ナニカが違うモノ
私は声をかける。
そこにいるはずの″彼″に。
私には分かる。
彼の意識は遠く、奥底で眠っているはずだ。
そう、だ。
私には分かるんだ。
もう────思い出した。
子供の頃、私はいつも一人だった。
お父さんお母さん、お兄ちゃんはいつもそれで心配していたみたいだ。
友達がいない? 違うよ、友達ならいるよ。
皆にも言ったんだよ。
だって幼稚園の子に言ったら変な顔をされたから。
──おまえへんなヤツ。
──だれもいないじゃん。
それでわかったんだ。
誰にも見えないって。
私にしか分からないんだって。
そうだよ、私は一人なんかじゃない。
いつの頃からか私にはお友達がいる。
みんなといつも一緒。
だから寂しいとか思った事もなかった。
みんな私が一人でいると遊びに来てくれる。
だからさびしくなんかないよ。
きょうもあの子とあそびたいなぁ。
あの子、なまえはない、とか言ってたっけ。
じゃあ、私が考えてあげなきゃ。
そうだ。
決めたよ。
きみのおなまえは────。
◆
僕はずっと夢を見ている。
その夢の中で僕は僕じゃない。
何て言えばいいのか、ケモノ、とは違うな。
あれはナニカだ。皆とは何かが根本的に違うモノ。
カタチも定かじゃない。
元々ソコではカタチとかそういった観念が存在しないんだ。
生きているのでもなく、だからといって死んでしまった訳でもない。
ただ″ソコ″に存在するモノ。
その中の一つが、
それが僕だった。
ソコでは何の感覚も存在しない。
皆がいた。
数え切れない程たくさんの皆がソコにはいた。
誰もがソコでは等しくて、何の束縛もない。
何もする事も必要もなく、ただ存在する。
そうだな感覚としては、海にたゆたうクラゲ、みたいなモノかも知れない。
ただソコで静かにたゆたうモノ。
僕らはそういったモノだったんだ。
時間とかそういったモノも定かじゃないソコで、でもなんの不満もなく存在するナニカ、そういったモノだったんだ。
ナラ、ナゼ僕はいるんだろう?
何で、僕は、────────。
『────────』
そんな事を考えている内に誰かが僕を呼んでいた。
何故だろうか?
その声を聞くとナニカがざわめく。
何でだろうか?
僕は何でこんなにもこの声を聞きたいんだろうか?
だから、つい訊ねてしまった。
キミは誰だい? って。
そしてその子は言ったんだ。
『──────────だよ』
だから、僕は。
◆
自分の身体が勝手に動く。
その爪先が削ったモノはすべからくいなくなる。
『キヨタカ、やめて落ち着いて────』
その声が少年の中に響き、反響する。
誰もいないはずなのに。
ここは少年、正確には少年の姿をしていたナニカしか存在し得ない場所のはずなのに。
その声は少年の姿をしたナニカ、を呼んでいる。
もう諦めようかとも思っていた。
だって、彼は自分がどういう存在なのかを理解してしまったのだから。
どうしようもなく人ではないナニカ、それが自分なのだと分かってしまった。
「なのにどうして僕を呼ぶんだ? ヒカ」
『ねぇ、キヨタカはどうしたかったの?』
忘れもしない、それは一〇年前にかけられた言葉。
そんなのは分かりきった事だ。
「僕は君と一緒にいたい」
ナニカは、否、聖敬は思い出した。
自分が向こう側へ行ったのかを。
何てコトはない、それだけだ。
たったそれだけ。
それだけの事だったんだ。
閉じられた意識が突如として覚醒する。
「──はっっ」
我に帰った聖敬の眼前には拳が突き付けられている。正面にいるのは武藤零二。
気付けば聖敬の右手もまた零二の首筋にある。
その手刀と自身の眼前の拳を見るに、どういう事かは分からないものの、戦闘中だった事だけは理解出来た。それもかなりのっぴきならぬ状態にまで至ったらしい。
「武藤君、その……」
「へっ、よーやく我に返ったかよ。じゃ、オレの出番もいい加減終わりだな」
じゃな、と零二はそれだけ言うと拳を引き、くるりと身を翻してその場から去っていく。
「あ、っっ」
聖敬はその後ろ姿に息を飲む。
零二の全身はボロボロであった。
着ているシャツは血塗れ、それも返り血ではなく恐らくは自身のモノ。傷はナニカに切り裂かれた、或いは抉られたようなモノが無数に刻まれており、以前零二と戦った経験から、それだけの深手を負わせる相手に戦慄を覚え……同時に理解してしまった。
(──あれは僕の仕業だ)
一体どうやったのかは分からない。
だけど、間違いなく自分が相手に負わせた傷だ、と本能的に察知してしまった。
「…………」
改めて見たところ、零二の傷は癒えていない。
聖敬は以前零二と戦って実感した。
あの不良少年の厄介な点はその無謀とも思える爆発的な戦闘スタイルとそれを支える異常までの回復力だ。腕がもげようが一瞬で回復する程のそれがあるからこそ彼は己の怪我など全く恐れない。
だが今。
零二の傷は癒えていない。
連戦の結果、イレギュラーを使うだけの余力がない、とも思えたが、それにした所で傷が全く塞がらないのは妙だと思う。
(なら、僕のせいなのか?)
