激突――椚剛part2
(昨夜深夜)
凛は、一人考えていた。
自分は一体何をどうすればいいのかが分からなくなっていた。
思えばつい数時間前までは何をするのかは実に明確であった。
彼女はただ命じられたままに敵を監視し、機会を伺い……斃せばいいだけだったのだから。
それがほんの数時間前から、分からなくなってしまったのだ。
「はぁ、」
寝ようと思っていたのだが、頭の中で考えが上手くまとまらなくてどうにも寝付けない。
その結果として今、彼女は部屋のバルコニーにちょこんと置かれた椅子に腰かけていた。
「う、さむい」
夏だというのに今日は妙に寒い気がした。原因は気温が少し低いのと、風が涼しいからだろう。
聖敬は、ソファーに沈み込んでいる。
当分は起きないだろう。
夜風に当たって、頭の中のモヤモヤを解消しようとしたが、どうにも上手くいかない。
「にしたって気分を盛り上げてくれるわね」
嫌味混じりに夜空を見上げる。
そこにはついさっきまでなかなかに見事な天体ショーが繰り広げられていたのだが、
今は分厚い雲に覆われ、ほとんど遮断されている。
発展著しい九頭龍でも郊外であればまだこんなに綺麗な夜空が見れるのだと、凛は驚いたのだ。
「ほんと私って何も知らなかったんだな」
自分が昔いた、故郷とかいう場所の記憶も今ではもうほとんど無くなっていた。
それはあの場所が彼女にとって如何につらい場所であったのかの証左であり、これからも思い出す事はないのだろうな、と思っていたのではあったが、それでも一つだけ今でも覚えている事がある。
人里離れた集落だった。
何もない場所だった、と思う。
だけど、夜空は最高に綺麗だったと思う。
外に、九頭龍に出てから幾度となく空を見上げたものだが、あの夜空だけはあの場所の方がずっと良かったものだ。
だからいつの頃からか、彼女はここの夜空には興味を失くしていたのだったが。
「な、んだ。私、あんな場所の事が好きだったんだな」
そんな事を今更ながらに理解して、柄にもなく感傷にふける。
だからだったのだろうか、
気が付くと、彼女はスマホの通話ボタンを押していた。
RRRRRRR。
「出るはずないか、それに何やってるんだろ」
相手にはこれまで電話なんて一度だってかけた事もないのだ。
ひょっとしたら、相手のアドレスにそもそも自分の番号なんて入っていないのかも知れない。
「はぁ、」
ため息を入れると通話を切ろうとした時である。
相手は電話に出た。
「何だ起きてたの、てっきり向こうで健康優良児みたいな生活でも送ってるかと思ってた」
別に何かを、今の事情を話すつもりなんて凛には毛頭なかった。
相手とて今は少し離れた場所にいるのだ。
「別に用なんてない、暇だったからかけただけ」
ただの何でもない会話、それで充分だった。
何故その相手にかけたのかは、彼女自身よく分からなかった。
ただ、何となくかけていた。それだけである。
「うっさい、勝手に死ねばいいじゃない。あーあ、面倒くさくなくて本当に楽でいい」
それだけ言うと電話を切る。
「はぁ、」
不思議とさっきよりも楽だった。
まだ考えはまとまってはいなかったが、気分は良かった。
「寝よう、明日考えればいい」
まだ彼女は知らない、WD九頭龍支部の変事に。もっともこの時、それを知る者など当時者以外いないのであるのだが。
結果として凛はこれからの事を考える暇もなく動き出す事を求められるのである。
◆◆◆
ドウウッッ。
思わず目を閉じる。
「う、っっ」
聖敬のすぐ目の前、そこで爆発のような轟音が轟き、そして衝撃が走る。
咄嗟に身構え、腰を落とすがそれでもずず、と僅かながらも身体は後退る。
凄まじい威力、だった。
(今のが、凛の全力なのか?)
ゾッとして寒気すら走る。
不可視の攻撃の威力は昨日の比ではない。
つまりは彼女が昨日は本気ではなかった事が理解出来た。
(頼もしいよ、凛)
と同時に、義妹が敵でなくて本当に良かった、と思う。
もうもう、とした白煙が巻き上がり、視界は不明瞭ではあったが、今のは流石にどうしようもない、そう思える程の攻撃だった。
(これで、終わったのか?)
