動き出す者
戦斧が唸りを上げながら敵の首へと向かっていく。
完璧なタイミング、角度、そして速度は圧倒的な威力を生み出す。
そして、少女の首は断たれた。
「殺った」
小城は思わず声を上げる。
だが、そこまでであった。
「--それはこっちのセリフよ」
それが彼の聞いた最期の言葉。
(なにが起きた?)
最期の瞬間、それが彼の脳裏を過ぎる。
確かに捉えた、はずであった。
狙いすました戦斧は寸分も違わずに放たれ、一撃の元に葬ったと確信していた。
そう確かに斧に手応えはあった。
だと言うのに。
(なにを攻撃したのだ?)
そう彼は思いながら目にしたのは、確かに首を断たれた誰かの姿。
ただし、その誰かからはあるべき物が出てはいない。
そう、それは人間の形を模した人形だったのだから。
キラキラと所々輝く、氷で形作られた彫像だったのだから。
小城は完全に騙された事を悟る。
その肉体は瞬時に焼かれ、消え失せた。
「く、くそっっ」「何なんだあの小娘」「に、逃げろ」
小城の最期がキッカケとなったらしく、残った敵部隊から戦意は消え失せ、逃げていく。
美影はそれを放置、ただし油断する事なく、相手がいなくなるのを確認する。
そうして、敵が完全にマンションから撤退したのを見届けた直後である。
「ふうう、」
美影は強い虚脱感に捕らわれた。
足元が大きくふらついて、その場で転倒した。
《ミカゲ大丈夫ですか》
「あ、ゴメン助かったわ」
素直に感謝する。
エリザベスの人形がクッションとなって庇わなければまともに頭部を強打したかも知れない。
敵を撃退した事で緊張の糸が切れたらしい。
だが、無理もない。
美影のコンディションは本来ならば病院での安静が必要な水準なのだから。
気丈に振る舞う様子からついつい見逃しがちになるが、激戦に次ぐ激戦で彼女こそが、この数日で一番消耗していたのだ。
さっきの氷の彫像にしてもあれは一か八かの賭け。
イレギュラーを使おうにも限り無く限界に近かった彼女が最小限の消耗で相手を出し抜く為の一手であった。
結果として倒しはしたものの、小城はかなりの強さではあった。
ああして騙せなかった場合、今の美影では間違いなく苦戦を強いられる程には強い相手だったのだ。
グレネードの着弾に伴う爆発と爆煙。
視界が曖昧となった事で何が起きるかを美影は冷静に判断。
PDWによる射撃はことごとく失敗した以上、次は近接戦闘に及ぶと想定。予測通りに、相手の接近を確認した美影は咄嗟に氷の彫像を生成。
自身は側面に回り込み、そうして今の状況。
背後を取れたのは全くの偶然。
だが出来る、という自信はあった。
昨日、実戦で初めて″スイッチ″を使えた。
極限まで集中する事で、周囲の状況がゆっくりに感じ取れる″ゾーン″のような現象。
実際に周囲が遅くなるのではなく、あくまでも彼女の脳の判断処理能力の向上。
短時間、ほんの二秒か三秒が限界の切り札。
だが、それで充分。
二秒か三秒が彼女にはおよそ数倍にも実感出来るのだから。
ゆっくりに視える動きに、周囲の状況に呼応して、後出しで動けるのだから。
そして決定的な勝機を掴む。
今だってそう、これからもそうだ。
だが、何事にもリスクは存在する。
ましてやそれが切り札ともなれば当然。
美影は余力を残さずに使い切った。
そして結果として、意識が朦朧とし始める。
だからであろうか。
普段の彼女であれば決してないミスを冒したのは。
そう、確かにWDの戦闘部隊は撃退した。
およそ十数分間にも及ぶ戦闘。
周囲に住人はいなかったから建物に多少の被害が出たくらいだった。
だが、結果としてこの戦闘は目印となったのだ。
彼らは美影が前後不覚に陥った隙を突き、動き出した。
無論、その目的はマンションにいるであろう、西島晶の確保である。
