奮戦
思えば彼は″負けた″事が無かった。
物心ついた時、既に彼は周囲から己を隔絶する事が出来た。
どんな相手にだって負けるはずもなく、だから常に彼は誰かを狩る側だった。
九条羽鳥に従ったのも、誰かに必要とされたのが物珍しかったのと、自分がもっと強くなれるという条件に興味を惹かれたからであって、別段強要されたのでもない。
(俺は狩る側だ、いつだって。いつまでもな)
それが椚剛という男の信じる事。
客観的な事実を提示するのなら、正確には五年前に一度敗北を喫していた。
しかしそれは最終的に彼の中で敗北とは認識されなかった。
結果的に一対一で戦い、そうなりこそしたが、それは連戦の末の、奇襲によって始まり、そうして主導権を取り返せずに終わっただけだ。
連戦の疲労と不意打ちで倒されたのだ。
そんな例えるならば天災の様な出来事は認めない。
それゆえに未だ負けを知らぬ、無敗。
それが椚剛、という男を支えていた全て。
絶対防御、アブソリュートプロテクション。と呼ばれ、一時はWDでも最強なのではないか、とまで目された男の内面であった。
それは能力とは相反する、いや……なればこそなのかも知れない。
誰よりも弱く脆い心を守ろうという無意識下の防御反応。絶対防御とはそうしたイレギュラーなのかも知れない。いずれにせよ、彼は、彼の壁は誰にも破られはしなかった。これまでは。
だが、
「ぐあああああああああっっっっっ」
バリッッッッ、
壁が粉砕された、文字通り破壊された。
彼にだけ分かる、彼にしか分かり得ない不可視で絶対の壁が突破された。
迫るのは恐らくは何らかの音、槍、そして人狼の拳。
三つの攻撃がゆっくりと迫り来る。
椚剛は茫然自失であった。
もう何もかもがどうでもいい、そんな心持ち。
云えるのは、自分が今、負けたという事実。
完璧なまでに完膚無きまでに。
ガアアアアアアン。
凄まじい破壊音が轟く。
三つの攻撃を前にして椚剛の肉体は抗う事を諦めた。
まるで紙人形のように吹き飛び、そうして無造作に転がっていく。
マイノリティには個人差こそあれど、リカバーという自己回復能力が備わっている。
だから一見致命傷を受けたとしてもまだそれで戦いが終わったとは限らない。
聖敬にせよ、田島も凛もそれは同様に考える事。
ゆっくりと相手の様子を伺いつつ、いざという時に備える。
「か、ばはっっっっっ……あぐっっっ」
小さな呻きが漏れる。
その身体は無残なまでに壊れていた。
とっさに自身を守ろうと試みたのか、手足は有り得ない方向へねじ曲がっている。
恐らくは全身のあらゆる骨は粉砕、骨折している。
それにペンキをぶちまけたかのように鮮血に全身を染め上げており、しかもリカバーが発動していないのか、回復する兆候もない。
誰の目にも明らかな瀕死。
つまりはリカバーしても回復不可能な負傷を負った事を意味する。
聖敬が信じられない、と言った面持ちで「勝った、のか?」と呟いた。
「ああ勝ったよ。俺らの勝ちだ」
聖敬の言葉を肯定した田島もへたへた、と地面に座り込む。
「でもどうして勝てた?」
その聖敬の疑念は当然と言える。
自分達の攻撃はさっきまで全く通用しなかったのに。
「多分、それは【許容範囲】を超えたからだろうよ」
そう話に切り込むのは起き上がった進士である。
眼鏡をかけ直した彼は聖敬の困惑した表情を再確認すると、
「簡単な話だ、相手の防御能力の限界を突破した。
ただ、それだけの事だ。要は三人分の攻撃を前に相手は防御し切れなかった。そういう事だよ」
と簡単に説明した。
「何にせよ勝った、それでいいだろキヨちゃん」
田島は背後から聖敬へ突進、変異を解いた聖敬はその奇襲に「ぐぼっっ」為す術なく派手に前に転がっていく。
「何すんだよ!」
「ヘッヘ、気にするなって俺達の中じゃないかよぉ」
むぎゃーむきー、とそう言いながら笑い合う二人の様子を目の当たりにした凛が思わずくすり、と笑う。
「何だ、クソ兄貴にも普通に友達がいたんだな。色々心配してバカみたいだ」
スッキリとした表情を浮かべながら空を見上げる。
気持ちが落ち着いたからか、いつもと同じ色合いの空なのにやたらと眩しく思える。
昨日から色々な出来事があり、ずっと考え事をしていた様に思える。無論、その全部が解消された訳ではないが、一息ついたと思うのは間違いではないだろう。
普通なら一件落着にも思える。
だが、今は混乱に伴う異常事態のただ中。
すぐに現実に引き戻される出来事が起こるのだった。
RRRRRRRRR。
聖敬のスマホに一本の電話がかかってきた。