そう聖敬が思った時だった。
ブワッ、と白煙が大きく巻き上がる。
「くけけけっ、あーあ、流石にビックリしたぜ」
喜色ばんだ声が煙の向こうから聴こえる。
と同時に聖敬の身体が何か、まるで車にでも正面衝突したような衝撃を受けて大きく吹き飛ぶ。
「げほっ、かはっ」
痛打を受けて呻く聖敬。
そして煙の向こうから人影が姿を現す。
その正体は無論、椚剛である。
「なるほど、なるほど。ケダモノ坊主の動きがどうにも腑に落ちなかったから、用心しといた甲斐はあったな」
「う、そだろ?」
思わず目を剥く。
そこにいた椚剛は、かすり傷一つなく、着ているシャツにも埃一つすら付いてはおらず、まったくの無傷であった。
「悪いなぁ、お前らの切り札だったってのにな」
そう言いながら薄ら笑いを浮かべて見せる。
凛の攻撃は間違いなく相手を直撃したはずである。
聖敬の視界に入るのは、大きくひび割れたアスファルト。例えるならば、巨大な鉄球を地面に叩き付けたかのようにミシリ、とその場所だけ陥没している。
だのに、である。
椚剛の周囲だけは、何ともなかったのだ。
彼とその足元の地面だけは何事も無かったかの如くに陥没した大地から切り立っていた。
「くけっ、悪いね。生憎と俺は結構強いんでね」
大きく首を回しながらもその視線は獲物を真っ直ぐ見据えて離れない。
一見するとふざけている様にも思える仕草なれど、聖敬の背筋には冷や汗が滲んでいく。
そうして何回目かの首回しが終わった時である。
椚が突如としてあ、と言うと何かを思い付いたらしく、手を合わせる。
「くけっ、そうだそうだ。ちったぁ楽しくなりそうだからよ。お互いを紹介し合おうぜ」
「え、?」
「そんなにビックリするなよな。ほら、昔のドラマとか映画とかで時代劇とか見てっとよぉ、
やーやー我こそは何某なりー、って名乗りってのをするじゃないか。
見たとこお前は正々堂々と真正面から向かって来るタイプみたいだからよ、そういうのも良いんじゃないかって思ったわけだよ。な、別にいいだろ?」
「ええ、まぁ」
「くけっ、じゃあ決まりだな。まずは言い出しっぺの俺からだよな。
あーー、俺の名前は椚剛。【絶対防御】って通り名でちったあ有名らしいぜ」
ほら、そっちと言いながら椚は聖敬へ指を指す。
調子が狂うのを感じつつも、コホン、と咳払いを一つ入れ、聖敬も応える事にした。
「僕の名前は星城きよ――」
「――なーんてな」
椚はいきなり仕掛けた。それは単に一歩分だけ前に飛ぶ、…………ただそれだけの動作。
だが同時に彼が着地した場所からまるで津波の様に地面が砕けて聖敬へと襲いかかる。
完全に不意を突かれた格好の聖敬だが、その向かって来る無数の礫に冷静に対処していく。
顔をそらし、上半身をそらし、腰を捻り、爪先で弾いて、拳で砕きながら――敵へと向かう。
「そうそう活きがいいのはいいこった」
椚は歯を剥きながら獰猛に笑いながら、相手を待ち受ける。
「せいぜい俺を楽しませろよなっ」
今度は腕を伸ばす。実際には触れてもいないのにコンクリートの壁がまるで発泡スチロールの様にアッサリと破壊され破片が更に飛んでいく。
「く、っそ」
舌打ちしながら聖敬は更なる攻撃に備える。
距離にしてほんの数メートルにて爆発にも等しい炸裂と余波。
それを凄まじいまでの反射速度により躱していく聖敬。
一見すると渡り合っているかの様にも思えるかも知れないが、それは違う。
確かに聖敬はさっきからの攻撃の悉くを避けきってはいる。
それはまず聖敬の、優れた身体能力と付随する反射神経の賜物であろう。
だが、その表情は厳しいものである。
一方、対する椚はと言えば喜色満面である。
その表情の差が今の二人の状況を如実と物語っていた。
かたやまだまだ余裕があり、この状況下でも楽しむ余裕があり、もう一方は躱す事で精一杯なのだ。
「くけっ、くくけっ。おいおいどうしたどうしたぁ? もっと早くしないと当たっちまうぜ」
愉悦に満ち満ちた声音。
彼は自身の強さに酔いしれていた。
そう、彼は今、最高に楽しんでいた。
彼が欲していたのはこの刺激であり娯楽。
それも自分の目の前で実感出来るモノである。
子供の頃から何かを壊すのがたまらなく愉快だった。
いつの頃からか、自分が周囲から何かがおかしい事は分かっていた。
だが、彼は一切を気にしなかった。
何かがおかしいのがおかしな事だとは思わなかった。
