激突――椚剛part3
「あのバカ兄貴」
ち、と大きく舌打ちを入れつつ、凛は聖敬の危機を前にしていても立ってもいられやしなかった。
援護に徹する、という聖敬との約束であったが、そんな事を守っている様な状況ではない。
彼女の目に入ったのは義兄の窮地なのだから。
それに遠目からであっても分かるのだ、敵である椚剛という男の危険さが。
それはあの男が手繰るイレギュラーに起因するのではなく、その存在が、である。
あの男は間違いなく真性の、掛け値なしの怪物だと彼女の本能が訴えかけていたのだ。
だから、躊躇わなかった。
「AAaa――――!!」
ビル上からの音での砲撃。
細かい狙いなんて構わない、大事なのは聖敬へと向けられた殺意を少しでもこっちに引き付ける事なのだから。
不可視の攻撃に対しての対応は基本的にはその場から飛び退く事が正解だ。
これまでに幾十、或いは幾百もの同類を目の当たりにし、その内の何割かとは戦った事もある。
彼らは各々に様々なイレギュラーを手繰り、或る者は挑み、また或る者は逃げ、そして死した訳だが。
その誰もが彼女の攻撃に対する反応は総じて同じ。
それは危険を察知した途端に、その場から退く、というものであった。
相棒にして現在進行形での監視対象である武藤零二もまた同様である。
何せ、視えない攻撃なのだ。
それが一体どの程度の威力なのかも判断出来ない。
ひょっとしたら威嚇や牽制程度かも知れない。
だがもしも、本気の、明らかな殺意が込められた一撃であったのなら…………。
それこそが彼女の、星城凛であり、桜音次歌音という少女が敵に対して有する優位性。
敵からすれば相手である少女の攻撃意図が読み切れない。
どんなに強力なイレギュラーを保持しようとも、手の内が読めない以上、つまりは基本的に後手に回らざるを得なくなる、これが戦いの駆け引きに於いてどれ程に優位に働くかは考えるまでもない。
そうして優位性を保ったまま決着を迅速に、だが確実に付ける。それこそが”静かな囁き”というイレギュラーを手繰る彼女の戦い方であるのだ。
ゴォン、という爆音。
命中した、
咄嗟とは言えど、集中して攻撃を放った。
まともにくらえば五体がバラバラになっても不思議ではないだけの威力のはず。
だというのに、
その優位性が相手には通用しない。
椚剛はただその場にいるだけである。
微動だにせず、警戒すら抱く様子もない。
それどころか、相手は不意打ちを受けたというのにまるで無関心、全く気にする様子も窺えない。
ゆっくりと足を踏み出すのが見えた。
たった数歩、それで彼の兄は死ぬ。
だから、
「やめて、よおおおおおおおおおおおおおお」
その声が届くはずもないのに、彼女は絶叫した。
◆◆◆
「ん? 何だ攻撃か」
椚は自分の周囲が爆発、煙が巻き上がってようやく状況を理解した。
一言で言えば、彼は自身へ向けられた害意に対して無頓着であった。
何故なら、彼は攻撃をまともに喰らった経験が極めて少なかったから。
とは言え、では彼がかつて敗れたシャドウはどうなのか?
