには始めからナニもなかったんだから。
そこは最初から全てが存在し、同時に全ては存在しない。
冗談とかそういった何らかのたとえ話ではなく、それが事実であったのだ。
ただただ光が輝く。
そこにいる全てがその中を漂い、……まどろむ。
それはまるで海をたゆたうクラゲのように。
ゆらゆら、と。何処までも何処までも流れ、流されていく。
ああ、考えればそれはタンポポの種が入ったあの白い綿毛、みたいなモノだと例えた方が正しいのかも知れない。ただし、いつかは地面へと落ちて、……やがては花を咲かせるタンポポとは異なり、あそこでは何も咲き誇りはしないのだけれども。
ただただ流れ、揺らいでく。
そこでは何も起きないし起きようもない。
だって僕らはただいるだけなのだから。
そんな場所に。
彼女が来たのはいつだったか?
思い返しても分からない。
まぁ、時間という概念がそこでは希薄なのだから仕方がない。
ある日、彼女は────晶は、突然僕らの前に姿を見せた。
幼い子供がいた。
僕らが誰もが驚いた。いや、……驚く、という感情なんか僕らは持ち合わせてはいない。
ただ、集まった。
そこに生きた人の、それも子供の魂が来る。
そんな事は滅多にあるものじゃない。
少なくとも、僕個人が知る限りではこれまで一度も遭遇した事はない事態だった。
誰もが遠巻きにしながら一人の少女を見つめる。
少女もまた、じぃ、と自分の周りを見ている。
「ねぇ、──アナタはだぁれ?」
少女は僕らの中から、僕だけを認めてそう問いかけた。
思えばだったのかも知れない。
僕の中で何かが弾けたのは。
それまでならば他の皆同様に、珍しい客人を遠巻きしつつもそこから前へ、とは出なかったはずだ。
「どうしたの?」
きょとん、とした少女のその表情、感情というモノに誰もが惹かれつつもそこから先へとは出なかったはずだ。そう、だ。それがこの世界の不文律だったのだから。
だが、だけども僕は。
決してそこから出てはいけなかったはずの先へ、一歩前へ出てしまった。
僕のその様子を目にした少女はあはっ、と笑う。
「えーとね、わたしはひかり、にしじまひかりだよ」
ひかり、と自身をそう名乗った少女は屈託なくニカッと口を大きく開きながら手を差し出してくる。
だけど僕にはその手に触れる事は出来ない。
僕には身体なんてものは存在しなかったのだから。
それまではそれで何の不自由もなくいられた。
ここじゃ、それこそが当たり前だった。
「あーそーぼっっ」
ひかり、はよくここに来るようになっていた。
もっとも、ここには時間、ていうモノは何の意味も持たない。だから最初は何も気にしなかった。
だけども。
「きょうもあーそーぼ♪」
屈託なく笑うその少女は少しずつ、ほんの少しずつだけれど大きくなっていく。
それが人間と僕らとを隔てる大きな溝。
かつてひかり以外にもココに来た幾人かの人間と僕らとの交流が途絶えてしまう最大の理由だった。
「ねぇねぇ、きょうはなにしようか?」
彼女との時間はあっという間のようで、でもとても長い間にも思えた。
僕の中で、知らず知らずの内にこれまで知らなかった色々なモノが溢れていく。
喜怒哀楽。
感情、というのがこんなにも素晴らしいモノだったんだと知った。
僕は言葉を発する事は出来ないのに。
だから僕は思ってしまった。
(どうして僕には口がないんだろう?)
「いつかあなたとわたしのいるとこであそべたらいいのになぁ」
ひかりは笑いながら、僕に触れる。
温かい、その手の温もり。
僕は思ってしまった。
(どうして僕には手がないんだろう?)
僕らの場所からは色んな景色が見える。
それまではただ雑然と眺めているだけだった景色。
知らなかった。
ひかり、のいる場所にはあんなにも色々な色彩が溢れているんだって事に。
僕は思ってしまった。
(僕も、ひかりの近くにいたい。あの子の近くにいて、一緒に)
許されない、それは決して許されない。
僕らの、僕らの存在はこの閉じた世界で唯一無二にして絶対の掟、ルールだ。
ここはあらゆる現象を観測する為に存在する異界の一つ。
ここではあらゆる出来事が観測出来る。
何故僕らみたいな存在がいて、何の為にこんな事をあいているのか? そんな当然な疑問にさえ僕だけがようやく気付けた。
でも、僕はここから離れる事は出来ない。
だって、僕は誰でもない存在なのだから。
その日は唐突に来た。
「あのねあのね、きょうはね。あなたにお名前つけにきたよ」
ひかりは僕に名前をくれた。
「きみのおなまえはね、きよたか、だよ」
それが僕に”個”としての識別が付いた時だった。
僕のカタチが少しずつ出来上がっていく。
虚ろだった僕、という存在がきよたか、という個体へとなっていく。
手が出来上がっていく。
口が出来上がっていく。
そうして、僕は形作られて。
その時はやってきた。
その日、ひかりは、命を狙われた。
彼女は恐怖に顔を歪ませ、そして無我夢中で″力″を使った。
それこそが僕がこの世界に来る為の壁だった。
強い力を持った、誰かが向こうとこっちを繋げる。
その道が開く瞬間を僕は待っていたんだ。
そうして僕はこの世界に顕現した。
「君は誰なんだ?」
晶の兄に出会った僕は彼に事の起こりを説明、協力を頼んだ。
「分かりました、では君に名前と、住む場所を提供しましょう。その代わりに君の【中身】を貰えませんか?」
それが彼の、西島迅の出した条件。
そして僕に断る理由なんかなかった。
西島迅は僕の、そして晶の記憶を書き換えた。
僕らは昔からの隣人で幼なじみ。
嬉しかった、これでいい。
だって、
これからは僕が晶を守り、彼女のそばにいるんだ。
◆◆◆
そろそろ身体が目覚める時間だ。
僕にはやるべき事がある。
彼女を、僕というモノを造り上げてくれた彼女を救い出す。
そう、
それこそが、それだけが僕がこの世界に存在する理由なのだから。