戦う理由
まずその視界に入ったのはもうもうとした黒煙を立ち上らせる街並み。
幾つかのビルにはまるで砲撃でも喰らったかの様な破壊の爪跡がいくつも、くっきりと見て取れる。
それから視界が切り替わり、駅前周辺を眺める。
平日とはいえ日中の、それも良く晴れた上に、気温もここ数日に比べて低くすごしやすいとウェザーニューズでも太鼓判を押していた。外を出歩くには実にいい陽気であったというのに、だ。
本来ならば大勢の人でごった返すはずの駅近辺姿が見えるのは日常ではまず有り得ない人々。
それは機動隊らしき人員に、最寄りの駐屯地から駆け付けたらしき自衛隊員。
彼らがこの場に来るのに用いたであろう車両がまるでバリケードの様に大通りを封鎖している。
彼らはいずれも複数人で行動しながら、周囲の状況を確認している。
自衛隊員はアサルトライフルを構えながら、機動隊員も前衛が盾を構えつつ慎重に歩を進めていく様はただならぬ事態である事をこれ以上なく物語っており、物々しさを漂わせる。
何故こういう事態に陥っているのかは簡単な事である。
現在、九頭龍の中心部には”レッドアラート”が発令。それにより一般人の外出が禁止にまっているからである。
この非常警報が発令されるのは、大規模なテロ等の緊急事態のみ。
発令中は外に出る事は厳禁となり、被害予想地域の住人は速やかに緊急避難しなければならない。
レッドアラートは表向きはそういう題目で成立された警報システムである。
だがそれはあくまでも本来の使用を秘匿する為の方便。
実の所は、マイノリティによるイレギュラーによって大規模な被害が予測された際に発令するシステムであった。
今回の場合はWD九頭竜支部の混乱を機に暴れ出した無数の関係者による被害拡大の事前防止が理由であった。
もっとも、彼らの中でそうした本当の事情を知るのはごく僅かな人間のみであり、自分達が最悪の場合何と対峙するのか理解も想像だにしてはいないであろうが。
「にしても、……全くヒドイ状況ね」
手にしていた双眼鏡から目を離すと美影ははぁ、とため息をついた。
ここは九頭龍のとあるタワーマンションの最上階の一室。
もちろん美影の部屋ではなく、桜音次歌音こと星城凛が九条羽鳥から与えられたセーフハウスである。
今、この部屋には美影の他にはエリザベスと西島晶がいる。
部屋の主である凛と義兄である聖敬は、丁度入れ替わる形で戦いに出ていた。
そもそも三人がここに来たのは、WG支部から脱走してから数時間。様々な状況の激変により、街中を出歩くには危険である、まずは晶の安全が第一だという美影とエリザベスの意見の一致からである。
ここに来るまでの間に、幾度も美影とエリザベスが街中で暴れていたマイノリティを制圧して来たのも不安を誘う理由である。
ほんの数時間前までならば、WGとWDは休戦状態である認識から小競り合いこそ発生してはいたものの、本格的な戦闘には至らなかった。
それが今では街中でマイノリティによる犯罪が発生していた。
これまで続いていた休戦は今や完全に破綻を来たし、各地で戦闘が頻発。もはやこの九頭龍は準戦時下の様相を呈していると言っても過言ではない。
そんな中で落ち着く先を探している時、丁度凛から晶へ当ててメールが届き、良かったら自分の部屋で休めばいいと提案してきたからだ。
いくら敵意はないからとは言ってもWDの関係者である凛からの誘いを美影は最初は拒否するつもりであった。
だが結局こうして三人は部屋にいるのは、晶の「私は凛ちゃんを信じるよ」という一言から。
そして今、晶はというとベッドで休んでいる。
部屋に着くなり彼女は、まるで糸が切れた人形の様にベッドに沈み込んだのだ。
彼女は想像以上に疲弊していたのだ。
無理もない、昨日までは知らなかった世界の裏側を知ってしまった。と、同時に自分もまたその世界の住人なのだと思い知ったのだから。
オートロックの解除コードはメールに乗っており、入り口で入力。
すんなりとマンションに入る事が出来た。
一応、一回のフロアには警備員もいたのだが、見慣れぬ三人の未成年者を見ても特に呼び止める事もなかった。もっとも、ここはWDのセーフハウスなのだ。