一度目は疲弊した所を奇襲された。
二度目、昨晩も重傷を負わされた。
だが、それは彼にとって驚く事ではなかった。
それは断言こそしないが、あの男のイレギュラーも自分と似たようなモノなのだろうから。
壁を作って世界から自身を守る。
世界から消え失せて一方的に相手を呑み込む。
それは違う様でいて似た能力なのかも知れない。
であれば、自分の絶対防御が通用しなかったのにも納得はいく。
一見するとあらゆる攻撃を遮断し、あらゆるモノを圧殺、或いは粉微塵へと化す。
最強で最悪の盾にして、矛を持つ者同士。
何の事はない、同類であるのならば互いの防御がいとも容易く突破され、互いの攻撃で深手を負わされるのも当然の帰結であろう。
であるから椚剛はシャドウとの戦いはある意味で自分との戦いであるのだとして、傷を負うのは仕方の無い事だとして考えるのあれば確かに敗北でもあり、そうでないものでもあろうとも理解していた。
であるからだろうか。
「だから俺はいまだに誰にも負けた事は無いのだし、これからも負ける予定だってない」
そう傲然とも言い放てるのは。
理由は彼は理解していたからである、その自信こそが己が強者である証左であるのだと。
マイノリティ同士が闘うに際してもっと重要な事とは即ち、相手に対して臆さないという事。つまりは相手を呑んでかかる、という事である。
極論すれば前時代的な言い方となるのだが、相手に気合いで負けるな、という事でもあるし、つまりは根性論である。
勿論これが誰にでも有効であるとは限らない。
過信とは増長であり、油断にも繋がるのだから。
だがその思考が椚剛、という男にとっては自身のイレギュラーを強化する事に直結した、…………それだけの事だった。
「さてと、待たせちまったな。これで終わりにしてやるさ」
喜色満面でそう声をかけると、ゆっくりと足を上げる。それはまるで子供が蟻を踏み潰すかの様に。
「くけっ、しぃーーねぇ!!」
「や、めてっっ」
自身の音が通じない以上、凛は叫ぶしか出来ない。
そんな声を出しても届かない、そんな事は分かっている。なのに、
そして、無情にもーー。
グガアン、という破壊音が響き渡るのであった。
「あ、……………………っっ」
膝を付く。
間に合わなかった、がたがたと震えが来る。
何も出来なかった、という現実がこんなにも重いだなんてこれまで思いもしなかった。
彼女はついぞ知らなかった。
ヒトが死ぬ、という事が如何に重いのか、を。
(こんな世界にいればそんなの当たり前じゃない)
いつの頃からだろう、そんな風に思っていた。
だって自分のいる場所とは世界の裏側なのだから。
そこでは死はごく親しい隣人でしかない。一寸先は闇、瞬き一つの間に消え失せるようなモノでしかない………………そんな風に考えていたのに。
如何に今の今まで自分がその重さを軽視していたのかが骨身に染みて理解出来た。
人が一人いなくなるのがこんなにも重かった事を今更ながらに知るだなんて。
「心配しなくていい」
「…………………………え?」
凛がその声に振り返ると、そこにいたのは彼女が昨日高等部の学舎で姿を目にした相手が……進士がそこにいた。
「え、何で…………?」
そう尋ねようとした凛を遮るように進士は、
「こっちは大丈夫だ。そっちは…………よし大丈夫だな」
と誰かに言葉をかけた。
「ん?」
椚剛が異変に気付いたのはその手応えの少なさからであった。
(どういう事だ? 踏み潰したはずだが…………)
もうもう、とあがる破壊に伴う煙で視界は曖昧、だが彼の目は確かに見た。
「な、っ」
すぐ目の前にいる聖敬の姿を。
咄嗟に後ろへと飛び退く、そして「クソが」と叫びながら再度突進する。
「な、にぃ?」
そして驚愕する、自分の身体が目前の相手を通り過ぎていく事に。
椚は振り返り様に、
「………………クソったれ。そういう事か!」
何が起きたかを理解し、そう毒付いた。
◆◆◆
「う、うう」
聖敬は目を開く。
(あれ? 確か僕は……)
そして自分が何故生きているか疑問に思う。
自分はあの絶対防御と自称した男に手も足も出なかったのだから。
最後に笑いながら、踏み潰そうとしていた。
あの喜々とした表情は、忘れようにも忘れる事など出来そうもない。
「よ、気付いたか」
そこへ声がかけられた。
「た、田島」
「おいおいそこはきちんとさ、まずはこうだろ? この度は危ない所を助けてくださり誠に有難うございます田島様って……………あ、冗談冗談だから、いたた」
「まったく、相変わらずだなお前はさ。…………有難う」
「いえいえ、どういたしまして。ってまぁ、挨拶はこんなものにしないとな」
「ここは、下水道か? う、臭いな」
思わず聖敬は鼻を摘まんだ。身体能力だけではなく聴覚、嗅覚まで強化された彼にはここの何ともいえない臭気は普通の嗅覚でも吐き気をもよおす程である。聖敬にはある意味で、毒のようなものですらある。