相手はエリザベスらしい。
「もしもし」
聖敬が出ると、電話越しからすすり泣く声が聞こえる。
--キヨタカ、すみません。
エリザベスの声音は弱々しい。
「エリザベス、一体何があったんだ?」
聖敬の口調がおかしい事に田島達も気付く。
凛はその聴覚で、即座に異常事態を察知したのか、彼女達のいる自分が使っていたセーフハウスのあるマンションの方へ耳を澄ませていた。
「エリザベス、落ち着くんだ。何がすいません、なんだよ?」
えも言われぬ嫌な予感を感じていた。
義妹には及ばずながらも、聖敬の聴覚もまた常人を越えている。
電話の奥から聞こえる音は、ガラガラという物が崩れる音。そう、丁度室内の本棚が崩れた様な音。
他にも、かすかな呻き声も聞こえる。
聞き覚えのない声の人数は、おおよそ十数人といった所だろうか。
苦しみ悶えるその声音から伺えるのは、恐らくはそこで戦闘行為が行われたという事だった。
そしてその考えを、
--ごめん、キヨタカ。攻撃された。
エリザベスの言葉は肯定した。
◆◆◆
(数分前)
凛がセーフハウスとして使っていたマンション前にて。
WDの戦闘部隊との戦闘は続いていた。
敵部隊は構えたPDWから弾丸をばらまく。マイノリティ相手に通常弾は然程効果を持たない。
当然ながら弾丸は改造された対マイノリティ仕様の特殊弾である。
マイノリティの”無力化の為に”WGも同様の装備を開発してはいるのだが、その使用意図には明確な差異が
ある。
WGのそれがマイノリティの”制圧”であるならば、
WDのそれはマイノリティの”殺傷”を主目的としている。
WGの弾丸が相手を麻痺させるのであれば、
WDの弾丸には敵を殺害する為の処置が施されている
無数の弾丸は当然ながら敵である美影の殺傷に主眼は置かれており、その照準は正確であった。
「甘いってのよ!」
間隙を突き、裏側から侵入を図る敵影。
美影の目はそれを見逃さない。
咄嗟に左手を振る。その動きからは火が巻き上がり、勢いを増し地を這いながら敵へと襲いかかる。
「う、わっっ」「も、燃えるっっ」
耐熱、耐火仕様の戦闘服がまるで単なる布のように燃え上がっていく。
驚愕しながら火を消そうと戦闘員達が転がっていく。
そこに追撃が入る。
突如として彼らの眼前に巨大な赤い拳が地面から伸び出す。勢いよく握りしめられた拳は振り下ろされ、鉄槌を喰らわせる。
この攻撃はエリザベスが自分の血液を用いたモノ。
彼女はセーフハウスにて晶のそばにいた。
上から下の様子を覗き込むのではなく、上空に血で作った鳥を飛ばせる事で周囲の状況を把握、援護していたのだ。
(にしても、エリザベス。やるわね)
美影は正直、舌を巻いていた。
血液操作能力を手繰るマイノリティには直接戦闘よりも戦闘支援に向いた者が多い事は聞き及んでいた。
だから、支援そのものにはそれ程驚く必要もなかったのだが、エリザベスは一度に警戒監視に追撃をこなしていた。複数の血液人形を同時に手繰る事で。
本人曰わく、大きな人形を作らなければ一度に複数の人形手繰るらしいとは聞いたのだが、まさかこれ程に正確に動くとは想わなかった。
(ベルウェザーの時よりも、今の方が敵に回したくないわね。正直いって)
そんな事を思いつつ炎を手繰り、襲撃者と戦うのであった。
「だ、駄目です。マンションに侵入出来ません」
「敵はこちらより遥かに強力なマイノリティです。このままでは全滅しかねません。撤退を」
続々と入る報告に苦虫を潰したような表情を浮かべたのは、この部隊の指揮官である小城である。
彼が受けた命令は実に単純で、あるマンションにいるであろうWGが最優先で保護してきたマイノリティを確保する事である。
実は彼らの指揮系統は九頭龍支部ではなく、外の支部である。
昨晩からの混乱を突き、密かに侵入した彼らだが、実際の所、その対象の姿をしらない。
彼らが知っているのはあくまでも相手がマイノリティである事と、その警護に恐らくはWGエージェントがいるはずという事のみ。
だからこそ装備を整えたはずだった。
「おのれッッ」
思わず怒鳴り散らす。
全くの想定外であった。
彼らの部隊が九頭龍支部と敵対するリスクを冒してまでこうして侵入を果たしたのは一重にここに重要な存在が秘匿されている、という情報が彼らのボスに入ったからである。
彼らのボスはWDのみならずWGにも色々とコネを持っているらしい。
その為なのかそのボス率いるこの部隊は様々な裏事情に関わる任務を請け負う事が多い。
人員数はおよそ五〇人。
