日光浴
男はボンヤリとした様子で、眼下の街並みを眺めていた。
「…………」
九頭龍、発展著しい経済特区に於いて、その新たなシンボルとして急ピッチで建築されていく超高層ビル群。
完成すれば数百ものそうしたビルがそびえ立つその区域を、いつの頃からか周辺の住民達は”塔の街”と呼ぶようになっている。
それはネットやSNSを中心に徐々に人々へと浸透していき、やがては誰しもがその呼び名を知るのかも知れない。
そうなった時、ここはもう九頭龍ではなくなるのかも知れない。
ふと、そんな事を男は考えていた。
椚剛が込品太一郎の死を知ったのは、その死からおよ数分後の事、つい今しがたであった。
彼がWD九頭龍支部を実力で奪ってから数時間。
僅かそれだけしか時間は経過していない。
だのに、街の様相は一変しつつあった。
これまでは薄氷の上であったとはいえ、休戦”状態”であったWGとWDは本格的に敵対関係に突入した。
まだ具体的に一般人の犠牲は耳には入ってこないが、深夜からこの数時間で九条羽鳥という首輪からのがれたバカ共があちこちで暴れ回ったらしい。だから、そういった情報ももう間もなく入ってくるであろう。
「全くバカばっかだよなぁ、盛った犬かなんかかよ、くへっ」
自分が煽っただけでこれだ。所詮、WDにいる連中の質はたかが知れている。椚は心底からバカ達を嘲笑いたい気分であった。
彼は、惰眠を貪っていた。
WD九頭龍支部、今や機能停止した支部の入ったビルの屋上のヘリポートにて、陽射しと風をその身に受けながら。
数年間もの間、外と隔絶された場所にいた反動だろう。
椚は太陽の光をこの身に浴びたかった。
昼か夜か全く分からない穴蔵みたいな場所でひたすらに実験動物扱いされた日々は退屈極まりなかった。
この数時間で彼が行った事と言えば、かつての仲間を探して解放した事のみ。
かつて、そう以前に九条の駒として様々な仕事を共にこなした連中を彼は解き放った。
残念ながら全員は見つからなかったが、それでも三人は見つけて野に放った。
いずれも根っからの頭のイカれた連中。
椚にとって別にWDやらWGだとかはどうだって良かった。
あのネジの緩んだ最高にイカれた連中と好き放題して暴れ回るのが楽しみであった。
「ち、さっさと死にやがってよ、バカ野郎が」
そんな中での込品太一郎の死亡という情報は、半ば夢うつつであった彼が目を覚ますには充分に過ぎる一報であった。
誰が殺したのか、詳しい情報が欲しかった。
何故ならそいつは込品を殺した。つまりはそれだけ強い、という事なのだから。
「くへっ、いいぜ。そいつはこの手でブッ潰してミンチにしてやるよ」
椚としても、WD九頭龍支部を乗っとる意図は当初はなかったが今は少し変わってきた。
ここに腰を据えてから数時間で理解した。
情報を握る事の重要さを。
そして九条羽鳥が如何にして様々な事態にも対応出来たのかも。
彼女の情報源は、ネット上に設立した無数のスレッドであった。
一見、単なるネタの様な情報を大勢のネット利用者から集積。
それらを分析し、事態の予測に当てていたのだ。
そしてそれを実行していたのは、マイノリティではなく、単なるプログラム。
それらを的確に運用する事によって、九頭龍内外の様々な事態に対処していたという訳である。
「で、……どうだリチャード、掌握出来そうか?」
耳に装着した骨振動式の無線で会話する相手は、支部の情報センターにいた。
リチャード・銛童。椚と共にチームを組んでいた男だ。
金髪に瞳の色は青。身長も一八五センチに九〇キロという体格はどう見ても日本人ではない。
――いやぁ、こいつは難しいな。ほらさぁぼかぁ、いわゆるプロのハッカーじゃないしさぁ。