聖敬の特性を知っている田島にしても、それは重々承知だった。だからいつも軽薄そうにヘラヘラした表情の彼にしては珍しく、気まずそうに眉間にしわを寄せると、
「悪かったとは思うよ、でも仕方ないだろ? とっさに逃げ込む場所なんてのはそうそうないんだからさ」
と、目を逸らしてそう言った。
その仕草が聖敬には物珍しく「あはは、」と、気が付けば笑っていた。
「おいおい笑うなって、ったくさ。ま、いいやとにかくここから離れなきゃな。…………長居は無用だからな」
「ああ、そうだな」
現状を理解し合った二人は今度は一転して無言で歩き出す。
とは言えど、ここは無人の下水道。
誰もいやしないし、いてもその姿を見付けるには暗過ぎる。
誰かが、具体的には椚が追って来るならもうとっくに見つかっていてもおかしくはない。
(妙だな)
田島は正直疑問すら覚えた。
あの時、椚剛が聖敬へトドメを刺さんと歩み寄った時に、彼は”不可視の実体”を使用。聖敬の姿を含めた周囲の虚像を展開し、彼の視界を横にずらしその動きを誘導。その隙に本物の聖敬を運び出して少し離れた場所にあったマンホールから下に降りたのだ。
とは言えど、あれはあくまでも虚像。
そう長い時間は維持出来ないし、相手も騙された事に気付いている頃合いである。
だと言うのに。
状況は静かなモノであった。
田島と進士が判断する限りでは、相手は決して気の長い性質だとは思えなかった。
だからこそ、聖敬を救い出した後、間違いなく相手は激昂するに違いない、そう思ったからこそ出入り口であるマンホールを始め、何カ所かには罠を仕掛けた。
それらの罠で相手を倒せるとは思えなかったが、そうして先手先手を打つ事で相手の機先を制するつもりだったのだ。
相手は一向に追跡をかけてこない。
(何だよ、まさか諦めたって事はないよな?)
そんな疑念すら思い浮かぶ。
「妙だな、そう思わないか?」
その聖敬の言葉は、そんな親友の思いを代弁するものであった。
実際、彼もまた疑念を感じていた。
実際に戦ったからこそ田島以上に敵、つまりは椚剛、という男がこうも易々と逃がしてくれるとも思えないと、聖敬は確信すら抱いていたのだ。
とはいえども、現状で椚にたいして有効打を見出せない以上、あえて危険を冒すのは無謀に過ぎる。
そこで田島の案内で二人は別のマンホール出入り口から外に出て、そこから進士と合流する算段となったのだった。
「よお、お二人さん。待ちくたびれたぜ」
喜々とした声音がかけられる。
そこで待ち構えていたのは、進士ではなく、椚であった。
「す……まない、甘かった」
弱々しい声がかけられ、聖敬と田島が振り向くと、そこには進士の姿。
その身体はまるでボロ雑巾でも扱うかのように、路上へ放り出されていた。
「クソったれ、が」
田島が舌打ちを入れ、
「嘘だろ、」
と聖敬は愕然とした面持ちとなる。
「ううん、いいぞ。実にいいねぇ」
椚は二人のその反応に満足したのか、くけっ、と独特の気味の悪い笑い声をあげる。
「随分と時間をかけさせてくれたな、ガキ共が……もうここからは逃がさねえぜ。
せいぜい、派手にさえずってくれよ。てめぇらの人生最期の絶叫コンサートってやつを堪能させてもらうからよ」
それは戦闘狂たるこの男にとっての死刑宣告。
自分をこけにした二人の少年に対して、本気で殺す、という宣言である。
「くそ、」
聖敬は絶望的な気分であった。
さっきとは違い、ここから逃げるのは恐らくは不可能だろう。
田島のインビジブルサブスタンスは便利ではあるのだが、同じ相手にそう何度も通用するイレギュラーではない。
(それに、不意打ちしたって僕の攻撃は届かない)
そう、聖敬の攻撃はその全てが通じなかった。
決して自分が強い、とは思ってはいなかったが、それでも自分の攻撃力にはそれなりに自信も抱いていた。
それなのに、目前の相手に対しては全くの無力であった。
もっと通用するかと思っていた自分が如何に弱かったのかをここに至り痛感させられた。
「おいキヨちゃん、聞こえてるか?」
ぼそぼそと消え入りそうな声を発するのは田島である。
「ああ、聞こえてる。何か用事か」
聖敬も同様に変事を返す。
田島は窮地に於いて余計な事はしないし言わない事は聖敬にも分かっている。
そして何よりも、であるのだが、
「ああ、反撃に出るぞ」
その表情からは、さっきまでの様な怯えにも似た感情がすっかり消え去っていたから。
だから、田島からのその提案にも「分かった、ならどうすればいいんだ」とだけ言葉を返すのであった。
「くけっ、いい表情するじゃねぇかよ」
二人の変化を察した椚剛は口元を歪める。
そうさっきまでとは打って変わって、二人は闘う覚悟を固めたのだった。