今回の件で九頭龍に侵入したのはその内の三〇人。
残りの二〇人の内訳は偵察や諜報に一〇人。
残りの一〇人がボス直属の戦闘員だ。
今回、その直属の人員が入らないのは彼らの侵入がバレれば戦争を仕掛けて来たととられかねないという考えからであった。
無論、自分達三〇人とて様々な戦闘経験を積み重ねており、そんじょやそこらの連中に後れを取る事など有り得ない。そのはずであった。
炎が巻き上がり、火だるまと化した戦闘員が瞬時に灰化していく。
すでに一〇人が死亡した。
怒羅美影、通称”ファニーフェイス”の事は聞き及んではいた。
油断ならない相手だとも理解していたし、戦闘に突入した場合も想定して装備も整えたはずであった。
実はここに来る前に前哨戦としてWGの九頭龍支部の小部隊とも交戦していたのだが、てんで歯ごたえのない敵であり、難なく全滅させてきた。
今回の任務の実行が決まったのは単にWDの混乱だけが目的ではない。
そもそも、今回の回収予定の品物はそもそもWDのみならずWG双方が裏で手を組んでいた事で一〇年以上もの間秘匿してきたらしい。
それだけでも充分に裏切り行為ではあったのだが、そもそもWDとはそうした様々な思惑を抱えた者達が蠢く組織の形をした個人商店である。
そうした裏取引や暗躍等は日常茶飯事、ごく当たり前の事なのだ。
それに九条羽鳥はどうやらWDに於ける最高権力者こと”上部階層”らしく、うかつに手を出さば手痛いしっぺ返しを被る事は必定。
だからこそ色々な連中が何かしらの秘密を抱えている事を薄々感じている者は多かったものの、これまで九条羽鳥という存在を恐れて誰も手を出される事は無かったのだ。
だが、今は違う。
どうやら九条羽鳥は死んだらしい。
まだその情報はそう広がってはいない。実際には昨晩派手に宣言した椚剛の件は各地に広がってはいたのだが、それが果たして事実かどうかを誰もが調査していた。
だが、間も無く事実だと知れるは必定。
そうなればこの九頭龍は様々な思惑を抱えた連中の跋扈する戦場に陥るであろう。
その前に全てを終わらせる、その為の作戦であったのに。
小城の眼前に広がる光景は目的の無残な敗北、失敗を意味していた。
「残りはアンタ達だけみたいね」
敵を見定めた美影がゆっくりとした足取りで向かってくる。その強さはあまりにも圧倒的であった。
情報によると彼女は昨日の大規模な戦闘によりかなりの負傷を負い、その戦闘能力は著しく低下している、との報告だった。そのはずだったのに。
「くそ、撃て撃てッッッ」
小城は絶叫しながら残った部下に命じる。
部下達ももはやこれまで、と覚悟を決めたのかPDWでの射撃のみならずバズーカやグレネードでの抵抗を試みる。
爆音と爆風でマンション前はまさしく戦場と化する。
もうもうと上がる煙へなおも弾丸を撃ち込んでいく。
だが、抵抗はそこまでであった。
煙の向こうから何かが飛んできた。
それはまるで矢のような勢いで敵を射抜く。
だが、射抜いたのは矢ではない。
「ぎゃあああっっ」
悲鳴が上がり、射抜かれた隊員はその身を炎に包まれる。
そう、それは炎の矢。
煙では彼女の視野を遮るには不充分である。
美影には”熱探知眼(サ-モアイ)”により相手の熱が見えるのだから。
彼女の十八番である″怒りの槍″はここでは使わない。
美影の強みは持久戦を頼みに出来るだけの精神力。
RPG的に例えるなら彼女はMPが高く、おまけに消費するMPもかなり節約出来る。
もっともこの場合、怒りの槍よりもずっと威力の劣る炎の矢を用いるのは、相手を見下しているというよりは、単純に美影自身の疲労度が高いからである。
彼女は今回の件を長期戦になると想定していた。
だから、下手にここで消耗してしまえばもしも次に誰かがここを襲撃してきた際に何も出来ない可能性がある事を警戒していたのだ。
だが彼女自身、未だ理解していなかったのだが実は美影の炎は昨日よりも強力になっていた。
炎の矢で対応出来るのは、敵が弱いのではなく美影自身のイレギュラーが強化されていたから。
その要因が昨日、ようやく扱えるようになった”スイッチ”の影響だと知るのは少し後の事である。
向かって来る攻撃を炎でなぎ払う。
弾丸は溶け、グレネード弾は爆発。
「くっ」
瞬間、周囲の熱が急上昇し、美影の視界が狂う。
「うおおおおおお」
間隙を突くように小城が突進。
姿勢を低くし、深く踏み込みつつ肉迫。
その両手には彼のイレギュラーによって造り出された戦斧が握られている。
「もらったあ!!」
その斧が美影の首を落とさん、と振り上げられた。