彼らが現場に着いたのはおよそ五分前の事。
準備は整っており、その気さえあればその段階で制圧は充分可能であった。
なのに、敢えてそうしなかったのはひとえに美影が理由である。
彼らにとってみれば美影は昨日まで同じ支部の仲間であった。如何に袂を分かったからと言えども銃口を向けるのには抵抗があったのだ。
それに、彼女のイレギュラーが如何に強力なのかも身内だけに把握もしている。
正面切って闘えば、かなりの損失は必至。
だからこそ彼らは冷静に待っていた。
美影とWDの戦闘部隊との交戦が終わるのを。
仮にどちらが勝ったとしても無事ではすまないだろうから。
「行け」
そして号令が出た。
ポン、という何かを射出したような軽快な音。
直後、美影の足元に転がったのは筒状の小さな砲弾。
見覚えのあるそれに美影は反応しようと試みるが、時既に遅し。
「うっっっ」
周囲にもうもうと煙が立ち上る。
同時に美影の意識が、完全に薄らいでいく。
特殊睡眠ガスにより、強制的に意識が遮断されようとしている。
そしてそれを皮切りとして、一斉に動き出したのはWG仕様の戦闘服をまとった一団。
「いかせな--うっっっ」
美影が何とか遮ろうとしたものに、そこに無数のゴム弾が撃ち込まれる。
ゴム弾とは言えど至近距離からのショットガンによる攻撃は強烈そのもの。
「…………」
崩れ落ちる美影を手際良く拘束すると、いよいよマンションへと突入していくのであった。
◆◆◆
エリザベスからの通話が遮断された。
「くそっ、マズい」
聖敬は切れた電話を前にして焦りを隠せない。
無理もない。
あのマンションならば安全、そう思ったからこそ彼も凛もこうしてこの場にいたのだから。
なのに、今やその安全地帯が戦闘地帯と化しているのだ。
「これじゃ何をやってたのか分からない」
グシャリ、と思わずスマホを握り潰す。
「電波障害、それに無駄のない行動」
凛は努めて冷静に音を聞き取ろうとしていた。
聖敬は我を忘れている。
そんな中で今、自分が、自分までが冷静さを失ったら本当にマズいと理解していたから。
「WD、いや多分違う……少なくとも九頭龍支部の動きじゃない」
「つまりはWG九頭龍支部の仕業って事だな」
田島が凛の言葉を補足、問いかける。
「WDは西島の事を知っているのか?」
「いや、晶の事は何も知らない、はずだ。知ってたとしてもそれは」
「九条羽鳥だけ、だろうな。得体の知れない相手だったけど少なくとも取引だの交渉は出来る相手だとは俺も聞いていたからな」
「ならまずいな。ここまではっきりと動いたという事はもうなりふり構わないって事だ」
進士の言葉が全てであった。
現在九頭龍支部を掌握している前支部長であった小宮はこれまでは少なくとも、表立っての強硬手段に打って出る事はしなかった。
それはまずは日本支部への事態の発覚を少しでも遅らせたい、と言うのが理由の一つ。
それから同じくして昨晩から状況が一転したWD九頭龍支部。事実上空白状態となった事に端を発する所属エージェントや関係者の暴走を食い止めるのに精一杯だった事が二つ。
本来であれば余裕など全く存在しない状況。
「小宮さんは少なくとも無謀な作戦は実行させない人だったはず。なら、何かしらの算段があるはずだ。一、お前はどう……」
「そんなのはどうだっていいんだよ!!」
冷静さを失わない三人に聖敬は思わず感情を爆発させた。
地面を素手で殴りつけ、ボコリと穴を穿つ。
ピシピシ、と亀裂を走らせた影響からだろうか、電柱が傾いた。
「無謀だとか、安全なんてどうだっていいんだよ。晶が危ないんだ。今すぐ行かなきゃ行けないんだよ」
声を荒げ、いきり立つその姿からは普段の穏やかさは微塵も感じさせない。