住人自体がまっとうでないのかも知れないし、可能性は何でも有り得る。
エレベーターからは街が一望出来た。
このタワーマンションは三つの同型マンション以外に周囲に一切の高層建築がないことによる眺望の良さを売りにしていた。
高さだけなら”塔の区域”には遠く及ばない。
しかし、ここは人気の物件であり、入居希望者は常にいるらしい。
それはこのマンションが元々はあの塔の設立を前にした云わば実験であった事に起因する。
云わば叩き台として最先端の耐震、セキュリティ、等々諸々を詰め込んだビル、それがこの建物の元々の姿である。
本来であれば建築してから色々と試験を行った後に立て壊すはずであったこのビルは周辺に新たな住宅地が作られた事で目的を変えた。
実験で作られたそのビルは云わば新興住宅地に於ける”シンボル”となった事により、今では塔の区域を除けば最高級の、ホテル並みの設備を備えた最高級のタワー型マンションとなったのである。
「ううん、本当にいい景色ですネ」
エリザベスは素直に関心している。
確かにそれは本来であればとても素晴らしい眺望であり、楽しむべき光景であったのかも知れない。
だが今の美影にそうした景色を愛でる様な心のゆとりなどない。
ダイニングテーブルの上に置いてあるのは一台のノートPC。
WG、それも林田の特注品であり、これもまた盗聴やハッキング対策などのセキュリティは万全らしい。
このPCが今、実施しているのは周辺地域の無線傍受。
とにかく、情報は少しでも多い方がいい。
一つ一つは些末なモノであってもそれらが無数に集積されれば、物事、という名の潮流が一体何処へと向かっていくのかが、ぼんやりとではあるがその行き先を示す様になる。
林田由依の受け売りの言葉だ。
集まってくる無数の情報が示す事実は街の混乱であった。
WD、それ以外にも様々な犯罪者が跋扈している現状は、WGの弱体化、それ以上にWD、つまりは支部長であった九条羽鳥という女性がこの街の裏側に対する”蓋”であった事実を明示していた。
「全く皮肉な話ね」
巨敵の存在が如何に街に大きな影響を及ぼしていたのかをここに至って痛感する。
「ミカゲ、少し休んで。ヒカリを守るんでしょ」
声がかけられ、振り返るとエリザベスがコーヒーを差し出してくる。
「ありがと、じゃあいただくわ」
美影はカップを受け取ると、湯気だったそれをゆっくりと口へと注ぎ込む。
程よくミルクが入ったその一杯は張り詰めた気分を少し和らげてくれる。
そうしてふと思った。
ほんの一日前は殺し合いをしていた相手とこうなっているのも変な感じね、と。
「少し横になるわ、ここをお願い」
気だるさを実感した黒髪の少女は晶とは別のベッドへと向かっていく。
「オーケー」
エリザベスはそう返答をすると、しばし目蓋を閉じて思索にふける。
そうしてしばらく時間が経過。
やがてゆっくりと目を開いた彼女は耳を澄ませる。
失礼だとは思ったが、そうして耳に届くは二人の静かな寝息。
晶はともかくも、美影もまた酷く疲弊していたのだ。
それも当然だと、エリザベスは思う。
彼女の体調は本調子から程遠いのだから。
自分の写し身だったベルウェザーの件で瀕死の重傷を負い、その傷も癒えぬままに連戦。
そして一日も経たずにこの状況では治る傷も治りはしない。
(ワタシのせいです。ごめんなさい)
心の中でそうした謝罪を一体どれだけした事だろうか。
――誰のせいでもないよ。
そう晶は笑っていたが、それは違う。
彼女の”介入”は単なる精神感応能力とは桁が違う。
他者の心、つまりは精神に影響を及ぼせるマイノリティはかなり多い。その殆どの場合、用いる手段は精神操作だ。
しかし晶の場合はそんな代物ではない。
ベルウェザーのイレギュラーにより学舎内のマイノリティ以外の全員が肉体を喪失し、養分と化された。
まだ精神の残滓こそ残ってたとは言え、人数一人や二人の数ではない。
それを一人残らず、晶は元通りにした。
精神という中身を溶解された肉体という器へと結び付ける。
そんな事をさも当然の様に実行してみせたのだ。
途方もない能力としか表現出来なかった。
あれだけのイレギュラーをいつまでも秘匿は出来なかった事はエリザベスにも理解出来てはいた。
だから、