根拠はない。だが、そう思った瞬間、全てがはまったような気がした。
「そ、か僕がやったんだよな」
何故かは分からない。
だが聖敬がそう理解した瞬間、力無くその場に倒れるのであった。
◆
「──へっ、ようやくおねンねか」
崩れ落ちていく聖敬を横目に、零二は後見人である秀じいの肩を借りて用意されていた車の後部座席へ乗り込む。
「う、つっ」
痛みが走り、表情を歪める。
正直言って余力はもう残っていない。
さっきもあのまま戦闘を継続していれば、恐らくは自分が負けていたに違いない。
つまりは命拾いしたのは零二である。
なのに不思議と悔しくはない。
だって相手は恐らくは普通じゃなかった。
あれはマイノリティ、とかそういう範疇ではない。
彼は京都での滞在中に色々な事を知った。
神、なる存在が実在し得る事などはその最たるモノである。
そしてああいった存在と戦うに際して、強い弱い、という観念は無意味だと理解した。
聖敬、もまたそういったナニカ近しいモノだ、そう彼は察知した。ならば勝ち負けより、まずは生き延びた事を喜べばいい。
それが零二の今の心中であった。
「さ、若」
「サンキュな秀じい、正直──ン?」
言いかけて、気付く。
こっちへ走ってくる人物に。
少女は今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
一年前、初めて″声″を聞いた時に思った。
″コイツは絶対からかい甲斐のあるヤツだ″と。
口は悪く、ぶっきらぼうで毒舌。
いわゆるフレンドリーファイア、要は誤爆で音の砲弾の巻き添えにも何回なった事か。そのくせ絶対その事実を認めず、あまつさえ避けなかった零二が悪いとまで言い放った。
それでいて甘いものには弱く、意外と簡単に機嫌を直したりするのが面白かった。
ついぞさっきまで姿を知らなかった相棒。
それが桜音次歌音、または星城凛、という少女だ。
「ちょっと待ちなさいよ!」
「あン? どうしたよ歌音」
「うっさい。いつ名前で呼んでいいっていった!」
「へっ、そうだそンでいい」
「え、?」
凛は思わず驚きの声を漏らす。
零二の声音からは温かいモノが聞き取れたから。
「何さ、ガラにもない。あんたみたいな悪党が妙な優しさなんか見せるな気持ち悪い」
「はっは、そりゃ違ェねェ」
気付けば零二の指が、凛の頬をつついている。
「な、によ……ヘンなヤツ」
凛は初めて目にした。
悪戯っぽく笑うその相棒の表情を。
本当に嬉しそうなその笑顔に、何かが揺れるのを。
(コイツこんな笑うヤツだったんだ)
一年間視てきた相手がどんなヤツだったのかを今更ながらに知った気がした。
「言っとくけど私は別に感謝なんかしない」
「ああ構わねェさ。何せさっきのと今のはオレが自分勝手に気ままに暴れたかっただけだからよ」
「そ、そうよ、あんたはそういうヤツだ。いつも自分勝手でワガママばっか言って。面倒見るコッチの事なんて全く考えないバカよ」
「ああそうだ。よく知ってンじゃねェかよ──初対面だっつうのにさ」
「え────?」
改めて顔をあげる。
今、何と言ったのかが分からなかった。
零二の表情を見る。
その面落ちには笑顔はなく、かと言って怒るでもない。初めて目にする真剣なものである。
「オレには相棒がいた。ソイツは桜音次歌音っつてなスッゲェ性格の悪い女なンだが、さっき秀じいから聞いた話じゃもうWDにいないンだってさ。
クビになったのか、逃げたのか、そもそも【存在しない】のかは知らないけどよ──」
「な、に言ってんの」
「──確かお前は星城凛ってンだろ? だったらオレの知り合いなンかじゃねェ。さっさとアニキのトコへ行っちまえよバカ。…………そンでオレにはもう関わるな」
それだけ言うとドアがバタンと閉まる。
車はゆっくりと走り出す。
零二の目は凛を見ずに何処か遠くへ向いている。
「あ、」
凛は何も言えない。
言えないけれど、何故か足が動く。気付けば走っている。
車は次第に徐々に遠くなる。
離れていく。
「ま、ってよバカ」
息も絶え絶えに絞り出す。
と、
遠くになるつつある車の窓が開く音。
そして、
「じゃあな相棒」
彼は囁くような、凛にしか聞こえないような、それでいてとても優しい声で言った。
凛は気付けば足を止め、下を向きながら。
「バカのくせに、………………アリガトウ」
と誰に言うでもなく呟いていた。