それは彼にとっては、プロスポーツの選手に備わった並外れた身体能力と何ら変わりのないものであったのだから。
自分の才能をどう使おうがそれは勝手だろう。
誰にも負けやしなかった。
誰もが自分を殴ると怪我をする。
それまでは数にモノをいわせたり、頭二つばかり大きいからといって偉そうにしていた奴も誰もが傷一つまともに付けられない。
勝手に攻撃して勝手に自滅する様を眺めるのは最高に愉快だった。
やがて自分みたいな変わった力を扱う者は意外と多い事を椚少年は知る。
だが、そういった連中の中でさえ、彼の力は強者、それも掛け値なしにそう評価される。
(バケモノの中の更にバケモノが俺さ)
そうした優越感は彼を深く深く酔いしれさせたものだ。
五年前に彼は初めて敗れた。
相手は九条羽鳥の懐刀たるシャドウだった。
あの時彼は片手に両足をもがれ敗れた。
だがそれもまた、彼自身は実力で負けたのではない、少なくとも彼はそう理解している。
あの時は連戦に次ぐ連戦を強いられ、完全にペースを乱された所を不意打ちでやられた。
それに、彼は昨晩あのシャドウと再戦し、勝利を収めた。
あのいけ好かない眼鏡男を彼はグチャグチャのミンチにしてやった。
残されたのは肉片と血溜まりのみ、完全なる勝利であった。
彼は自分で理解した、再認識した。
やはり自分こそが最強なのだと。
そして最強である自分はどんな事をしようとも、それは許されるのだと。
何故ならば、誰もが自分には及ばないのだから。
「くくけけっ、いいぜいいぜいいぜぇっ」
喜々とした表情と声をあげながら椚は遊んでいた。
思いの外、相手はしぶとい。
さっきから少しずつ攻撃速度を上げていっているのだが、それでも躱されている。
(全く大した身体能力じゃねぇかよオイ)
聖敬は彼にとっては稀に見る最高の遊び相手であった。
「じゃあ、これならどうだ」
そう言いながら無邪気に笑う。
その一方で、
聖敬は追い込まれていた。
さっきからずっと、ただひたすらに回避に専念せざるを得ない。
攻撃に転じようにも機先を制する様に瓦礫や礫が襲いかかって来る。
かと言って相手は距離を取る訳でもなく、一定の間合いを保ったままである。
相手に遊ばれている実感があった。
「くぐっ、!!」
それにさっきから徐々に攻撃速度もタイミングも厳しくなっていく。
動きを遮る様な攻撃から、そもそもの動き出しを制する様な攻撃に防戦一方である。
だがそれでも聖敬にはまだ対応出来る余地があり、その気さえあればかいくぐるのも大丈夫だろうと思える。
(それに、間合いを詰めて、それでどうするんだ)
椚のイレギュラーの特徴はその驚異的な防御力。
それはさっきの凛の攻撃でも全くの無傷。
単純な破壊力ならば、自分以上の攻撃に比しても確実に上であろう一撃でも動じない相手に自分が一体何が出来るのか?
その迷いが聖敬の動きを集中力に途切れた、今一つ散漫なモノにしていた。
「ふうん、何だお前。ビビっちまったのかよ」
椚もまた、今一つ積極性に欠けた聖敬の心境に気付いた。
さっきまでの楽しそうな表情から一変、完全に興味を失ったからかまるで能面の様な無表情へ変わる。
「なんだくだらねえ、じゃもういいや」
なら殺すわ、という一言がキッカケとなる。
「う、っっ」
ゾワリ、とした怖気が背筋を走る。
さっきまでとは発する雰囲気が違う。
聖敬もこれまでに幾度も強敵と戦ってきた。
だが、こんなのは初めてだった。
思わず後ろへと飛び退く、攻撃が来たからではなく、相手の凄みを前にして無意識的に。
(怖い、身体が、足が前に動かない)
身体が前に向かわないし、一歩も踏み込めない。
「へぇ、俺の殺気を思わず身体が動いちまったってトコか。うん、悪くはないぜ。お前は確かに正しい。
でもよ、それじゃあ俺には勝てないぜ」
瞬間、相手が目前に迫っていた。
「あ、ぐあっっっ」
呻きながら聖敬の身体が吹き飛んで転がっていく。
まるでダンプカーにでも撥ねられたかのような、痛烈な一撃が全身に叩き込まれた。
椚がやったのは単なる体当たりに過ぎない。
ただし絶対防御を応用して、自身を弾き飛ばす事で、まるで瞬間移動でもしたかの様な速度で突進しただけの単純な攻撃。
だが、それで充分効果はある。
肉体的なダメージもさることながら、それ以上に精神的なダメージを相手に負わせるのに。
「くけっ、もういいや。死ね」
さっきまでとは打って変わっての実に淡々とした口調でそれだけ告げると、男は追撃に入るのだった。