椚としても、その妙な喋り方は正直言って気に障るのだが、戦闘支援のプロである彼の腕前は信用していたので敢えて文句は言わない。爆発物の設置や製造、ちょっとしたハッキングまでこなす彼はまさしくチームの縁の下の力持ちであるからだ。
「お前に出来なきゃ他に出来るヤツはいないんだ。頼むぜ」
――うんうん、ぼかぁ、天才肌だからなぁ。何とかするさぁ。
すっとぼけた口調ながら、チームの解散が九条羽鳥により決定された際に唯一WD九頭龍支部の拘束から逃れ得た男。
椚も戦闘そのものならこの男は然程役には立たないが、しかしこの男にはそれを補って余りある生存能力が備わっている。それに油断出来ない男でもある。
現に、椚が外に出た直後に真っ先に接触してきたのが彼なのだから。
椚が支部を急襲したのは、九条羽鳥やシャドウに”借り”があったからではあったが、同時に誰が自分を外に出したのかを知りたかったからでもある。
九条羽鳥なら、何らかの情報を得ているに相違ない、とそう思ったし、その考えはまず間違っていないであろうと思っている。
リチャードは確かにハッカーではない。だが、彼にかかればどんな物でも”把握”出来る。
”構造理解”それがすっとぼけた男のイレギュラーの名称だ。
彼は自身が触れたモノの構造が把握出来る。
それがどんなモノでも関係無い。
触れさえすれば、それが核兵器であろうが、テレビのリモコンであろうが何の違いもなく把握し得る。
故に彼に把握出来ないモノはない、そのはずなのだが。
だがその情報センターに据えられた端末は未だに彼にも理解出来ていなかった。
――いやぁ、こいつはスゴいなぁ。こうまで理解出来ないモノは初めてだぁ。ぼかぁ嬉しいよぉ。
無線越しに歓喜の声が聴こえてくる。
椚には理解出来ないが彼には本当に嬉しいのだろう、理解出来ない、という事が。
「とりあえずそっちは任せた。こっちは少しばかり出掛けてくる」
――何処に行くつもりだぁ?
「なぁに、ちょいとWGに殴り込みかけてくるだけだ」
――そうかぁ、まぁ程々にやってきなよぉ。
ブツリ、とおよそ緊張感の欠片もない会話はそこで打ち切られる。
ふあぁ、とあくびをした椚は、ゆっくりとその身を起こすと躊躇なく屋上から飛び降りる。
普通であれば衝突で即死、マイノリティであっても無傷とはいかない者の方が多いその高度からの落下にも、彼は全く動じない。
ばあん、というまるで爆発音が轟く。
何も知らない一般人がその音に思わず外に出てきて、様子を伺う。
彼等は目にした。もうもうとあがる煙と共に砕けたアスファルトと、ちょっとしたクレーターが形成されているのを。
そして何よりも、その衝突の中心に人が立っているのを。
それはおよそ有り得ない光景。
何人かはその瞬間を目にしていた。
地面に叩きつけられたであろう、怪我一つ負っていないどころか全くの無傷であるのだから。
彼等はその存在を理解出来ない一方で、理解もした。
目の前にいる彼は何かとても恐ろしいモノなのだと。
そして、理解した時。
彼等を待ち受けていたのは”死”であった。
数分後、そこに駆け付けた警官は絶句する。
そこにはまるで原形を留めない、何かが散乱していたのだから。
後日、正式発表による死者は六七人。
その遺体は性別や血液型以外は判別不可。
犯人も手口も不明で猟奇殺人なのか、一種のテロなのかすら分からない事件は迷宮入りとなる。
「くへっ、WGの連中はせいぜい首を洗って待ってるこった」
それは椚剛にとって単に息継ぎと同様の、準備運動にすらならぬ殺戮であった。
だがこの殺戮も、この後に待ち受けるさらなる殺戮の前のほんの小さな出来事でしかない。
椚剛はWG九頭龍支部へと歩き出すのであった。