何らかの形でいずれは明るみに出た事だろうとは思う。
だが、そのキッカケは間違いなく自分、その半身が行った行為の結果である。
せめてもの救いは、晶のお陰で大勢の人を殺さずに済んだ事だ。
だからこそ、金色の髪をした少女は美影にも、そして誰よりも晶に対して多大なる借りがあるのだ。
「わかってるよ、これはあくまでもワタシの自己満足だ」
こうしてお客を出迎えるのは昨晩に続いて二回目。
昨晩の相手はWGの関係者だったので、気絶に留めた。
だが、ここはWGに知られてない場所。
いくら何でも発覚するには早過ぎる。
つまりは、お客の素性はWGではなく…………。
パタン、静かにドアを閉める。
カチリ、というオートロックの施錠音。
彼女には分かっていたのだ、客人が来ている事に。
エリザベスは一人、エレベーターに乗り込むと一階へ降りていく。
チイイン、という音と共に扉が開かれた途端。
彼女を出迎えたのは美しい花束ならぬ、無数の銃撃に伴う火花であった。
パパパパパ、という静かな発射音のみがエントランスに響く。
「…………始末したか?」
「確認しろ」
エレベーターに近寄る二つの影。
共に貫通性の高いPDWを構え、油断なく迫る。
彼らにはある仕事が依頼されている。
それは現在このマンションにいるであろう、とある人物の抹殺。
とは言えども、その顔は分からない為に手段は住人全てを皆殺しという強硬な手段である。
エレベーターは完全に穴だらけ。これで無傷であるとは到底思えない。
だが、相手はマイノリティ。
想像も出来ないイレギュラーを用いる者。
扉が開かれた瞬間、
パパパパパ、念押しに更なる銃撃を加える。
室内には一面の血が飛び散っている。
そしてそこにはもはや原型を留めない程に銃弾を喰らった、金色の髪をした少女。
「よし、始末した」
「突入する、ついてこい」
襲撃者は近くに潜む仲間へ通信を入れるも、返答はない。
「何があった?」
「おい、どうした?」
彼らは苛立ちを隠しきれずに仲間がいるはずの場所へ振り向く。
するとそこにいたのは一人の少女。
金色の髪をした、見目麗しい少女……エリザベスである。
「何だお前は?」「ち、死ね」
PDWの銃弾を喰らわせようと構える。だが彼らは気付かない。
背後にて死んだと思い込んでいた少女が起き上がるのを。
血塗れになったその姿は撃たれたからではなく、彼女自身が自分の血を手繰ってそうした物だとは思い至らない。
「ねぇ、お二人さん。ちょっと」
背後からかけられた声の後、轟いたのは男達の悲鳴。
そしてそれを契機として、無数の武装した戦闘集団がその姿を現すと向かって来る。
だが彼らの足はすぐに止まる。
そこには、無数の少女が立っている。
その全員が金色の髪をした少女、エリザベスである。
「マイノリティか、化け物め」
「構うな殺れ」
一斉に銃弾を浴びせていく。
しかしそのいずれもがエリザベス本人ではなく、彼女が自身の血を持って造り上げた人形。
(フィールドは張った。だから余計な人はもう来ない)
エリザベスは意識を集中させると、指先から血を一滴、二滴と垂らす。
すると、その血はみるみる人の姿を象っていく。
その姿はエリザベスに酷似。だが、その髪の色は金色ではなく明るい茶色である。
他の人形と違うのは彼女にははっきりとした意識が備わっている事であろうか。
《エリー、どうしましたか?》
その声音は優しく穏やかで、慈愛に満ちている。
エリザベスの目には強い決意を称えた光が煌く。
「お願い、二人を守るのにあなたの力を貸して」
もとより、彼女は主人であるエリザベスの心情は分かっていた。
何故なら、今や二人は常に共にあるのだから。
とは言え、彼女が世界に干渉するには主人であるエリザベスの血が必要である。
問答無用で、命令したって何の問題だってないのだ。
だがそれでもエリザベスは頼んだ。
自分の半身、写し身、家族としての頼みをどうして断れようか。
既に散々血に塗れた手である。今さら人数が増えたっても人殺しの事実は変わらない。
《分かりました。エリーはここに隠れて》
後はワタシが行います。
そう言うとベルウェザーと呼ばれた存在は主人の頼みに従って戦闘集団と交戦を始めるのであった。