凛は知っていたが、ここに至って田島も進士も理解した。星城聖敬という少年にとって西島晶、という少女が如何に大事な存在であるのかを。
いつも誰よりも穏やかな自分達の友をこうまで動揺させうるのかを。
進士は、はぁ、と大きく息をつく。
「分かったよ。確かに彼女のイレギュラーは今に至ってもよく分からない事が多い。正直言うなら何が起きるかもう判然としない」
「おい将、」
「でもそんな事は言ってられない。西島晶は聖敬の隣人であり、幼なじみであり、僕たちのクラスメイトだ。
なら助けなくちゃな」
いつも飄々とした顔をした眼鏡の少年が笑った。
「ったく、前置きが長いって。ま、そういうこった。
俺たちも手伝うからな。言っとくけど文句は言わせないぜキヨちゃん♪」
派手めな茶髪の少年はいつも通りふてぶてしく、だが有無を言わせずに笑う。
「お前ら、…………」
そこに、
「おいクソ兄貴、私を止めても無駄だからな。
晶ちゃんは私にも大事な人なんだ。兄貴がビビって腰が引けても一人でも行くつもりなんだ。
だから諦めろよな。一人でなんて行かせない」
義妹、いや、妹である少女はいつも通り、それ以上の毒舌で同行を宣言した。
思わず聖敬は三人を見回して問う。
「いいのか? 下手をしたらWGを完全に敵に回すかも知れないんだぞ?」
「問題ない。多少の荒事は避けられないが、殺傷さえ控えれば何とか出来る。仮にも日本支部から派遣されてるんだ、信用しろ」
「大体、WGってのも大概いい加減なのさ。
それにだぜ、かわいい女の子に何するか分からないって事になったら俺の誓いが、世界中の女の子はもれなく守っていう誓約が破れちまう」
「私はそもそもWDだった。WGに遠慮なんてしないし、する義理だってない」
三者三様、間髪入れない返答だった。
「…………ありがとう皆」
「何か言ったか?」
「さぁ、聞こえなかったぜ」
「いいからさっさと行くよクソ兄貴」
三人の言葉が聖敬には本当に嬉しかった。
だけどもう礼は言わない。
言わなくても互いに分かっている。
やるべき事はもう分かっている。
だからそれを達成するだけ。
簡単な事、そう簡単なはずだった。
「ふっざけんなクズ共がぁぁぁぁ!!」
激しい爆音が、怒声が轟く。
振り向いたその視線の先。
四人の背後に立つのは、全身を血に染めたままの椚剛である。
瀕死のはずだった、だが彼は立ち上がっていた。
「お前ら如きクズが、俺に勝てる訳がないんだ。
そうだ、俺は誰に負けねえんだよぉぉぉぉ。
さっきみてえなマグレはもう喰らわない」
ふらふらとしながら、溢れ出でる凄まじいまでの殺意は本来であれば四人の動きを遮るのに充分、のはずだった。
だが、今は違った。
「よお、随分と楽しそうなコトやってンじゃねェかよ」
そう、四人の前。
いつの間にかそこには、椚を遮るようにしてツンツン頭の不良少年がいたから。
「テメェ、何だよザコがっっっっ」
予期せぬ乱入者を前に椚は絶対防御を展開。その足で地面を削って--瓦礫を飛ばす。
まるで散弾銃のような攻撃は距離にしてほんの四、五メートル先の乱入者を正確に捉えた。
「ズタズタになって死ねや」
「へっ、ジョートーだ」
対して少年は不敵に、獰猛に笑いながら腰を落とす。
避けるつもりは毛頭ない。
その瞬間、であった。
凄まじい勢いで焔が巻き起こった。
瓦礫は文字通りに瞬時に燃え尽きていく。
「テメェ、誰だ!」
己が攻撃を防がれた事で椚は激昂するのではなく、逆に冷静さを取り戻したらしい。
目の前の相手が油断ならないと理解したのだ。
「あんた、何でいるんだよ?」
驚きの声を上げたのは凛だった。
だって彼は九頭龍から離れていた。
昨晩だって…………京都で何やら動いていたはずなのに。
「何でって、ンなモン決まってンぜ。
ここはオレの住む街だからだよ相棒」
そこにいたのは武藤零二だった。